配信日時 2020/03/19 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(77)】「大東亜戦争」をいかに伝えるか 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は77回目です。

著者多忙のため、
しばらくの間お休みをいただいていましたが、。
きょうから再開です。

大東亜戦争に向き合う姿勢と覚悟が伝わり、
読んでいるこちらも背筋が伸びました。

それなのに、柔らかく
明るく、悲壮感がない。
読めば読むほど賢くなる気がする。

お人柄なんでしょうね。

再開を一番喜んでいるのは
私かもしれません。

では今日の記事を
さっそくどうぞ

「人事」の根幹的大切さを改めて覚えます。


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(77)

 「大東亜戦争」をいかに伝えるか

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

 2週間、充電期間をいただきました。今週から再
開します。「世の中、新型ウイルス騒ぎで“歴史”
どころじゃない」というのが大方の皆さんの本音か
もしれません。

第73話の冒頭で新型コロナウイルスに触れさせて
いただき、「インフルエンザの方が感染率も高く、
毎年世界中に蔓延し、日本でも最大約1万人、世界
で約50万人も亡くなるが、ほとんどニュースにな
らない」として「侮らず、しかし冷静に」と呼びか
けました。

しかし、3月12日、WHOが「パンデミック・フェー
ズ」に入ったことを宣言するなど、新型ウイルスの
世界的な感染拡大が懸念される事態になってきまし
た。国内においても、13日、国内の感染拡大時に
「緊急事態宣言」を発動できる改正特別措置法が成
立しました。

13日現在の国内感染者は659人で、内訳は、無
症状68人、退院104人、入院(軽症)268人、
入院(重症)32人、死亡19人、入院確認・待機
中168人です(厚生労働省資料より)。

これらの数字は、日々変化するでしょうが、全国一
斉の休校をはじめ、スポーツやイベントの中止ある
いは延期などの措置が(色々と物議を醸しだしまし
たが)“成功した”結果といえるのではないでしょ
うか。

その証拠として、14日、安倍総理の記者会見でも
説明がありましたが、我が国の感染者数は1万人あ
たり0.06と、イタリア2.91、韓国1.56、
イラン1.45などと比べるとその低さは一目瞭然
です。また、上記のように感染後の死亡者や重傷者
がかなり低いことを見れば、各県以下の“医療現場
の崩壊”には程遠く、逆に、未経験の医療にもかか
わらず、適切に処置されていると言って過言ではな
いと考えます。

元大阪府知事の橋下徹氏は、たびたび「広がるのを
完全に止めることはできないので、ジワーと感染さ
せてみんなが抗体を持つことがいちばん大事。1万
人も亡くなっているインフルエンザ同様、そういう
ものに耐えられる社会にしないといけない」と発言
しています。

また最近では、「感染者数にのみ焦点が当てられて
いるが、我が国の低い致死率(単純計算では2.9
%、イタリアは6.8%と公表)に照準を当てるべ
き」とも発言されています。

私も全く同感です。新型ウイルスについては、“過
剰に不安をあおる”マスコミ報道に最初から違和感
を抱いていましたが、最近、ようやく「退院者数」
も発表されるなど、少しずつ“実態の報道”が増え
てきたのは歓迎すべきことと思います。

総理の発言にもありましたが、「感染者の8割は他
の人を感染させない」こともわかってきました。油
断は禁物ですが、「しっかり管理すれば、インフル
エンザより感染率は低い」という事実を認識した上
で、引き続き状況の変化をチェックしつつ、「いか
なる管理が最適かを検討し、実行する」しかないと
考えます。その延長で、議論されているオリンピッ
ク実施の可否などについても結論が出るのではない
でしょうか。

他方、世界の経済に与える影響は深刻で、世界の株
価がなにやら1930年代(昭和初期)の「世界恐
慌」のような雰囲気になってきました。それが第2
次世界大戦の原因となったことをすでに紹介しまし
たが、当時の状況と比較できないまでも、“人々の
パニック性は時を越えて共通する”との認識を新た
にして、改めて、当時の人々の絶望感に思いが至り
ます。

歴史的に見ても、人類は“得体の知らないものに対
して過度に警戒心を持つ”傾向にあるようです。そ
れは、今回のようなウイルスのみならず、共産主義
の台頭やかつての日本のように白人・キリスト教以
外の民族の隆盛もその部類だったと考えます。

「大東亜戦争」が「国益が相反する国と国の争いだ
った」という特性以外に、今なお「宗教戦争」ある
いは「人種戦争」の側面からの分析が散見されるの
は、そのような人類の本質を反映しているのではな
いでしょうか。

私は、この場に及んでも「人類の叡智」を信じてい
る1人ですが、新型ウイルスについては、引き続き
「侮らず、しかし冷静に、そして強い忍耐力をもっ
て」対処するしかないと考えます。国民の1人ひと
りが「国の存亡をかけた戦争に直面した先人達のこ
とを思えば、何のこれしき」と強い気持ちを持てる
ように、今回から、“気合を入れて”「大東亜戦
争」を振り返ろうと思います。


▼我が国の歴史の中の「大東亜戦争」

「我が国の歴史の中で『大東亜戦争』をどのように
振り返るか」については、実はとても悩ましいとこ
ろがあります。

たぶん、昭和史や「大東亜戦争」の研究家たちは、
皆、等しく悩んだものと推測しています。よって、
その切り口(視点)も様々です。中には意外なもの
もあります。はじめに、それらの代表的なものを紹
介しましょう。

前回も紹介しました元大本営参謀・瀬島龍三氏の
『大東亜戦争の実相』は、氏がハーバード大学で講
演された資料を元にまとめられものですが、その最
終章は「開戦」と題し、「ハル・ノート」をめぐる
日本側の絶望状況が紹介され、その後は大東亜戦争
の教訓(総括)で終わります。つまり、書籍のタイ
トルから期待する戦争自体の実相の紹介や分析はほ
とんどありません。

もっと奇妙なのは、元内閣総理大臣・吉田茂の回顧
録ともいうべき『日本を決定した百年』です。この
テーマを掲げながら、明治から昭和に至る歩みを少
し書き、その後は(自らが活躍した)戦後に話題を
移します。後半は、自分の思い出話です。一読する
とどうしても『チャーチルの回顧録』などと比較し
てしまい、だいぶ前のことでしたが、ある種の寂し
さを感じたことを今もよく覚えています。

一国の総理大臣までやられた人が「日本を決定した
百年の中で大東亜戦争を無視できる」との認識だっ
たとはとても思えないですが、(理由は不明ですが)
やはり“書けなかったもの”と勝手に推測していま
す。

『歴史家の立場』と題し、「大東亜戦争」前後の歴
史に触れておられる歴史家の会田雄次氏も不思議で
す。「大東亜戦争」に関しては、戦争開始を報道で
知り、歓喜と不安が入り交じった」との個人的な感
想や「一兵卒としてビルマ戦線で経験したこと」
(氏は、マラリアで入退院を繰り返し、ほとんど戦
闘に参加していなかったと告白しています)の紹介
に加え、無謀な戦争を始めたことへの評価などが主
で「大東亜戦争」の全容を客観的・歴史的に分析し
ているとはとても思えません。

本書は、学ぶことがたくさんある示唆に富んだ一冊
と思うのですが、失礼ながら「大東亜戦争」に関し
ては、「歴史家でもこの程度の認識なのだろうか」
と思ってしまいます。

最後に、有名な司馬遼太郎氏は、晩年に『「昭和」
という国家』をまとめられ、「昭和というものを書
く気になれなかった」との本音を披露しています。
その中で、「軍人だけを責めることはできない」と
言いつつも、「統帥権」の問題などを取り上げ、明
治時代以降の我が国の歴史からみた“昭和時代の異
常さ”を解説しています。

個人的に最も残念だと思ったのは、「昭和時代のリ
ーダーたちがなぜこのような判断をしなければなら
なかったのか?」とか「国家的な難局にどのように
立ち向かっていったか、その奮闘を外国はどのよう
に評価したか?」などの世界史的視点、つまり外か
ら観た我が国の情勢や評価については何ら分析され
てないことです。

周りに日本より“したたかな国”がたくさんあり、
それらの国々が示した“勝つためには手段を択ばな
い傍若無人さ”を語らずして昭和史も「大東亜戦争」
も語れないと考えているだけに、正直、落胆しまし
た。

かように、昭和史や「大東亜戦争」について書かれ
た書籍を紐解いてみた中で印象に残った各界の高名
な人たちであっても、「大東亜戦争の全容を正しく
伝えることの難しさ」に行き当たり、悩み、その結
果としてスキップするか、戦争前後の情勢の推移や
戦争の教訓や意義でまとめることにとどまったと思
わざるを得ないのです。

他にも、特定の人物(組織)や戦いなどに焦点をあ
てつつ、当初から自己の視点を正当化して「大東亜
戦争」を振り返る人たちの書籍も数多いですが、中
には、意図的に“史実”から目をそらす傾向にある
ことにも気がつきました。

ここまで来て初めて、これら偉大な諸先輩と同様の
立場に立っている自分自身に気がつき、本メルマガ
はとんでもないことにチャレンジしていることに思
いが至りました。しかし、後の祭りです。

何度も言いますが、私たち自衛官は「戦史」を学び
ます。陸上自衛官は、「大東亜戦争」に関しては
「マレー作戦」から「沖縄戦」に至る陸軍の戦闘に
ついて詳しく学びます。そのために購入した陸戦史
集や戦闘戦史は今でも本棚の一角を占領していま
す。海上自衛官も「真珠湾攻撃」や「ミッドウエー
海戦」などを詳しく学んでいることでしょう。

 しかし、これらの「戦史」を詳しく紹介すると本
メルマガは果てしなく続くことが予想されます。よ
って、「大東亜戦争」についてもこれまで同様、欧
州正面などの情勢変化を踏まえつつ、我が国の為政
者たちがいかに判断し、戦争指導したかを主に努め
てコンパクトに振り返ろうと考えています。

▼陸軍とドイツの歴史的関係

 前回のメルマガで、昭和16年12月1日に米国
と開戦決断後の12月5日、「独ソ戦の“潮目”が
変わったにもかかわらず、一顧だにしなかった」こ
とを取り上げました。何としてもその理由が頭から
離れず、再び関係資料を漁っていました。これら欧
州情勢分析の背景ともなった“陸軍とドイツの関係”
について、「大東亜戦争」の本論に入る前に改めて
整理しておきましょう。

旧陸軍は明治初期、ドイツ(プロシア)陸軍をモデ
ルとして建軍してきたことは前に述べましたが、陸
軍が“ドイツ偏重”になる下地は次のようなもので
した。

陸軍の将校は、選抜した13歳から15歳の男子を
将来の将校候補者として養成する「幼年学校」出身
者と一般の「中学校」出身者に分かれますが、幼年
学校の習得語学は、「三国干渉」以来、ロシア語、
ドイツ語、フランス語となったようで、これに対し
て、中学校出身者は英語と中国語を学んだようです。

当然ながら、成績序列は幼年学校出身者がトップ級
を占めることが多く、トップクラスの多くはドイツ
に留学していましたし、ドイツの武官や補佐官にも
トップクラスが就いていました。

 このような背景もあって、昭和14年から15年
頃の陸軍中央部の幕僚人事は、圧倒的にドイツ関係
者が多く、参謀本部・陸軍省の幕僚の中で米英語圏
の勤務経験者はわずか2名しかいなかったという人
的偏向があったようです。

 開戦時の参謀本部作戦課長服部卓四郎は「大本
営・政府ともに、欧州におけるドイツの不敗を確信
していたことは事実であった。必ず勝つとは限らぬ
が、敗れることは絶対ないというものであった。開
戦の決意も、戦争計画も、この考慮の下においてな
されたというのも過言ではなかった」という回想を
残しています。

 これらの結果、在ベルリン大島浩陸軍武官らがド
イツ側の情報操作に乗せられ、ドイツ側の情報を一
方的に東京に流し、その情報が(なんらの疑問のな
いままに)陸軍の判断につながるというのは十分に
あり得ることでした。

当時、ストックホルムからは、ベルリン情報とは真
逆、つまり「英国上陸作戦はない」「ソ連に向かっ
て作戦準備中」などの情報もあったのですが、全く
無視され、陸軍中央部の“ドイツ信奉”は微動だに
しなかったのでした。

 さて、12月5日の独ソ戦におけるドイツの「攻
撃中止」に話を戻しましょう。なんと当日の日付
で、ドイツ大使館付坂西一良(いちろう)陸軍武官
から参謀総長宛てに送られた「(1)南方作戦が一
段落した後は、ソ連を攻撃してドイツと呼応するこ
とを信じている。(2)その時期は、状況によるも
来年春頃、ドイツ軍のソ連軍追撃戦に呼応して」旨
の公電が残っています。この時点で坂西武官が独ソ
戦前線の情報を知っていたかどうかは不明ですが、
知っていたらこの電報は打てなかったと思います。

この時期に、同じ大使館付海軍武官だった野村直邦
は、「私らが(攻撃中止の)事実を詳しく知り得た
のはなんと日米開戦後のことだった。もしこれが日
本へ通報されていたら、歴史は変わったかもしれな
い」と述べています。陸海軍武官が互いの情報を秘
密にしていたことも想像できますが、ドイツ側の情
報操作に乗せられたことを含め、「陸軍中央部の人
事の偏重が判断を狂わした」と考えざるを得ないの
です。


(つづく)

(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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