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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は68回目です。
今日のテーマについて宗像さんは、
<「ノモンハン事件」は事件のみを切り取って
“戦史”として学びます。しかも冷戦最中の私たち
の時代は、“負け戦”として学んだことを記憶して
います。
よって、欧州と東アジア事情の関連、なかでもスタ
ーリンやヒトラーの思惑、陸軍中央と関東軍の確執
(その原因)やゾルゲらの活動などの背景、それに
「ノモンハン事件」の成果により終戦時まで満州が
平穏だった史実などには思いが至りません。>
と書かれています。
まさに
<日本史と世界史に“横串”を入れる>
視座が欠けているのです。
今回驚いたのは、
ふつうは地図と照らし合わせながら見る戦史。
それが、文を読むだけで
頭の中に絵図が浮かんで、
スッキリ把握できたことです。
こんな経験これまでありません。
長い間にわたって本件に関する問題意識を持ちつづけ、
大変な思索を積み重ねてこられた宗像さんの営為の賜
物でしょう。
通勤の車内や移動中などの時間に、
折に触れて読み返していただきたい内容です、
ではきょうの記事、
さっそくどうぞ
エンリケ
ご意見・ご感想はコチラから
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(68)
「ノモンハン事件」勃発と停戦
宗像久男(元陸将)
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▼高まる“反英排英”感情
今回は、前回に続き、「ノモンハン事件」を取り上
げましょう。政府内で、三国同盟を議論していた頃、
日本人を激怒させる面倒な事件が発生ます。
国際都市天津市内のイギリス租界の劇場において、
日本側に立つ華北政権の中国人が反日テロ団によっ
て暗殺されるという殺人事件が発生したのです。
それまでの天津イギリス租界は反日テロ団の根拠に
なっているとして日本人居留民の憤激の対象になっ
ていました。イギリスは、租界の特権を利用して抗
日分子の潜入を黙って見過ごすばかりか、テロ団は
租界の銀行から資金を得て抗日策動を容易にしてい
たのです。
本事件の後、イギリスが犯人の引き渡しと裁判にか
けることを厳しく拒んだことから、殺人事件そのも
のよりも、居留民のみならず日本人をひとしく憤慨
させ、日英関係をさらに悪化させます。歴史の歯車
とはそうしたものなのでしょうが、それが日増しに
“反英俳英”に拡大し、その反動として“三国同盟”
推進の動きが活発になるのです。
ちょうどその頃、欧州では、ヒトラーとスターリン
の2人の独裁者が思い切って接近し、併せて、ヒト
ラーはソ連と日本、スターリンは英仏とドイツと
“二重取引”を始めます。しかし、欧州列国の微妙
な“かけひき”から我が国は完全に蚊帳の外におか
れます。
このような経緯を経て、「ノモンハン事件」の最初
の小競り合いが始まる少し前、1939(昭和14)
年5月7日、陸軍中央の全将校の激励を受けて、板
垣陸軍大臣は“最後の頑張り”と五相会議に臨みま
す。
板垣陸相は「当面の重要課題は支那事変の解決であ
り、それを邪魔しているのはソ連とイギリスである。
ドイツと協定を結ぶことによってヨーロッパにおい
て両国を牽制する。そこにこの条約の意味がある」
と決意を述べます。
またしても議論が繰り返されたあと、石渡蔵相が
「経済問題にかぎり英米を刺激することはもっとも
避けなくてはならないと思う」と発言し、続いて米
内海相が「アメリカはドイツを極度に憎悪している。
ドイツと接近するとアメリカの対日悪化は深まる。
我が国の貿易の70%は英米との貿易である。欧州
の戦争に日本が参戦すると、日米間の貿易がなくな
ることを覚悟しなければならい」とが発言し、外相
も賛同して板垣の“中央突破”は失敗します。
それでも諦めない陸軍中央は、参謀総長の上奏権を
使って天皇に直訴しようと上奏文の案を起案します。
しかしその日早朝、「防共協定強化には明確に反対」
との天皇のご意思が侍従武官を通じて伝わります。
それでも閑院宮参謀総長は天皇に会いますが、「参
戦に絶対不同意」と「拒否」されてしまいます。万
事休すでした。
▼「ノモンハン事件」発生
その4日後の5月11日、満州と外蒙古の国境付近
で敵味方が銃火をかわす大事件が発生します。その
経過を簡単に振り返ってみましょう。
ノモンハンは、満州西北部ハイラルの南方約200
キロの草原にある小さな集落です。地図をみますと、
ノモンハンの北側は西の方に満州国が張り出し、南
側は東の方に外蒙古が張り出しているのがわかりま
す。
満州国は、独立以来、ノモンハン西側を流れるハル
ハ河を国境と設定していましたが、外蒙古側は、ハ
ルハ河東方約20キロを国境線としていました。当
時の地図でも、ノモンハンが満州国側に表記されて
いるものと外蒙古側に表記されているものと2種類
ありますが、まさに国境をめぐる“係争の地”だっ
たことがひと目でわかります。
外蒙古側には蒙古軍のみならず、2度にわたる5か
年計画によって充実の極みにあったソ連軍戦力も配
置されていました。満州国側は、国境警備の満州国
軍の他に、関東軍の第23師団(師団長小笠原中将)
がハイラルに駐屯していました。
第23師団は、昭和13年に内地で編成されたばか
りで、3個連隊単位で装備も劣悪、歩兵も不足して
いたといわれます。このような師団がなぜソ満国境
の“係争の地”に配置されたかは謎ですが、「支那
事変」の真っただ中にあって精強な師団を中国大陸
に投入したことと、陸軍首脳部がこれほど大規模な
事件がこの地域で発生することを予測していなかっ
た結果であると考えます。
さて「ノモンハン事件」です。通常、事件は第1次
と第2次に分けられますが、第1次ノモンハン事件
は、5月11日、外蒙兵約70名がハルハ河を渡河
し、満州国軍監視哨を攻撃する所から始まります。
満州国軍の7時間にわたる反撃の結果、一旦はハル
ハ河西岸に後退しますが、翌12日、約60名の兵
士が再び渡河越境し、13日には所在の満州軍と再
び戦闘状態に入ります。
第23師団は東支隊を編成し現地に急派します。支
隊が到着し攻撃前進すると外蒙兵はハルハ河西側に
後退しましたので、支隊はハイラルに帰還します。
ところが、17日、またしても外蒙兵が渡河越境す
るとともに、後方に兵力が集結していること、タム
スク(ノモンハン南西部)に空軍が展開しているこ
とも判明します。
そこで、師団長は、侵入した敵を急襲襲撃すること
を決し、28日、3方から攻撃を加えますが、ハル
ハ河西岸からの砲火によって前進を阻止された上、
逆に外蒙兵の逆襲を受け、1個連隊が玉砕する結果
に陥ります。ソ連が長射程の砲兵を展開しているハ
ルハ川西側の高地がこの地域の制高地帯となってお
り、再三日本軍を苦しめることになります。
関東軍は、「徹底的に反撃して日本の決意を示す必
要がある」との結論に達して、第23師団全力、第
7師団の一部、第1戦車団隷下の安岡支隊(戦車2
個連隊、歩兵1個大隊など)、第2飛行集団をもっ
て反撃の準備を整えます。
こうして、第2次ノモンハン事件前半の戦いが起こ
ります。まず6月22日、来襲ソ連機延べ150機
を迎撃しますが、ソ連は機数を増やし、新鋭機を繰
り出してきます。関東軍はついにソ連機の根拠地の
タムスクを攻撃することに決します。6月27日、
関東軍は130余機をもってタムスク空襲を決行し
ます。この結果、地上部隊の集中も順調に進みまし
た。
しかし、タムスク攻撃は、不拡大を方針とする陸軍
中央部の許可を得なかったため、じ後、陸軍中央部
と関東軍の間に感情的な対立が生じることになりま
す。
第23師団は、7月1日未明、ハルハ河を渡河し、
西側のソ連陣内に突入します。ここでソ連軍戦車の
大群と遭遇して100両余りは撃破しますが、3日
午後には戦況不利と判断し、ハルハ河東側に転進し、
東側の要地を占領します。
安岡支隊もホルステン河(ハルハ河南側の支流)北
側のソ連陣地を攻撃しますが、移動障害物が進路を
塞ぎ、砲火や戦車火力によって多大な損害を出し、
主陣地前まで後退のやむなきに至りました。第23
師団も攻撃を再考しますが、ソ連軍戦車とハルハ河
西側からの砲火により攻撃失敗、戦線は膠着します。
関東軍は戦線を整理し、越冬を準備するとともに、
ノモンハン地域の指揮を統一するために第6軍司令
部を編成します。
このような矢先の8月、第2次ノモンハン事件後半
の戦いが始まります。ソ連はジューコフ将軍の指揮
の下、日本軍の4~5倍の戦力を投入して全線で攻
撃を開始し、関東軍は大打撃を受けます。
この結果、関東軍は第6軍に第2・第4の2個師団、
全満の火砲を配属し、断固反撃に転ずべき新たな作
戦を準備しますが、陸軍中央部は不拡大を方針とし
て関東軍の攻勢作戦を中止させる一方で、対ソ戦備
弱化を防止するために、中国戦場から2個師団の転
用を計画します。
▼停戦協定と事件総括
他方、ソ連側も停戦を望んでいることが判明し、9
月8日から交渉開始、9月16日にはモスクワで停
戦協定が締結されます。なお、この間、8月23日
には「独ソ不可侵条約」が締結され、9月1日、ド
イツはポーランド侵攻を開始します。この結果、第
66話で紹介しましたように、平沼内閣は、三国同
盟交渉の打ち切りを決定し、「欧州情勢は複雑怪奇」
との名言を残して総辞職してしまいます。
ソ連のこれらの行動はけっして偶然ではありません。
「ノモンハン事件」の最中から、スターリンはゾル
ゲに“日本が本気でソ連攻撃を計画しているかどう
か”を探らせ、“そうさせないような”スパイ活動
を指示しています。のちに逮捕されるゾルゲは、
「それこそが私が日本に派遣された目的にすべてだ
ったといって間違いない」と証言しています。
やがて、「南進論」につながるゾルゲらの活動によ
って、ソ連は“東アジアの後顧の憂い”なく欧州正
面に戦力を集中できたのでした。そして、事前に取
り決めたドイツとの分割ラインで出会い、ポーラン
ドを分割したのです。この間、英仏は手をこまねい
ているだけでした。
振り返りますと、軍事的に、ドイツという主敵があ
るソ連が日本相手に断固として対応するわけがない
との読み違いや、外交的にも、当時、独ソが「不可
侵条約」締結に向けて接近していることを十分感知
していないという失敗がありました。
日本軍は、その後、国境の不明確な地域から部隊を
後退させ、また「侵入してきたソ連軍に対する攻撃
は関東軍司令官の命によるものとする」ことを定め
ました。この結果、こののち、ソ満国境は大東亜戦
争末期まで比較的平穏に過ぎます。
その時点においては、関東軍部隊は極東ソ連軍に敗
北したと認識していましたが、改めて対ソ戦備の充
実とドイツによるソ連牽制の強化が喫緊の課題とし
て浮上します。
のちの真珠湾攻撃に至る日米の駆け引きも同じです
が、“二重取引”のような欧米諸国のしたたかさに
思慮が至らないまま、アジア・太平洋の狭い視野で
しか考察しない我が国に比し、世界的な視野で開戦
から停戦まで考えていた欧米列国の差異がこの時点
でも明確になっていたのでした。
他方、矢面に立った軍人らにのみその責任を押し付
けることも間違いであると考えます。一徹な“島国
根性”のように、他の要因には目をつぶり、今なお
軍人らの責任を追及することのみに専念する歴史研
究家もいますが、この歴史から学ぶことは他にたく
さんあると思うのです。
それらは、本メルマガの最後にまとめたいと思いま
すが、自衛隊の幹部教育においても、「ノモンハン
事件」は事件のみを切り取って“戦史”として学び
ます。しかも冷戦最中の私たちの時代は、“負け戦”
として学んだことを記憶しています。
よって、欧州と東アジア事情の関連、なかでもスタ
ーリンやヒトラーの思惑、陸軍中央と関東軍の確執
(その原因)やゾルゲらの活動などの背景、それに
「ノモンハン事件」の成果により終戦時まで満州が
平穏だった史実などには思いが至りません。これで
は戦後の軍事専門家への教育としては不十分と考え
つつ、一部の紹介にとどまりましたが、事件の背景
などに触れてみました。
いよいよ本メルマガのクライマックスともいうべき
日米戦争を振り返ろうと思いますが、その前に我が
国の当時の「石油事情」について触れてみようと思
います。その後、正月休暇をいただき、この間に日
米戦争に絡む“諸説”を整理しようと思います。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
宗像さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
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【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。
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おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)
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