配信日時 2020/05/21 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(84)】米国の「日本研究」とその影響  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は85回目です。

実に見事にまとめられている感を持ちます。

ギュッと抽出された歴史のエキスを
味わえる喜びは耐え難いです。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(85)

米国の「日本研究」とその影響

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

 個人的には、マッカーサー率いるGHQによって
我が国が国家の大改造を強行されたことについて、
“我が国の過去・現在・未来の長い歴史の中でどの
ように評価すべきか”ついては判断しかねていると
いうのが正直な気持ちです。

 我が国の現状の“源”は占領政策にあると考える
一方で、終戦後、我が国に対する連合国(特にソ連)
の“強硬姿勢”に真っ向から立ち向かい、国土の分
割や天皇制廃止を回避できたのは、マッカーサーら
GHQの功績であることも事実だからです。

GHQによる占領政策については、すでに多くの書
籍や論文が出ています。以前にも紹介しましたが、
丹念に発掘した米国側資料に基づいて書かれた『國
破れてマッカーサー』(西悦夫著)をはじめ、占領
下の5人の首相に焦点をあてた『占領期』(五百旗
頭真著)、占領政策が主に戦後の安全保障政策に与
えた影響を見事に分析している『吉田茂とその時代』
(岡崎久彦著)、そして、WGIP(ウオー・ギル
ト・インフォメーション・プログラム)研究の第一
人者・高橋史朗氏の『日本が二度と立ち上がれない
ように アメリカが占領期の行ったこと』『WGI
Pと「歴史戦」』の2冊などです。他にもたくさん
ありますが、これまでベールに包まれた占領政策の
策定経緯や基本的考えなどの「史実」をあぶりだし
てくれます。

 他方、まだまだ“全容は解明できてない”のも事
実でしょう。一般には、触れたくない占領下の我が
国の状況ですが、占領政策の狙いやその実態はいか
なるものであったのか、戦後の日本及び日本人に絶
大な影響を与えた占領政策だけに、ここは我慢しつ
つ、引き続き7年半の占領時代の概要を努めて時程
を追って何回かに分けて振り返ってみたいと思いま
す。

 前回、マッカーサーの「人となり」などを取り上
げましが、いろいろ調べていくうちに、個人的には、
(1)占領政策の決定権は本当にマッカーサーにあ
ったのか? (2)周辺情勢の変化などから占領政策
がいかに変容していったか? に関心を持つに至り
ました。

さらに、占領時代は、「“兵は国の大事”といわれ
る戦争において、“敗戦”とはいかなる意味を持つ
のか?」、その延長で「“平和主義”がはびこる現
在において、それを追及した結果として、独立(主
権)を失うということはいかなるものなのか?」を
歴史から学ぶ“まさに他に類を見ない好材料”と考
えます。

 占領政策は、本メルマガの“集大成”とも考えま
す。細部に触れるとここに紹介したような分厚い書
物になってしまいますので、これまで同様、知り得
る限りの「史実」を簡潔に、かつ要点をあぶり出し
つつ振り返ってみたいと思います。

▼マッカーサーの最初の指令

 昭和20年9月2日、東京湾に停泊する戦艦ミズ
ーリ―で降伏文書調印式が実施され、日本側の人選
が難航した結果、重光葵(まもる)外相と梅津美治
郎参謀総長が臨むことになります。

 調印式を終えて宿所に戻った重光外相にマッカー
サーより「日本国民に告ぐ」で始まる以下の内容の
文書が舞い込みます。(1)軍政を敷き、公用語は
英語とする、(2)一切の命令違反は軍事裁判で死刑
などに処す、(3)米軍軍票に日本の法定通貨とする、
とあり、重光外相は軍政布告などポツダム宣言を逸
脱した内容に唖然として翌日、さっそく断然抗議し
ます。

 重光の「軍政を敷けば混乱が生じ、その結果につ
いては、日本側は責任を負わない」と脅しのような
抗議に対して、マッカーサーはたじろぎ、軍政の布
告案を撤回し、直接軍政より間接統治の方を選択し
ます。

あわや、軍政を敷かれ、我が国の公用語がフィリピ
ンのように英語になり、(前回紹介しましたように)
日本人の大半がキリスト教徒にさせられるところで
した。中でもGHQの間接統治への決心変更は、重
光外相の手柄だったことは間違いないでしょう。

しかし、重光は(だまっておればいいものを)記者
会見でこれを誇ったためにGHQの不評を買う結果
になります。その結果、「日本人を甘やかしてはな
らない」と対日政策の硬化に繋がってしまいます。
お互いまだ手の内がわからない段階だったとは言え、
当初から勝者と敗者の明確な線引きがあったのでし
た。

▼天皇陛下のご訪問

こうした中で、マッカーサーを揺り動かした筆頭は
天皇陛下でした。昭和20年9月27日、天皇がモ
ーニング姿でマッカーサーをご訪問されます。マッ
カーサーは「天皇が“命乞いに来た”と思った」と
回想録に記しています。しかし、天皇が口にされた
のは正反対で、「戦争責任はすべて私にある。私の
一身はどうなろうともかまわない。あなたにお任せ
する。この上、どうか国民が生活に困らないよう、
連合国の援助をお願いしたい」旨を述べられ、マッ
カーサーを驚かせます。

 マッカーサーは、「私は大きい感動にゆさぶられ
た。諸事実に照らし、明らかに天皇に帰すべきでは
ない責任を引き受けようとしている。この勇気に満
ちた態度は私の骨の髄までゆり動かした」とのちに
回想しています。

 この会見によって、マッカーサー自体は、天皇を
「日本の最上の紳士」とみなし、訴追反対の意思を
より強くするとともに、天皇の影響力を保つことで
占領統治を成功させようとしたといわれます。

 天皇のご訪問はこの後、“尾ひれ”がつきます。
モーニング服で正装した天皇とラフな格好のマッカ
ーサーが並んで写した(有名な)写真が翌日の新聞
(朝日、毎日、読売)に掲載されてしまったのです。
当時の国民にとっては衝撃的な写真でしたが、内務
省は掲載した新聞を発禁処分します。これに対して、
“絶好のプロパガンダと考えた”GHQは処分を無
効として改めて発行を命じます。本事件もまた、対
日強硬政策を行なう「引き金」になったといわれま
す。

▼「日本人の国民性」研究

 さて、GHQの占領政策は、マッカーサーに絶大
な権力があるとは言え、GHQの方針のみで決定し
たわけでないことも明白です。マッカーサーに(前
回紹介したような)「日本観」を抱かせたのも必ず
しも自身の経験や信念からだけでなかったようです。

アメリカの日本研究は、ペリー来航以降、つまり1
9世紀後半までさかのぼりますが、本格的な研究は
「太平洋問題調査会」(1925年設立)という民
間の学術団体が担っていました。

そして、「真珠湾攻撃」の数か月後には「対日占領
政策研究」を開始したといわれますが、戦争が終盤
に近づいた1944(昭和19)年12月、太平洋
問題調査会の臨時会議がニューヨークで開催されま
す。「日本人の性格構造とプロパガンダ」の論文を
書いたジェフリー・ゴーラーが指導的役割を果たし
た本会議には、有名な『菊と刀』の著者ルース・ベ
ネディクトなど40名の文化人類学者、精神分析学
者、心理学者などが参加します。

この会議において、「日本人の国民性」の定義とし
て1)原始的、(2)幼稚・未熟で、少年非行や不良
の行動に類似、(3)精神的・感情的で不安定で
「集団的神経症」、などという偏見と誤解に満ちた
レッテル貼りが行なわれ、参加者一同の同意を得ま
す。

この「学問」の名において行なわれた日本人の性格
構造分析がアメリカ、そして前述のマッカーサーの
「日本観」をはじめGHQの対日政策に決定的な影
響を及ぼすことになります。

アメリカの戦時情報局(OWI)は、これらを活用
して「対日心理作戦ハンドブック」を作成しますが、
「“敵の精神に打撃を与える無形の武器”として日
本人の“国民性研究”を取り組んだ点を見落として
はならない」(高橋史朗氏)と指摘されるように、
この研究成果が占領政策に反映されていきます。

これと比較して思い出すのは「真珠湾攻撃」です。
「緒戦の奇襲によって米国民にショックを与え、厭
戦気分を増大する」との壮大な作戦であれば、その
可能性や効果を見極めるため、「米国人の国民性」
について学者を集めて研究するぐらいの知恵が必要
だったと考えます。

山本五十六長官、あるいは海軍の限界と言えばそれ
までですが、日本にはアメリカ専門家も数えるほど
しかいなかったこともあってそのような研究をした
痕跡は見つかりません。残念ですが、日米には軍事
力や経済力など国力以上に“知恵の差”があったと
認めざるを得ないのです。

ちなみに、日本人の国民性の分析により、占領政策
に多大な影響を及ぼしたといわれる『菊と刀』につ
いては、和辻哲郎氏が「読むに値しない」と酷評し
ているのをはじめ、竹山道雄氏や柳田國夫氏などの
著名人が異口同音に誤解と偏見と悪意に満ちている
と反論しています。

なぜか近年、本書は「日本を知るための最良本」と
して中国でベストセラーになっているらしく、いか
にも中国人が喜びそうな内容でもあることから、ま
たしても誤った日本観が蔓延するのが懸念されます。

私も来日経験が一度もない作者がこれほどの誤解と
偏見をよく書けるものだと感心しながらも、途中で
嫌気がさして気分が悪くなったことをよく覚えてお
ります(本書だけは決してお勧めしません)。

▼トルーマン政権による「対日政策」指示

 さて、トルーマン政権からGHQに対する「対日
政策」に関する指示が幾度か発出されますが、これ
らがGHQの占領政策を決定づけることになります。

書物によっては、すべての指示が、トルーマン大統
領が目を通し、同意したわけではないとの指摘もあ
りますが、それはさておき、まず「降伏後のおける
米国の初期の対日方針」(1945年9月6日付)
を紹介しますと、占領の究極の目的として「日本国
が再び米国の脅威となり、世界の平和及び安全の脅
威とならないことを確実にすること」、そして「国
連憲章の理想と原則に示されたアメリカの目的を支
持する平和的で責任ある政府を樹立すること」と明
示されています。

つまり、「日本をアメリカの属国にする決意の声明
だった」(西悦夫氏)との分析もあることを付記し
ておきましょう。そして、これらの指示は、次第に
具体的・硬化的になります。

▼マッカーサーと連合国の主導権争い

 具体的な占領政策を振り返る前に、マッカーサー
と連合国との主導権争いを振り返っておきましょう。
特に、ソ連とは意見の相違が絶えませんでした。そ
の端緒は、日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵
攻したソ連兵の略奪行為と70万人から90万人と
いわれる日本兵と民間人のシベリア抑留でした。

これらもあって、マッカーサーは、日の丸の掲揚を
禁止するとともに、国連旗ではなく、アメリカの国
旗を掲揚することを命じます。連合国はアメリカの
独裁をねたみ、ソ連はマッカーサーから独立した軍
隊によって北海道占領を要求しますが、マッカーサ
ーはこれを一蹴します。

そんな中、「極東委員会」が1945年9月に設置
されますが、英国、ソ連、中国が対立し、ようやく
12月、上記3か国に加え、オーストラリア、フラ
ンス、カナダ、フィリピンなど11か国の代表で構
成されることが決まります。その結果、第1回目の
会合が翌年2月、ワシントンで行なわれます。

強力な権限を持っていた「極東委員会」は、(1)日
本占領の政策を作る、(2)マッカーサーが出した指
令や政策決定を検査する、(3)マッカーサーの行
動を加盟メンバーの要請に基づいて調査する、とそ
の権限を明確にしますが、マッカーサーは「アメリ
カは、太平洋戦争の勝利に最も貢献しただけでなく、
日本占領の負担をほとんど担っているのだから、占
領政策を作る道義的かつ正統の権利を主張するのは
当然」として跳ねのけます。

この点については、マッカーサーの功績と評価でき
ますが、「日本占領は連合国軍によって行われる」
とした「極東委員会」設立の掛け声とは裏腹に、ア
メリカ政府も「“戦利品・日本”をソ連と山分けし
ようと思っていなかった」ことも事実で、この姿勢
は、共産主義の拡大を警戒するに従い、さらに強化
されることになります。

これらを可能にした背景に、ソ連がまだ原子爆弾を
保持していなかったことがありますが、「5年から
10年先」と見積もった米国軍事情報局をあざ笑う
かのように、ソ連の原子爆弾の実験成功の報告がト
ルーマン大統領に入ったのはそれからわずか3年後
でした。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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