配信日時 2019/11/22 08:00

【短期連載・日露戦争陸戦史概説(後編)】「遼陽・沙河・奉天会戦と日露戦争の終結」長南政義(戦史研究家)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
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こんにちは、エンリケです。

「日露戦争陸戦史概説」の後編です。

さっそくどうぞ。


エンリケ


長南さんへの感想や疑問・質問やご意見は、
こちらから⇒ https://okigunnji.com/url/7/

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短期4回連載
日露戦争陸戦史概説(後編)

遼陽・沙河・奉天会戦と日露戦争の終結

長南政義(戦史研究家)
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□はじめに

 こんにちは、みなさまのおかげで、大変ありがた
いことに、拙著『新史料による日露戦争陸戦史』の
重版の反響もよく、アマゾンの初回入荷分が早くも
品切れとなりました。11月19日の段階で約6万円も
のユーズド価格がつく状態となっています。版元の
話では、今週中に残りの製本分が出来てくるとのこ
とで、今週末にはアマゾンにも順次再入荷される予
定です。アマゾン以外のネット書店、全国書店でも
購入できますので、ご注文よろしくお願いいたしま
す。

 さて、先日、本メルマガでもおなじみの荒木肇氏
の最新刊『日本軍はこんな兵器で戦った』を読みま
した。本書は、小銃、機関銃、拳銃、手榴弾・擲弾
筒といった小火器が国産開発されるまでの歴史的経
緯・変遷をテーマにした内容で、小火器が開発され
ることとなった用兵思想や開発後の訓練環境まで言
及されています。換言すると、本書は、小火器を例
にとり、技術的側面から日本の近代化を論じた書と
いうことになると思います。

 これまでも日本軍の小火器に関しては類書が数多
く出されていますが、本書の最大の特徴は、荒木氏
が自衛隊資料館に展示・保管されている小火器を実
際に取材した点にあり、その成果は本書の各所に挿
入された兵器の操作方法を解説した写真等に現れて
います。小火器にご関心をお持ちのみなさまにお薦
めしたい一冊です。

 では、今回の記事に入りたいと思います。


▼遼陽・沙河・奉天会戦と日露戦争の終結

第1回旅順総攻撃とほぼ同時期には日本軍が決勝会
戦と位置づけていた「遼陽会戦」が生起している。
しかし、旅順攻撃に3個師団の戦力と多くの砲弾と
を割く2正面作戦を展開中の日本軍は、数的に優勢
で野戦陣地に籠(こも)るロシア軍との消耗戦を強
いられ、遼陽占領には成功したものの、退却するロ
シア軍を追撃できず、早期講和の夢は途絶え、戦争
は総力戦の様相を呈してきた。

なお、遼陽会戦では、首山堡周辺のロシア陣地攻略
戦で、歩兵第34聯隊第1大隊長・橘周太が戦死し、
「軍神」として讃えられその奮戦は「橘中佐」とい
う歌にもなった。

10月、約22万1600人のロシア軍が南下攻勢
に転じ、約12万800人の日本軍と衝突し「沙河
会戦」が起きた。この会戦は、遼陽会戦のような野
戦陣地攻略戦と異なり、日本軍が望む遭遇戦(野戦)
であった。

そのため、満洲軍首脳は沙河会戦が決勝の機会とな
ることを期待した。しかし、彼らの期待に反し、沙
河会戦は、従来の会戦同様、消耗戦の様相を呈し、
日本軍は砲弾不足のためロシア軍を追撃できず、遼
陽会戦と同様にロシア軍を一歩押し下げる結果に止
まった。

なお、沙河会戦では、第4軍が三塊石山のロシア軍
に対して夜襲をかけたことから両軍の均衡が崩れた
とする通説と異なり、第6師団が前浪子街を奪取し
たことが契機となって日露両軍の均衡が崩れた。こ
の功績により第6師団は満洲軍総司令官大山巌から
感状を授与されている。

一方の旅順戦域では、第3軍が従来の強襲法を放棄
し正攻法を採用して10月末に第2回総攻撃を実施、
さらに11月末には第3回総攻撃を開始し、203
高地を激戦の後に占領し旅順艦隊の撃滅を確実にし
た。これにより時間的制約から解放された第3軍は
総攻撃方式を放棄して堡塁各個占領方式に戦術を転
換し、明治38年1月旅順要塞を攻略した。

同じ1月、ロシアでは戦争中止などを求める市民に
対し軍隊が発砲する「血の日曜日事件」が起き、こ
れが契機となり労働者のストライキが続発して国内
が混乱した。ロシア国内騒乱の裏には明石元二郎の
謀略工作があった。

このような国内状況下で約10万4千人のロシア軍
は黒溝台附近で攻勢に転じ、約4万4千人の日本軍
に攻撃を仕掛けた。日本軍はこれを威力偵察と判断
するなど統帥のミスが目立ったが辛くも危機を乗り
切った。

2月末、日本軍はロシア軍の包囲撃滅を企図して攻
撃を開始し「奉天会戦」が始まった。奉天会戦は約
24万人の日本軍と約32万人のロシア軍とが衝突
した大会戦であった。しかし、日本軍は、144日
続いた旅順攻囲戦よりはるかに短い13日間で、旅
順戦の戦死傷者約4万9400人を超える7万28
人の戦死傷者を出し、ロシア軍に約8万9400人
もの損害を与え、奉天を占領することに成功したも
のの、敵野戦軍殲滅の目的を達成することができず、
またもや決勝会戦(戦役を終結させるために両軍主
力が衝突すること)とはならなかった。

奉天会戦の結果、人的物的両面で戦力の限界に近づ
いた日本は大山巌や児玉源太郎らのリーダーシップ
により和平促進の策を採り、9月4日、ポーツマス
条約が締結され戦争が事実上終結したのである(国
際法上は条約が批准された10月14日)。


(以下次号)


(ちょうなん・まさよし)


『新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説』
 長南政義(著)
 並木書房(発行)
 A5判上製/函入り/772ページ
  ⇒ http://okigunnji.com/url/65/


長南さんへの感想や疑問・質問やご意見は、
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長南政義(ちょうなん・まさよし)
戦史研究家。宮城県生まれ。國學院大學法学研究科
博士課程前期(法学修士)及び拓殖大学大学院国際協
力学研究科安全保障学専攻(安全保障学修士)修了。
國學院大學法学研究科博士課程後期単位取得退学。
論文に「史料紹介 松川敏胤の手帳・年譜―満洲軍
参謀松川敏胤が語った日露戦争「日露戦争ノ勝敗ヲ
逆睹シタルヤ」―」『國學院法研論叢』第36号(國
學院大學大学院法学研究会、2008年)、「史料紹介
 陸軍大将松川敏胤の手帳および日誌―日露戦争前
夜の参謀本部と大正期の日本陸軍―」『國學院法政
論叢』第30輯(國學院大學大学院、2009年)、「陸
軍大将松川敏胤伝 第一部 ―補論 黒溝台会戦と
松川敏胤~満洲軍総司令部の不覚~」『國學院法研
論叢』第38号(2011年)など多数。
著書に『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年、
共著)、伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料
情報辞典』3巻・4巻(吉川弘文館、2007年、2011年、
共著)、『復刻版 日清戦況写真』(国書刊行会、201
3年、解説)、『日露戦争第三軍関係史料集 大庭二
郎日記・井上幾太郎日記で見る旅順・奉天戦』(国
書刊行会、2014年、編集)、『児玉源太郎』(作品
社、2019年)がある。



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