配信日時 2020/03/18 11:08

(再送)【自衛隊警務官(14)】陸軍憲兵から自衛隊警務官に(14)―交戦資格というもの― 荒木肇

【お詫び】
本日0800に配信した
「自衛隊警務官(14)」の本文中に、
項目番号の抜けがありました。
ここにお詫び申し上げ、修正後のメルマガを
再送いたします。

お知らせいただいた読者様に御礼申し上げます。

(エンリケ)



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自衛隊警務官(14)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(14)

交戦資格というもの

荒木 肇

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□お礼とご挨拶

 コロナウィルス感染については、まだ先行きが不
透明だらけです。ここで、いつもご愛読をいただい
ているK・M様から貴重なアドバイスをいただきまし
た。紙面の都合で全文をご紹介できませんが、マス
ク着用による防護力の向上についての説得力あるも
のです。
 
 飛沫感染、また空気感染も含めて、コロナウィル
スに対しての防衛手段としてマスクが有効であると
いうものです。また、外出時などで浴びる埃(ほこ
り)の中に存在するウィルスについても目からうろ
こが落ちる内容でした。髪の間に残る埃がウィルス
の住みかになること、シャワーを浴び、髪を清潔に
保つことなどなど、権威ある医師の方の論をご紹介
いただきました。ありがとうございます。

 わたしも人ごみや密閉空間を避け、消毒用の手洗
いをし、マスク着用を行なっています。地域によっ
てはマスクの入手も困難という状況もありましょう
が、ぜひ、免疫力も高めながらこの危機を乗り越え
ましょう。

▼交戦資格とは何か?

 戦場にはさまざまな人がいる。そこに住み、暮ら
す土地の民間人も、戦闘の担い手である複数の軍隊
がいる。また、直接に戦火を交える者ではないが、
各国軍隊に属する者もいた。この中で、「敵」と戦
ってよい資格を持つ者はどれだろうか。というのは
捕らわれた後に、捕虜として権利が認められるのは
正規の交戦資格をもつ者だけだからだ。

 まず、19世紀のブラッセル宣言(1874年)
では、交戦資格を4つしか認めていない。いわゆる
「民兵」や「義勇兵団」に属する者も次の条件を満
たせば捕虜になることができた。民兵とは民間人で
編成された者で、いわゆる常備兵ではない者をい
う。同じように、非常の際に民間人が自由意思で軍
事行動などに加わるために編成した団体を義勇兵団
という。

 正規の交戦資格をもつ者は、これから説明する4
つの条件を満たしていなければならない。

(1)部下のために責任を負う者が指揮していること。
指揮者の掌握下にあることが条件の1つである。要
するに武装した「烏合の衆」では、正規の軍隊とは
認められず、ただの不審者、暴徒と見做されること
もあった。行動の結果起きたことのすべては、指揮
官の責任になる。
 
(2)遠方から認識できる固着の特殊な徽章をもっている
こと。
制服の着用がうるさく言われるのはここからであ
る。また、どこの軍隊でも国家紋章や、独特のシン
ボルを徽章としている。固着というのは、取り外し
が自由にできて、その結果、出したり隠したりする
ことを禁止する為である。

(3)公然と武器を携行すること。
武器を隠して接近し、突然攻撃を加えてくる者は犯
罪者である。これがわが国でも過去の対中国との戦
争ではしばしば問題となった。民間人の衣服を着て
行動する「便衣兵(べんいへい)」の存在である。
日中両軍とも、これを使ったが、民間衣服の下には
正規の軍衣を着て、戦闘時には交戦資格がある者と
して行動することになっていたが、しばしば徹底せ
ず問題になった。

(4)行動が戦闘法規、慣例を遵守すること。
現在でも各国ごとに「交戦規定(ROE)」を作り、軍
隊にはこれを守らせるのが普通だが、当時でも敵の
病院などの攻撃はしない、傷病兵やその看護者には
危害を加えず保護するといった慣例はあった。

 以上の4つをすべて満たしていれば正規の交戦資
格をもつ者とされ、たとえ敵軍に捕まり、あるいは
投降しても「戦時捕虜」として安全を保障される資
格になった。

 遠い昔のことだが、自衛隊をめぐる裁判が行なわ
れた。「自衛隊は違憲である」という判決を下した
判事がいた。その裁判官は「軍隊を持たなくとも、
不法な侵害、支配に対しては群民蜂起という抵抗手
段がある」と語った。当時の共産党やその支持者、
進歩的な知識人たちは喝采して判決をもてはやした
が、群民というのは軍隊とは異なる。

ただの民間人の集合であり、それが武装していたら
「暴徒」でしかない。蜂起というのはただの暴動で
ある。群民が「軍隊の構成員」として認められるた
めには、戦争法規を遵守しなくてはならない。その
戦争法規を、「戦争を放棄した」憲法をもつ日本人
がどのように守るのか。この判事の判断には、後に
述べる1947年の条約改正と関係があるだろう。

ただの武装した暴徒は、国際人道法によって守られ
る存在ではない。侵攻してきた軍隊にとっては、犯
罪者であり、捕虜にしても保護する義務もない。捕
まったら人権を主張する権利も自由もなかったのだ。

第2次大戦中には、占領軍に対して果敢に抵抗する
民間人がいた。いわゆるパルチザンや、フランスの
レジスタンス、抗日ゲリラの構成員である。彼らは
制服を着ず、徽章もつけず、武器を公然と携帯しな
いで戦うことが多かった。それが捕らわれて銃殺さ
れるのも、仕方もないことだった。

▼第2次世界大戦の経験から追加された資格

 1949(昭和24)年には、「捕虜の待遇に関
するジュネーブ条約」が結ばれた。以下の条件を満
たす者が「敵の権力内に陥った者」を捕虜と認める
ことになった。


(1)軍隊の構成員、その軍隊の一部である民兵隊や義勇
隊のメンバー
(2)抑留国が承認していない政府または当局に忠誠を誓
った正規の軍隊の構成員
(3)公然と武器を携行し、戦争法規を遵守する群民兵
(敵の接近に伴い自発的に武器を執った未編成の
人々)
(4)従軍する文民たる軍用機の乗員、記者、需品供給
者、労務隊員、軍隊の福利機関のスタッフ
(5)紛争当事国の商船の乗組員、民間航空機の乗員で他
の法規によってそれ以上の好遇が受けられない者

(2)は第2次大戦後多発した「内戦」の結果
である。政府軍対反政府軍などが代表例である。ゲ
リラ戦争ともいわれたそれらでは、互いに捕虜にす
るかしないかと論議される事件が多く起きた。

▼1977(昭和52)年の補完「議定書」

 国家間の紛争に適用されるばかりではなく、いわ
ゆる国内の「解放闘争」にも適用されることになっ
た。反政府を掲げる武装闘争者も「内乱罪」などで
逮捕・起訴されることなく、交戦権をもつ者、つま
り捕虜になることができるようになったのである。
言うまでもなく、捕虜になる以前の「戦闘行為」は
罰せられることはない。

 今日では、スパイ(間諜)、傭兵(ようへい)は
捕まっても捕虜の資格は得られない。スパイはたと
え、それが正規の軍隊の構成員でも、スパイ活動に
従事していれば捕虜になれない。また、金銭などの
契約で戦闘行為を行なう傭兵も犯罪者として扱われ
ることになった。それまでは、義勇兵に類する者と
みられてきた傭兵に対しての扱いが大きく変わった。

▼日清戦争での捕虜

 「ブラッセル宣言」はわが国にももたらされた。
それは陸軍大学校教官だった有賀長雄(ありが・な
がお)の功績である。この傑物については、『「日
露陸戦国際法論」を読み解く』(佐藤庫八・並木書
房・2016年)について詳しい。

 有賀法学博士・文学博士は、1860(万延元)
年に大坂で生まれた。1882(明治15)年に東
京帝国大学文科大学(後の文学部)哲学科を卒業。
84年に元老院書記官となり、86年には自費でベ
ルリン大学、オーストリア大学に留学する。

帰国して89年に東京専門学校(後、早稲田大学)
教授となり、翌年には陸軍大学校国際法教授、日清
戦争後の96年には海軍大学校でも国際法の教授と
なった。1909(明治42)年、母校の東京帝国
大学文科大学社会学科講師を務め、1913(大正
2)年には、清国の袁世凱(えん・せいがい)に招
かれ、大総統法律顧問として清国憲法制定に寄与し
た。1921(大正10)年に死去。

 佐藤氏はさらに有賀博士の業績を詳しく記してい
る。著作は多いが、「社会学」(1882年)、
「国家学」(1889年)、また戦時国際法関連に
ついては、「戦時国際公法」、「万国戦時公法」、
「日清戦役国際公法」などがある。

日清戦争(1894~5年)は、わが国が西欧文明
国家と伍して行動することができることを証明する
戦争だった。明治大帝はその宣戦の詔勅で、『苟
(いやしく)モ国際法ニ戻(もと)ラサル限リ、各
々(おのおの)権能ニ応ジテ一切ノ手段ヲ尽クスニ
於テ・・・』とうたわれたように、国際公法を守る
というのがたいへん重視されたのである。

有賀博士は大山巌第2軍司令部に同行した。また意
外に思う人がいるだろうが、第1軍参謀長の桂太郎
中将はドイツ留学時に国際法について、よく学んで
きたという評価があった。

海軍は髙橋作衛(たかはし・さくえ、1867~1
920年)が従軍した。信州高遠藩の儒者の子に生
まれ、1894(明治27)年、東京帝大法科大学
卒、ただちに恩師穂積重遠(ほづみ・しげとお)の
推薦で海軍大学校教授となり、国際法顧問として旗
艦「松島」に乗り組んだ。
 
有名な威海衛(いかいえい)軍港での、清国海軍水
師提督丁汝昌(てい・じょしょう)への情義を尽く
した降伏勧告文を作成したといわれる。

次回は日清戦争での捕虜問題について語ろう。


(以下次号)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書
房)がある。
 
 
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