配信日時 2019/10/30 09:00

【陸軍小火器史(51)番外編(23)】陸自唯一の機甲師団 荒木肇

こんにちは。エンリケです。

「陸軍小火器史」の五十一回目は、
番外編の23回目です。

市川さんの本で学んだ知識が、
さっそく活かされました。

といいたいところですが、

正確には
「市川さんの本を紐解いて理解が定着した」ですw

ではさっそくどうぞ。


エンリケ



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 陸軍小火器史(51)・番外編(23)

 陸自唯一の機甲師団

 荒木 肇
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□新刊上梓のご挨拶

 すでに日曜日の午後8時からお知らせのように、わたしの新刊
『日本軍はこんな兵器で戦った-国産小火器の開発と用兵思想』
の予約申し込みを始めさせていただいています。短い期間ですが、
ぜひお申し込みをくだされば幸甚です。

 連載していました「陸軍小火器史」に大幅な加筆、訂正を入れ、
実物の写真も陸上自衛隊のご協力で多く掲載できました。


 この本のねらいは、兵器がその時代の最先端の技術で企画、開
発されたこと。時代のさまざまな制約のなかで、多くの先人たち
の工夫や努力で完成されたこと、それを使った兵士たちの声や評
価も取り上げてみました。

 戦前の帝国陸海軍については、多くの「誤った定説」がありま
す。それを放置していては、いまのわたしたちの立ち位置も間違
ってとらえてしまい、現状の兵器開発にも正しい視点をもつこと
ができません。

 わたしも銃砲史が専門ではなく、素人の一人として専門の研究
者の方々のご教示を受けながら、自分がより理解を深めるために
書きました。ぜひ、手にとっていただければと思います。

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『日本軍はこんな兵器で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』

4日間限定で著者サインが
手に入るのは
10月30日(水)までの予定です
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※きょうまで 

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□はじめに

 自衛隊の資料館に保存されている小火器の話から脱線して、自
衛隊の創設期からの戦車の話になりました。もとより戦車につい
ては素人ですから詳しいことは書けません。ただ陸自の歴史につ
いて、多少の関心があるために陸自の唯一の機甲師団について書
いてみたいと思います。

それは、陸上自衛隊の師団は、甲と乙、それぞれ4単位と3単位
の違いはあっても「金太郎飴」のように、すべて似た編制をとっ
ていたなかで、第7師団だけは違っていたからです。北海道とい
うソビエト連邦の侵攻が真剣に想定され、北方重視の陸自の考え
方の1つの側面をもつように思えます。


 そうして現在は、西方重視、九州や沖縄、島嶼の防衛に力点が
かかり、陸自は大きな変貌を遂げています。この施策を支えてき
た人たちの考えはどうだったのか。指示した政治家たちはどのよ
うに思っていたのか。そんなことが気になっています。

▼13個師団の発足

 13個師団体制が発足したのは1962(昭和37)年のこと
だった。1月18日と8月15日の2回に分けて、従来の管区隊、
混成団が師団に生まれ変わった。第1から第6までの管区隊、第
7から第10までの混成団がそのまま同番号の師団となった。そ
うして第11から第13までの3個師団が新設された。

 この師団改編に帝国陸軍の伝統などはまったく考えられなかっ
たということを確認しておきたい。師団司令部の所在地と番号が
一致するのは、東京都練馬区の第1師団のみだった。しかも戦前
の司令部は東京都赤坂区であり、都心近くにあった。それが当時
は郊外の練馬区である。

 もちろん、師団番号は戦前も戦後も設置順であり、その点は一
貫していた。帝国陸軍も第1(東京)、第2(仙台)、第3(名
古屋)、第4(大阪)、第5(広島)、第6(熊本)と鎮台の設
置順である。陸自の場合も同じ考え方で、米軍師団が朝鮮に出動、
そのあとを埋めた順に置かれた。第1(東京)、第2(札幌続い
て旭川)、第3(兵庫県伊丹)、第4(福岡)という管区隊の順
番である。

ちなみに第5は北海道帯広、第6山形県神町という2つの管区隊。
第7は北海道千歳市、第8熊本県熊本、第9が青森県青森、第1
0が愛知県名古屋の各混成団。新設された師団が第11は北海道
札幌市、第12が群馬県榛東村、第13が広島県海田市町となっ
た。

 戦前陸軍と戦後陸自の違いは、四国の香川県善通寺にあった第
11師団がなくなったことや、日本海沿いの石川県金沢市の第9
師団のあとに師団がないことである。もっとも、第11師団には
のちに混成団が置かれ、第14旅団になって現在に至っている。

 明らかなのは、13個師団のうち4個師団が北海道にあり、帝
国陸軍が旭川の第7師団だけだったことと比べれば、いかに北方
すなわち対ソ連軍重視だったことだ。それも当然で、戦前陸軍は
防衛ラインを前に出し、満洲で戦うことを前提にしたことと比べ
て、戦後陸自は北海道へのソ連軍の着上陸を想定していたのであ
る。まさに国土を侵されてから初めて戦う専守防衛の組織だから
だ。

▼第7混成団から第7師団へ

 1955(昭和30)年の混成団新編の当時は、他の混成団と
変わらず、第18普通科連隊を主力にして真駒内駐屯地(札幌市
内)に置かれた。このときの第18普連は、連隊本部・本部中隊、
管理中隊に普通科大隊4個(小銃中隊16個)、特車中隊、重迫
撃砲中隊、衛生中隊というものだった。特科連隊も軽砲(105
ミリ)、中砲(155ミリ)、高射の3個大隊があり、他に第7
施設大隊、同偵察中隊、同武器中隊、同通信中隊、同補給中隊、
同輸送中隊、同衛生中隊である。

それが1961(昭和36)年に機械化部隊への改編が行なわれ
た。まず、普通科連隊が3個に増えた。しかし、この連隊は従来
の3個大隊からなるものではなかった。連隊の下に直に4個中隊
と迫撃砲隊が置かれたのである。普通科連隊は第11、第23、
第24の各連隊で、格別な部隊は第7装甲輸送隊といった。

特科連隊も、それまでの軽砲(105ミリ)、中砲(155ミリ)、
高射の3個大隊が、軽砲3個、中砲、高射の5個大隊になった。
戦車大隊は他の3単位の乙師団が3個中隊なのに、この第7師団
戦車大隊は4個中隊の編制だった。

装甲輸送隊の装備は、国産の60(ろくまる)式装甲車といった。
10人乗りの装軌式で小松製作所と三菱重工で、1973(昭和
48)年までで約460輌が造られた。要目は次の通りである。
車重11.8トン、全長5メートル、幅2.4メートル、高さ1.
89メートル、最低地上高40センチメートル。空冷4サイクル
8気筒ディーゼル・エンジン、出力220馬力、最高速度時速4
5キロメートル、航続距離約300キロメートル。武装は前方に
7.62ミリ機関銃と車長席に12.7ミリ重機関銃を各1挺備
えた。

この装甲車によって、1個連隊の普通科隊員を運ぶことができた。
名称通り、装甲といっても輸送を中心にする車輌であり、まさに
戦場のタクシー、キャリアーだった。後継の73式装甲車が「歩
兵戦闘車」であることとは違っていた。

▼戦車3個連隊をもつ第7師団へ

 1981(昭和56)年、ついに機甲師団化が完成した。第7
戦車大隊が第71戦車連隊に、第1戦車群の第2戦車群、同第3
戦車群がそれぞれ第72、第73の戦車連隊になった。これで師
団は3個戦車連隊をもった。

 ところが時代は・・・陸自の定員は少しも増えなかった。2個
の普通科連隊、第23普連は廃止、第24連隊は九州の第8師団
隷下に移された。ただし、残った第11普連は4個中隊から6個
中隊に増えた。しかも3個普連の中にあった重迫撃砲隊を集めて、
新しい第11普連重迫撃砲中隊にした。そうして、師団の支援部
隊は合同されて、新しく第11後方支援連隊が発足する。

 特科連隊も自走化された。トラクターやトラックで牽引する火
砲と異なって、戦車のようなキャタピラーを付けた自走砲である。
高射大隊も特科連隊から独立して、自走高射機関砲4個中隊、さ
らには後には短距離地対空ミサイル(短SAM)2個中隊も加わ
り、名実ともに高射特科連隊となった。

 興味深いのは、当時、他の師団には対戦車隊という誘導弾武器
の専門部隊があったが、第7師団にはこれがなかった。その代わ
り、1992(平成4)年になって、89式装甲戦闘車が第11
普連に配備されるようになった。この戦闘車こそ対戦車戦闘が可
能であり、砲塔には重MAT(ミサイル・アンチ・タンク=対戦
車ミサイル)を搭載していた。

▼最強の装甲歩兵戦闘車89FV

 第11普連の3個中隊に装備された89式FV。本州では富士
教導団に属する普通科教導連隊の滝が原駐屯地でしか見ることが
できない。普通科教導連隊(普教連)は全国の普通科装備を学ぶ
幹部学生のための協力部隊である。だから、各中隊はそれぞれ異
なった装備をもっている。第1中隊はこの89式戦闘車を担当す
る。たしか茨城県土浦駐屯地の武器学校とどこかの陸曹教育隊に
もあると聞いたが、確認していない。

 まるで戦車のような外観、回転式砲塔とキャタピラーをもって
いるので、詳しくない人は戦車だと思うこともあるようだ。全備
重量も26.5トン、全長6.8メートル、全幅3.2メートル、
全高2.5メートルの堂々たる大きさである。

砲塔にはスイス・エリコン社のKDE口径35ミリ機関砲を載せ、
7.62ミリ連装機関銃の銃口がのぞく。砲は87式自走高射機
関砲の発射速度を落としたもので弾薬も共通化している。列国の
戦闘車が積む砲の中でも格段に強力なものだ。

 毎夏の富士総合火力演習でも、初速1385メートル/秒とい
った高速弾を連射する姿を見せてくれる。1キロメートル離れた
装甲鈑40ミリを、60度の角度であたっても撃ち抜くといわれ
ている。90度で命中すれば70~80ミリ。

そうであれば、列国のどこの国の戦闘車の装甲でも、部位によっ
ては戦車の装甲でも貫通させることができる。砲塔にはさらに7
9式対戦車誘導弾を両側に1発ずつ積み、予備弾も車内にある
(合計4発)。車体の中には6名の隊員が背中合わせになった座
席に2列になって座り、銃口が突きだせるようになった銃眼から
外を小銃で射撃できる。この他に操縦手、機関砲手、分隊長を兼
ねる車長と副分隊長が搭乗するので、乗員は10名になる。

 この戦闘車はもともと、90式戦車と同行し、ソ連のT80と
BMPIIと戦うために開発された。ソ連の装甲戦闘車BMPIIは
備砲口径が30ミリだから、砲力で圧倒し、対戦車誘導弾でT8
0も狙えるといった高い能力をもっている。

 エンジンは伝統の空冷ではなく、水冷の4サイクル直列6気筒
インタークーラー・ターボ・スーパーチャージャー付のディーゼ
ル・エンジンである。排気量は1万6000ccで600馬力を
出す。構造が複雑になる水冷を採用したのも、エンジンサイズを
コンパクト化できるし、同時に空気取り入れ口の位置決めの面倒
さを避けたのだと思われる。また車体前面左側にエンジン、操行
装置を一体化し、パワーユニットを置いたのも整備性の向上に役
に立っただろう。

 問題になったのはその高価格で、74式戦車より高かったらし
い。批判が出たが、もともと全国の装甲車の更新を計画したわけ
でもなく、あくまでも北海道の対ソ連機甲部隊と戦うための装備
だった。用兵の現実化のために装備も考えられるといった例であ
る。


(以下次号)


(あらき・はじめ)

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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』
『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』。11月刊行予定『日本軍はこ
んな兵器で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)
がある。
 
 
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