配信日時 2020/04/02 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(79)】「真珠湾攻撃」の真実 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は79回目です。

興味深い内容です。

詳細はイマスグ記事をお読みください。


さっそくどうぞ


エンリケ



ご意見・ご感想はコチラから
 ↓
https://okigunnji.com/url/7/


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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(79)

 「真珠湾攻撃」の真実

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

 ようやく「真珠湾攻撃」を振り返るところまで来
ました。「真珠湾攻撃」をはじめ、旧海軍が実施し
た各作戦を振り返り、我が国の戦争戦略に照らして
適切だったかどうかを言及するのは、元陸上自衛官
の私であっても正直、複雑な気持ちになります。

 その理由は、史実を辿ると、当時、国家の英雄と
して国葬まで執り行なわれた山本五十六提督をはじ
め、旧海軍の戦略や体質をどうしても批判すること
になるからです。

その上で、「おまえは元陸上自衛官だから、海軍の
作戦は素人だ」と海軍びいきの関係者から非難され
ることをあえて覚悟して申し上げれば、戦後「なぜ
海軍作戦の稚拙さが表に出ず、旧陸軍だけが悪者に
されるのか」の理由について、不勉強ですが、未だ
納得が行く“説明”に出会ったことがないこと、そ
して、今なお「伝統墨守」の海上自衛隊が旧海軍の
伝統を受け継ぎ、旧軍の提督たちを敬愛し、旧海軍
と同じような人材育成を実施していることについて
どうしても理解に苦しむとの立場から、本メルマガ
に限っては本音を書こうと決意しました。

20年ほど前でしたか、旧海軍出身の存命の5人の
佐官が、海軍関係者にしては珍しく本音を披露した
『日本海軍の功罪』という書籍を発見しました。海
軍にも史実や自分たちの組織を正しく評価する良識
派もいたことに安堵した覚えがありますが、今、改
めて読み直しますと、「海軍関係者としてこれ以上
は書けないのだろう。当時の佐官クラスでは止むを
得まい」が率直な感想です。

本メルマガでは、遠慮しつつももう少し踏み込みた
いと考えていますが、“意のある所”をご理解いた
だければありがたい限りです。

▼「真珠湾攻撃」は計画された作戦だったのか?

「大東亜戦争」のうち、主に「日米戦争」は、大き
く4期に分けることができます。

第1期が開戦から約4か月間で、我が陸海軍が大活
躍した時期、第2期がその後の約1年2か月間で、
我が陸海軍が連合国軍とほぼ互角に戦争をしていた
時期、第3期が昭和18年7月から約1年間で、我
が陸海軍が防戦一方の作戦を強いられた時期、そし
て第4期が昭和19年7月から終戦までの約1年
1か月で、端的に言えば、我が方にとっては敗戦処
理、連合国軍側にとっては残敵相当の時期でした。

本メルマガでは、この区分に沿って、戦争の経緯の
要点、そして各期の戦争指導に焦点を当てて振り返
ってみることにします。

 さて、第1期の緒戦「真珠湾攻撃」です。その
華々しい大勝利について細部を解説する必要はない
と考えますが、「真珠湾攻撃」の大成功のニュース
はまたたく間に日本中を熱狂させ、山本五十六連合
艦隊司令官は“軍神”のように当時の新聞やラジオ
で大賞賛されました。

他方、有名な「リメンバー・パールハーバー」の合
言葉に代表されるように、本奇襲作戦はルーズベル
ト大統領にたくみに利用され、米国人の戦意に火を
つけてしまいました。米国民は激高し、厭戦気分は
雲散霧消、「日本叩くべし」の声が全米で高まって
しまったのです。

そもそも実際の我が国の戦争戦略・計画(いわゆる
「腹案」)には「真珠湾攻撃」が含まれていたので
しょうか。

日本の軍部は、ルーズベルト大統領がチャーチルの
要請に応えて第2世界次大戦に参戦したがっている
のに反し、米国民の多くが第2次世界大戦への参加
を拒んでいることをよく知っていました。だから、
米輿論の厭戦気分を高め、戦意を喪失したままにし
ておくことが得策と考えていたのでした。

 前回紹介しましたように、「腹案」は、その手段
としてアメリカを直接叩くというよりも盟友イギリ
スを屈服させることを選択していました。その「腹
案」に同意していた海軍軍令部は、当然ながら「真
珠湾攻撃」に大反対していました。

大本営政府連絡会議で「腹案」を決定したのは11
月15日でしたが、その時点で山本五十六率いる連
合艦隊は「真珠湾攻撃」を目指し、最後通牒が米国
に手渡されればすぐに攻撃できるように大きく動き
出していたのです。当時、第1航空艦隊所属の飛行
機は錦江湾など九州各地で猛訓練していたのもこの
頃です。

 これは、明らかに「戦う場合は“極東に米海軍を
ひきつけて”」との方針だった「腹案」、つまり大
本営政府連絡会議の方針を無視した行動であり、軍
事組織として体を成していないと批判されてもしか
たがないと考えます。

これに対して「緒戦のみ戦術として真珠湾を攻撃し
て米国に打撃を与え、後は極東、インド洋での戦闘
に注力するという戦術はあり得た」という意見もあ
ります。つまり、「大本営の『戦略』と山本の『戦
術』に齟齬はない」というわけですが、「米国を怒
らせない」「厭戦気分を高める」「米軍を極東に誘
致する」という「戦略」に対して「戦術」の狙いが
あまりに違うことは明白で、実際に大いなる齟齬は
来す結果ともなりました。

 山本長官はなぜ「真珠湾作戦」、そしてこの後の
「ミッドウエー作戦」を実行したのでしょうか? 
今になって振り返ると、両作戦ともあまりに無謀で、
「やるべきではなかった」と結論づけざるを得ない
のですが、米国通の山本提督がなぜこのような大ギ
ャンブルを打ったのか、その究極の真意はどこにあ
ったのでしょうか?

「吉田ドクトリン」の名付け親として有名な、今は
亡き永井陽之助氏は、『歴史と戦略』の中で「海軍
主流派の大艦巨砲主義を嘲笑していた山本長官が、
どうも真珠湾で多数の『戦艦』が撃破、撃沈されれ
ば、アメリカ人に与える心理的効果絶大なものと心
から信じていた形跡がある」として、「山本長官と
もあろう人物が、どうして、かくも素朴になり得た
のか」との疑問を紹介しています。

そして、「連合艦隊司令長官よりも海軍次官が適役
で、戦略家、実戦指揮官よりも、軍政家としてその
行政、管理能力が高く評価される」と結論づけ、よ
く言われる“親分肌の人情味(人気どり)について
も厳しい評価をしています。

 実際に、長官として宇垣纏(まとめ)参謀長を無
視し、腹心の先任参謀・黒島亀人(かめと)(奇人
変人として有名だった)に直接指示したとの事実や
「根っからのギャンブラーの魂を持っていた」とす
る副官の証言などからしても、その実像は、戦後の
“伝説”と違っていたのかも知れません。

▼軍令部はなぜ止められなかったのか?

 次に、山本長官はいつから「真珠湾攻撃」を決め
ていたのか、また、軍令部や大本営政府連絡会議が
なぜ山本長官の“暴挙”を止められなかったのか、
との疑問が頭をよぎります。

その答えとして、昭和16年1月7日付の山本長官
から及川古志郎海相宛の書簡の中に「開戦劈頭に敵
主力艦隊を猛撃爆破し、米国海軍及び米国民をして
救うべからざる程度にその志気を阻喪せしめる」と
ありますので、この時点で本作戦を考察していたと
いうことになるでしょう。「腹案」より10か月も
前です。

そして3月頃、連合艦隊から「真珠湾攻撃」の細部
を聞かされた軍令部が大反対したとの記録も残って
います。10月に入り、山本は「これをやらされな
ければ辞める」とまで主張して永野修身軍令部長を
説得したようで、永野軍令部長は、熟慮の末、「出
先指揮官を羈絆(きはん)せず自由にやらせるのが
我が海軍の伝統だ」として同意されたといわれます。

「羈絆」とは「さまたげになる」との意味ですが、
国家の命運を決する一大作戦を「海軍の伝統」とし
て独断で同意してしまったのです。

では、東條首相・陸相は「真珠湾攻撃」を知ってい
たのでしょうか? 戦後の東京裁判において、東條
は「真珠湾攻撃」についてキーナン検察官から執拗
に質問されますが、東條は「連合艦隊が『真珠湾攻
撃』を準備していたことも、11月5日に作戦命令
が発せられたことも、11月23日頃、連合艦隊が
日本を出発したことも知らなかった。知ったのは
12月1日、(最終決心の)御前会議の日であり、
陸軍大臣として参謀総長から知らされた。御前会議
では話題にならなかった。8日までの間、何度も謁
見したが、首相の立場で天皇にそれについて報告す
ることもなかったし、話題にもならなかった」と証
言しています。

この証言によれば、現役の陸軍大将とは言え、一国
の首相にも報告しないまま、海軍が、連合艦隊主導
で「真珠湾攻撃」を準備・発動し、ゴーがかかる時
を待っていたということになります。

東條の証言からすれば、天皇もこれについては知ら
なかったようです。昭和天皇や側近の日誌などにつ
いて書かれた書籍を読む限りにおいても、「天皇が
事前に『真珠湾攻撃』を知っていた」と記述してい
る文章を発見することはできませんでした。本当に
極秘裏に作戦準備が進めされていたようです。

この事実を裏付けるように、前述の『日本海軍の功
罪』に登場する源田実氏は、「真珠湾攻撃のために
航空母艦が出港した事実を日本人の目から隠すため
に、涙ぐましいような努力をした」旨のことを暴露
しています。

ここにこそ、戦前の日本政府の組織的欠陥があった
といわざるを得ないのです。前回指摘しましたよう
に、(1)陸海軍の対立に加え、(2)統帥権の干犯
問題により、(現役の軍人が司る内閣であっても)
政府が軍部をコントロールできない、(3)天皇の軍
事的・政治的な権限は実質的に存在しなかった、こ
とが“現実”だったわけで、強力なシビリアンコン
トールの下で統合運用体制が完成していた米英と我
が国は全く違った体制で戦争に突入したのでした。

▼なぜ最後通牒は遅れたか?

 思うに、「真珠湾攻撃」そのものが「戦略ミス」
とするならば、有名な「最後通牒の遅れ」は、ルー
ズベルト大統領にとっては“願ったりかなったり”
の「戦術ミス」だったと考えます。それを「日本軍
は宣戦布告なしに卑怯な攻撃を行なった」として逆
用され、「スニーク・アタック」や「リメンバー・
パールハーバー」の合言葉のもと、厭戦気分のアメ
リカ国民は一気に燃え上がりました。

 その最大の要因として、一般には在ワシントン大
使館の前夜の送別会に加え、事務方が翻訳に手間取
ったこととなどが挙げられています。機転の効かな
いエリート官僚の典型としてそれ自体は批判される
べき不手際ですが、どうもそれだけが遅れの原因で
はなさそうです。

そもそも「開戦に関する条約」(1907年成立、
日本も署名)では、「締結国は、明瞭かつ事前の通
告なしに相互間の戦争を開始しないこと」と書かれ
ており、山本長官もその点を最も気にしていたとい
われます。

他方、海軍軍令部は、奇襲を成功させるために、当
初は「真珠湾攻撃開始予定時刻の1時間前に通告」
と決めていたものを、軍令部次長の伊東整一がさら
に検討を加え、「攻撃開始の30分前」の手交に変
更しました(この事実はなぜかあまり語られていま
せん)。

これもあってか、全部で14部からなる覚書のうち、
最後の1部が本省から現地に届いたのは、13部目
が届いた14時間後だったとのことで、しかもそれ
には「大至急」の指定がないばかりか、誤字脱字だ
らけで解読作業が大幅に遅れたようです。

人類の歴史を振り返れれば、「宣戦布告」のない戦
争など珍しくありませんし、第2次世界大戦におい
ては、ドイツのポーランド攻撃もソ連による日本攻
撃も「宣戦布告」はありませんでした。アメリカの
戦後の戦争もほとんどの場合、宣戦布告なしに攻撃
を行なっています。

それらから考えますと、「真珠湾攻撃」のみが“卑
怯扱いされる筋合い”はありませんが、ルーズベル
ト大統領のプロパガンダに逆用されたことは間違い
なく、海軍と外務省の意思の疎通の悪さや現場の事
務処理能力の不十分さなどから、我が国が汚名を着
せられた上に命運まで左右されたことは、何とも複
雑な思いに駆られます。

 ちなみに、当時ワシントンで勤務していた外務官
僚たちはその後、皆、偉くなります。事務次官にな
った人も国連大使になった人もおります。攻撃前夜
の送別会の主役だった官僚は、天皇の御用掛となっ
て、のちに『昭和天皇独白録』を筆記しますが、天
皇には最後まで“真相”を話さないままだったよう
です(苦しかったと想像します)。

次回、「アメリカ側からみた真珠湾攻撃」を取り上
げた後、先を急ぎます。


(つづく)

(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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このURLからお知らせください。

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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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