配信日時 2019/12/09 08:00

【桜林美佐の美佐日記(55)】第1次世界大戦は「久留米の戦争」

こんにちは、エンリケです。

あなたも
「反動」
にはご注意ください。

詳細は以下でどうぞ。

エンリケ


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桜林美佐の「美佐日記」(55)

第1次世界大戦は「久留米の戦争」

桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』は今回で55回目です。

 12月最初の月曜日、いきなり無気力になってし
まい、どうしたんだ!と焦りました。とにかく、動
きたくない、眠い、何も手をつけたくない。十分に
寝たのに。

前日は久留米で講演をしたのですが、相変わらず後
悔することが多く、また数十人の方によるお褒めの
言葉よりも、たったひとりでもネガティブな反応が
あったことに落ち込む始末。

いかん!と思うのですが、色々と考えるほど自信が
なくなっていくという負のスパイラルに陥っていま
した。もしや心の病になってしまったのだろうかと。

 結論から言いますと、これは単なる「疲れ」だっ
たようです。思い返せば、何キロもとことん歩いた
り、さらに翌日は朝からランニング(これをすると
疲れが取れると自衛官に言われた)、その後に日曜
集会に参加、そして久留米のホテルに移動し約2時
間講演した後に懇親会・・・。

 講演から帰って来たくらいまでは非常に元気だっ
たので気づかなかったんですよね・・。2日後にど
っと襲って来たというわけでした。身体を動かすこ
とは心身ともに健康になるものと思っていましたが、
アドレナリンが出ている間だけなのかもしれません。
反動には要注意!と、つくづく思い知りました。

 ところで、現在の住まいからほど近い福岡県久留
米市ですが、ここはかつての軍都であり、また、第
一次世界大戦の頃ドイツ兵俘虜収容所があったこと
でも知られています。

ドイツ兵捕虜収容所と言えば、徳島県鳴門市の「板
東収容所」が有名になりましたが、約100年前、
久留米で日本初の収容所が設立され、1300人を
超える捕虜を収容していたそうです。

 久留米市のHP『ドイツさんと久留米』の連載をご
覧頂ければ詳しく掲載されていますのでご興味ある
方はぜひご覧下さい。

 日英同盟により第一次世界大戦に参戦することに
なった日本は、ドイツ軍と中国の青島で戦火を交え
ました。

主力部隊は久留米第十八師団を中心に編成された独
立第十八師団ということで、日本における第一次世
界大戦は「久留米の戦争」だったと言う方もいます。

 青島を攻略した後、投降したドイツ兵捕虜を全国
の収容所に移送するも、あまりにすぐに陥落したた
めに収容所が間に合わず、建物が完成するまでの間、
寺や元料亭なども使っていたようです。

 捕虜たちは人道的に扱われ、将校には日本政府か
ら給料も支払われていました。衣食住もあり、また、
本国からの義援金や家族からの仕送りによって安定
した暮らしをしていました。歴代所長を見るとビッ
グネームもちらほら。

 2代目所長は2.26事件でも名前が出る真崎甚
三郎(のちの陸軍大将)で、収容所での音楽活動を
許可しています。これに批判的な人に対しては「ド
イツ人にとって音楽は、日本人にとっての漬物のよ
うなものだ」と反論したのだとか。

 3代目は林銑十郎(のちの陸軍大将・総理大臣)。
林所長時代に遠足やスポーツ大会も盛んに行なわれ
るようになったといいます。

戦後、収容所が閉鎖された後、21人の捕虜が日本
に残ることを希望し、そのうち12人が久留米で働
くようになったといいます。それが「日本足袋」と
いう会社で、ドイツ人のゴム産業技術を取り入れる
ことによって「ブリジストン」になったのだそうで
す。

 また、収容所では週に一度ミサが行なわれ、司祭
を務めていた久留米のカトリック教会神父が、彼ら
にドイツハムを食べさせたいと尽力し、ハムの製造
技術も日本人が身に付けることになったようです。

 ベートーヴェンの交響曲第九番「第九」の演奏会
が初めて行なわれたのは1919年12月3日、ドイツ兵
捕虜たちが久留米高等女学校講堂(現在の福岡県立
明善高等学校)で奏でました。先日の12月3日に
は、ちょうど100年ということで、久留米で記念
コンサートが開かれていました。

 そういえば、かつてわが国のインテリたちは盛ん
にドイツ語由来の言葉を使っていたことが思い出さ
れます。

旧制高校出身の方々は「アイン、ツヴァイン、ドラ
イ!」(いち、に、さん)のかけ声で寮歌を高らか
に唱和していましたし、デカルト・カント・ショー
ペンハウヘル=「デカンショ」は言うに及ばず、女性
のことを「メッチェン」と言ったり、半ば隠語のよ
うですよね。

 陸軍士官学校では幼年学校出身者のことを「カデ」
(KD)と呼びますが、これもおそらく同じような流
れなのでしょう。荒木先生に聞いてみたいです(自
分で調べて書こうよ、と言われそうですが)。

 さて、前回の日記に対し、O様からメッセージを
頂きました。

習近平の国賓訪日に断固反対なのですが、自民党、
安倍内閣への抗議の方法はないのか?ご教示くださ
い。

ジェネリック医薬品については、このような制度は
新薬開発への意欲を著しく削ぐ、或いは新薬の値段
を著しく高価にするであろうと思い採用を見合わせ
てきましたが、今回の記事を読みもっと恐ろしいこ
とを回避出来ていたのだと気づかされました。有難
う御座いました。

まず、1)の習近平を国賓として迎える件、私も反
対です。抗議の方法が難しいところですが、来日そ
のものというより人権や宗教弾圧に対する抗議とい
う形にすることが重要ではないかと思いますがいか
がしょう。賛同者を広範に増やす試みが必要ではな
いかと。

ジェネリック医薬品については、私自身がそこまで
配慮していなかったご指摘に感謝です。そうですね、
新薬開発への意欲を削ぐことにもつながるわけです
ね。ありがとうございました!

色々な意味でも、お薬をもらう際はジェネリックで
はないほうが無難かもしれませんね。

それでは、皆さま良い一週間をお過ごし下さい!

<おしらせ 1>
YouTubeチャンネルくららで毎週土曜にアップして
いる「国防ニュース最前線」、今週は伊藤俊幸 元
海将に解説して頂きます。

http://okigunnji.com/url/42/


<おしらせ 2>
今年4月に刊行された『自衛官が語る災害派遣の記
録』に続く、第2弾『自衛官が語る海外活動の記録』
(桜林美佐監修・自衛隊家族会編)が来週発売にな
ります! 中東シーレーンの安全確保をめぐって新
たな自衛隊派遣が検討されているこの時期にタイミ
ングを合わせたような出版です。現地で自衛官たち
が何を思い、どのような苦労をして、任務をこなし
てきたか、25人の自衛官のリアルな体験記です。

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※読みます



(つづく)



(さくらばやし・みさ)



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【著者紹介】
桜林美佐(さくらばやし・みさ)
昭和45年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリ
ーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を
制作。その後、国防問題などを中心に取材・執筆。
著書に『奇跡の船「宗谷」─昭和を走り続けた海の
守り神』『海をひらく─知られざる掃海部隊』『誰
も語らなかった防衛産業[改訂版]』『武器輸出だ
けでは防衛産業は守れない』『防衛産業と自衛隊』
(いずれも並木書房)、『終わらないラブレター─
祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」』(PH
P研究所)、『日本に自衛隊がいてよかった』(産
経新聞出版)、『ありがとう、金剛丸─星になった
小さな自衛隊員』(ワニブックス)。月刊「テーミ
ス」に『自衛隊密着ルポ』を連載。


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