配信日時 2019/10/31 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(61)】「盧溝橋事件」から「支那事変」へ 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は61回目を迎えました。

「役に立つ知的生産物は必ず有機的である」

というのは私エンリケの信念ですが、弊メルマガの読み物ライン
アップを見ると、本連載を始めそのすべてが「有機的」です。
だから役立つ。そう確信しています。

何よりありがたいのは、疑問を質問したら答えが返ってくる点で
しょう。これで自分が今いる座標を確認できますから、進化が望
めます。メルマガならではの自己啓発ですね。

冒頭の一文もお忘れなく。

さっそくどうぞ


エンリケ


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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(61)

 「盧溝橋事件」から「支那事変」へ

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

私などが偉そうなことを述べるのは僭越極まりないとの自覚のも
とに、10月22日に執り行なわれた「即位礼正殿の儀」など一
連の行事について感想を少しだけ述べたいと思います。
 まず、古式ゆかしく執り行なわれた、一連の厳かな儀式を拝見
し、一国民として改めて我が国の悠久の歴史や伝統に思いが至り、
感動することでしたが、中韓を含め、諸外国から賞賛の声が寄せ
られたとの報道を知り、日本人としての“自覚”や“誇り”が何
とも言えない感覚で彷彿してきました。これが率直な感想です。

 同時に、今日に至るまでの先人たちのご努力やご苦労、そして
数多(あまた)の名もなき犠牲者への敬意と感謝の気持ちも沸き
上がり、今日から将来に向け、“未来永劫にこの伝統を絶やさず、
後世に伝えていくために、国民ひとり一人が何をすればいいのだ
ろうか”ということが頭の中を駆け巡りました。

 天皇陛下のお言葉の中に、「国民の幸せ」と「世界の平和」と
いう言葉がそれぞれ2回出て参ります。陛下がこれらを願われる
のは極めて自然でありますし、発せられたお言葉自体にいかなる
疑問を差し挟むものではありません。

 問題は、「いかにそれらを達成するか」ではないでしょうか。
「国民の幸せ」という視点で言えば、天変地異、最近においても
度重なる台風や大雨の被害が繰り返され、だれしも心が痛みます
が、(前回も取り上げましたように)まさに“国民の叡智とたゆ
まぬ努力によって”、被害の最小限化への事前対策と緊急非難や
応急復旧に向けた万全の処置が必要不可欠と考えます。

 また、「平和をいかにして維持するか」については、世界の歴
史を見れば、平和な時代の方が少なかったといえるかも知れませ
んし、我が国においても、長い歴史の中でいっとき、平和でない
時代がありました。

 過去の歴史の中で、平和を乱し、争う要因として何があったの
か、どうすれば平和を維持できたのか、などについて“正しく歴
史に学ぶ”ことが、未来の“平和の維持”、そして“平和を乱す
要因に対する備え(未然防止)”のヒントを得ることができると
考えます。

 陛下のお言葉や願いを実現するため、国民一人ひとりが(それ
ぞれの事情や能力などに応じて)ふだんの心がけと努力を課せら
れていると私は解釈しています。本メルマガが“正しい歴史の理
解の一助になれば”との願いを込めて、私は、私ができる範囲で
引き続き先を急ぎたいと思います。なお、「歴史から学ぶ 平和
を維持するための提言」の細部は、本メルマガの最後の方で総括
したいと考えています。

▼「盧溝橋事件」から「北支事変」へ

「盧溝橋事件」についてもう少し補足しておきます。現在、中国
政府は「盧溝橋事件」については「日本側が意図的に侵略を開始
した」としていますが、歴史研究家の間では、“日本軍を見通し
のない戦争に引きずり込むために、国民党軍を矢面に立たせて消
耗させ、共産党を勝利に導く道を開く”という共産党の陰謀だっ
たという説が最有力です。

 まず、事件当日、日本軍は検閲のための演習を実施中でした。
中隊長の配慮で隊員は重い鉄兜をかぶってなかったことがわかっ
ています。鉄兜をかぶってないような部隊が“戦争を引き起こす
行動”をしないことは明白です。

 日本政府は、(中国に遠慮して)「偶発説」を採用しているよ
うですし、歴史教科書もすべてその責任を曖昧にして「衝突が起
きた」とだけ書いています。実際には、中国第29軍に入り副参
謀長まで登りつめ、日本と戦争を画策していた共産党の秘密党員
(名前も判明しています)の画策や中国軍大隊長の告白も出版物
や回想録として出回っていますから、中国政府が認めないとして
も、中国側からの発砲は間違いないのです。

 確かに、共産党本部(延安)の指示ではなかったという意味で
は、「偶発」だったと言えるのかも知れませんが、状況証拠が明
白でもそれを事実として受け入れないのが中国の歴史認識である
ことを私たちは知る必要があるのです。

 繰り返しますが、なぜ日本軍があの現場にいたのか、について
も確認しておきましょう。それは、日露戦争前の「義和団事件」
までさかのぼります。各国と中国の最終議定書で、北京から海に
至る十数か所に各国の軍隊を駐留するという協定を結びました。
よって、日本以外にも当時、アメリカ、イギリス、フランス、イ
タリア(ドイツやロシアは撤退)が駐留していたのでした。

さて、事件勃発後の拡大ですが、ただちに外務省と陸軍中央は
「不拡大・現地解決」の方針を固めます。しかし、陸軍内部は
「拡大派」と「不拡大派」が対立し始めます。

「不拡大派」は、「日本が出兵したら、泥沼にはまって長期戦に
陥る可能性があり、列強に漁夫の利を与えかねない。それよりも
満州経営に専念し、対ソ戦に備えるべき」というもので、作戦部
長の石原莞爾らがその中心人物でした。

 他方、強硬意見を発する「拡大派」が存在しましたが、「拡大
派」といえども、中国の反日・侮日の機運が高まるなか、反日政
策を改めさせようする「対支一撃論」であり、けっして全面戦争
を求めるものではありませんでした。

 事件2日後の1937(昭和12)昭和7月9日、現地で「停
戦協定」が結ばれ、軍の派遣はいったん見送られますが、中国軍
による協定違反の執拗な攻撃が続き、とうとう我慢しきれなくな
って反撃を開始します。こうして7月27日、日本の天津軍が中
国に開戦を通告し、北京と天津を掃討します。それまで日本を挑
発していた中国軍はあっという間に北京・天津を放棄し南の方に
逃げてしまったのでした(これが「北支事変」と呼ばれます)。

 その後、天皇が近衛首相に「もうこの辺で外交交渉で決着させ
てはどうか」とのご意向を漏らされたこともあって、日本政府・
陸海軍は一丸となって積極的に和平に乗り出します。

 こうした情勢下の7月29日、「通州事件」が発生します。通
州は、それまで長城以南では最も安定した地域で、多数の日本人
が安心して暮らしていました。日本の軍隊が「盧溝橋事件」で街
を離れていた留守に、本来、日本の居留民を守るべき中国保安隊
3000人が反乱を起こし、日本人居留民を襲撃し、200人以
上の日本人が言葉では表現きでないような残忍で猟奇的な殺害・
処刑を受けることになります。

▼「北支事変」から「支那事変」へ

やがて、蒋介石が中央軍を上海に増派し、現地の日本軍に対して
攻撃を繰り返した結果、「第2次上海事変」が発生します。こち
らは海軍が主導して陸軍を引きずり込みます。その経緯を振り返
っておきましょう。

「盧溝橋事件」が起きるや、米内光政海相は、「不拡大方針」を
主張していましたが、海軍は、本事件が全中国に波及する可能性
が高いとの認識のもと、軍令部と海軍省が協議の上、全面作戦に
備えた作戦計画や処理方針を作成していました。そして全面戦争
化した1937(昭和12)年8月以降、ほぼ計画をそのまま実
行します。

 作戦部長の石原莞爾は、海軍のこのような強硬論について、
「作戦の本質を知らないものである」と嶋田繁太郎軍令部長に申
し入れたとの記録も残っています。

 さて、日本側は「北支における権益をすべて白紙に戻す」とい
う寛大な方針に基づき和平交渉案を作成し、中国側と交渉します。
第1回目の話し合いを予定していた8月9日当日、交渉阻止を狙
いすましていたかのように「大山事件」(海軍陸戦隊の大山中尉
以下2名の射殺事件)が発生し、会談は流れてしまいます。この
事件を境に上海情勢が悪化するや、米内海相はそれまでの「不拡
大方針」を放棄して、陸軍の派兵を要請し、居留民保護の目的で
派兵が閣議決定されます。米内はのちに「全面戦争になった以上、
南京を攻略するのが当然」と発言するまで強硬論に転じたのです。

 拝謁した米内海相に対して昭和天皇が「これ以後も感情に走ら
ず、大局に着眼して誤りのないよう希望する」旨のお言葉が下さ
れたとの記録も残っておりますし、「海軍はだんだん狼になるつ
つある」と当時の外務省東亜局長も日記に記しています。

 海軍は、予ねてからの計画通り、南京や南昌に対する本格的な
爆撃を開始しますが、それは上海を戦場に限定していた陸軍参謀
本部の作戦計画を大幅に超えるものでした。

 一方、蒋介石は、「盧溝橋事件」勃発後「不戦不和」「一面交
渉、一面交戦」の中で葛藤していました。しかし、7月下旬には
和平をあきらめ、「徹底抗戦」を全軍に督励します。そして「応
戦」から「決戦」に転換しますが、その理由として、軍事力、特
に空軍に対する自信を保持していたことに加え、国際都市・上海
で有利に戦えば、対日経済制裁など外国の支援を得られるだろう
と考えていたといわれます。

 上海においては中国側が先に仕掛けます。海軍旗艦「出雲」に
対する爆撃を敢行しますが、軍艦には命中せず、上海租界の歓楽
街を爆撃、千数百人の民間人死傷者が発生します(「第2次上海
事変」といわれます)。

 8月14日、中国側は「自衛抗戦声明」を発表、日本側はこれを
事実上の「宣戦布告」と受け止め、翌15日、近衛内閣は「支那
軍の暴虐を膺懲(ようちょう)し、南京政府の反省を促す」と声
明を発表し、「上海派遣軍」を編成、松井岩根大将が司令官とな
ります。一方、蒋介石側も全国動員令を下令します。

 これによって、実質的に日中全面戦争に突入しますが、194
1(昭和16)年12月に日米戦争が勃発するまでは両国とも実
際の「宣戦布告」を行ないませんでした。主な理由は、双方とも
アメリカの「中立法」の発動による経済制裁を回避することが念
頭にありましたが、日本は早期事態解決を狙っていたこと、中国
側は軍需物資輸入に問題が生じることを懸念していました。

 8月17日、我が国は従来の「不拡大方針」の放棄を決定し、
「支那事変」と呼称しました。9月末、不拡大派の筆頭、石原莞
爾作戦部長は更迭され、後任の下村部長によって、主戦場を華北
から華中に移すことになります。陸軍も不拡大方針を放棄したの
でした。

 日本軍が上海の南の杭州湾に上陸すると、中国軍は予想外に敗
走を続け、11月中旬には上海全域をほぼ制圧した。陸軍は、上
海戦終結をもって軍事行動停止案を作成していましたが、海軍な
どの「時期尚早」との反対から見送ることになります。

 このあたりのいきさつは、以前に紹介しました、日中歴史共同
研究の成果を取りまとめた『決定版 日中戦争』に克明に記され
ていますので、ある程度は中国側も了解しているものと判断され
ます。

 今なお、「日中戦争は日本の侵略ではなかった」と主張する歴
史家は後を絶ちません。戦場が中国大陸であった以上、日本側に
まったく非がなかったとは言えがたくとも、日中戦争拡大に至る
にはさまざまな要因をあったことを読者に気づいてほしくて少し
長くなりました。

「陸軍悪玉論」も同じです。軍国主義者=戦争拡大論者=陸軍と
決めつけるのは、あまりに史実と違います。海軍主導の展開は、
今後も続きます。引き続き振り返ってみましょう。



(以下次号)


(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。


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