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エンリケ
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自衛隊警務官(21)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(21)
開戦通告とは
荒木 肇
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□はじめに
ちょっと驚いたのは小池都知事、大阪府知事をは
じめ多くの知事さんがたが、突然、学校9月スター
トを適当とすると発表したことです。たしかに5月
末まで緊急事態宣言が継続されて、なお休校が続い
たら未曾有の事態になります。学校の始まりが9月
になってしまう、ならば「この機会」にグローバル・
スタンダードの新学期、新学年を9月からにするの
も一つの考えでしょう。
しかし、小池さんはこう言うのです。「わたしは
長い間の9月新学年論者でした。この機会に社会を
変革する、社会改革にはちょうどいい」
少し待ってください。世界標準とは耳当たりがい
い言葉ですが、このコロナの封じ込めに懸命になっ
ている現在、この「機会」とは不謹慎ではありませ
んか。
読者の方々の中には、賛成の方もいらっしゃると
思います。ならば伺いたい。9月始まりにすると、
何がメリットなのか。まず、国や都道府県の会計年
度に合わせての4月の始まりなのです。わが国の会
計年度が4月から翌年の3月までになったのは18
86(明治19)年からのことでした。
このことはどうやら、米の換金についてのスケジ
ュールからのようでした。10月に取り入れが終わ
り、集荷され、換金されて農家にお金が入るのが
1月末頃。それから納入されて政府が見積もりを立
てて4月から新しい会計年度にということだったら
しいです。
学校はそれまで地域の実情に合わせてばらつきが
あったのが統一されたのは1892(明治25)年
のことでした。130年近くもそれが続いて、それ
をちゃぶ台返しのように、準備の時間もない中で一
気に変えようというのです。しかも「この機会」に
という軽々しい発言でいいのでしょうか。
子供の教育内容のことがあります。もちろん、学
習指導要領はなかなか変えられないでしょう。しか
し、各学校現場ではカリキュラムの編成があります。
季節に合わせた教材の準備、並べ替え、教科書の差
し替えまでも起こります。それから次年度の国庫か
らの教育費の配分・・・それが改革なのだ、そうし
なければ世界から遅れるというのでしょうか。
▼佐世保出港
陸軍部隊の韓国上陸、その地点は1904(明治
37)年2月6日になっても決まらなかった。京城
の外港である「仁川(じんせん)」には、ロシア巡
洋艦ワリヤーグと砲艦コレーツが碇泊中だったから
だ。東郷聯合艦隊司令長官は、陸軍部隊の安全を考
え、南方の牙山(がざん)を選んだ。しかし、陸軍
側はそれに納得しなかった。
牙山から京城までの行軍は4日間と考えられた。加
えて、佐世保から牙山までの輸送日数は2日間だか
ら、合わせて6日にもなる。仁川ならば上陸翌日に
も京城に進出できる。そこで「多少ノ危険ヲ冒スト
モ」仁川に上陸させてもらいたいと主張したのだ。
そこで東郷は艦隊を2つに分けた。旅順には第1、
第2、第3戦隊と5個駆逐隊、仮装水雷母艦2隻、
給炭船1隻を向かわせた。仁川には、第4戦隊(旗
艦浪速ほか3隻)と巡洋艦浅間(あさま)と2個水
雷艇隊、陸兵の輸送船3隻だった。
各艦船は、いったん7日午後3時に韓国南西岸の
シングル島付近に集結する。できれば、8日夜に仁
川に陸兵を揚陸したい、旅順への駆逐隊の夜襲も同
日の夜半に予定されていた。
6日午前9時、旗艦三笠に信号旗があがった。予
定の順序に従って出港せよという意味である。各艦
船は勇躍、一路戦場の海に出撃した。仁川に向かう
艦隊の指揮官瓜生外吉少将は平戸島南端を過ぎるこ
ろ(午後6時ころ)、各艦に次のような信号を送っ
た。
「今やまさに我が故国の山水を辞せんとするに当り、
余は乗員一同の誠忠必ずよく邦家(ほうか=日本)
の為に偉功(いこう)を達すべきを信じ、ここに一
同の健康を祝す」(原文は旧漢字カタカナ)
▼国交断絶の公文
では、その頃、東京では何が起きていたのか。
2月6日午後4時ころ、小村寿太郎外務大臣はロシ
アのローゼン公使を招き、「国交断絶」の公文を手
渡していた。公使ローゼンが戦後に明らかにしたと
ころでは、ローゼンの「国交断絶は戦争を意味する
のか」という問いに、小村は「いや、まだ戦争では
ない」と答えたという。
ローゼンの証言が正しいとは限らない。小村の言
葉からは、「戦闘が起きていない」という事実を言
うのか、「国交断絶と宣戦」の間の国際法的距離を
指摘したのか、「油断」を誘うための曖昧な言葉か、
読みとれないからだ。(『日露戦争』児島襄・19
90年・文藝春秋)
さて、国内の海軍の現場では何が起きていたか。
ロシア船の捕獲である。聯合艦隊の発進命令が出さ
れたことを山本海軍大臣は各鎮守府に伝えた。鎮守
府とは横須賀、舞鶴、呉、佐世保にあった地域警備、
軍政に関する官衙である。同時に海軍大臣は戦時編
成の実施、敵艦船捕獲に関する「明治二十七年大本
営制定規定」の適用を指示した。
すると・・・、その日、佐世保鎮守府管内で事件
は起こった。長崎港にノルウェー船1隻、ロシア船
3隻が碇泊していた。そこに海防艦葛城(かつらぎ)
がいたのである。6日の未明には、鮫島鎮守府司令
長官名で、葛城に捕獲命令が下されたのだ。
葛城の坂元艦長は、交戦状態が起きていないのに
捕獲したら国際法違反になるのではと考え、「現に
交戦中と認めてよいか」と鎮守府に問い合わせた。
鮫島中将はすでに艦隊が移動中であること、「大海
令第一号」の存在も知ることから、「抗戦中と認め
てよろしい」と返電した。ただちに葛城は老朽帆船
以外の3隻を捕獲し抑留する行動をとった。
あわてたのは軍令部から午前9時にロシア汽船他
を捕獲した報告を受けた海軍省である。奇襲効果を
生かすために、できるだけ戦闘行為は秘匿すべき、
それを破ってしまったのだ。できるだけ交戦状態に
なったことをロシアに知らせたくない。抑留を厳重
にし、乗組員を監視して、情報がロシアに漏れない
ようにしなくてはならなかった。しかし、ロシア以
外の中立国の電信は封鎖できない。長崎港内の異変
は在地の各国領事はすぐに気付くだろう。
さらに事件は起きた。第3艦隊第7戦隊から釜山
(ふざん)沖合で、ロシア義勇艦隊所属の汽船、ロ
シア商船を各1隻ずつ拿捕(だほ)したと報告が入
った。山本は直ちに、「速やかに解放せよ」と訓令
電報を打った。さらに、「交戦行為が発生するまで、
ロシア船の捕獲をしてはならないと片岡第3艦隊司
令長官に指令した。
▼交戦状態とは
現在でも、あるいは当時は、2月8日から9日の
夜にロシア軍艦に日本艦隊が発砲し、戦争が始まっ
たと思われている。しかし、当時の国際法の専門家
は次のように考えていた。
交戦状態とは、国交関係が断絶し、係争国の一方
が戦争を起こす決心をし、反対の一方に向かって公
然とその決心に基づき実行に着手したときから始ま
るというものだった。(前掲・「日露陸戦国際法論
を読み解く」・佐藤庫八(*))
この説に従えば、日露戦争は帝国海軍聯合艦隊が、
2月6日午前7時、佐世保軍港を出撃したときから
始まる。
次回は戦争状態に入った両国の動きについて紹介
しよう。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
(*)「日露戦争国際法論」を読み解く-武力紛争法
の研究:佐藤庫八・2016年、並木書房
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書
房)がある。
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心から感謝しています。ありがとうございました。
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