配信日時 2020/05/28 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(86)】「WGIP」の目的と手段  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は86回目です。

「目に見えない戦争」
をいかに可視化するか?

は、

今生きる人がなすべき仕事であり
義務でしょう。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(86)

「WGIP」の目的と手段

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

占領政策が出来上がった「構図」をもう少し整理し
ておきたいと思います。政治に疎(うと)く典型的
な軍人であったマッカーサーは次々に送られてくる
トルーマン政権の指示に(特に初期段階は)忠実に
従います。前回も少し触れましたが、問題は、トル
ーマン政権の指示がどこから来たのか、大統領以下
閣僚がそれらの指示を注意深くチェックしていたか
どうかにありました。

実は、当時の国務省やGHQの中には、ニューディ
ーラーといわれる、ルーズベルト政権で社会主義的
思想を持つ人々がかなり存在していました。名前を
挙げれば驚くなかれ、対日強硬派で知られた国務長
官ジェームズ・バーンズ、同じく国務次官のディー
ン・アチソン、国務省極東局長のジョン・ヴィンセ
ント、GHQにおいては、民生局のホイットニー局
長や日本国憲法制定担当のケーディス次長らは皆、
ニューディーラーだったようです。

つまり、国務長官以下、米本国のニューディーラー
の指示をGHQの民生局が直接手足となって“日本
の民主化”の名目で占領政策に反映させた「構図」
が見えて来て、彼らが“日本をいかなる国に仕立て
ようとしたか”が容易に想像つくのです。

具体例を続けましょう。翌昭和21年1月7日には、
「日本人の再方向づけ」という12項目の具体的な
方針がトルーマン政権からマッカーサーの元に届き
ます。

特に注目すべきは、4番目の「占領軍は占領の究極
的目標を受容し、援助したり、米国の利益を促進す
るような日本人を探し出すべきである」と10番目
の「“米国人が退いた後にも日本人自身によって再
教育プログラムが継続される”ために、日本人自身
が再教育のプロセスに積極的に参加することを奨励
すべきである」した点です。
4番目に挙げたグループが誰かは、歴史を見れば一目
瞭然ですし、10番目のように、本人たちがこの方針
を知っているか否かは不明ですが、仕組まれた「再
教育プログラム」を今なお忠実に継続している人た
ちがかなり存在していることは確かでしょう。依然
として、我が国では、“無形の武器が作動中”と考
えざるを得ないのですが、主に彼らが画策して実現
した占領政策を具体的に振り返ると、これらが“ほ
んの一例にしか過ぎない”ことを理解できると思い
ます。

▼マッカーサーの「自由の指令」と日本政府の抵抗

 少し前後しますが、トルーマン政権から「初期の
対日方針」指示を受けたマッカーサーの最初の指令
は「自由の指令」といわれるものでした(昭和20
年10月4日)。その概要は、(1)治安維持法の廃
止、(2)政治犯の釈放、(3)特別高等警察の解体、
(4)内相や警視総監らの罷免などです。これによっ
て、内務・警察官僚4千名が罷免されます。新聞を
発禁処分にした内務省への報復だったといわれます。

 これについて、さすがに東久邇宮首相のプライド
が許さず、「承服できない」として内閣総辞職しま
す。これが、日本政府がまとまって抵抗の意思を示
した最初で最後でした。東久邇宮内閣は50日ほど
しか持ちませんでした。後任には、対米英協調外交
を推進した幣原喜重郎が選ばれます。73歳の身で
一度は固辞しますが、天皇に懇願され引き受けるこ
とになります。

 10月9日、幣原首相は早速マッカーサーと初会
談に臨みます。その場で、マッカーサーは、あらか
じめ用意したペーパーを読み上げます。そこには
「日本国民を精神的“奴隷状態”から解放するため、
(1)婦人参政権による日本女性の解放、(2)労働
組合の結成奨励、(3)学校教育の自主主義化、
(3)秘密審問の廃止と司法制度の確立、(4)経済
機構の民主主義化、などの指示が書かれてありまし
た。一方、この時点では、マッカーサーの態度も常
識的・紳士的で、幣原首相を安心させたとの記録が
残っています。

▼「WGIP」の背景と概要

 占領期の初期の経緯を紹介しましたが、ここから
は、GHQの占領政策を次の3つに整理して振り返
ってみましょう。第1には、日本を「戦争犯罪国家」
に仕立て上げる宣伝としての「WGIP」(War
Guilt Information Program)の推進、第2には、憲
法の制定など日本改造の断行、第3には、「東京裁
判」による日本有罪の強要と戦争犯罪人の処罰です。
当然、これらは相互に関連しています。

まず「WGIP」です。その存在は、長くベールに
包まれていましたが、昭和54年、米国のウイルソ
ンセンターで占領下の検閲事情を調査していた江藤
淳氏がその存在を言及したことに始まります(その
経緯は、江藤氏の『閉ざされた言語空間』に詳細に
記されています)。そして、平成27年に、近現代
史研究家の関野通夫氏によって文書そのものが発見
され、月刊誌「正論」紙上で紹介されました。

「WGIP」の所掌は、GHQの民間情報教育局(C
IE)ですが、「ポツダム宣言」によって、日本を
「野蛮な戦争犯罪国家」に仕立てたものの、当時の
日本人の意識について「日本人の間には、戦争贖罪
(しょくざい)意識が全くといっていいほど存在せ
ず・・・道徳的過失も全くなかった。日本の敗北は、
産業と科学の劣勢と原爆のゆえであるという信念が
行き渡っていた」(昭和20年11月のGHQ月報
より)と占領軍が認識したことが本プログラム導入
のきっかけとなったようです。

改めて、終戦まもなくの日本人には、今のような
「自虐意識」が全くなかったことを強調しておきた
いと思いますが、「WGIP」の目的は2つありま
した。(1)日本人を洗脳することと、(2)アメリ
カに都合の悪いことを糊塗(こと)することです。

関野氏によれば、「WGIP」は、第1部(日本の
戦争犯罪の定義など)、第2部(日本のメディアの
対する作戦の目的など)、第3部(各メディアに対
する具体的作戦など)の3部構成になっています。

細部を取り上げる余裕はありませんが、「WGIP」
のアイディアや手段の源流は、戦争中のアメリカの
対日心理作戦にあります。そのベースは、前回紹介
しました「日本研究」にありました。実際に対日心
理作戦を陣頭指揮した人物が上記のCIE作戦課長
に赴任し、「太平洋戦争史」を執筆・編集するなど、
対日心理作戦のプロたちがCIEの幹部に登用され
ます。

こうして、GHQは「WGIP」に基づき、「大東
亜戦争」とか「八紘一宇」などの用語を使用禁止に
するとともに、新聞各紙にGHQ提供の「太平洋戦
争史」を一斉に掲載し、ラジオでは「真相はかうだ」
を放送します。いずれも日本軍が行なったとする
“極悪非道”をことさらに強調する内容でした。

同時にGHQは「日本の軍国主義は国民の伝統に基
づいている。ドイツやイタリアとは異なる」として
日本精神の特異な“病的特性”を強調し、「再教育
に積極的に介入しなければ、日本国民の伝統精神に
基づいた軍国主義を排除することができない」と考
えます。

その手段として、まず「日本の力の源泉は天皇への
忠節にあった」として、日本人の天皇観や国家観の
解体に着手します。そのため、教育内容の抜本改革
を指令し、「修身」「歴史」「地理」の教育を廃止
します。また、児童に教科書の黒塗りを強要するの
とともに、軍国主義とみなされた教職員らを追放し
ます。このようにして、GHQは戦前の我が国の歴
史を抹消し、「史実」と違う歴史を子供たちに教え
始めたのです。

そして、昭和21年1月1日、昭和天皇の「新日本建
設に関する詔書」が新聞各紙に掲載されます。俗に
「人間宣言」と言われるものです。本詔書は「民主
主義の精神は明治天皇に採用されたところであって、
けっして輸入のものではない」ことを示し、国民に
「誇りを忘れないようにする」ためのものでしたが、
GHQの主導によって、後段に「天皇は現人神でな
い」の一文を入れさせることにより、「天皇の神格
性」を天皇自身に否定させたのでした。

これによって、のちの日本国憲法にもある「政教分
離」を実現させ、天皇が政治に携わることを禁止し
ました。また皇族の縮小と国家神道の廃止を目的に
「神道指令」も発しました。この結果、政府が管理
していた日本中の神社が解散するか、一宗教法人に
なるか、の選択を迫られました。

靖国神社も宗教法人になりましたが、靖国神社に至
っては、当時GHQ内部で「二度と日本人が靖国神
社へ祀られる事を名誉とする命懸けの戦いをしない
ように焼き打ちしよう」とする意見が多数出されま
す。マッカーサーも同意見でしたが、イエズス会の
ブルーノ・ビッター神父が「いかなる国や民族にも
戦没者を祀る権利はあり、それをいかなる外国人で
も禁止する事はできない」と発言し、GHQは靖国
神社焼き打ちを中止します。

 こうして、戦前と違った存在にはなりましたが、
天皇の存在が守られ、大戦時に祖国日本の未来を思
いながら命を捧げた人々の鎮魂の場所も守られまし
た。

▼教育界の改造

軍国主義者とみなされ、不適格者として追放された
教職員は7千名を超えたといわれますが、少し詳細
に触れましょう。

教育界の改造は、振り返れば想像を絶するものでし
た。教育界のトップ人事として、文部大臣は田中耕
太郎、東大総長は南原繁をあてます。両者とも敬虔
はキリスト教信者で、完璧なGHQへのイエスマン
でした。

教職追放のために「教職員適格審査」を制度化し、
全国130万の小中学校教員、大学教授等を対象に
審査し、(1)日本の戦争を肯定する者、(2)積極
的に戦争に加担した者、(3)戦後の自由と民主主義
を受け入れない者に除籍を求め、血縁者三親等まで
教員として就職を禁止します。人権を声高に唱えた
教育改革において、教員の人権は全く無視されたの
でした。

昭和21年には、文部省の勅令で「教職員の除去、
就職禁止及び復職の件」を発令し、各都道府県に5
名からなる教員適格委員会を設置して“適格審査”
を実施します。その結果、戦前、軍国教育に熱心に
関わった文部官僚や教職者が180度方向転換し、
反戦、平和、人権教育に奔走します。生きるためと
はいえ、その節操のなさには呆れるばかりでした。

これらの処置は、GHQの指示の元、文部省主導で
行なわれましたが、昭和27年に我が国の主権が回
復した際、上記勅令を廃止する法律が定められます。
しかし、その後の通達で「占領政策の終了とともに、
その目的とした軍国主義的・国家主義的な影響が払
拭されたか甚だ疑問だ」として“適格審査”を続行
させるのです。

その体質は戦後70年以上が過ぎた今でも残り、な
ぜか現在の“適格審査”に触れることなく教員免許
を取得した教職員が、日教組の組合員として堂々と
活動している一方で、未だ、ほとんどの大学が国の
安全保障や国防に関わる研究を拒否し続けているな
ど、冒頭にも述べましたように、占領軍の「再教育
プログラム」を“忠実に”実行しているのです。

▼マスコミ界の改造

 昭和20年9月14日、「朝日新聞」が「原子爆
弾の非人道性は人類の認めるところであり、我々は
敢然とその非を鳴らさなければならい」と米国を批
判する記事を掲載したところ、マッカーサーの逆鱗
に触れ、2日間の発行停止処分を受けます。これをき
っかけに、朝日新聞の社是は180度変わり、今日
の朝日新聞が生まれます。

 またこれを契機に「プレス・コード」が発令され
ます。内容は、(1)ニュースは真実でなければなら
ない、(2)公共の治安を乱す事を掲載してはならな
い、(3)連合軍に関して、破壊的または誤った批
判をしてはならない、(4)占領軍に対して破壊的は
批判を加えたり、疑いや怨念を招くようなものを掲
載してはならない、など10項目からなり、「日本
で印刷されるすべての出版物に適用される」とされ
ました。

マッカーサーは「日本の新聞に対して、自由な新聞
の責任について教育する」とその目的を説明しまし
たが、自分たちの監視下で効果的な宣伝機関に仕立
てようとしたことは明白です。

 そのような大方針のもと、GHQは6千人を上回
る要員を有する民間検閲支隊(CCD)をもって大
規模な民間検閲も実施します。「究極の目的は、日
本人にわれとわが眼を刳(く)りぬかせ、肉眼のか
わりにアメリカ製の義眼をはめこむこと」(江藤淳
氏)という「WGIP」の目的に沿った検閲は、占
領前から周到な計画をもって行われました。

実際に、CCDの要員を南朝鮮含む全土を4つの地
区に分けて全国に張り巡らせ、新聞、書籍、映画、
放送などあらゆる出版物を対象に徹底的に実施し、
まさに“閉ざされた言語空間”を築き上げたのです
(その細部は、上記『閉ざされた言語空間』に詳し
くまとめられています)。

 江藤氏も指摘していますが、のちに触れる日本国
憲法第21条第2項に「検閲は、これをしてはなら
ない。通信の秘密は、これを侵してはならない」を
挿入させたGHQが、同じ時期に徹底した検閲を実
施していたのです。思えば奇妙な話ですが、それが
占領下の“現実”でした。次回は、日本国憲法の制
定経緯を取り上げます。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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