配信日時 2019/12/04 09:00

【陸軍小火器史(56)番外編(28)】「伝統を継承する海自と陸軍と断絶した陸自」 荒木肇

こんにちは。エンリケです。

「陸軍小火器史」の五十六回目は、
番外編の28回目です。

荒木先生の最新刊
『日本軍はこんな兵器で戦った-国産小火器の開発
と用兵思想』 http://okigunnji.com/url/62/ 
評判が非常にいいです。
あなたも、もう読まれましたよね?
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さてきょうは、

「なぜ戦後日本人の多くは
「帝国陸軍は無価値」という感情を
持つに至ったか?」

についてじつに説得力ある言葉が紹介されています。

ちなみに私は、帝国陸海軍と自衛隊は
「日本の「真・善・美」という価値を体現する究極
の組織」としてつながっていると感じています。


最後には、荒木先生から重大発表があります。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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 陸軍小火器史(56)・番外編(28)

 「伝統を継承する海自と陸軍と断絶した陸自」

 荒木 肇
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□令和元年度自衛隊音楽まつり

▼参加した軍楽隊

 11月30日と12月1日の両日、東京代々木の
国立競技場屋内体育館で「自衛隊音楽まつり」が開
催されました。例年、使われる皇居北の丸の武道館
が改修工事中のために、昨年からの周到な準備を続
け、実行にこぎつけたものです。

 内容も大きく変わったような気がします。会場内
の設備の変更、たとえば従来のような床面からあが
ったステージが組まれませんでした。これまで半円
状にステージを取り囲む観客席が東西南北の4方向
になりました。もちろん正面、防衛大臣や同副大臣、
政務官といった主催者側が立つ2階南に挨拶用の設
備は造られましたが、それと相対する北側からの観
客の視線にも十分応えようとした出演者側の配慮も
ありました。

 招かれた外国軍バンドは、出演順に紹介してみま
しょう。神奈川県座間の在日米陸軍軍楽隊、米海兵
隊第3海兵機動展開部隊音楽隊、ベトナム人民軍総
参謀部儀礼団軍楽隊、ドイツ連邦軍参謀軍楽隊とい
うものでした。初参加はベトナム人民軍とドイツ連
邦軍です。アジアから、そして欧州からの登場が印
象的でした。

 もちろん、日本側の参加部隊は中心となったのが
陸・海・空のそれぞれの中央音楽隊です。ただし、
海上自衛隊だけはその部隊名称には「中央」がつき
ません。陸上自衛隊中央音楽隊、航空自衛隊航空中
央音楽隊に対して、海上自衛隊東京音楽隊といいま
す。ただし、いずれも指揮命令系統では、防衛大臣
直轄の部隊です。

他の音楽隊が、陸自は各方面総監(方面音楽隊)、
各師団・旅団長(師団・旅団音楽隊)、空自が各航
空方面隊司令官(航空方面隊音楽隊)、海自も各地
方総監(地方音楽隊)に隷属するのに、それらは別
格になっています。ただし部隊名では、海自の東京
音楽隊だけが中央をことさらに冠しておりません。

自衛隊は「軍隊」ではないために、「軍楽隊」を名
乗ることはなく、あくまでも音楽隊という言い方に
なります。同じ、第2次大戦の敗戦国、占領、独立
という順序を経たのに、ドイツは「連邦軍軍楽隊」
を名乗っています。憲法に対する姿勢の違いといっ
てはそれまでですが、なんとも興味深い事実です。

▼退場曲から思うこと

 序章をおえて、第1章は「トラディション-伝統
と伝承の輝き」と題した演目でした。まず、陸自中
央音楽隊の演奏と第302保安警務中隊の登場です。
この中隊は、陸自東部方面警務隊の隷下になります。
わが国唯一の特別儀仗隊です。国賓などの歓迎式典
で特別儀仗を行ないます。今回、目立ったのは新し
い服装と、これまでの米軍制式のM1ライフルから
改められた旧陸軍の九九式小銃をベースにした新し
い槓桿式小銃でした。

木部は美しい仕上がりで、関心のない方にとっては
同じように見えるかもしれません。実際に拙著に書
いたように、全長もほとんど変わらず、M1は半自
動装填式であり、九九式はボルト・アクション。と
いうのも遠くから見れば、機関部の違いなどはよく
見なくては分からず、グリップの形状の違いも目立
ちません。

しかし、興味深いのは、かつての敵であった米軍装
備を廃して、昔の日本陸軍の制式銃を改良し、ベー
スにした小銃を儀仗銃に採用した流れです。やはり
木部の美しさを継承するといったことより、先人が
開発した国産小銃を採用したという事実に注目した
いと思います。ところで、ドイツ連邦軍の儀仗銃も、
先の大戦を戦い抜いたマウザー98Kだそうです。

 演奏と演技を終えて、退場する陸自部隊。その演
奏は「陸軍分列行進曲」でした。ご承知の方も多い
ことでしょうが、西南戦争(1877年)に題材を
とった新体詩である「抜刀隊」にフランス人が曲を
付けたものをマーチにしたものです。

昔の陸軍では、行進といえばこの曲が奏でられたも
のでした。「抜刀隊」の歌詞は「我は官軍」で始ま
る西郷軍を討伐する意気を描いたものです。このお
かげで、「官軍とは何事か」という声が当時の防衛
庁の中にあり、昭和30年代には演奏が許されなか
ったとか。それが現在では、各地で演奏され、部隊
の徒歩行進のときには、ほぼ必ず聴くことができま
す。

 海自音楽隊の退場曲は、やはり定番、行進曲「軍
艦」でした。ふつうは軍艦マーチといわれてなじみ
深い勇ましい行進曲です。わたしが子どもの頃には、
よくパチンコ屋の前で聴くことができました。逆に
いえば、それくらい民間でもなじまれてもいたので
しょう。そうして、海自の音楽隊の演奏では、必ず、
「軍艦」が演奏され、観客もまた当然のように受け
入れています。


□読者のお便りから

▼伝承の海自と断絶の陸自

 ある陸自の高官から、わが意を得たお便りをいた
だきました。
「旧海軍からの伝承、伝統を大事にする海自と異な
って、陸自は旧陸軍と断絶しました。そのため、小
火器や装備について、『世間の定説』が容易に入り
やすい環境にありました」

この違いはまったくご指摘の通りです。海自の創設、
その発展については、すでによく知られているよう
に、海自は旧海軍の伝統・風習だけでなく運用や技
術も引き継いできました。もちろん、英国海軍を日
米両海軍とも師匠とあおいできたので、米海軍の指
導を受けても混乱もなかったのです。また、海自発
足時には戦時中の海軍軍令部にいた政治好きの将校
たちは排除され、「よき伝統」を継承する人が主流
になりました。

対して、米式装備の警察予備隊、保安隊からスター
トした陸自は、まったく条件が違いました。もちろ
ん、海軍も同じように公職追放によって正規将校た
ちは入隊を拒否されました。もっとも、陸自は軍隊
について知らない人ばかりでは運営ができず、審査
の上で旧軍将校も採用された事実があります。内務
官僚、旧軍出身でも予備将校ばかりを指揮官にして
も、まともな軍隊にならなかったのです。

ところが、教育内容はまったく一新されました。
「朝鮮戦争を戦い抜き、勝利をおさめた米陸軍の教
訓を学べ」ということから、顧問団からは米陸軍式
戦闘法、同運用、同教育等が強制されたのです。
「旧陸軍のことは価値がない」「旧陸軍はすべてが
間違っていた」と断定するのが常識になりました。
いつの世でも、大きな声が勝ち、大勢が主張するこ
とが通ります。これを事大主義、「大に(事)仕え
る」というのですが、これは現在の世の中にも見ら
れることでしょう。

▼いま事実を見つめる力を

そうして、旧陸軍のことはすべて価値がない・・・
というのが大方の世論になりました。そうして占領
軍による日本人の意識改革があり、過去を否定する
ことが正義になったのです。過去を学ぶことも無駄
であり、いわゆる進歩派からは過去を評価すること
は反動的であり、笑われるべき無教養といわれまし
た。

もちろん、この進歩派とはまやかしであり、実際は
反資本主義、反米主義の人たちの集団であったので
す。そうした人たちが、意図的に、あるいは保守層
の中でも無意図的に、戦前日本否定を「定説」にし
てきました。

庶民は、しかし、心に中に美しいものへの郷愁も残
してきたのです。そうでなければ、「分列行進曲」
や「軍艦」が残るわけもありません。どちらも「国
民のため」「国のため」「同胞のため」に自らの身
の危険もかえりみず、任務を果たそうとした人々へ
の賛歌です。先人たちは、これらの曲で士気を鼓舞
し、威風堂々と行進しました。それを懐かしく思い、
哀しい記憶の中に埋めこんできたDNAがあるので
はないでしょうか。

高官からのお便りには次の文言がありました。

「わたしたちが、いまわが身の危険もかえりみず、
事にあたって任務遂行にあたるためにも、過去の事
実をみつめる力を身に着けること。国民の負託に応
えるためには、正しい歴史を知らなくてはなりませ
ん」

ありがとうございます。

この原稿を書き上げた12月2日午前11時の時点
で、アマゾンの「旧日本軍」の分野で第1位でした。
読者の皆様の応援たいへん励みになります。

▼メルマガ新連載について

 現在、「自衛隊警務隊と逮捕術」について、自衛
隊から情報提供、ご協力をいただきながら取材を続
けています。警務隊員は陸上自衛隊では1600人
余り、その実態はなかなか知られていません。警務
隊とは英語ではMilitary Police、略称はMP、軍事
警察、憲兵隊のことをいいます。災害派遣や駐屯地
の公開行事などで、白いヘルメットに黒腕章に白抜
きで「警務・MP」という文字を付けた隊員をご覧に
なった方はおられませんか。

 陸自だけではなく、海自、空自にも警務科職種が
あり、海外派遣などにも部隊のゆくところ必ず警務
隊員がおります。部内の警察業務だけでなく、治安
維持や国際貢献などにも貢献する存在です。その表
芸といっては言いすぎです(彼らはみな司法警察職
員ですから)が、その身に着けた「逮捕術」は警察
のそれとも異なっています。その違いについては、
取材の結果報告をご期待ください。


(以下次号)


(あらき・はじめ)

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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書
房)がある。
 
 
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