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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は69回目です。
20世紀の戦争は
「石油」が元となっていることを
あらためて感じさせられます。
陸海の協力が早くから実現していれば
南進策に踊らされることもなかったのでは?
と思うと何とも残念ですね。
「タンク」の由来も知ることができましたw
ではきょうの記事、
さっそくどうぞ
エンリケ
追伸
新年度の配信は1/16からスタートです。
ご意見・ご感想はコチラから
↓
https://okigunnji.com/url/7/
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(69)
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
宗像久男(元陸将)
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□はじめに(令和元年を終えるにあたって)
今回が本年最後の配信となります。1年を改めて
振り返ってみますと、最大の出来事は、何と言いま
しても元号が「平成」から「令和」に変わったこと
だったと思います。
私事ですが、私の父は、「明治」があと3か月で終
わろうとする明治45年4月生まれで、幸運にも
「大正」「昭和」「平成」時代を苦労しながら生き
延び、平成14年に92歳で亡くなりました。徴兵
年齢を超えていたので徴兵の経験はなかったのです
が、3人の弟たちは皆、徴兵され、戦死者もおりま
す。また、食糧事情や未発達な医療体制のせいか、
生まれたばかりの長男を亡くしています(戸籍上は
私の兄にあたります)。
父の世代と比べると、「昭和」「平成」「令和」と
大過なく生き延びた私たちの世代は、時に自然災害
には遭遇しても、今のところ“戦争や疫病などで大
量に命を奪われる心配がなく、何と幸せなことか”
としみじみ思ってしまいます。創設から70年あま
り過ぎた自衛隊も、殉職者はおりますが、戦死者は
1人もいないのです。
私事を続けますと、これも巡りあわせなのでしょう
か、「令和」元年の今年6月に待望の初孫が誕生し
ました。子や孫たちの世代は、将来、いくつの元号
を経験し、そして大過ない人生を送ることができる
のだろうかと、心はつい未来に向かいます。
そのような先日、皇位継承の最大の宮中祭祀、天皇
の一世一代の「大嘗祭(だいじょうさい)」が古式
ゆかしく執り行なわれた「大嘗宮(だいじょうきゅ
う)」を見学してきました。18日間の一般公開の
間に、延べ約78万2千人が訪れたようです。
この「大嘗宮」造営をめぐっては色々とご意見があ
りました。恐れ多くも私見を申し述べれば、私は、
歴史や伝統の継承はまず“形が大事である”と考え
ます。目に見えないものはなかなか伝わらないから
です。
宮内庁の資料によれば、「大嘗宮」は、天皇陛下が
ご即位後、初めて新穀を皇祖・天神地祇(てんじん
ちぎ)に供えられ、自らもお召し上がりになり、国
家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝さ
れ、ご祈念になる「大嘗祭」の中心的な儀式「大嘗
宮の儀」のために造営されたものとなっています。
実際に見学しますと、そのような様々なご意見に配
慮してか、少なくとも外見は思った以上に質素な木
造建築物という印象を持ちました。しかし、質素な
中にも、諸所に「大嘗宮」建築の目的を十二分に理
解した現代の棟梁達のプライドや想いや意気込みが
感じられ、このような“精神”もまた、伝統的な建
造技術とともに先人から受け継がれ、そして後世に
伝わっていくものと確信し、とても感動することで
した。
取り壊された後は、バイオエネルギーとして再利用
されると聞きましたが、12月の寒い日曜日、見学
に約3時間を要しましたが、この目で「大嘗宮」を
見ることができた満足感と喜びを胸に抱き、「日本
人に生まれて良かった」としみじみ想いつつ、帰り
道にささやかな祝杯を挙げさせていただきました。
見学できなかった人たちのために紹介しておきます。
▼「石油の一滴は血の一滴!」
さて、今回の話題は、日米対立の直接の原因とな
ったとも言える「石油」です。この話題を4000
字弱にまとめるのは難しいのですが、「石油」を避
けて真実の歴史を振り返ることは不可能と考えます
ので、その“さわり”だけ触れてみましょう。
戦争の世紀と言い切っていい20世紀には、様々
な近代兵器が発達し、大量殺戮が可能になりました。
その陰には、石油をはじめとする化石エネルギーの
存在があり、言葉を換えれば、“近代の戦争は石油
なくしては成り立ち得ない”ものでした。
その石油の“戦略的重要性”を知らせてくれたの
は、第1次世界大戦が始まって間もない頃でした。
そのきっかけは、パリ陥落直前、フランス軍の反攻
のため、パリ中のタクシー運転手による兵員の前線
輸送作戦にありました。仏陸軍のガリエニ将軍のこ
の機転が功を奏し、仏陸軍は、圧倒的に有利と考え
られたドイツ軍勢を押し返すことができたのです。
やがて、イギリスで開発された戦車が鉄条網や敵の
機関銃で膠着状態に陥った西部戦線に導入され、連
合国に勝利をもたらす契機となります。戦車の実態
を悟られないよう、開発中の戦車を“水を輸送する
ための車両”と偽装して「タンク」と呼んだことか
ら、今でも戦車の英語表記は「タンク」となってい
るのです。
イギリス陸軍が無視した戦車(装軌式装甲車)のア
イデアを拾い上げ、開発を開始させたのは、当時、
海軍大臣のチャーチルだったという有名なエピソー
ドも残っています。
当時の戦車は燃費が悪く、1リットルあたり数百メ
ートルしか走行できなかったようで、フランスのク
レマンソー大統領は、すでに世界一の産油国であっ
たアメリカに「石油の一滴は我が兵士の血の一滴に
値する」と記した電報を送り、石油の支援を求めた
のでした。
また、兵器として戦車の他に航空機や潜水艦も開
発されました。海の戦いについては、大戦中本格的
な海戦は「ユトランド沖海戦」一度だけでしたが、
燃料を石油に変更したイギリス艦隊がドイツ艦隊に
勝利して、北海の制海権を確保するとともに、ドイ
ツ艦隊を本国母港に封じ込めました。
まさに第1次世界大戦は、“石油が戦争の真の担い
手”となり、これ以降、各国は石油の“戦略的重要
性”を強く認識し、石油利権をめぐって激しい攻防
を繰り返すことになります。
▼我が国の石油事情
「石油の一滴は血の一滴!」、この同じ言葉を我が
国も大東亜戦争遂行の標語として使いますが、これ
は後の話です。少し時代をさかのぼり、我が国の石
油事情を振り返ってみましょう。
戦前の我が国は、国家としての燃料政策がほとん
どなかったなかで、海軍だけは、建軍以来一貫して
燃料問題に取り組んでいました。燃料がなければ船
を動かすことができないからです。海軍は、日露戦
争前の1900(明治33)年から艦船燃料を石炭
から石油に変更する研究を開始し、さまざまな実験
を行なっていました。
そして、1906(明治39)年には重油タンク
(6千トン)を横須賀に建設、翌07年には、炭油
混焼方式の大型軍艦「生駒」建造に着手しました。
しかし、産油国でない我が国の石油確保は困難を
極めます。特に「八八艦隊」は、建造費が当時の国
家予算の約3分の1、維持費が国家予算の約半分を
必要とする大計画でしたので、国会の議論は、国家
としての燃料油の問題を巻き込むことになります。
昭和8年、ようやく陸軍も海軍に同調しはじめ、国
家の政策として、石油の民間備蓄義務、石油業の振
興、石油資源の確保、代用燃料工業の振興などの政
策が「石油国策実施要綱」としてまとめられます。
1938(昭和13)年頃には、“水からガソリン
ができる”という詐欺師が起こした「水ガソリン事
件」も発生しています。海軍高官には「水には石油
に必要なCはないが、酸素Oがある。Oの横をちょ
っと切ればCになる」との奇妙な説明を信じた人も
いたようで、三日三晩の公開実験の結果、詐欺は暴
露します。まさに“ワラならぬ、水にもすがる思い”
だったのでしょう。「海軍が化学教育を軽視したこ
とが原因」と「日本海軍燃料史」には記されていま
す。
▼満州に石油はあったか?
いつもながらの「歴史にif」ですが、「もし満州
国が建国された時代に、満州に油田が発見されてい
たら、その後の我が国の歴史は大きく変わった」と
だれもが考えるのではないでしょうか。
しかし、この仮説はあながち非現実的なものではあ
りませんでした。現在の中国の原油産出量は、世界
第7位(2018年)にランクされ、そのほとんど
が旧満州国及び北支(現在は、華北と呼称)に所在
する大油田から産出されているからです。
中国は、戦後の1955(昭和30)年頃から、ソ
連の技術協力を得て旧満州国中央部の大規模な石油
の探鉱を開始し、1959年にはハルピン北部の
「大慶油田」を発見します。その後、奉天北部の
「遼河油田」(中国3大油田の1つ)などを次々に
発見します。
フルシチョフ時代になると政治路線の対立が起こり、
ソ連の技術者が総引き揚げしますが、「改革開放」
時代以降、中国はアメリカや日本からも先進技術を
導入して、華北の「勝利油田」「大港油田」などの
増産に成功します。
満州国建国からわずかに30年あまり後のできごと
でした。なぜその時代に、満州や北支で石油は発見
されなかったのでしょうか。
当時から満州国内で現地調査が行なわれ、「満蒙で
も石油が見つかる可能性はある」と調査団は報告し
ています。試掘も行なわれましたが、当初は、石炭
鉱山調査用のボーリングを実施したとか、(今でも
油田はない)ジャライノール(ノモンハン北部)地
域で探鉱作業をしたが発見できなかったなどの記録
が残っています。
さらに、我が国の他の地域ではすでに米国の最新鋭
の掘削機が導入していましたが、満州国の石油探鉱
は日本の国家機密であったことから、最高水準の技
術を保有する米国の探鉱請負者を投入することを避
けていたとの記録もあります。
その背景に、陸軍は、石油に関してはもっぱら海軍
にゆだねた形となり、“動き出すのが遅かった”こ
とがあります。陸軍は、満州事変、盧溝橋事件、ノ
モンハン事件と続いて起こった大陸での戦闘で、よ
うやく戦車隊や工兵、車両を擁する機械化戦力が必
要であると痛感し、ガソリン、軽油、航空機燃料の
必要性を認識したのでした。そのため、海軍のよう
に、地質調査や探鉱作業の専門家がいなかったこと
が致命的でした。
昭和11年頃の満州国は、「産業生産5か年計画」
により約52億円の投資計画によって、銑鉄生産目
標年112万トン、石炭年1000万トンが掲げら
れていました。これに満州油田によって石油が産出
されれば、一大コンビナートが出現し、「日本が石
油を求めて南方に進攻する必要性はなかった」と戦
後、旧満州地域の石油事情に詳しい関係者が「おし
いことをした」と悔しがっているのです。
今にして思えば、“喉から手が出る”ほど石油が欲
しかった海軍がなぜ満州の石油探鉱に協力を申し出
なかったのか不思議ですが、その形跡はありません。
根底に、陸軍と海軍の対立など様々な要因があった
ものと考えるしかないのですが、チャーチルの進言
を採用した英国陸軍と海軍の関係を羨ましく感じる
瞬間です。
その後、我が国は、目指すべき方向として、石炭を
液化する「人造石油」の生産に傾いていき、北海道
に工場施設などを建設しますが、実際には資材不足
などで稼働率も低迷し、期待した生産量の3%ほど
に留まったようです。
ちなみに、陸上自衛隊の北海道滝川駐屯地の本部隊
舎は、当時の人造石油会社の本社建屋をそのまま使
用していますし、留萌駐屯地にも研究所や工場の建
築物が残されています。いずれも当時の法律に基づ
き補助金がつぎ込まれたためか、自衛隊が作る安普
請の建築物に比して立派で頑丈な建物です。
このような現状から、伝統的にソ連を仮想敵国とし
た「北進論」の陸軍内部も次第に「南進論」に傾い
て行きます。そして、近衛首相が唱えた「東亜新秩
序」に従って、「アジアの盟主日本が、同じアジア
の同胞を植民地の苦役から解放し、その石油資源を
日本の安定した供給源とするのは極めて道理にかな
っている」と「これこそが日本の進むべき道」だと
して、松岡洋右外相の「大東亜共栄圏」構想に結実
していくのです。
他方、我が国のこの国策は、米国と真っ向から対立
することになります。当時、石油自給率8%の我が
国は、石油の80%を米国から輸入していましたが、
米国の「石油禁輸」によって、我が国は世界で最初
の“石油危機”に直面します。
その結果、前述の「石油の一滴は血の一滴!」の
標語になるのですが、当時、米国は世界最大の石油
生産国・輸出国であり、原油生産量は我が国の74
0倍もあったのです。今回のテーマは、「戦争は
『石油』で始まり、『石油』で決まる。」です。振
り返れば、我が国は、ものすごい国と戦争したので
した。
日米戦争開始までは、内外情勢ともに様々な紆余曲
折があります。その細部は、次回(1月16日配信
予定)以降振り返ってみましょう。
皆さま、良いお年をお迎えください。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
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【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。
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心から感謝しています。ありがとうございました。
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発行:
おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)
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