配信日時 2019/10/30 04:50

【日本軍はこんな兵器で戦った】兵器技術と歴史は不可分一体



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おはようございます、エンリケです。

荒木肇さんの新刊
『日本軍はこんな兵器で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』を

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手に入るのは
10月30日(水)までの予定です
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この本のあとがきで、
著者・荒木肇さんはこうおっしゃっています。

一部を紹介します。

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 西欧ではマッチロック(火縄式)、ホイールロック(歯輪式)、
フリントロック(燧石式)から最後のパーカッション(打撃式)
ロックという進化に三〇〇年あまりを要した。

 わが国では火縄式の時代が長く、およそ二〇〇年続いた。フリ
ントロックは、鶏頭(コック)に燧石をくわえさせて、当たり金
(フリズン)に勢いよくぶつけて火花を飛ばす。その荒っぽい仕
組みが嫌われたのだろう。点火の瞬間にぶれることが何より難点
とされた。狙撃が好きだった日本人には受け入れられなかった。

 一九世紀初めに雷汞がつくられ、雷管(プライマー)が実用化
された。銃尾の右側面に付けられた凸部(ニップル)にかぶせて
撃鉄(ハンマー)で打つ。湿気や風に強く、発火は確実性を増し、
すぐに薬莢が発明された。その素材も紙から金属へ、とうとう弾
頭・装薬・雷管が一体化された完結型実包(カートリッジ)が生
まれる。わが国では幕末・維新の頃である。

 村田経芳(一八三八~一九二一年)は、「同胞相撃つ戦争で、
我々は学んだ」と、日本人の銃への知識、用兵術の進歩の速さに
驚いた欧州人にそう答えた。村田は旧薩摩藩士、自ら西洋式小銃
の開発を行なった造兵将校である。日清戦争を戦いぬいた村田銃
の設計者だった。明治の初めには欧州各国を歴訪し、その優秀な
射撃技術で有名になった。

 欧州では二五〇年かけて発達した技術をわが先人たちはわずか
二〇年で駆け抜けた。さらに二〇年、世界的水準に追いついた三
十年式歩兵銃、騎銃で大敵ロシア帝国を打ち負かし、機関銃の採
用にも熱心に取り組んだ。村田の後継者の有坂成章(一八五二~
一九一五年)、南部麒次郎(一八六九~一九四九年)も忘れては
ならない。彼らの名前は多くの日本人に忘れられたが、欧米の識
者や造兵専門家の間では、いまも評価は高い。

 日本人は戦国時代からずっと銃が大好きだった。江戸時代の日
本には火縄銃がどこにでもあった。進歩がなかったのは戦場で使
われることがなかったからである。幕末になって海防の重要性が
認識され始めると、とたんに熱心に洋式銃を輸入し、すぐに模造
品をつくり始めた。戊辰戦争、西南戦争では、敵味方ともに銃撃
戦、砲撃戦をもっぱらにした。

 日清・日露の両戦役も火力重視で戦った。辛くも勝てた日露戦
後、白兵戦闘に弱かった兵士の士気を高めるために白兵戦闘を重
視すると宣言した。(『歩兵操典』一九〇八年)

 しかし、実際のところは決して小銃火力を軽視していたわけで
はない。歩兵は射撃、銃剣術、行軍力を鍛えることとされていた。

 第一次世界大戦の戦場から遠く離れ、その実態を体験すること
は少なかったが、その情報収集への熱意は高かった。多くの前途
有為な将校たちが派遣され、貴重な考察が蓄積された。将来の戦
争は「国家総力戦」であること、戦場の主役は「機関銃」だとい
うことをしっかり理解した。それは世界水準をねらった軽機関銃
の採用を始め、重機関銃、平射砲(機関銃陣地狙撃砲)、曲射砲
(迫撃砲)、擲弾筒など歩兵用装備の開発に熱心だったことに現
われている。

 いっとき第一次世界大戦による好況に沸いた国内経済は、また
また停滞する。ロシア革命へのシベリア出兵(一九一八~二二年)
も貴重な予算を浪費したといっていい。三回にわたる軍備縮小
(二二年、二三年、二五年)も行なった。国家の財政窮乏には関
東大震災(二三年)がさらに追い打ちをかけた。そのうえ、海軍
はアメリカを仮想敵にし、巨大艦隊を建設しようとしていた。世
論の多くは海軍に味方し、陸軍は装備改善もままならなかった。
航空や機甲、火砲といった近代装備に向けられる予算もひどく少
なかったのである。

 事態を大きく変えたのは満洲事変(一九三一年)だった。満洲
帝国は成立したものの、軍備増強を着実に実行してきたソビエト
連邦軍への備えを重視しなくてはならなくなった。一九三六(昭
和一一)年には『帝国国防方針』の第三次改訂が勅裁された。想
定敵国は米・ソ・中国、それに加えて英国も挙げられた。陸軍は
ソ連を、海軍はアメリカを主目標として軍備を整えようというも
のだった。

 翌一九三七(昭和一二)年から始まった中国との戦いは、ます
ます陸軍を疲弊させた。拡大する一方の戦火、陸軍の動員につぐ
動員、部隊増設、大陸での戦いは、ますます装備改善に注ぐ予算
を減らした。そうして、満洲でソ連軍を相手に戦うはずの陸軍は、
大東亜戦争に突き進んでいくことになった。

 用兵思想と装備、訓練、教育は密接に結びついている。そして
装備は、その国の資源、技術、教育と深く関わる。歴史、とりわ
け近・現代史を学ぶには軍事史、技術史を知ることが重要である。
どうか読者には先人の努力と、報われなかった勇戦敢闘を知って
もらいたい。

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いかがでしょうか?

本著が単なるスペック本じゃないことがわかりますよね?

兵器技術と歴史は不可分一体なんです。

だから、技術を軽視するのも、歴史を軽視するのも、
歴史から学べない点では同じ病理といえましょう。

この本でそういう「非バランス状態」から卒業しませんか?


今回のキャンペーンは以下のとおりです。

お早めにどうぞ。


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『日本軍はこんな兵器で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』
  荒木肇(著)

  著者サイン本 数量限定⇒残り 27冊

    帝国陸軍の小火器がいかに開発され、いかに使われたか?
   を詳細に解説。わが小火器開発・生産・進化のものがたり

     近代日本の工業技術の歩みもあわせてたどれ、
      先人の苦闘の歴史を知り、
       いまに感謝できる素材を提供してくれる本

      将校、国際政治研究者、軍事ファン、物書き、
        歴史の先生は必読


●帝国陸軍はどんな小火器を開発し、生産し、いかに使っていた
 のか?小火器をどう見ていたのか?の実相を正確に把握できま
 す。
 
●小火器の解説を通じて見えてくるのは、国の工業力、技術力、
 国民の知的能力、軍の兵站能力といった「国防力」なんです。
 帝国陸軍の小火器解説を通して、当時のわが国の姿が浮かび
 上がってきます。
 
●陸幕長表彰を受けた経験も持ち、「荒木先生の本だから信用で
 きます」とまでいわせる、長きにわたる在野での軍事研究の経
 歴が、信頼できるディテールの表現を可能にしました。


●陸自には兵器や武器を展示している資料館が各地の駐屯地に
 あります。本著巻末には全国各地の資料館のガイドがあり、
 想像以上に使えます。次の休みは本著片手に、あの駐屯地資料
 館に行ってはいかがでしょう?

●「なぜ?」 陸軍はこの小火器を開発したのか?
 「どのように?」 陸軍はこの小火器を生産したのか?
 「どれだけ?」 陸軍はこの小火器を生産したのか?
 「何のために?」 陸軍はこの小火器に着目したのか?

  という疑問に応えてくれます。


 
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■2019年10月27日20時~2019年10月30日23時締切。(日曜日) 
 
 
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※きょうまでです


エンリケ


追伸

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