こんにちは、エンリケです。
「戦略航空偵察」十七回目です。
UFOの話から始まる今回は、
「U-2の歴史」3回目です。
それにしても先日の米軍によるUFO写真の公開には
ビックリしましたw
個人的に私は、
きょうの記事を読んでピンとくるものがありました。
あなたはどうでしょう?
情報史は、歴史の闇を照らし、
後世に生きるものが歴史から養分を得る核心になる。
改めてそう感じます。
実にありがたいですね。
きょうの内容は以下のとおりです
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□ご挨拶
▼U-2とUFO
▼空軍とCIA、どちらがU-2を運用するのか
▼U-2の燃料
▼与圧服
▼自殺用のピル
▼U-2の初飛行
▼4件の事故
▼空軍パイロットの採用
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さっそくどうぞ
エンリケ
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戦略航空偵察(17)
U-2の誕生(その3)
西山邦夫(元空将補)
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□ご挨拶
4月29日付けの新聞各紙は、米国防総省がUFO
(未確認飛行物体)に関する画像を公開したと報じ
ました。同省は、今回の映像の公開についての声明
で、機密情報の流出や、軍空域への侵入に関する調
査の妨げにはならないと判断したと述べました。ま
た、「映像に見られる飛行現象は『未確認』と分類
されたままだ」としています。
1950年代後半、UFOを見たという報告が多くあり
ました。一般市民だけでなく、民間航空のパイロッ
トの報告も多かったのです。20kmもの高空を飛行
する航空機はU-2以外にはありませんから、これを
見た人がUFOと考えたのは無理もありません。は
るか上空を飛行する物体が何物か、まさか人間が乗
っているとは想像できなかったでしょう。
▼U-2とUFO
U-2の高々度テストは思わぬ副作用を生みまし
た。「未確認飛行物体」(UFO)を見たというレ
ポートが急増したのです。1950年代半ばには多くの
民間航空機は10,000フィートから20,000フィートの
高度を飛行していましたから、U-2が60,000フィ
ートの高度を飛行しているのを民間航空機のパイロ
ットが見上げれば、U-2はUFOに見えたのでしょ
う。
これらのレポートは、民間機が夕暮れ時に東から
西へ飛行している時にUFOを見たというものが多
かったのです。民間機のパイロットにとって、夕日
の側を40,000フィートの高度差で飛行するU-2は
極めて遠方にあり、かつ銀色の機体が夕日を反射し
てはるかな高みを赤く光りながら移動していく様子
は、信じられない光景だったのでしょう。
この現象に関するすべてのレポートを分析するため、
空軍はコードネームBLUE BOOK作戦を開始しました。
レポートをU-2の飛行記録と照合し、これらは全て
自然現象だったと説明しようとしました。しかし、
UFOを見たという全ての証言に対し、その真の原
因を説明できなかったそうです。
▼空軍とCIA、どちらがU-2を運用するのか
U-2の運用主体をだれがとるか、空軍とCIA
間で協議が続きました。空軍はエンジンだけを供給
し、CIAは機体とカメラを担当することになりま
したが、肝心の運用者が決まりません。それを見た
アイゼンハワー大統領が乗り出し、「運用はCIA
に任せる、もし軍人が搭乗してソ連領内を飛行すれ
ば、それは戦争行為になる、私はそれを望まない」
と言いました。
▼U-2の燃料
超高々度を飛行するU-2が使用する燃料も、時
別な仕様が必要でした。超高々度では極めて低圧に
なるため、燃料のケロシンが沸騰してしまうからで
す。これを防ぐため、シェル石油は沸点の高い燃料
を開発し、JP-7と命名しました。のちにU-2が世界
各地で活動するようになると、U-2が移動する基地
へJP-7も輸送する必要が生じました。それを避ける
ため、各地にU-2の根拠基地を整備し、対応する
ようになりました。日本ではカデナ基地です。
▼与圧服
理科年表によれば、高度65,000フィートでは、水
の沸騰点が摂氏37度ほどになり、人間の血液も沸騰
します。これを防ぐためパイロットは与圧服を着な
ければなりませんが、1950年代は宇宙飛行などまだ
夢の時代でしたから、その開発も難事業でした。コ
ックピット内の与圧と与圧服の内部は同じ28,000フ
ィートの気圧に保たれました。しかし、初期の与圧
服は大変使いにくく、空気漏れを防ぐために手首足
首をきつく締めました。重いヘルメットは首と肩に
負担をかけ、初期のU-2の事故のいくつかはこれが
原因だったとされています。
与圧服の2番目の問題は、座席が極めて狭いこと
でした。コックピットが狭く、初期のモデルには脱
出用の射出席が装備できませんでした。射出席が装
備された後も、パイロットたちはこれを使うのをた
めらいました。うかつにベイルアウトすると、膝下
から足を切断される恐れがありました。パイロット
の身体状況に座席と射出装置をフィットさせる機能
がなかったからです。のちにスベルドルフスクで撃
墜されたパワーズ飛行士は、ベイルアウトせず自力
で機外に脱出しました。彼は、射出席に欠陥がある
ことを知っていたのです。
純酸素を吸いながら長時間飛行するパイロットは、
脱水症状に悩まされました。顔マスクに穴をあけ、
チューブで水を飲めるようにし、かつ流動食もチュ
ーブからとれるようにしました。また小便を催した
時の処理など、長時間の飛行に伴う生理的な苦痛が
パイロットを苦しめ、飛行を終えると2~3kg体重
が減りました。
▼自殺用のピル
偵察飛行に赴くパイロットたちが持ってゆくべき
重要なものに、自殺用のピルがありました。当時、
ソ連の秘密警察が行なう拷問は耐えられるものでは
ないという定評があり、その前に自ら命を絶つ道を
選べるようにするべきだ、との考えからカプセル入
りの液状青酸カリを希望者に携行させたのです。カ
プセルを口に含み、噛み潰せば10~15秒で死に至る
のだそうです。これの持参を断ったパイロットもお
りました。
アイゼンハワー大統領は、U-2の運用に関し、仮
にU-2が撃墜されるようなことが起きても、U-2
飛行特性からパイロットが生きたまま捕まることは
あり得ないとのブリーフィングを受けていました。
65,000ftの超高空で撃墜されれば、気圧は地上の
1/20、血液は沸騰し、気温は摂氏マイナス50度の過
酷な環境のなかに放り出されることになるからです。
パイロットが生存していなければ、さまざまなリス
ク、たとえば、国際法違反の他国上空飛行による米
国の威信の低下、パイロットの供述による情報の漏
洩、米ソ関係の悪化など多くの不利益を受ける可能
性は避けられると思っていたのです。CIAも同じ
ように考えていました。
1960年5月、ソ連スベルドルフスクでU-2が撃墜
され、パワーズ飛行士が行方不明になった時、用意
していたカバー・ストーリー、すなわちU-2は気
象観測が目的で飛行していたが、酸素系統の故障で
パイロットが意識を失い、ソ連領に侵入してしまっ
た、と発表しました。これは、パワーズ飛行士が死
亡したことが前提でした。
ところが、パワーズ飛行士は生存しており、U-2
が撮影したフィルムは破壊されることなく、ソ連に
回収されていました。U-2の飛行目的は、白日の下
にさらされたのです。パワーズ飛行士は自殺用のピ
ルを持参していましたが、使用しませんでした。ピ
ルの使用はパイロットの自由意思に任されていたの
ですが、米国内の論調でなぜ使わなかったのかなど
というものがありました。このような風潮の中で、
捕虜交換で帰国後のパワーズ飛行士は、どちらかと
言えば不遇な生活を送り、ヘリコプターの事故で亡
くなりました。
▼U-2の初飛行
1955年7月27日、U-2の滑走路走行(taxi)試験
が行なわれました。テスト・パイロットが滑走を開
始し、70ノットになった時、機体が浮くのを感じ、
こんな低速で浮揚するとはと驚いて接地させようと
しましたが思うように行きません。テスト飛行の飛
行場は水が枯れた湖底にあったので、目印になるマ
ーキングがなく、速度も高度もよく分かりません。
接地しようとしたらU-2はバウンドして跳ね上が
ってしまいました。何回もの試行を重ね、何とか着
陸できるようになり、ようやく飛行試験にたどり着
きました。
飛行試験でも着陸が難しく、前輪から着地した方
がよいのか、後輪からがよいのか、初飛行の時、何
回か試した結果、後輪から着地するのがよいことが
確認できました。試行錯誤を繰り返した末、1955年
8月8日に公式の初飛行が行なわれ、32,000ftまで上
昇して成功裏に終了しました。翌9月には高度65,600
ftで飛行し、その後超高空でのエンジンのフレーム・
アウトが発生する問題も生じましたが、運用可能な
状態へ歩みを進めました。
▼4件の事故
U-2運用開始の前年、1956年にはパイロットが死亡
する事故が3件、その他が1件発生しました。いず
れもU-2が特殊な航空機であるための事故と見られ、
U-2の操縦の難しさがありました。死亡事故の最初
の1件は、離陸時に落下させるはずの翼端に付けて
いる車輪が落下しなかったため、これを落とそうと
旋回している時に失速・墜落してパイロットは死亡
しました。2件目は、夜間飛行で離陸の際、急激な
上昇姿勢をとったため、高度50フィートで失速・墜
落したためでした。3件目は西独ウィスバーデン基
地で、離陸時に右翼の部品が欠落し、機体が空中分
解しました。
▼空軍パイロットの採用
アイゼンハワー大統領の決定で、U-2はCIAが
運用することになりましたが、U-2のパイロットを
どう採用するかが問題です。大統領はもし敵国領内
に不時着するようなことがあれば、パイロットは米
国人ではない方がよい、そうすればこの飛行は米国
の責任ではない、と言い訳できると考えていました。
しかし、実際に外国人を雇って訓練してみましたが、
問題が多く、外国人の雇用は取りやめになりました。
最終的にCIAは空軍からパイロットを採用する
ことにし、空軍と交渉の結果、戦略空軍(SAC)の戦
闘機パイロットから募ることになりました。パイロ
ットたちは、U-2で敵性国上空を飛行する任務への
魅力を感じるが、空軍を離れることへの未練がある
と言い、それを高給と空軍への復帰を約束すること
で回避したのです。
(つづく)
(にしやま・くにお)
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□著者略歴
西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。
情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航
空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、
航空自衛隊幹部学校主任教官。著書に『肥大化する
中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、
『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミ
ネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦
力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとイン
ド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』
『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備
化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』
『チベットにおける中国の軍事態勢整備』など多数。
PS
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