配信日時 2020/04/27 20:00

【戦略航空偵察(13)】「ソ連ミサイル・テスト・サイトの偵察」 西山邦夫(元空将補)

こんにちは、エンリケです。

「戦略航空偵察」十三回目です。

まずはお詫びと訂正から。

先週配信号文中の米海軍偵察機の型式に
「PM-4」との記述がありましたが、正しくは
「P4M」でした。ここにお詫びし訂正いたします。

さてきょうの記事。

知られざる歴史です。

情報史は、歴史の闇を照らし、
後世に生きるものが歴史から養分を得る核心になる。
改めてそう感じます。

実にありがたいですね。

さっそくどうぞ


エンリケ



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戦略航空偵察(13)

ソ連ミサイル・テスト・サイトの偵察

西山邦夫(元空将補)

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□ご挨拶

 今回のテーマは、ソ連のミサイル・テスト・サイ
トの偵察です。これに類した偵察活動と言えば、最
近の北朝鮮による各種ミサイルのテストに対する米
軍偵察機による偵察飛行が想起されます。今世紀に
入ると北朝鮮は盛んにミサイルのテストを行ない、
その一部は飛翔距離が1万キロにも及ぶICBMではない
かと想定されています。その一方で、北朝鮮に対す
る情報収集の態勢は極めて緻密であり、ミサイル発
射実験を行なう時期・時間まで予測し、偵察機を適
時に飛ばすことができています。

 これと比較すると、冷戦時代初期の対ソ連偵察で
はその困難さは雲泥の差がありました。米国はU-2
が運用態勢に入るまで、ソ連領内深く侵入し偵察活
動を行なえる偵察機を持っていませんでした。U-2
が1956年に運用態勢に入り、その偵察の結果、ソ連
の核攻撃能力が懸念するほどではないことが判明し
ましたが、それまでの間、奇襲があるのではないか
との疑心暗鬼の中で、何としても情報を得たいとし
てその手段を探る、苦衷の日々が続いていました。

▼ソ連ミサイル・テスト・サイトの偵察

1952年当時、朝鮮戦争が続く中で、ソ連の核戦力の
造成が続いているのではないかという疑念が西側諸
国、特に米英両国の間で広がり、西側諸国の情報組
織はソ連の新しいミサイル・テスト・サイトへの関
心を高めました。そのサイトは、ボルガ川に近いカ
プスチンヤールにあり、第2次大戦でV-2ロケットを
製造したドイツ科学者の協力を得て核弾頭搭載可能
なロケットを開発しているのではないかとの疑いが
生じていたからです。

西側にとって、その情報は、ソ連との戦争が迫って
いるという危惧の上に立って、何に代えても収集し
たいものでした。本メルマガの第8回で述べたとおり、
1950年代初期において、米国の情報機関は1952年、
あるいはその前に米ソ戦争が始まるかも知れないと
考えていたのです。

▼ドイツ人科学者の協力

 ソ連のミサイル開発に関する情報収集は、思いが
けないところから道が開けました。第2次大戦後、
ソ連に抑留されたドイツ科学者の一部が解放されて
西ドイツへ戻ってきたのです。彼らはソ連のロケッ
ト開発に協力していた人たちでした。彼らが持ち帰
った価値の高い情報は、ソ連の軍事増強に関するも
のが含まれ、ミサイル・テスト・サイトに関するも
のもありました。

 鉄のカーテンの内側にある目標のサイトの上空飛
行は困難であり、人を介しての情報入手も困難でし
た。ドイツ科学者たちは、カプスチンヤールのサイ
トはソ連にとって最も重要なテスト・サイトで、ソ
連が核弾頭を運搬するミサイルのテストを行なって
いることを知っていました。

 CIAの歴史家の一人は、次のように言っています。
「カプスチンヤールはソ連のロケット計画の始まり
だった。この施設が稼働し始めると、ドイツ人の科
学者たちはここに送り込まれ、数年間働かされた。
西側陣営は、カプスチンヤールの役割について、ド
イツ人たちのもたらした情報をよく理解しておかな
ければならない」

▼英空軍のカプスチンヤール上空飛行

 その後、カプスチンヤールの詳細は、その上空飛
行によって明らかにされました。写真撮影に成功し
たのは、米国の偵察機ではなく英空軍でした。当時
米国は西欧域ソ連領の上空飛行を制限しており、英
国が肩代わりしたのです。1950年当時CIA副長官だっ
たボブ・アモイは「我々がソ連のミサイル・センター
について聞いたのは1952年のことだった。その施設
の写真が欲しかったので、空軍参謀長のトワイニン
グ大将に依頼したが、断られた。それを英空軍が引
き受け、キャンベラ偵察機を使って良い写真を撮っ
てくれた」と述べています。

 この飛行に関して、米空軍の偵察飛行の父と言わ
れるジョージ・ゴダード将軍は著書に次のように書
いています。「上空飛行は極秘裏に行なわれ、その
任務を知るのは政府最高指導者と偵察機指揮所の長
と乗員だけだった。命じたのは、ウィンストン・チ
ャーチル首相だった」

キャンベラは1953年5月4日、飛行テストで高度63,668
フィートの世界記録を立てました。U-2がまだ運用
されていなかったので、キャンベラはソ連上空飛行
の能力を持つ唯一の偵察機でした。英空軍の秘密文
書の指定解除時期は米国のそれより長期間で、キャ
ンベラがいつカプスチンヤールの上空飛行を行なっ
たのか不明ですが、歴史家の調査によれば、1954年
8月23日と26日と推定されるそうです。米国は焦点距
離100インチのカメラを提供し、「我々は何を撮影
して欲しい、そのコピーを欲しいとは言わない、機
首に装着して斜め写真を撮って欲しい」とだけ要請
したそうです。米英間では、目標は言わずもがなだ
ったのでしょう。

▼ソ連戦闘機パイロットの証言

カプスチンヤール地域に所在したソ連防空軍パイロ
ット、ミハエル・シュルガ中尉はキャンベラの要撃
を命じられ、地上レーダーサイトの誘導で目標に向
かいました。彼は「私は48,000フィートまで上昇し
た時、地上サイトは右上を見ろと指令してきた。私
は、数千フィート上空を飛ぶ飛行機が見えた。地上
サイトは機関砲の射撃準備をせよ、と命じてきたの
で、私は加速し5,500フィート上昇した時失速した。
目標の飛行機はまだ私より高い高度を飛行していた。
地上サイトは再試行せよと命じ、目標を捕捉できる
か聞いてきたが、私はできないと答えた」と述懐し
ています。MiGは5万フィートを超えた高度では高度
を維持できず、失速してしまったのです。

英空軍のカプスチンヤールへの飛行についての記録
は、未だ公開されず、詳細は明らかになっていませ
ん。



(つづく)


(にしやま・くにお)


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□著者略歴

西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。
情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航
空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、
航空自衛隊幹部学校主任教官。著書に『肥大化する
中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、
『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミ
ネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦
力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとイン
ド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』
『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備
化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』
『チベットにおける中国の軍事態勢整備』など多数。


 
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