配信日時 2020/02/20 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(75)】日米戦争への道程(その6) 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は75回目です。

冒頭文は必読です。
極めて大切な指摘です。

さっそくどうぞ


エンリケ


ご意見・ご感想はコチラから
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(75)

 日米戦争への道程(その6)

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

 多くの昭和史研究家は、「(1)日中戦争が拡大し、
日米戦争に至った原因は我が国にある、(2)その主
体は、大日本帝国憲法の『統帥権の独立』を笠に着
て権力を行使した旧軍、特に陸軍にある」との“流
れ”が頭に刷り込まれ、それを裏付けることに夢中
になって歴史を研究し、その成果を取りまとめて出
版します。それがなぜかヒットするものだから、
次々にこの種の書籍が巷に溢れています。

他方、(1)については、ようやく「戦争を仕掛けた
のは米国」との視点で解説する書籍も増えています。
そして、(2)の旧軍に関しては、海軍の将官を称
賛したり、海軍の立場を援護する書籍は見かけます
が、陸軍を援護する書籍はほとんどありません。

私は陸上自衛官として30数年も生きてきたためか、
旧軍、特に陸軍の“ものの考え方”を肌感覚でわか
る部分があります。今でも、国と国との付き合いに
おいて、「ミリタリー・ツー・ミリタリー」といわ
れる軍人同士の交流は、政治家や官僚などより相互
理解を得やすい部分がありますが、同じような感覚
です。

そのような視点で旧軍の指揮官や参謀たちの“生き
ざま”を自分なりに追体験しますと、なぜかこれま
での歴史書などに書かれている内容に違和感を抱き、
悶々としながら、長い間、自分なりの視点で「史
実」を追い求めてきました。

大東亜戦争の意義などについては、のちほど総括す
るつもりでおりますが、「我が国の命運を狂わした
日米戦争をなぜ避けることができかったのか」につ
いて、当時の状況に我が身を置いて追体験しつつ、
できるだけ「史実」を追いかけながら書き記したと
ころ、このテーマが本当に長くなってしまいました。

今回、そして次回は「アメリカ側から見た米日戦争
への道程」を要約した形で加えてこのテーマを終了
しようと思いますが、日米戦争への道程は、「我が
国に一方的な責任がある」とか「軍人、特に陸軍の
ミスリード」というような単純なものでなかったと
考えています。

もちろん、当事者であった旧軍、特に陸軍の責任を
軽視するものでも安易な同情心を抱くものではあり
ませんが、(1)刻々変化する欧州情勢や中国情勢
に振り回され、(2)したたかな米国の戦略(工作)
を読み切れず、(3)(チャーチルのような)国を導
く強力なリーダーが不在で、(4)マスコミの煽動
に煽られた無責任な世論が存在するなかで、(いま
だ発展途上にある)中堅将校たちが国の舵取りの判
断を強いられた“歴史の流れの中の現実”にどうし
ても思いが至ります。

それを旧軍の“暴走”というのは簡単ですが、彼ら
の双肩にかかる重さを含めて、このような国家の指
導体制になってしまったことまで彼らにその責任を
押し付けることはいかにも乱暴という認識を持たざ
るを得ません。

 かなり端折りながらも、日米戦争に至った節目と
そこに至る葛藤を主にまとめてきましたが、読者の
皆様には「どのような経緯を経て国の命運を決める
決断をしたのか?」について、これまでの先入観を
廃してご一読いただくことを願っております。その
上で、いつの間にか出来上がった“自分なりの常識”
にいささかなりとも疑問を感じていただければ、望
外の喜びです。続けましょう。

▼日米首脳会談決裂

さて前回の続きです。8月17日、米英会談を終え
たルーズベルトから野村大使に2つの文書が手交さ
れました。1つは、「日本政府が武力によって隣接
諸国に進出するなら、アメリカは一切に必要な措置
をとる」との強い警告文、もう1つは首脳会談提案
に対する回答で、「アメリカが従来から主張してき
た基本原則に適合するもの以外は一切考慮されない」
とする強硬なものでした。

これに対して、近衛は「これまでの行きがかりに捉
われず、大所高所から太平洋全般にわたり日米間の
重要な問題を討議し、最悪の事態を回避したい」と
首脳会談にかける熱意を示します。

近衛の熱意に対して、グルー駐日大使も理解を示し、
ワシントンに意見具申をします。また、大統領も乗
り気であることが野村大使から伝えられ、政府や陸
海軍は首脳会議に実現に向けて、随行の人選まで進
めます。

しかし、9月3日、アメリカ政府の回答は「首脳会
談の前に、これまでの懸案事項について日米間で一
定の合意が必要である」とし、その合意の中には、
「日米諒解案」の4原則も含まれていました。野村
大使が日本に送付しなかったハル長官の「領土保全」
「主権尊重」「内政不干渉」「機会均等」の4原則
です。

さらに、ハル長官は、これまでの日米間の懸案事項
であった「特定の根本問題」、つまり「中国撤兵問
題」「三国同盟問題」「通商無差別原則の問題」も
合意が必要と示唆します。

近衛のメッセージに全く触れていなかったこれらの
問題まで「すべて合意が必要」とする米側要求につ
いて、首脳会談の前の妥協することは困難なことが
明白になり、事実上、日米首脳会談の早期開催の見
通しは立たなくなってしまいます。この段階で、近
衛の企図は“水の泡”に帰してしまったのです。

のちの真珠湾攻撃の際の外務省の不手際が問題にな
りますが、「日米諒解案」の段階から米国の真意を
伝えなかったことの方がよほど“罪が重い”と個人
的には考えます。

▼交渉継続か開戦決意か

この回答を受けて、日本政府と陸海軍は「米英蘭か
ら対日禁輸を受けた場合は、自存自衛のために南方
武力行使に踏み切る」とした「対南方施策要領」の
見直しを迫られますが、この場においても、陸軍省
と参謀本部、海軍の間には意見の相違が残ります。

武藤ら陸軍省は慎重で、「対米戦の主力は海軍にな
るので、南方戦は海軍の主導によらなければならな
い」と、対米英戦は「海軍の決意次第」との反応を
示します。

石油全面禁輸によって窮地に陥った海軍は「帝国国
策方針」を作成し、8月16日、陸軍側に提示しま
す。その内容は「10月中旬を目途に戦争準備と外
交を並進させ、10月中旬に至っても外交的妥協が
得られない場合は実力行使の措置をとる」というも
のでした。

これに対して、田中ら参謀本部は、「即時対米開戦
決意のもとに作戦準備をすべき」と強硬論を主張し
ます。背景に、海軍と違い、陸軍には「国家レベル
の開戦決意がなければ戦争準備は困難」との認識が
ありますが、田中の強硬論には、“対米戦争の決意
そのものを重視する”意図があったのでした。三国
同盟破棄のような外交的妥協の可能性はほぼゼロと
判断し、「戦争が主で、外交が従」という立場だっ
たのです。

これによって、参謀本部は「即時戦争決意」を盛り
込んだ「帝国国策遂行要領」を作成し、杉山参謀総
長の同意を得て陸軍省に提示します。武藤ら陸軍省
は、できるかぎり外交の余地を残して、あくまで日
米交渉によって事態の打開を図ろうと難色を示した
結果、武藤と田中が会談し、「9月下旬に至っても
要求が貫徹しない場合はただちに対米英蘭開戦を決
意する」と双方の妥協案で修正します。

早期の開戦決意について、田中は、来春以降の北方
武力行使の可能性を捨てなかったようで、その執着
心は半端でありませんでしたが、強硬論の田中でさ
えも、“できれば対米戦は回避したい”と考えつつ、
“一定時期まで外交的妥協ができなければ対米戦を
決意しなければならない”との立場でした。

陸海軍局長会議で海軍の意思を確認しますが、海軍
の態度はまだ定まっていなかったようです。調整の
結果、開戦決意を「9月下旬」から「10月上旬」
と修正し、「帝国国策遂行要領」陸海軍案が完成し
ます。

▼御前会議(9月6日)

 これでようやく、第70話(*)で紹介しました
9月6日の御前会議に歴史の針が戻りました。

「帝国国策遂行要領」は、(1)対米英蘭戦争を辞せ
ざる決意のもとに10月下旬を目途として戦争準備
を整える。(2)これと並行して米英に対し外交手段
を尽くして要求貫徹に努める。(3)10月上旬に至
っても要求が貫徹できない場合はただちに対米英蘭
開戦を決意する」となっており、70話で紹介しま
した原枢密院議長の「戦争が主で外交が従なのか」
の発言となります。

天皇が明治天皇御製の和歌を詠まれた後、沈黙を破
って永野軍令部長が「海相の答弁が政府と統帥部を
代表したものと思い、発言しませんでした。外交を
主とする趣旨にかわりはありません」と発言し、杉
山参謀総長も「軍令部長と同じです」と直立不動で
発言し、御前会議は終わりました。

▼近衛退陣・東條内閣誕生

驚くことに、御前会議のみならず、これに至る大本
営政府連絡会議や閣議においても、近衛首相は、自
ら画策した首脳会議が頓挫したせいか、戦争決意に
対する異議や反対意見を一切述べておりません。首
相の地位にある政治家としては極めて不可解でした。

会議後、武藤軍務局長は部下を集め、「天皇は何と
しても外交で妥協せよとの仰せだ」と発言しますが、
服部卓四郎のように「陸相は何度も参内して天皇を
説得すべきだ」という強硬な意見もあり、陸軍の流
れを変え、時代の流れを止めることができたのはわ
ずか1か月ほどでした。その理由の主たるものは、
米政府首脳の態度が日に日に硬化していったことに
もありました。

9月3日、日米首脳会談を事実上拒否する回答が大
統領から野村大使に手交され、10月2日、ハルが
野村に会い、改めて4原則を強調するとともに、
「仏印と中国から全面撤兵」を求める覚書を手渡し
ます。

近衛は、中国から全面撤兵を決意し、陸海外相らを
集めて協議します。その席で、及川海相から「今や
和戦いずれかに決すべきだ。その決心は総理に一任
したい」と決断を強要され、東條陸相からは「駐兵
問題は絶対譲れない」と断られます。

この後もハル4原則や中国の撤兵など受諾をめぐっ
て政府と陸海軍の間に幾度となく議論が実施されま
すが、結局物別れに終わります。

10月15日、野村大使から「首脳会談絶対見込み
なし」の電報が届きます。こうして、翌16日、日
米首脳会談の希望が打ち砕かれた近衛は「閣内不一
致」を理由に総辞職し、退陣を余儀なくされます。

問題は後継者でした。「陸軍を抑えなければ戦争に
なる。その陸軍を抑えられるものは東條以外になく、
その東條に戦争回避の勅命があれば、日米交渉を再
考するだろう」として原則を重んじる東條陸相に白
羽の矢があたります。

10月17日、参内した東條に対して、天皇は「9
月6日の御前会議にとらわれることなく、内外の情
勢をさらに広く深く検討し、慎重なる考究を加えよ」
と述べられました。のちに「白紙還元の御諚(ごじ
ょう)」といわれる日米交渉の期限を白紙にする勅
命です。

▼「甲案」「乙案」の案出

これに基づき、東條は「主戦論」を棄て、撤兵問題
などで妥協する日米交渉の「甲案」をまとめあげま
す。その概要は「(1)欧州戦争への態度、つまり
三国同盟の問題は従来通り。つまり、参戦決定は自
主的に行う、(2)ハル4原則については、アメリ
カの主張を認める。(3)通商無差別は、全世界に
適用されるべきとした上で承認する、(4)中国の
駐兵問題は、従来通り、蒙疆(もうきょう:内モン
ゴル一部)・華北・海南島に駐兵する。交渉によっ
て25年とするも可。それ以外は2年以内に撤兵」
などと日本側からみればかなり譲歩したものでした。

11月1日の連絡会議では、第1案「戦争を極力避
け、臥薪嘗胆する」、第2案「開戦を決意しこれに
集中する」、第3案「開戦決意のもとに外交施策を
続行する」の3案を提示します。

第1案を永野軍令部長が拒否し、第2案の杉山参謀
総長と第3案の東郷外相と激しく議論しますが、第
3案をもとに新たな「帝国国策遂行要領」が決まり
ます。つまり「武力発動の時期を12月初頭と定め、
陸海軍は作戦準備を完整す」「対米交渉が12月1
日午前零時までに成功する時は武力発動を中止する」
というものでした。

そして、甲案を米国が拒否した場合に備え、「乙案」
も用意し、2段構えの交渉で妥協に漕ぎ着けようと
します。その内容は「(1)日本の南部仏印から撤退
する代わりにアメリカは日本に石油を供給する、
(2)両国は蘭印における必要な物資の獲得に協力す
る」との暫定協定案でした。

この「乙案」には、杉山参謀総長らが猛反発します
が、武藤は「乙案を拒否すれば、外相辞職、政変と
なる」として受け入れ説得をします。これに対して、
対米戦をすでに決意していた田中は「絶対に許しが
たい」として、その怒りの矛先が武藤に向けました。

新たな「帝国国策遂行要領」(甲案、乙案含む)は、
(70話(*)で紹介しました)11月5日の御前
会議で決定されます。陸海軍の「対米英蘭作戦計画」
はすでに10月下旬に決定されており、11月5日、
山本五十六連合艦隊司令官に「大海令」が、6日、
寺内寿一陸軍南方軍総司令官に「大陸令」が発令さ
れ、日米開戦に向けた準備に着手したのです。

(*)http://munakatahistory.okigunnji.com/category1/entry295.html


(以下次号)


※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T




(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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