配信日時 2020/02/19 09:00

【自衛隊警務官(10)】陸軍憲兵から自衛隊警務官に(10)―軍紀について― 荒木肇

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こんにちは。エンリケです。

冒頭文を拝読し、
現在発売中の
「中央公論」https://amzn.to/31jKcxe に掲載
されている先生の小論。

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇

「中央公論」2020年3月号
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が呼び起されました。

一読をおススメします。

ちなみに私は、先生の論だけ切り取って、
簡易製本し保存しています。

さてきょうの内容も非常に興味深く面白いです。

「軍紀」という、軍隊の核心・柱について正鵠を射
たきちんとした解説を見るのは初めてのような気が
します。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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自衛隊警務官(10)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(10)

軍紀について

荒木 肇

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□ご挨拶

 またまたマスコミだなぁと思わされたのが、今回
の横浜港に碇泊したクルーズ船についてです。自衛
官は派遣されています。医官が5名というだけとし
か受け止められない報道ぶりですが、実際はもっと
多くの隊員が出動中です。岸壁の映像には陸自のア
ンビュランス(救急車)が映っていました。

 陸自の衛生科隊員を中心に200人あまりが行動
中です。予備自衛官への招集も始まりそうです。ど
ういう意図からか、政治家や論者の中から「病院船」
構想が出てきました。何を思いつきでもの言うか、
また自衛隊に丸投げかと私は思います。

 あくまでも私個人の考えですが、軍隊がもつべき
衛生機関は、野戦包帯所、野戦病院、兵站病院と根
拠地の拠点病院です。病院船とは十分な医療設備が
ない陸上や海上の戦地にやむを得ず派遣する船にな
ります。わが国のように、国内戦や国土に近いとこ
ろに展開するはずの自衛隊に保有させるのは経費的
にも難しいと思うのです。さっさと患者を拠点医療
機関に運べばいい。その手段を充実させる方がはる
かに合理的です。

 ただでさえ、定員不足に悩む海上自衛隊から、医
官、看護官、薬剤官、検査技師資格をもつ人、それ
に運航要員、保守要員・・・その大変な数を引き抜
こうとするのでしょうか。このような現実を無視し
た意見が出て、それを防衛大臣が海幕に諮問しなけ
ればならない。

これが前から私がいう「軍事や軍隊についての素人
の思いつき」でなくて何でしょうか。


 いや、海上自衛隊に持たせる必要はない、
他の・・・とおっしゃる方もいますが。たとえば厚
労省の所管にする。そうすると乗り組みの医師や看
護師、検査技師・・・などの医療要員をどう確保す
るのか。それほど民間では医療関係者は余っている
のか。出動していない場合、いつも洋上に浮かばせ
ておくためには運航要員が必要です。仕事がない医
療従事者にも手厚い給与はしておかねばなりません。
厚労省のどこにそれらの予算があるのでしょうか。

 このように、世間で影響力のある方々でさえ、何
かあると自衛隊といいます。防衛大臣も海上幕僚監
部に検討を指示することになりました。その調査や、
資料の作成にかかる費用も少ない防衛費から出され
るのです。こういう姿勢をみなで否定していかない
と、わが国はとんでもない事態がますます起きるで
しょう。


▼軍紀を守るとはどういうことか?

 憲兵のモットーは「監軍護法」といわれた。中で
も自らが軍紀を守り、軍人に軍紀を守らせることに
精力を注いだ。

 軍紀とは何か? 「軍紀は軍隊の命脈(めいみゃ
く)なり」(作戦要務令)といわれた。命脈とは何
かといえば、「いのち・生命・生命のつながり」で
ある。つまり軍紀のない軍隊は軍隊ではなくなり、
ただの武装した人の集まりになってしまう。だから、
陸軍では「(軍紀)の弛張(しちょう・ゆるみとは
り)は、実に軍の運命を左右するものなり」とした。

 字の通り、軍隊の紀律(きりつ)とも理解できる
が、軍隊の紀律を守る行為ともいえた。以下はわた
しの好きな文言である。

「戦場到る処(ところ)境遇を異にし、且(かつ)
諸種の任務を有する全軍をして、上将帥(かみしょ
うすい)より下一兵(しもいっぺい)に至る迄、脈
絡一貫、克(よ)く一定の方針に従い、衆心(しゅ
うしん)一致の行動に就(つ)かしめ得るもの、即
ち軍紀にして・・・」

 これだけでは定義として不十分であり、また意味
もはっきりしないと感じる読者もおられるだろう。
結局は軍隊統帥のために紀律を守るということにな
る。これが陸上自衛隊の「戦闘間隊員一般の心得」
になると、その第2「常に厳正な規律を維持せよ」
というタイトルで次のように書かれるようになる。

「隊員は部隊の一員として常に厳正な規律を維持し、
進んで命令や定められた事項を遵守しなければなら
ない。これによってはじめて全部隊が所望の目的の
ため統一ある行動をとることができ、困難な任務を
遂行することができる」

 ここでいう厳正な規律、これこそが軍紀である。

 この軍紀の維持、軍紀心の涵養こそ、昔の軍隊教
育の原点であった。憲兵はそれらの手本となる、そ
ういった存在としても期待された。

▼軍紀維持への協力

 軍紀を確立し、維持する当面の責任者は部隊長や
機関の長になる。師団長は師団の全将校下士官兵卒
の軍紀心の維持、涵養に責任をもった。軍の機関、
官衙の長も当然、それらの所属員のそれに責任をも
つことは同様である。

 その責任者の力だけでは、なかなか及ばないとこ
ろがあった。外部から軍隊内への働きかけによる事
件である。反軍紀的事象の把握は憲兵が行なった。
陸軍の歴史はおよそ70年余りだが、軍への反対運
動や組織への攻撃などは頻繁に行なわれていた。明
治10年代には、外部の人間が兵卒をそそのかして
脱走させたり、下士や将校に取り入り軍需物資の持
ち出しをさせたりする犯罪がよくあった。明治20
年代には、反戦活動である。日露戦争を乗り切って
からは社会主義者による宣伝や、訓練・教育への妨
害も多く行なわれた。

 前から語ってきたことだが、建軍からの混乱は大
きかった。上級将校たちは藩閥意識で衝突が多く、
政治への関与、自分たちが国家の軍隊の一員である
という自覚も薄かった。士族出身の将校、下士官の
横暴、それに対する平民出身の兵卒の反抗も起こっ
た。

 明治10年代(1877年~)は自由民権運動の
時代だった。士族による武装蜂起は、薩摩の西郷隆
盛の挙兵による西南戦争で終りを告げた。しかし、
憲法を創れ、国会を開けという声が大きく世間に広
がっていった時代だった。

▼軍人は武士である

 1878(明治11)年10月には山縣陸軍卿は
陸軍軍人に対して「軍人訓誡(くんかい)」を発し
た。軍人の精神として、忠実・勇敢・服従を挙げた。
天皇を尊崇すること、軍階級秩序の尊重、文官及び
一般人に対する礼儀、武器濫用(らんよう)と政治
容喙(ようかい)の禁止、命令への絶対服従(ただ
し、事後に意見を語ることは許された)、告訴に対
しての手続き尊重を勧めた。


 その中には興味深い文言がある。「武士は三民の
上に位し、忠勇を宗(むね)とし、君上(くんじょ
う、天皇のこと)に奉仕し、名誉廉恥(れんち)を
主とする事たりしは・・・今の軍人たる者、たとえ
世襲ならずと雖(いえど)も武士たるに相違なし・・・」

 つまり、天皇の軍隊の構成員は、みな武士である。
徴兵によって入隊した平民であっても、その身は昔
の武士であるといった教えだった。ついせんだって
まで農工商人だった者でも、幕府時代には陪臣(ば
いしん)といわれた藩士たちも、国家の軍人になっ
たら天皇直参の武士なのだという言葉は心地よく響
いたことだろう。

▼豊橋駅襲撃事件

 1889(明治22)年といえば、陸軍が鎮台か
ら師団に改編され、大陸での戦闘を準備し始めた頃
である。2月24日のことだった。東海道線豊橋駅
長の官舎が歩兵の一団に襲われた。兵隊は第3師団
(司令部・名古屋)歩兵第18聯隊第3大隊第12
中隊の所属だった。

 駅長官舎の内部をさんざん荒らした末、兵士たち
は次に駅に乱入した。事務室、乗客待合所、建築事
務所、器械小屋などの窓ガラスや障子、時計、椅子、
テーブルなどを破壊する。帳簿や印章、掲示物や額
などにいたるまで損壊、破棄し、電信室では通信機
械を壊した。おかげで鉄道電信が8時間にもわたっ
て不通になった。

 その原因や事実の経過は松下博士の『陸海軍騒動
史』に詳しい。元はといえば、駅構内に汽車見物の
ために無断で立ち入った兵卒2名を駅員たちが捕ま
えたことによる。そのとき、駅長以下が、「今は剣
を帯びて軍人面をしているが、勝手に立ち入るなと
いう注意書きも読めない。元は土百姓(どびゃくし
ょう)だからだ」と侮辱したことに兵卒は腹を立て
たのだ。こうした言葉は、当時の鉄道官幹部は士族
が多かったからだろう。おそらく駅長以下は士族だ
ったに違いない。

 その日は大人しく引き下がったが、兵営でこのこ
とが話題になったのだろう。憲兵によって逮捕され
た駅を荒らしまわり、助役に重傷を負わせた上等兵
以下16名は軍法会議にかけられ刑の言い渡しを受
けた。普通刑法では電信機破毀罪、殴打創傷罪、器
物毀棄罪、建造物破壊罪、同附属物破壊罪であり、
陸軍刑法では兵士暴行罪が適用されて起訴された。
上等兵4人はいずれも1年の重禁錮、1等卒12名
はそれぞれ6カ月の重禁錮に処せられた。

 このときの捜査にあたり、起訴の手続きをとった
のは、師団法官部の理事(陸軍文官・尉官相当官)
と録事(同前・下士相当官)である。軍法会議の判
士長は歩兵少佐、判士は歩兵大尉、同中尉、同少尉
と砲兵少尉の4名だった。

 このように民間人に暴行したような事件は憲兵と
法官があつかい、容疑者の軍人は軍法会議にかけら
れた。軍人は「特殊な境涯」にあるとされ、民間人
と比べれば多くの権利の制限があった。

 次回は戦時の憲兵について調べてみよう。

 

(以下次号)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書
房)がある。
 
 
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