こんにちは。エンリケです。
「陸軍小火器史」の五十二回目は、
番外編の24回目です。
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ご感想をぜひどうぞ。
きょうの記事も面白いですね。
最終パラグラフも要注目ですw
ではさっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍小火器史(52)・番外編(24)
なぜセミ・オートマチック小銃を採用しなかったのか?
荒木 肇
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□ご挨拶とお礼
拙著『日本軍はこんな兵器で戦った-国産小火器の開発と用兵思
想』(*)の予約申し込みをいただいた多くの皆さま、まことにあ
りがとうございました。心をこめてサインを入れ、発送させてい
ただいたところです。本格的なご感想や、ご批評、ご教示などこ
れからでありましょうが、ありがたいご連絡をいくつか受けてお
ります。(*)
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まず、兵器の開発は、その軍隊によって「どこで」「どのように」
使われるのかを想定することから始まります。弾薬だけでなく部
品や手入れ用の資材などの補給、ユーザーたる兵士たちの教育レ
ベルも考えてなされることがよく分かったというお声がありまし
た。このお返事から、わたしはやはり書いてよかったという思い
を強くもちました。
実は、もう20年ほど前になりますが、わが国軍の士官学校たる
防衛大学校で高名な文学者の講話がありました。全体のご意図は、
「かの旧軍のような失態をくり返すな」というしごく正しいもの
でした。
何を言おうと負けは負けです。大東亜戦争は、あれだけの犠牲を
払い、完膚なきまでの敗戦でした。真剣な反省は当然なされるべ
きです。しかし、将来の国軍幹部である防衛大学校学生に対して
「精神力重視批判」はまだしも、「旧軍の非科学的精神」という
お話には大いに疑問をもちました。
その例として手動の5連発槓桿式装填の38式歩兵銃のことをあ
げられました。明治の末期に「38年式=1905年」というよ
うな旧式銃で戦った、科学技術を軽視したために米軍のような優
れた半自動式装?ライフルを採用できなかった。そのようにおっし
ゃったのです。
▼間違った批判を正す
よく知られているように、手動槓杆式(ボルトアクション)小銃
というのは、弾倉こそ銃の機関部に組み込まれていますが、そこ
から1発ずつ撃つごとにボルトを操作します。兵士はまさに「か
んぬき」という言葉通りの仕組みに頼りました。頑丈で、安全で、
その代わりに労力が必要でした。
手動で槓桿(ボルト)を動かして弾を弾倉から取り出し、発射し
た後の撃ち殻薬莢も同時に弾き出します。熟練した兵士でも1分
間に7発を撃つのがやっとでした。もちろん、5発ずつのクリッ
プを弾倉に挿入する時間も入れてのことです。
これに対して、アメリカ軍が採用したのは、M1という半自動装
填の小銃でした。特殊な箱のようなクリップに8発の実包を入れ、
引鉄を引くごとに撃発、つづいて次の弾を薬室に送り込むという
ものでした。半自動というのは、引鉄を引きっぱなしでは連発し
ないからです。M1では発射ガスの一部を動力にして装?と排莢だ
けを自動化しました。機関銃のように引鉄を引いている間は連発
をくり返すと全自動(フル・オートマチック)といいます。半自
動のM1小銃は毎分20発という速さで射撃ができました。もち
ろん、クリップの交換時間も入っています。そうすると、発射の
弾量でいえば3倍にもなるわけです。つまり手動装填式の100
挺の小銃に、およそ30挺で対抗できます。
しかし、このM1小銃が大量に使われるようになったのは開戦の
2年目の後半、昭和17年8月からのガダルカナル戦からでした。
しかも前半の戦いでは、アメリカ海兵隊にも全部隊にいきわたっ
ていません。では、アメリカ兵はどんな小銃で戦ったのか。それ
はM1903・スプリングフィールド・ライフルという日本式で
は「36年式小銃」だったのです。フィリピンでも、グァム島で
も、守備隊のアメリカ兵は、やはり手動の槓桿式ライフルで戦っ
ていました。
マレー半島で日本軍と戦った英国軍は、1902年に開発され
たこれまた日本式では「35年式」のSMLE小銃を主要装備に
していました。これも正確には原型が1895(明治28)年に
開発された銃の改良型でした。では、ドイツ軍はどうかというと、
原型はマウザー・モデル1898です。細かい改良はされていま
すが、要するに明治31年制式。
フランス軍にいたっては、なんとM1886(明治19年制式)
であり、イタリア軍はマンリッヒャー・カルカノ・M1891
(明治24年)だったのでした。また、日本軍の当面の主敵であ
ったはずのソビエト軍はといえば、日露戦争でわが30年式歩兵
銃と対決したモシン・ナガンM1891(明治24年)となって
います。
つまり、わが日本軍はむしろ、第2次大戦開戦時では、最も新
型の小銃を装備していたわけでした。そうしてこれらの列国の小
銃はすべて手動装填のボルト・アクションライフルだったのです。
▼非科学的だったから半自動にしなかったのか?
ジョン・ウィークスという英国軍人の指摘によれば、多くの国
でセミ・オートマチック・ライフルは試作以上に進まなかったと
いいます。その理由は、予算不足と保守派の反対だったそうです。
また、批判の有力な主張は、弾薬の無駄遣い、射撃のコントロー
ルが困難で、故障が多く、作動の信頼性が低い。修理が難しく、
弾薬供給に困難があるというものでした。
予算不足はよく理解できます。平時にどんどん軍事費を増やせ
るはずもありません。いまも陸上自衛隊は有事を想定した小銃の
新開発を実行していますが、大量装備は財務との交渉で必ず切ら
れます。弾薬の無駄遣いの指摘も納得です。現在の小銃(突撃銃)
にはたいていが3発でいったん連発が切れるシステムがついてい
ます。突撃銃という言葉を使いましたが、これは大戦末期にドイ
ツ軍が開発した全自動小銃のことです。現在ではわが国の89式
小銃も含めて多くの国が、狙撃銃などを除くと主力小銃に使って
います。中・遠距離の狙撃能力より、近距離での発射速度を重視
した軽い弾薬を使った小銃です。
3点バーストといわれますが、引鉄を引きっぱなしにしても3発
でいったん射撃が停止される銃の仕組みです。それはベトナム戦
争などで、引鉄を引きっぱなしにして無駄弾が多かったことが指
摘されたからでしょう。
射撃のコントロールが困難なのは確かにその通りで、手動装填
の単発式も、セミオートも撃てば銃口は当然、はねあがります。
よく狙って撃つには、そのつど、しっかりと肩付けをしなおし、
正しい据銃姿勢をとることが必要です。そうなると、ただ連発し
てどうなるということになります。
故障と修理、手入れの難しさも戦場の常識です。第1次大戦で
は泥まみれになった兵器がたいへん故障しました。また複雑な装
填機構は、当然部品数が増え、仕組みも複雑化し、手入れ用の各
種用具や油脂類も増やすことになります。
なんと英国では、1957(昭和32)年になっても、セミ・
オートライフルは使われていなかったと読んでびっくりしました。
また、ソビエト軍や、その同盟国では1960年代でも、あの長
大なモシン・ナガン・ライフルを使っていたのです。
こうして見ると、セミ・オートマチック小銃を採用した、しな
かったという判断の背景には、「科学的精神の不足」などという
ような話があったのではなかったことが分かります。
国力です。総合的な国力です。アメリカ軍は小銃弾や兵器の運
搬に、列国のような馬やラバを使うことをやめられた自動車大国
だったのです。あるアメリカ軍の将軍は、『第2次大戦の勝利の
もとは、ジープとダグラス輸送機にあった』と語っています。軍
馬というのは世話がたいへん面倒でした。平時から養うのにコス
トもかかりました。国内輸送や産業にも大きな影響をもったので、
戦時になって買い上げや徴発にも限界がありました。
わが国でも、セミ・オーマチック・ライフルの開発に熱心な人
たちもいました。しかし、それを造って、十分な補給ができたか、
一般の兵士がそれを使いこなせたか、決して「精神主義」や「非
科学精神」が元になっていたわけではありません。
□次回からのメルマガ連載企画「自衛隊警務科について」
陸上自衛隊には職種(兵科・各部)が15種類もあります。た
だし、特科(砲兵)が野戦・高射と分かれるために16という数
え方もします。戦後の自衛隊創設のしがらみや、今も続く憲法論
争のために、昔の軍隊のような言い方もできません。歩兵を「普
通科」といい、砲兵を「特科(とっか)」、工兵を「施設科」と
するなど、特別な言い換えがいまも続いています。戦車兵などの
「機甲科」ももとが「機械化装甲」という説もあり、とくに問題
はありません。
他の職種の言い方は、「平和憲法下」では問題になりません。
航空、通信、需品、武器、輸送、化学、会計、衛生、音楽、情報
の各科は字を見ての通りです。ただ1つ、あまり知れていない科
があります。それは「警務(けいむ)科」です。実は自衛官の名
刺にはたいてい裏側に英語表記がされています。それを見ればマ
スコミ対策の言い換えなど、国際的標準ではまったく通用しない
ことが分かるのです。
この警務科の幹部の名刺の裏側には、「MILITARY POLICE」とあり
ます。直訳すれば、「軍隊の警察」、つまり昔の軍隊では「憲兵
(けんぺい)」といわれ、「MP」の腕章を付けていた兵科です。
そうして現在の警務官たちも、昔だったら「監軍護法」、つまり
法を守り、軍隊の、あるいは軍隊への非違行為を取り締まるとい
う精神をもって、日々、活動しています。
▼警務官の逮捕術
この7月の下旬のことでした。「逮捕術の検定があります。ご
覧になりますか」と陸上自衛隊小平学校警務教育部のU2佐から
声をかけていただきました。教育部長のO1佐のお許しを得て、学
校長D将補にもご挨拶し、8月8日、暑い盛りのことでした。
警務官になったばかりの若い3曹(外国軍の軍曹)が多くを占
める男女40人ばかりの方々がいました。これは警務科逮捕術の
検定で、教官たちの厳しい審査のもとで、型と試合稽古を行なう
ものでした。防具は見慣れた日本拳法のもので、面と胴と垂れを
つけ、急所防御のためのガードもつけ、手は殴打もできるような
グローブです。
興味深かったのは、試合では「匕首(アイクチ)対警棒」を見
ましたが、警棒で面を打つと反則になります。殺してしまうかも
しれないからです。有効なのは、肩への打ちこみや胴への打突
(だとつ)でした。また、アイクチは全長1尺(約30センチ)
ほどですが、刃の方には黒地に白い線がついています。その面で、
刃が少しでも相手の身体に触れればイッポンになりました。刃物
には厳重な注意が必要ということです。
もちろん、型も多くが決められており、長短の杖(ジョウ)も
あり、手錠かけもあり、被疑者、あるいは捕獲した敵への身体検
査の様子なども見学できました。また、いまは教育の中になくな
った「捕縄(ほじょう)」の技も、教官たちに見せてもらえまし
た。
逮捕術の極意とは、「後の先(ごのせん)」とのこと。また、
逮捕術の相手は「徒手格闘」の素養がある者を前提とするなどの
興味深い話を聞けました。これから取材を続けて、憲兵の歴史、
戦後自衛隊の警務隊史、そして逮捕術についてお知らせしていき
ます。
□せっかくのご感想をいただいたことから、拙著の一部をご紹介
いたしました。また、次回の企画、「自衛隊警務隊と逮捕術」に
ついてお知らせをいたしました。
そうして、合わせて、読み物として、ある「自衛官たちの青春
記」をご紹介してもいきたいと思います。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』
『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)
がある。
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個人情報を伏
せたうえで、メルマガ誌上及びメールマガジン「軍事情報」が
主催運営するインターネット上のサービス(携帯サイトを含
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ださい。
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しています。ありがとうございました。
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