配信日時 2020/05/20 09:00

【自衛隊警務官(23)】陸軍憲兵から自衛隊警務官に(23)―戦闘開始、打方始め!― 荒木肇

荒木先生の最新刊
『日本軍はこんな兵器で戦った-国産小火器の開発
と用兵思想』 http://okigunnji.com/url/62/ のかたかたあたい
評判が非常にいいです。か
あなたも、もう読まれましたよね?
http://okigunnji.com/url/62/


こんにちは。エンリケです。

「中央公論」https://amzn.to/31jKcxe に掲載
されている先生の小論。

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇

「中央公論」2020年3月号
 https://amzn.to/31jKcxe

一読をおススメします。


きょうも実におもしろいです。

開戦直前直後の、
ヒリヒリするような空気感に包まれます。

さっそくどうぞ。


エンリケ


メルマガバックナンバー
https://heitansen.okigunnji.com/

ご意見・ご感想はコチラから
 ↓
https://okigunnji.com/url/7/

ブックレビューの投稿はこちらから
http://okigunnji.com/url/73/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
自衛隊警務官(23)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(23)

戦闘開始、打方始め!

荒木 肇

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□お礼

 MMさま、いつもご愛読ありがとうございます。
また、9月入学試案・・・いつの間にか消えてしま
いました。混乱期に乗じて「変革」を志した方々、
うかつにも乗ってしまった方々、この危機へのそれ
ぞれの思惑が透けて見えるような気がしました。

 おっしゃる通り、長い議論の時間をかけて行なう
のが制度改革です。ただ、同時進行は難しい。まだ
まだコロナ禍については気を緩められません。

 ご投稿、ありがとうございました。勇気が出まし
た。

 なお、今回も記述については確認をしつつ、児島
襄氏の『日露戦争』に多くを依りました。

▼千代田艦の隠密出港
 
千代田艦長は2隻のロシア軍艦を注視していた。い
つ攻撃されるか、気が気でなかったのである。とこ
ろが2艦は自分たちが危険視されているとは思って
いなかった。目の前の千代田よりも自分たちの後方
を気にしていたのだ。情報がない。旅順とも連絡が
取れなかった。不安感がつのるばかりだった。

 千代田艦ではいつでも戦闘が始められるように、
艦内は「戦闘配備」についていた。その様子を、帰
ってからしゃべられては大変なことになる。艦に物
資を納入してきた港内の商人たちを、そのまま返さ
ず艦内に軟禁状態に置いたほどだ。

 午後3時ころ、千代田は気缶に点火した。蒸気圧
を上げて、いつでも機関を始動することができるよ
うにである。この頃の蒸気軍艦は点火から水蒸気を
つくりあげ、エンジンを動かせるようにするまでに
は3時間ほどかかった。

 日没を迎え、衛兵が軍艦旗を格納すると、千代田
艦長は舷外に繋留してあった汽艇(きてい)を揚収
(ようしゅう)することを命じた。軍艦は艦載艇と
いうエンジン付きの小艇、カッター、ボート等を繋
船桁(けいせんこう)という艦から直角に突きだし
た桁に繋いでいたものだ。それを艦上に引き揚げて
格納しようという。しかも隠密にである。号笛(ご
うてき)も使わず、灯火もつけずに作業をしたとい
う。

 港から来た商人たちにも、厳重に口止めをして陸
に返した。午後11時30分、千代田艦長は出港を
命じた。55分、錨を揚げて港口に向かった。艦長
は気付かれることはなかったと回想するが、実はワ
リヤーグの見張員は千代田艦尾の灯火の動きで出港
する様子は承知していた。ただ、もちろんロシア側
に攻撃の意思はなかった。

 2月8日午前8時30分、千代田は仁川南方のベ
ーカー島沖で第四戦隊に合流した。

▼仁川上陸に決定

 旅順のロシア側は混乱していた。英国通信社の報
道によれば、すでに日本政府は一昨日の6日に国交
断絶を通報してきている。先制攻撃なら、この一両
日がふさわしいだろうに、日本艦隊は姿を現さない。

 太平洋艦隊司令長官スタルク中将は総督に上申し
た。韓国南西岸のクリフォルド群島と清帝国山東半
島の先端である山東角沖に、それぞれ2隻の巡洋艦
を警戒配置する。同時に、港内の各艦に戦闘配置を
とらせて、移動しやすくするために防雷網を外させ
るというもっともな措置である。しかし、総督は
「指示を待て」と答え、艦隊は平常通りの日課を実
施せよと伝えた。総督は軍事権があるので、艦隊の
行動はすべて押さえることができた。

 午後0時30分。指揮官を集めた瓜生第四艦隊司
令官は、仁川突入に関する命令を下した。

仁川港口にヨドルミ島があるが、その南方でロシア
軍艦に遭遇したら、これを撃沈すべし。
港内では、「ロシア艦から敵対行動を取らない限り、
攻撃はしない。

 港内突入への基本方針である。また、仁川港に入
るときは第9水雷艇隊が先頭になること。その進入
時も敵を驚かすことないように、平和的態度をとる
ようにと細やかな配慮に満ちたものだった。

 輸送船「大連丸」に乗る木越第23旅団長に対し
ては、「有らん限りの手段を尽くして、最神(迅)
速(じんそく)に揚兵せしむべきを望む」と信号を
送った。ロシア側の妨害を予想したのである。

 午後2時15分、艦隊は牙山湾を離れて、陣形を
整えて仁川に向かった。艦隊の航行順序は次の通り
である。巡洋艦千代田、高千穂、装甲巡洋艦浅間、
輸送船大連丸、同小樽丸、同平壌丸、巡洋艦浪速
(旗艦)、同明石、同新高が右列。左列は千代田と
併航する、水雷艇蒼鷹(あおたか)、それに続く鵠
(くぐい)、雁(かり)、燕(つばめ)の4隻であ
る。

 これらはいずれも魚形水雷(魚雷)を搭載した、
小型快速の艇だった。

▼ついに会敵!

 午後4時20分、第四戦隊が八尾島付近に着くと、
前方にロシア砲艦コレーツの姿が見えた。千代田、
高千穂は素早く「合戦準備(かっせんじゅんび)」
を整えた。砲は装填されて、甲板には砂が撒かれた。
流れる血糊に足を滑らせないためである。ただし、
砲の操員は甲板上に伏せさせて、無人であるように
見せた。

 交戦状態にない国同士の軍艦は敬礼を交換してす
れ違う。もちろん、コレーツ艦上でも小銃武装した
衛兵隊が号笛手とともに整列していた。日本側も同
じである。衛兵司令に率いられた衛兵隊は整列し、
コレーツからの敬礼に答えた。軍艦旗を下げれば敬
礼、相手も同じく旗が下がり、階級の高い方の艦長
の答礼が終われば旗は揚げ直される。

 コレーツは日本艦隊の右列と左列の間を通った。
距離100メートルとある。反航するから、コレー
ツ艦長の眼には、右側の水雷艇隊の発射管には覆い
がかけられたままであるのが映った。しかし、千代
田と高千穂の艦砲のそばには隠れている兵員が見え
た。巡洋艦ワリヤーグに直ちに状況を報告した。

 コレーツは離脱したかった。袋叩きは目に見えて
いる。巡洋艦浅間と敬礼を交換し、さらに輸送船団
に近づいたときである。浅間が急に転回し、コレー
ツと輸送船隊の間に入り並航し始めたのだ。

 コレーツの右後方にいた水雷艇隊も反転して、左
に第1小隊(蒼鷹、鵠)、右に第2小隊(雁、燕)
が広がり、コレーツを挟むようにした。

 水雷艇隊の戦意は旺盛だった。発射管の覆いは外
され、機関砲には兵員が取りつき、猛烈に追尾して
きた。燕などは追跡に夢中になりすぎたか、浅瀬に
乗り上げるという事件も起こしてしまった。下は砂
州なので大きな損害はなかった。

 午後4時33分、コレーツは仁川への帰航のコー
スを取るために、大きく右回りで回頭を始める。戦
闘の意思はなかった。ところが、追跡中の水雷艇隊
にはどう見えたか。ロシア砲艦は攻撃をしてくる。
 
 34分、雁は回頭中のコレーツに対して、距離3
00メートルで水雷を発射する。これが日露戦争の
実質的開幕だと児島襄氏はいう。

 なお、当時の魚雷は自走するが、後のように圧搾
空気で撃ちだされるのではなかった。無煙火薬であ
る。だから発射すると盛大な火焔が立ち上った。コ
レーツ艦長はその発射炎に驚き、魚雷の突進を見て
とった。「戦闘用意!」、コレーツ艦上でも戦闘ラ
ッパが鳴り響いた。この魚雷はコレーツの艦尾すれ
すれをかすめて走っていった。

▼コレーツ港内に逃れる

 4時37分、コレーツ艦長は「打方準備宜し(う
ちかたじゅんびよろし)」の報告を受けたが、また
水雷艇鵠の甲板に火焔が立ち上った。40分、魚雷
をかわし、「打方始め」の号令で、日本水雷艇隊に
対して37ミリ機関砲の射撃を開始する。日本側記
録では数発、ロシア側は2発の発射を確認できるが、
そのとき、港内に入ったことを確認したコレーツ艦
長は「打方止め」を下令した。


 なお海軍用語は当時の日本海軍の号令を参考にし
た。

 次回は仁川港上陸の様子を見よう。



(以下次号)


(あらき・はじめ)


☆バックナンバー
 ⇒ https://heitansen.okigunnji.com/
 
荒木さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。

https://okigunnji.com/url/7/
 
 
●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書
房)がある。
 

ブックレビューの投稿はこちらから
http://okigunnji.com/url/73/

 
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。


最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。

-----------------------------------------------
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
   (代表・エンリケ航海王子)
メインサイト:https://okigunnji.com/
問い合わせはこちら:https://okigunnji.com/url/7/
メールアドレス:okirakumagmag■■gmail.com
(■■を@に置き換えてください)
----------------------------------------------
 

 
配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
 
 
投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。
 
Copyright(c) 2000-2020 Gunjijouhou.All rights reserved.