こんにちは、エンリケです。
「戦略航空偵察」六回目です。
じつに面白い内容です。
平時の情報戦の話が大きく取り上げられることは
ほぼなく、記事を読んで驚くケースが多いです。
今回もそうです。
非常に新鮮だし面白い。
もっといえば、より正確な歴史把握・理解の役に立
つ唯一の知識といえるかもしれません。
さっそくどうぞ
エンリケ
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戦略航空偵察(6)
朝鮮戦争勃発と偵察活動の活発化
西山邦夫(元空将補)
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□ご挨拶
朝鮮戦争が始まったのが昭和25年(1950年)、私
は当時中学生で、ラジオでそのニュースを聞きまし
た。太平洋戦争終戦後まだ5年しか経っていない時
でした。テレビは放送が始まったようですが高値の
花、新聞とラジオだけが情報源でした。緒戦で国連
軍はじりじりと後退し、釜山橋頭保まで追い詰めら
れたのですが、中学生の私には当時の新聞紙の活字
は小さく、地図も不鮮明で、戦況を理解するのは難
しかった思い出があります。
朝鮮半島は昔から日本の安全に様々な影響を及ぼ
しています。歴史上知られている場所のいくつかに
行ってみたいと思い、1977年(昭和52年)にソウル
を訪問し、板門店を見学しました。ついでに江華島
へ足を延ばし、江華島事件に使われたと見られる砲
台など見学して帰りました。この砲台から日本海軍
の測量艦「雲揚」が砲撃されたのですが、かえって
日本海軍陸戦隊の上陸を招き、制圧されました。江
華島からは、北朝鮮が臨津江を隔ててよく見えます。
昭和52年当時のソウルは夜11時になると外出禁止
になりました。ホテルの窓から見ていますと、その
時間近くなると一斉にタクシーの奪い合いが始まり、
11時には道路が閑散としてしまいました。話を聞い
た人たち(当時はかなり日本語が通じました。)
は、北朝鮮軍への嫌悪感が強く、日本人には好意的
に接してくれました。
▼朝鮮戦争の勃発と日本
1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を突破し南進を始
めました。朝鮮戦争が始まったのです。日本駐留ア
メリカ軍は急きょ部隊を朝鮮半島に出動させること
になりました。その時点で駐留陸軍部隊は第8軍の
4個師団(第1騎兵・第7歩兵・第24歩兵・第25歩兵)
で、7月上旬には在日する第8軍全部隊が朝鮮半島に
移動することになり、米軍による日本の防衛兵力・
治安維持兵力がいなくなってしまいました。
日本駐留米軍の司令官マッカーサー元帥は、当時の
吉田首相に治安力を維持するため、警察を強化する
よう求め、誕生したのが警察予備隊でした。法的な
整備がなされたのが8月で、警察予備隊令が成立しま
した。
▼ソ連の脅威と在日米軍
当時の日本では、朝鮮戦争に関連して、北朝鮮の情
報工作が日本においても盛んに行なわれていました。
韓国の政治、経済、軍事その他の各種情報、在日・
在韓米軍の状況、日韓関係に関する情報などが収集
されていたのです。国内の治安情勢が不安定になっ
ているだけでなく、ソ連の脅威が迫っていました。
ソ連軍用機がしばしば北海道の領空に侵入していた
のです。
在日米空軍JADF(JAPAN AIR DEFENCE FORCE)はその
対応におおわらわの日々が続いていました。米軍
は、その対策として日本海北部、樺太周辺、北方領
土周辺などの偵察活動を盛んに行ないました。その
結果、朝鮮戦争が休戦する1953年までに日本周辺で
米軍偵察機が4機撃墜され、その後も下表のとおり、
1956年までに3機が撃墜されるという極めて緊張し
た情勢が続いたのです。
日本周辺における米軍機の被撃墜事件
日時 場所 所属・機種 目的
1951年11月6日 日本海 米海軍P-2V 哨戒
1952年6月13日 日本海 米空軍RB-29 偵察
1952年10月7日 北海道根室東 米空軍RB-29 偵察
1953年7月29日 日本海 米空軍RB-50 偵察
1954年9月4日 日本海 米海軍P2V 偵察
1955年11月7日 北海道根室東 米空軍RB-29 偵察
1956年9月10日 日本海 米空軍RB-50 偵察
▼バルト海でソ連機による2次大戦後初めての米偵
察機撃墜
日本付近の撃墜事案について書くに先立ち、1950年
4月8日に米海軍のPB4Y2(Privateer)がバルト海
で撃墜された事案から始めます。これは第2次大戦
後、米偵察機が初めてソ連機に撃墜された事案で、
その後の米ソ間における偵察飛行をめぐる熱い戦い
の激化を示唆しているからです。
1950年4月8日、10名が搭乗したPB4Y2が、バルト
海でソ連戦闘機により撃墜されました。PB4Y2は空
軍のB-24リベレーター長距離爆撃機の海軍バージョ
ンで、太平洋戦争中、日本に対する電子偵察で使わ
れた機種です。また、B-24は対独爆撃に主用された
爆撃機です。
▼偵察機の緊急整備
冷戦が始まってから、鉄のカーテンによりソ連の情
報が得られない状態が起こったため、PB4Y2も再び
活動の場を与えられ、出動を余儀なくされていまし
た。海軍はこの任務を与えられて困惑しました。手
持ちの情報収集器材が十分にはなかったからです。
担当官は現金をカバンに詰めて軍用の器材を売買し
ている業者の店へ行き、受信機、方向探知機、パル
ス分析器、その他の傍受器材を購入し、急場に間に
合わせるような状況でした。これは大戦終結後の米
軍の縮小が招いた事態でした。
▼偵察機の撃墜とその後の混乱
1950年4月8日朝、米海軍PB4Y2 1機がソ連沿岸
の哨戒飛行に飛び立ちました。バルト海に入るとポ
ーランド沖を東進し、第2次大戦でソ連に併合され
たバルト三国の沖まで飛行し、引き返す途中、ラト
ビア沖でソ連のLa-11戦闘機によって撃墜されまし
た。同機は西独のウィスバーデン基地を離陸し、ソ
連海軍と港湾の通信を傍受するのを目的としていま
した。ソ連は、当該機はB-29で、ラトビアのラバウ
港の内陸に10マイル侵入したとし、戦闘機の着陸指
示に従わなかったので撃墜したと主張しました。米
側は、同機は常に公海上を飛行していたが、ソ連機
は無警告で撃墜したと言っています。
PB4Y2は西独の基地を発進したのですが、撃墜によっ
て、米ソ間の緊張は明らかに高まりましました。3
日後、ソ連のビシンスキ―外相はアラン・キルク駐
ソ連米大使を呼び、公式の抗議文書を手渡しました
が、この文書でも、ソ連はB-29を撃墜したと誤って
述べています。
(つづく)
(にしやま・くにお)
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□著者略歴
西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。
情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航
空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、
航空自衛隊幹部学校主任教官。著書に『肥大化する
中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、
『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミ
ネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦
力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとイン
ド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』
『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備
化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』
『チベットにおける中国の軍事態勢整備』など多数。
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