配信日時 2019/12/18 09:00

【自衛隊警務官(2)】 陸軍憲兵から自衛隊警務官に(2)― 勅令憲兵と軍令憲兵 ― 荒木肇



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こんにちは。エンリケです。

荒木先生の記事を読むと、視野が一つ一つ
開く気がするのはなぜでしょうか?

一見すると、
「他では得られない知識」
「他で目にしない視座」
と思ってしまいがちですが、

実はそうではないと私は感じています。

きょうの記事も、
目を拓かれるところ非常に多いです。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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自衛隊警務官(2)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(2)

勅令憲兵と軍令憲兵


荒木 肇

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□ご挨拶

 令和元年もいよいよ半月あまりになりました。わ
たしも気ぜわしさが先立ち、いろいろと落ち着いて
考えることが少なくなっています。そうした中で、
「卒業生への言葉」というタイトルで短文などを依
頼されることが増えています。

 もちろん、お祝いという気持ちも伝えたいし、将
来への夢をもてとも言いたいのですが、少しひねく
れた私は次のようなことを書いてしまいます。
「あれもこれもと欲張らず、これだけは他人に譲れ
ないという一つのもの、ことをつくりなさい」
 
 夢や希望の大切さを語り、諦めるなという励まし
をしたくないわけではありません。ただ、多くの若
者の不幸は、多くの人と語り合わないという実態か
らきているのではないかと思っているのです。教育
の目的は、技能や知識を与えることもありますが、
いわゆる「教養」を身につけることもあると考えて
います。

 じゃあ、教養とは何か。その問いに対して、わた
しは「自分を見つめること」もそれへの答えの一つ
だと考えています。自分を見ること、見つめること、
自分の実態を見極めること、たいへん辛い、苦しい
作業です。しかし、それをやらずに、思いこみで自
分の実態を見るととんでもない過ちをおかすことが
あります。

 公平に自分を見つめるには、自分と異なる立場、
価値観をもつ他人との対話をすることが大切です。
自分と似ている、あるいは同じような考えやものの
見方をする人だけと語り合うのは、あまり役に立ち
ません。むしろ、自分を否定する、自分にとって都
合が悪い、そうした考え方の持ち主と進んで対話す
ることが必要なのです。

 世の中は多様です。さまざまな価値観の人が暮ら
しています。学校を出て、世間に出てゆくというの
は、そうした自分にとって無茶苦茶なところへ身を
移すということです。まず、身近な人の話から真剣
に学ぶというところから始めてもらいたいと願って
います。

▼憲兵への誤解

 混同されがちだが、内地には勅令によって存在し
た「勅令憲兵(明治31年勅令第377号、憲兵条
例)」と、外地には軍の戦闘序列に入った戦闘部隊
としての「軍令憲兵」がいた。前者の任務仕事は前
回に書いた通り、軍事警察と行政警察を担当した。
戦前社会の人々が見た普通の憲兵のことだ。ときに
は生真面目な憲兵が任務に忠実に、あるいは多少の
逸脱があり、一般人も取り締まりを受けたから悪印
象も与えたことがあったことだろう。

 戦後、半世紀以上も経ったのに、まだアメリカは
こうした描き方をするかと驚かされたのは、名作
『硫黄島からの手紙』(2006年)である。そう
して国内でも、鑑賞者から何の疑問も出されないこ
とにも驚いた。

 それは硫黄島に転属をさせられた元憲兵上等兵の
話だった。彼は上官と内地の民家の中を巡回する話
である。あろうことか、彼は官品の拳銃で、上官の
命令で民家の犬を撃つことになっている。実際は空
に向けて撃ったということになっていたが、拳銃も
実包も「陛下からの預かりもの」である。「監軍護
法」を標榜する憲兵が、そんな無法をしたものだろ
うか。

 ああ、人間らしい心を失わなかった人だったのだ
な、それで戦地の硫黄島に転属させられたのか・・・
というストーリーを観る人に植え付けようとしたの
か、そう考えると暗然たる思いを抱いたのはわたし
だけではなかったと思う。

 実際の拳銃の使用規定はそんなものではなかった
し、官給品の拳銃弾(実包)の管理はひどくやかま
しいものだった。兵器・弾薬の横流しや紛失、使用
目的以外の発砲などの調査は、まさに内地の勅令憲
兵の任務である。民家の犬を殺すなどという越権行
為、官給品の実包の勝手な発射などは大変な事件に
なっただろう。上官の大尉こそ、不当な命令を下し
た罪で取り調べを受けて、軍法会議に起訴されるよ
うなものだ。

▼戦後の憲兵悪玉論

 こうした史実を無視した戦後の「憲兵悪玉観」こ
そ、占領軍(連合軍)が植え付けようとしたものだ
った。被害者は声を挙げやすい。せっかく肉親の出
征を見送りにいったのに、警戒の憲兵にじゃけんに
追い返されたなどという「血も涙もない」憲兵像が
作られていった。

しかし、警備側としては当然のことである。出征部
隊の行進に乱入しようとすれば、憲兵が制止するの
は十分に納得できるだろう。あるいは、列車の窓に
しがみついて離れなければ、定時の発車もできない。
だから引きはがすのも当たり前である。ところが、
多くの人は「そうだ、そうだ」の大合唱で「憲兵は
ひどかった」に拍手をした。それが戦後の社会の実
態の一つでもあった。

 戦後の映画や小説では、左翼思想の制作者、出演
者による悪意ある憲兵像がたくさん流布された。反
軍、反戦思想の持ち主が憲兵の弾圧にあう話である。
しかし、当時の法律では、反軍活動は当然、違法な
ものだった。反戦平和思想の活動は、多くが革命を
実現して天皇制を覆滅するといった左翼活動家によ
るものだったのである。憲兵は当然、その摘発は任
務そのものだったから、その「弾圧」は当然だった
のである。

▼軍令憲兵の任務

 野戦に出征して、外地で活動した憲兵を軍令憲兵
という。内地の憲兵(勅令憲兵)が陸軍大臣に直隷
する立場にあるのと異なって、作戦軍司令官の権限
に基づくものだった。その任務内容は「作戦要務令」
に記されていた。

軍機の保護
間諜の検索(捜索)
敵の宣伝及び謀略の警防
治安上必要な情報の収集
通信及び言論機関の検閲取締まり
敵意を有する住民の抑圧
非違及び犯則の取締まり
酒保及び用達商人等従属者の監視
旅舎、郵便局、停車場の監視

 「軍」という用語にも解説が必要だろう。師団や
旅団を統轄・指揮する司令部をもつ組織を軍とする。
平時にはこうした野戦「軍」は存在しない。昭和戦
前期において平時の軍は、関東軍、台湾軍、朝鮮軍、
支那駐屯軍(所在地から天津軍ともいった)のみで
ある。ただこの中で常設師団(師管区をもつナンバ
ーがついた師団)をもつのは、朝鮮軍だけだった。
あとは、規模からいって師団より大きかったともい
えない。この軍の長は「軍司令官」といわれ、親補
職の中将、あるいは大将だった。

 日華事変が始まり、大動員が始まると、次々と
「軍」が編成された。ほとんどの師団は軍司令官の
もとに集まった。大東亜戦争の開始(1941年1
2月)時では、22個軍、同じような規模の飛行集
団や航空兵団が4個にもなった。

 戦史を調べる方にはなじみだろうが、「方面軍」
はさらに軍や集団を複数統轄する組織である。日清・
日露戦争にもおかれず、日華事変以後につくられた。
当初、北支那方面軍だけが置かれたが、敗戦時(1
945=昭和20年)には17個もあった。

▼報復裁判の犠牲

 軍令憲兵は野戦軍の戦闘序列に入った。同時に
「野戦憲兵隊勤務令」に服した行動をとることにな
った。戦闘序列という用語も説明しておこう。

 陸軍には「編組(へんそ)」という用語があった。
作戦の必要に応じて、複数の「軍隊」を組み合わせ
るもののうち、軍令で定めるものを「編組」といっ
た。この一時的なものが「軍隊区分」だが、これに
は指揮関係はあるものの完全な隷属関係ではない。
この区別は人事権などがからみ(区処などという)、
複雑である。隷属関係があるということは、すべて
が上位機関に握られている。戦闘序列は、戦時に勅
命による作戦軍の編組をいう。隷属関係がある。し
たがって、勅令憲兵が陸軍大臣のもとにあって、政
治的公正性を強調したが、野戦憲兵たる軍令憲兵は
軍司令官に直属していた。

 任務の9項目を見直してみよう。すべて敵対勢力
によっては、都合の悪いことばかりである。作戦す
る軍隊は勝利を得ることを最終目標とする。そうで
あれば、軍機=軍事機密は当然守らなければならな
い。間諜=スパイは当然、捜索処断する。敵の宣伝
や謀略は防がねばならない。占領地の治安を守るこ
とは当然の任務である。通信や言論機関への干渉や
容喙は当然のこと。敵性住民はゲリラにもなり、そ
の活動は治安を乱す。抑圧するのは立派な任務であ
った。軍人の非違や犯則行為は占領行政の妨げにな
る。将兵による違法な徴発や、住民への暴行などは
取り締らなければ、敵勢力の宣伝材料になる。現地
に出かけてくる業者へも監視は当然だった。外地で、
一旗あげて儲けてやろうという人はいつの時代にも
いた。宿泊施設や郵便局、停車場などの人・物・金
の集まるところは当然、監視・警戒の重点になった。

 こうした憲兵隊の活動があってこその占領軍行政
だったのだが、敗戦時には多くの憲兵が連合国の
「報復裁判」によって裁かれた。しかも、戦後の
「戦前社会真っ暗観」の育成で多くの事実が闇に消
された。誰が、なんのためにそうしたかはすぐに分
かる。


(以下次号)


(あらき・はじめ)

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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書
房)がある。
 
 
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