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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は81回目です。
緊急事態宣言をめぐるご高見には、
さすがは将軍、と感じるところ大です。
ほぼ同意です。
本編では、ガダルカナル、井上海軍中将、カサブラ
ンカ会談、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談
といったキーワードが登場します。
さっそくどうぞ
エンリケ
ご意見・ご感想はコチラから
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(81)
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
宗像久男(元陸将)
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□はじめに(「緊急事態宣言」について)
先週の4月8日午前0時以来、前日夕の安倍総理の
「緊急事態宣言」に基づき、7都府県がコロナウイ
ルスの感染拡大防止のために我が国が採用できる最
大限の警戒態勢をスタートしました。
以来1週間ほど経ち、感染者は少しずつ増える傾
向にはありますが、まだコントロールの範囲なので
はないでしょうか。当然ながら、この外出抑制など
の効果が出るのはもっと先になると思います。
宣言時に、総理や都知事が「我が国の緊急事態は、
外国のように都市封鎖(ロックダウン)のような強
制的なものではないし、罰則規定もない。社会機能
もしっかり維持する」と強調していました。
総理はまた「国民の皆様のご理解を得て、自らの行
動変容を変えていただく」と何度も呼びかけていま
すが、この宣言自体が7日になった(決して遅くは
ないと考えますが)要因に、経済活動へ与える影響
が第一にあったことは明白ですが、同時に、新型イ
ンフルエンザ等対策特別措置法(特措法)改正時に、
野党側が「慎重に」と釘を刺したように、「私権の
制約を防止することがあらゆるものに優先する」こ
とをまるで宗教のように信じて疑わない人たちが納
得するかどうか、があったと推測します。
私権の制約を口にする人たちはまた、緊急経済政策
などについては必ず「国民の公平性を担保できるか」
と主張します。だれがどのように考えても、このよ
うな事態にその尺度を一律に決めることは不可能に
近い、にもかかわらずです。
個人的には、我が国は何とも不思議で、特殊で、か
つ幸せな国との印象を持ちつつ、まさに「戦後の我
が国の特殊性」が表面化してしまったことに思いが
至ります。
「国家や社会など公のために私権を制限するのが当
たり前」と思う外国人が日本のやり方に疑問を持つ
のは当然です。7日の安倍総理の記者会見が終わり、
その場を去ろうとした瞬間を遮り、イタリア人記者
が「都市をロックダウンしない日本のやり方が成功
するか,失敗するかを注目している。失敗した時、
総理は責任をとるのか?」と質問しました。日本人
記者たちの(中身のない)質問に比べ、極めて新鮮
でした。
現段階では、軽々には将来の姿を予測はできません
が、我が国は、日本人特有の気質もあって、このや
り方でこの事態をうまく切り抜けてしまうだろうと
私は思っています。
しかし、今回は切り抜けたとしても、「強制力がな
いこと」や「過度な公平感」のような考えが、将来、
もっと悲惨な情勢に直面した時、あるいは国家の生
存の根幹を揺るがすような非常事態が舞い込んでき
た時に通じるか、言葉を代えれば、特措法のような
“立て付け”で十分か、と考えると、その答えは
「否」でしょう。
今回、国際連合やEUなど国家の集合体は何ら力を
発揮せず、結局、「国民の生命を守る主体は国家で
ある」ことも明白になりました。台湾もその意味で
は立派な国家です。
その国家が、国家の生存を揺るがすような非常事態
に直面した時に取り得る“究極の対応策”は何なの
か、そのために法制度を含め、普段からどのような
準備をしておくべきか、などについて、新型コロナ
事態が落ち着いた頃に、今回の経験や教訓を糧にぜ
ひ議論してほしいものと願っております(忘れてし
まうのでしょうね)。
本メルマガでは、「戦後、我が国がどうしてこのよ
うな特殊な国になったか」についてはまもなく触れ
る予定ですが、「国家の形とか、憲法をはじめとす
る国家の法制度とか、あるいは国家の運用は、時代
とともに、そして情勢の変化とともに、勇気をもっ
て大胆かつ柔軟に変えるべき」ということを歴史が
教えていることは間違いないと考えます。
さて、今回のような緊急事態に不謹慎かも知れませ
んが、4月8日は、偶然にも私の69歳の誕生日で
した。ある意味、これまでの人生で最悪、しかし生
涯忘れられない誕生日になりそうです。それでも、
気丈夫に構えて、感染防止のために最大限の注意を
払いながら、前向きに生きていこうと誓ったことで
した。
▼「ガダルカナル島の戦い」の経緯と結果
前回の続きです。まず歴史の要所になると、しばし
ばこの名前が出てきて驚きます。有名な井上成美提
督です。
「ガダルカナル島の戦い」(昭和17年8月~18
年2月)の端緒は、当時南洋方面の総帥でもあった
井上成美第4艦隊司令官の決心のもとでガダルカナ
ル島に航空基地建設を始めたことによって開かれま
した。井上司令官は、前年の8月、日米開戦に反対
して会議の席上、及川海相を怒鳴りつけたことが原
因で、ご栄転という形で艦隊司令官に左遷されてい
ました。真珠湾攻撃の成功の報に接しても、「バカ
な!」と吐き捨てたとの逸話も残っています。
その井上司令官がいつの時点でミッドウエー海戦の
惨敗を知ったかは不明ですが、この建設の提案に対
して、当初、ミッドウエー海戦の結果を知っていた
連合艦隊司令部は、ラバウルからさらに1000キ
ロ離れているガダルカナルに対しては(制空権の確
保が無理)として難色を示したといわれますが、最
終的に許可します。
山本長官がミッドウエー海戦で失望し、ガダルカナ
ル進出の可否や攻勢作戦方針を再検討する気配がな
いなか、井上司令官が惰性のままに攻勢終末点のは
るか彼方で基地建設を始めたとする見方もあります
が、その真意は不明です。
当然ながら、制空権のないこの地域の基地建設情報
は米軍に探知されることになります。そして完成し
た航空基地に海軍航空部隊が進出する直前を狙った
8月、米海兵隊が突如、ガダルカナルに上陸し、航
空基地は簡単に米軍の手に落ちてしまいます。それ
を予測して対応策を取っていなかった海軍の“落ち
度”と言えるでしょう。
ようやく海軍は陸軍に基地の奪回を依頼しますが、
細部情報不明の陸軍は、作戦において最も戒めるべ
き“逐次戦闘加入”を繰り返し、激烈な消耗戦を展
開して大失敗します(あまりにも悲しいので細部は
省略します)。
井上司令官は、昭和17年10月、山本長官の推薦
で海軍兵学校長に転属しますが、この時の心境を
「自分は戦が下手でいくつかの失敗も経験し、海軍
兵学校の校長にさせられた時は、全くほっとした」
と語ったようです。山本長官同様、“軍政”では名
を馳せた井上提督の“実像”を物語っているのでは
ないでしょうか。
この失敗によって、「腹案」、つまり日本の戦争戦
略は完全に破綻します。この結果は、我が国の作戦
への影響だけに留まりませんでした。インド洋を遮
断できなかったことから、アメリカは大量の戦車や
兵員を喜望峰回りでアフリカ東岸航路にてエジプト
に送ることができ、ドイツ軍のスエズ進出は止めら
れ、昭和18年5月には、チェニジアの戦いで壊滅
してしまいます。
▼ドイツ敗北と「無条件降伏要求」
この頃、欧州戦局も重大な分岐点を迎えます。陸
海軍がガダルカナルで死闘を繰り広げていた頃、独
ソ両軍がスターリングラードで市民を巻き込んで壮
絶な市街戦が展開していました。そして、昭和18
年1月31日、スターリングラードは陥落します。
スターリングラード陥落の1週間前の1月24日、
米英両首脳がカサブランカで会談し、会談後、ルー
ズベルトが「ドイツと日本の戦力を完全に除去しな
い限り、世界に平和が訪れることはない。戦力の除
去とは、無条件降伏を意味する」と宣言し、「カサ
ブランカ会談を“無条件降伏会談”と呼んでほしい」
とも付け加えます。
しかし、チャーチルは、ルーズベルトがそこまで挑
発するとは考えておらす、逆に「日独に無条件降伏
を要求すれば、死に物狂いで抵抗し、戦争がますま
す長引くに違いない」と内心、“怒り心頭に発した”
と回想しています。
実際、“国家そのものの否定”を意味する「無条件
降伏要求」を前に、日独両国は戦争を続けるしか道
がなくなります。この時点で、米国は原子爆弾の開
発成功を間近にして、“無条件降伏要求はこの新兵
器を使う大義名分ではなかったか”との分析もあり
ます。
▼絶対国防圏強化構想をめぐる陸海軍の対立
次に第3期です。昭和18年7月頃から約1か年間
で、我が陸海軍が防戦一方の作戦を強いられた時を
取り上げます。
昭和17年末頃から連合軍の反攻が強烈になり、
陸海軍統帥部は戦局の打開に苦心します。海軍側に
も「戦線の縮小が必要」とする意見がありましたが、
連合艦隊側は「ラバウルなど太平洋の要点の保持が
必要」と主張し、現戦線の縮小に強力に反対します。
そして18年3月、山本長官が遭難するという事故
もあって、8月、ようやく海軍の「第3段作戦計画」
が示達されます。その概要は、「広大な太平洋地域
で航空作戦を主として陸軍と協同して防勢作戦を遂
行し、戦力の充実を待って攻勢に転ずる」というも
のです。
9月には、大本営政府連絡会議において、「今後採
るべき戦争指導の大綱」として「絶対国防圏強化構
想への転換」が決定されます。その範囲は千島―内
南洋(中西部)―西部ニューギニア―スンダ列島
(スマトラ島付近)―ビルマを含む圏域を「絶対確
保すべき要域」とし、現戦線で持久しつつ絶対国防
圏の防備強化に努めるというものでした。
しかし、1か月半前に出された海軍の「第3段作戦
命令」は変更されないままでしたので、連合艦隊は
ブーゲンビル島やマーシャル諸島などで作戦を続行
し、多大な航空戦力を消耗してしまいます。
この頃になりようやく、窮迫する戦況を打開する決
め手として陸海軍合一論が中央統帥部などで議論さ
れ、(1)中央統帥部を合一する案、(2)陸海軍統
帥部を同一場所で勤務させ、逐次合一する案、
(3)陸海軍省まで合一する案などが提案されます
が、またしても海軍首脳の反対でつぶされます。
▼カイロ会談・テヘラン会談
さて、第2次世界大戦は、1943(昭和18)年
夏頃から、戦争の終末に向けた動きが活発になって
きます。そして、独ソ戦の勝敗が明確になり、日本
の後退期に入ったこの段階で、米国では、日本との
戦争にソ連の参加を求める声が高まってきます。
ルーズベルトが、ソ連参戦の条件に関する極秘情報
としてスターリンが千島列島の領有を希望している
ことを知り、「千島列島はソ連に引き渡されるべき」
との見解を示したのはこの頃でした。
10月19日、米英ソ3国外相会談(モスクワ会談)
の席上、ハル長官は、ソ連のモロトフ外相に“千島
列島・南樺太をソ連領とする”条件を提示して参戦
を求めます。モロトフ外相は即答を保留しますが、
会談の最終日の30日、スターリンは「ドイツに勝
利した後に日本との戦争に参加する」と伝えます。
11月22日から26日、ルーズベルト、チャーチル、
蒋介石がエジプトのカイロに集まり、会談し、連合
国の対日本方針と戦後のアジアに関する決定を行な
います。なお、スターリンは、「日ソ中立条約」で
5年間の相互不可侵が定められており、当時は日本
と戦争状態ではなかったため、この会談には参加し
ませんでした。
会談の結果、12月1日、「連合国は日本国の侵略
を制止し、日本国を罰するために、今次の戦争を遂
行している」「日本が無条件降伏するまで軍事行動
を継続する」「連合国は自国の利益を求めていると
か、領土を拡張しようとの思いがあるわけではない」
との「カイロ宣言」が発表されます。
そして具体的には、(1)第1次世界大戦以降に日
本が奮った太平洋諸島を剥奪、(2)満州、台湾、
澎湖島のように、日本が中国から奪った領土を中国
へ返還、(3)日本が暴力・貪欲により略取した一切
に地域から日本を駆逐、(4)朝鮮半島の独立、など
も盛り込まれていました(千島や南樺太については
明示されていません)。
「カイロ宣言」の対日方針は、その後、連合国の基
本方針となって「ポツダム宣言」に継承されますが、
「カイロ宣言」はあくまで「宣言」であり、それ自
体は国際法上効力を有しているわけではありません。
日本の北方領土返還要求の根拠に「カイロ宣言」が
挙げられますが、今にして「宣言」を読めば、いか
なる解釈も成り立つような極めて巧みな表現で書か
れていることがわかります。のちの「ヤルタ会談」
とともに戦後処理をめぐる論争の一部として振り返
ることにしましょう。
「カイロ会談」から2日後の11月28日から12
月1日まで、ルーズベルト、チャーチルとスターリ
ン、それに3国の外相や軍指導者らが出席し、「テ
ヘラン会談」が行なわれます。
会談内容は多岐にわたります。ノルマンディー上陸
作戦を決行することや、戦後の世界平和維持機構の
枠組みなどについても意見交換されます。スターリ
ンは、この会談において、ドイツ降伏後の日本との
戦争参戦を正式に約束します。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。
その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。
憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。
ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。
こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。
それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。
かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。
このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。
連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。
このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。
本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。
遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。
しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。
また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。
皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。
『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
発行:並木書房(2019年12月25日)
https://amzn.to/384Co4T
宗像さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。
↓
https://okigunnji.com/url/7/
【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。
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謝しています。
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心から感謝しています。ありがとうございました。
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(代表・エンリケ航海王子)
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