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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は64回目です。
毎回毎回目からうろこの記事が続きます。
きょうのテーマは「支那事変期の共産主義者の発想
と思考と活動」です。
貴重な文献紹介もあります。ちなみにエンリケは
この書をすぐ買ってすぐに読みました。
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明治以降の歴史について知性的に、理性的にきちん
と落とし前をつけてないわが国では、すぐに過去の
亡霊が息を吹き返し、今の破壊を企てようとします。
この連載等を通じ、
知性と理性の復活再生を強く期し、
自ら民間防衛を心がけたいものです。
さっそくどうぞ
エンリケ
ご意見・ご感想はコチラから
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(64)
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
宗像久男(元陸将)
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□はじめに(日中交渉打ち切りの内幕)
前回、近衛首相の「蒋介石を対手にせず」(昭和
13年1月)と交渉打ち切りに至った日本側の議論
についてもう少し補足しておきましょう。
中国側の応答拒否に対して、交渉即打ち切りを主
張する近衛首相以下政府閣僚と、打ち切り尚早(し
ょうそう)としてさらなる交渉を望む多田駿(はや
お)陸軍参謀次長らが激しい対立となりました。海
軍軍令部長も参謀次長に同調して交渉継続を求め、
会議は怒号と涙声を交える激しいものとなり、一歩
も引かない多田次長に対して、追い詰められた近衛
首相は総辞職をもって恫喝したようです。
こうして朝9時から午後7時まで及んだ会議は、
近衛の主張を認めることで打ち切られ、「対手にせ
ず」との声明発表となりました。
後年の手記で、近衛は「この声明は非常な失敗で
あった」と反省していますが、“時すでに遅し”で
す。近代日本交史上、屈指の大失敗であり、自殺行
為だったことは間違いないでしょう。
なお、多田駿参謀次長は、閑院宮参謀総長のもと、
実質上の陸軍トップであり、石原莞爾同様、蒋介石
政権よりもソ連の脅威を重視し、戦線不拡大を唱え
ていました。その危惧が的中し、この後、「ノモン
ハン事件」が起こります(細部は後述しましょう)。
では、なぜ近衛首相とその側近が間違った判断を
したのでしょうか? 「重慶国民政府が国民の信頼
を失い、やがて地方の一政府に転落するので長期戦
に引きずり込まれる心配はない。(汪兆銘)新政府
の成立を誘導し、これを盛り立てて日本の要求を貫
徹していけばいいとの認識に立ってあのような声明
となった」(近衛秘書の風見章)の言い訳が残って
います。
振り返れば、政府サイドの情勢判断が明らかに間
違っていたのでしたが、この言い訳を含め、判断に
至る経緯には何とも不可思議な部分が含まれていま
す。背景に何があって、何が“決め手”となってこ
のような判断に至ったのだろうか、と考えてしまい
ます。
いずれにしましても、このような“政軍不一致”
の国の舵取りが後戻りできないところまで進展し、
やがて致命的な結果に至るのですが、これをすべて
“軍人、特に陸軍のせい”と断定するのは、「支那
事変」の拡大に至った“史実”だけをみても、明ら
かに“間違った歴史の見方”であることがわかりま
す。
▼再び、国民政府・共産党の対立へ
「支那事件」拡大の足跡を総括しますと、日本軍は、
当初は短期決戦で中国側の戦意を喪失させ、勝利を
得るつもりでしたが、中国側は持久戦をもってそれ
に応じました。
日本軍は100万人前後の兵力を中国大陸に注ぎ
込みますが、それでも中国の降伏を得ることはでき
ませんでした。その結果、戦線は膠着し、中国大陸
は、(1)重慶国民政府の統治空間、(2)中国共産
党の統治空間、そして(3)日本軍および日本占領下
の現地政権統治空間など大きく3つに分かれること
になります。
問題は中国共産党の統治空間です。中国共産党は、
あくまで重慶政府の下で抗日戦争を展開しており、
コミンテルンも重慶政府の指示に従うよう厳命して
いたのですが、毛沢東は、重慶に対する共産党の独
立自主を目指し、遊撃戦によって一定の面積を得る
とそれを「辺区」としてその拡大を企図していきま
す。
日本を中国大陸に引きずり込み、蒋介石軍と戦わ
せ、双方が疲弊した頃を見計らって“漁夫の利を得
る”戦略が中国共産党側からみれば功を奏し始めた
のでした。実に巧妙なやり方でしたが、コミンテル
ンとは少し“温度差”が出始めたのも事実でした。
詳細はのちに触れましょう。
この「辺区」拡大は、やがて重慶政府と間に軋轢
を生むことになります。蒋介石の共産党不信が拡大
し、共産党も重慶の国民党と敵対する姿勢を明確に
していくのです。
▼ソ連の対日工作
さて、今回のメインテーマです。ソ連(コミンテ
ルン)の陰謀は、この中国のみならず、欧州におい
ても活発でしたが、当然ながら全世界に及んでいま
した。アメリカにおいても、冷戦が終焉後の199
5年、アメリカ国家安全保安局が「ヴェノナ文書」
の公開に踏み切り、それまでの近現代史の歴史観を
根底から揺るがす事態となりました。
「ヴェノナ文書」とは、第2次世界大戦前後に、ア
メリカ国内のソ連の工作員たちがモスクワとやり取
りした通信を、米陸軍情報部が英国情報部と連携し
て秘密裏に傍受して解読した記録です。この文書か
ら分かった工作員たちの活動の詳細については、次
号以降で紹介します。
日本においても、共産主義者たちが活発に活動し
ていたことは昭和初期から知られていました。また、
戦時中も「ゾルゲ事件」のような大事件が発生しま
す。
我が国においては、「ヴェノナ文書」の公開より
かなり早い1950(昭和25)年に、三田村武夫
氏が“昭和政治秘録”として『戦争と共産主義』を
出版します。三田村氏は、戦前、警察行政全般を管
轄する内務省警保局や特高警察でも勤務し、共産主
義者の謀略活動の実態を追及した経験がある人物で
す。
現在、その復刻版をKindle(キンドル)で読むこ
とができます。(*)興味のある読者はぜひ本書を紐
解いていただきたいと思いますが、本書は冒頭から
以下のような趣意で始まります。
(*)
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「満州事変から敗戦まで、日本はまるで熱病にでも
つかれたごとく、軍国調一色に塗りつぶされてきた。
この熱病の根源は果たして何であったろうか。一般
常識では軍閥ということになっており、この軍部・
軍閥の戦争責任については異論がないが、軍閥が演
じた“戦争劇”は、真実彼らの自作自演であったろ
うか。作詞・作曲は誰か、脚本を書いたのは誰か、
という問題になると、いまだ何人も権威ある結論を
出していない。これは極めて重大な問題だ」。
そして、本書を出版するに至った経緯や三田村氏
自身の共産主義運動と向き合った経験と続きます。
このような共産主義の陰謀の歴史や実態を解明す
る書籍が戦後ほどなくして出版されたにもかかわら
ず、長い間、日本の戦前の歴史研究は、これらの
“事象”を軽視あるいは無視して語られてきたこと
に個人的には少なからず疑問、いやある種の意図さ
え感じてきました。
しかし、戦前の歴史を研究しているうちに、どう
しても「共産主義者の活動が歴史を動かした要因と
して無視できない」と考えるに至りました。よって、
「支那事変」から「日米戦争」への発展を振り返る
前に、我が国や米国における共産主義者達の活動の
概要をまとめて振り返っておきたいと思います。
▼日本を追い詰めた共産主義者達
三田村氏の指摘によると、日本を追い詰めた共産
主義者たちの陰謀の基本的考えは、要約すれば次の
とおりです。
「コミンテルンの目的は、全世界共産主義の完成で
あり、そのための資本主義の支柱たる米、英、日本
などを倒さなければならない。その手段としては、
(1)革命勢力を強化して革命により内部崩壊させ
る、(2)資本主義国家を外部から攻め武力で叩き
潰す、の2つだが、どちらも実行の可能性は低い。
その結果として考えた戦略が、資本主義国家と資本
主義国家を戦わせ、どちらも疲弊させ、“漁夫の利”
を得る。この戦略に基づき、欧州表面ではドイツと
英仏を戦わせ、米国を巻き込む。
極東革命にどうしても叩き潰さなければならない
のは、日本と(米英がバックにいる)蒋介石政権だ。
日本と蒋介石軍を噛み合わせると米・英が必ず出て
くる。その方向に誘導する。そうするとシナ大陸と
南方米英植民地で日、蒋介石、米、英が血みどろの
死闘を演ずるだろう。へとへとに疲れた時に一挙に
兵を進め、襟首を取ってとどめを刺す。あとは中共
を中心に極東革命を前進すればいい」
その後の歴史はまさに彼らの陰謀の通りになりま
すが、その第1段階として、1935年、「ファシ
ズム反対」「帝国主義反対」のスローガンを掲げ、
社会主義勢力も味方につけました。
その次には、ポツダム宣言において第2次世界大
戦を「デモクラシー対ファシズムの戦い」と位置づ
けたように、自らをデモクラシー勢力として“隠蔽”
し、連合国の仲間入りをしたのです。
他方、日本においては、有識者、マスコミ、官僚、
軍部を巧妙に操り、無謀な戦争に駆り立て、我が国
を自己崩壊する方向に誘導する企てをします。この
際、できるだけ合法的に食い込み、内部から切り崩
すことを考えたといわれます。
特に、陸軍の存在に注目します。陸軍は、大部分
が貧農と小市民、将校も中産階級出身で反ブルジョ
ア的、しかも国体問題ではコチコチの天皇主義者な
ので、この点をうまくごまかせば十分利用価値があ
ると判断したのでした。
その上で“天皇制廃止”をやめて、「天皇制と社
会主義は両立する」との思い切った戦術転換を敢行
し、「天皇を戴いた社会主義国家を建設する」とい
う理論を確立しました。「戦争反対」などともけっ
して言わず、「戦争好きの軍部をおだてて全面戦争
に追い込み、国力を徹底的に消耗させる。このあと
に敗戦革命を展開する」という大胆な戦略だったの
です。
前述の近衛声明と共産主義者たちの活動とはどの
ような関係にあったのか、などについては次回以降
に振り返ってみましょう。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
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【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。
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(代表・エンリケ航海王子)
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