配信日時 2019/11/15 08:00

(新)【短期4回連載・日露戦争陸戦史概説】 「(前編1) 日露戦争開戦から第1回旅順総攻撃失敗まで」 長南政義

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

戦史研究家・長南政義さんの
記念碑的大作の重版が決定しました!

『新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説』

という名のこの本は、

ひとことでいえば、

最新史料を縦横無尽に駆使して
もっとも新しい視座から「日露戦争陸戦」を描き出
した本です。「谷寿夫『機密日露戦史』以来」と
言って差し支えない「日露陸戦史の決定版」です。

専門家筋からの圧倒的な支持を受け、品切れ状態が
長く続いていました。その結果アマゾンでは大変なプ
レミアがついていましたが、ようやく重版が出るこ
とになったのです。


それを記念して、長南さんの手になる
短期連載をきょうから週に一回、4回にわたって
お届けします。

さっそくどうぞ。


エンリケ


長南さんへの感想や疑問・質問やご意見は、
こちらから⇒ https://okigunnji.com/url/7/

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短期4回連載
日露戦争陸戦史概説(前編)

日露戦争開戦から第1回旅順総攻撃失敗まで

長南政義(戦史研究家)
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□はじめに

 読者の皆さま、お久しぶりです。以前「戦史に見
るインテリジェンスの成功と失敗」をメルマガ連載
した長南政義です。その後、書籍の執筆に専念して
参りました。

 今年の夏には、『児玉源太郎』(作品社)を刊行
し、全国紙でも好意的な書評が掲載されました。2
015年6月に刊行しました『新史料にみる日露戦
争陸戦史─覆される通説』は、日本歴史学会『日本
歴史』で「画期的研究」と高く評価され、大きな励
みとなりました。いまは福岡に在住しながら「西南
戦争」の新たな戦史を執筆中です。

 さて、前述の『新史料にみる日露戦争陸戦史』は、
長く品切れ状態でしたが、このたび版元のご厚意で
重版が決定しました。本書はA5判上製函入り77
2頁という大部なものですが、日露戦争陸戦の決定
版ともいえる内容です。

『新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説』
 長南政義(著)
 並木書房(発行)
 A5判上製/函入り/772ページ
  ⇒ http://okigunnji.com/url/65/

 今回の増刷に合わせて、本書のエッセンスを短期
連載することとなりました。1回目と2回目は「日
露戦争陸戦史」を、3回目と4回目は「海戦史」に
ついて概説しようと思います。

 お付き合いのほどよろしくお願いいたします。


▼日露陸戦は仁川奇襲で始まった

日露戦争の原因は朝鮮半島および満洲における影響
力をめぐる日露対立にあった。明治33年に勃発し
た義和団事件を契機に東清鉄道保護を口実として軍
隊を派遣し満洲を占領したロシアは、18か月以内
に満洲から撤兵することを約した満洲還付条約を清
国と締結したものの、明治36年4月の第2期撤兵
を実施せず満洲に居座り続けた。

これに危機感を抱いた日本政府は、満洲問題でロシ
アに対し多少譲歩しつつ韓国問題を日本有利で解決
する満韓交換論で問題解決を図ろうとしたが、交渉
は破裂し、明治37年2月、日本政府は開戦を決定
し、旅順港および仁川港に停泊するロシア艦隊に対
し奇襲による先制攻撃を仕掛けた後で宣戦を布告し
た。

なお、当時の国際法では武力攻撃開始前に宣戦を布
告することを義務付ける明確な取り決めは存在しな
かった。近代工業化が緒についたばかりの日本は、
欧米列強と長期戦を戦う国力を保持していなかった。
そのため、極東における戦力バランスが日本有利の
うちに戦争を仕掛け、緒戦で可能な限り敵戦力を撃
破し、戦争を長期化させることなく有利な条件で講
和を締結するというのが日本の対露戦略方針であっ
た。そのため日本は奇襲開戦という手段で戦争を開
始したのである。

日本陸軍はロシアに先んじて京城を確保するために
臨時派遣隊を編成していた。一般的な部隊の場合、
動員完結までには時間がかかるが、臨時派遣隊は動
員方法を工夫し編成命令受領後24時間以内に佐世
保附近で乗船を完了できるように編成を完結できた。

現在の特殊部隊に相当する臨時派遣隊は小倉(現在
の北九州市)に師団司令部を置く第12師団の歩兵
第23旅団で編成されていた。日露戦争陸戦は朝鮮
半島に近い九州所在の部隊による仁川上陸で始まっ
たのだ。

▼旅順総攻撃失敗の原因とは?

京城を占領した後、朝鮮半島を北上した黒木為もと
(木偏に貞)率いる第1軍は満鮮国境の鴨緑江を渡河
し鴨緑江の戦いでロシア軍を撃破した。この戦いで
も歩兵第23旅団が活躍し、蛤蟆塘附近でロシア軍
2個聯隊を撃滅することに成功している。

一方、遼東半島に上陸した奥保鞏率いる第2軍は4
月に南山の戦いでロシア軍を撃破して旅順への門を
開き、6月には得利寺の戦いで旅順救援のため南下
して来たロシア軍を破った。

こうして日本軍は旅順要塞に籠(こも)るロシア軍
と遼陽附近に集中するロシア軍主力とにロシア軍を
分断することに成功したのである。

なお、日本軍が大苦戦した南山の戦いで勝利のきっ
かけをつくったのは小川又次率いる第4師団の側面
攻撃であった。

8月19日、乃木希典率いる第3軍は旅順要塞に対
し第1回総攻撃を開始した。肉弾攻撃というイメー
ジがある第1回総攻撃だが、第3軍は合計3万68
12発(694・7トン)もの砲弾を撃っており、
決して肉弾主義一辺倒であったわけではない。むし
ろ、威力のある攻城砲を整備していなかった兵器行
政に代表される平時の準備不足に攻撃失敗の原因が
あるといえた。


(以下次号)


(ちょうなん・まさよし)


『新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説』
 長南政義(著)
 並木書房(発行)
 A5判上製/函入り/772ページ
  ⇒ http://okigunnji.com/url/65/


長南さんへの感想や疑問・質問やご意見は、
こちらから⇒ https://okigunnji.com/url/7/
 


長南政義(ちょうなん・まさよし)
戦史研究家。宮城県生まれ。國學院大學法学研究科
博士課程前期(法学修士)及び拓殖大学大学院国際協
力学研究科安全保障学専攻(安全保障学修士)修了。
國學院大學法学研究科博士課程後期単位取得退学。
論文に「史料紹介 松川敏胤の手帳・年譜―満洲軍
参謀松川敏胤が語った日露戦争「日露戦争ノ勝敗ヲ
逆睹シタルヤ」―」『國學院法研論叢』第36号(國
學院大學大学院法学研究会、2008年)、「史料紹介
 陸軍大将松川敏胤の手帳および日誌―日露戦争前
夜の参謀本部と大正期の日本陸軍―」『國學院法政
論叢』第30輯(國學院大學大学院、2009年)、「陸
軍大将松川敏胤伝 第一部 ―補論 黒溝台会戦と
松川敏胤~満洲軍総司令部の不覚~」『國學院法研
論叢』第38号(2011年)など多数。
著書に『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年、
共著)、伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料
情報辞典』3巻・4巻(吉川弘文館、2007年、2011年、
共著)、『復刻版 日清戦況写真』(国書刊行会、201
3年、解説)、『日露戦争第三軍関係史料集 大庭二
郎日記・井上幾太郎日記で見る旅順・奉天戦』(国
書刊行会、2014年、編集)、『児玉源太郎』(作品
社、2019年)がある。



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