配信日時 2019/10/29 20:00

【わが国の情報史(43)】秘密戦と陸軍中野学校(その5)━ 陸軍中野学校における教育の欠落事項 ━ 上田篤盛

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官で
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こんにちは、エンリケです。

上田さんの新刊が好調のようです。
うれしい限りです!

さてきょうの記事も、非常に参考になる内容です。

さっそくどうぞ。

エンリケ


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わが国の情報史(43)
秘密戦と陸軍中野学校(その5)

陸軍中野学校における教育の欠落事項

     インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)
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□はじめに

 さる10月16日、拙著『未来予測入門』が出版されました。
この「軍事情報」メルマガを主宰されているエンリケさまのご紹
介もいただき、皆様のおかげを持ちまして順調なスタートを切る
ことができました。この場を借りてお礼申し上げます。

 本書をお読みいただいた私の知人から、「若人に捧げる元防衛
省情報分析官が解く、インテリジェンスで人生100年時代を生
き抜く法」という、ネイミングをいただいたのでここに紹介させ
ていただきます。

 さて本書では、筆者とその子供たちが対話によって未来予測の
技法を学ぶというスタイルを取っています。

 実は、我ながらよくぞ斬新なアイデアを思いついたものだと、
自己満足に浸っていたのです。そうしたら、自衛隊時代の後輩が
「現役時代に読んだ『戦術入門』みたい、とチラッ思いました」
との所感を送ってくれました。

 たしか、『戦術入門』は1佐の教官だか連隊長だったかが、
2尉や3尉の若手幹部との問答のなかで戦術の原則事項を教える、
という内容でした。

 この本は当然のごとく、筆者も読んだ記憶があります。つまり、
青年幹部時代に読んだ『戦術入門』の内容が私の潜在意識として
頭の片隅に残り、これが今回、どのようなことをどのように書こ
うかと懊悩していた時に想起されたのかもしれません。

 よくベテランになるほど、「不透明な時代には論理よりも創造
が大事だ!」とか「スキルよりセンスだ!」という訳知りを言う
人がいます。しかし、いきなり創造力やセンスが生まれるわけで
はありません。

 実は、過去に学んだことが潜在意識として残り、それに何らか
の“スイッチ”が加わることで“第六感”が生まれ窮地を脱した
りすることがあるのです。それを「神がささやいた」などと総括
していますが、実はこの第六感も過去における論理的思考などの
蓄積の成果だと言えます。

 本書では、「皆さんの周りで、仕事ができる人、物事の先を読
むのに長けている人がいるかもしれないが、そういう人はたいて
い、私が本書で述べるテクニックを駆使して(あるいは知らずし
らずのうちに使って)思考・分析を繰り返しているのである」
(拙著より引用)と書きました。

 要するに、このような、できる人の流儀を可視化、形式知化す
ることで、誰しもが思考力や分析力を向上できるということです。
本書では、未来予測のやり方を、私の流儀でできるだけ可視化、
形式知化していますが、皆さん自身が可視化、形式知化すること
がより重要です。

 さて、前回は陸軍中野学校の1期生の教育内容を紹介し、それ
を私の経験則から分析して内容の特質について言及しました。
今回は、その続きです。


▼旧軍には「情報理論」は存在しなかったのか?

 戦後になって自衛隊入隊し、陸上自衛隊の『情報教範』の作成
に従事した松本重夫氏は、米軍の「情報教範(マニュアル)」な
どを引き合いに、次のように回想している。

 「私が初めて米軍の『情報教範(マニュアル)』と『小部隊の情
報(連隊レベル以下のマニュアル)を見て、いかに論理的、学問
的に出来上がっている者かを知り、驚き入った覚えがある。それ
に比べて、旧軍でいうところの“情報”というものは、単に先輩
から徒弟職的に引き継がれていたもの程度にすぎなかった。私に
とって『情報学』または『情報理論』と呼ばれるものとの出会い
はこれが最初であった」(松本重夫『自衛隊「影の部隊」情報戦
秘録』)

 松本氏は、自著の中で「情報とは、『組織』と『活動』によっ
て得られた『知識』である」「情報資料(インフォメーション)
と情報(インテリジェンス)を峻別することが重要である」「情
報資料を情報に転換する処理は、記録、評価、判定からなり、い
かに貴重な情報資料であっても、その処理を誤れば何らその価値
を発揮しない」などの情報理論を縷々述べている。

 では、松本氏が言うように、旧軍には「情報理論」はまったく
存在しなかったのだろうか?

 1928年頃に作成されたと推定される「諜報宣伝勤務指針」
においては諜報、宣伝、謀略の意義や方法論についてはかなり詳
細に述べられているが、松本氏が指摘するようにインテリジェン
スとインフォメーションの明確な区分はない。

 しかし、第1編「諜報勤務」の中には、「敵国、敵軍そのほか
探知せんとする事物に関する情報の蒐集(しゅうしゅう)、査覈
(さかく)、判断並びに、これが伝達普及に任ずる一切の業務を
情報勤務と総称し、……」の条文がある。
 
 また1938年に制定された「作戦要務令」では以下の条文が
ある。

 「収集せる情報は的確なる審査によりてその真否、価値等を決定
するを要す。これがため、まず各情報の出所、偵知の時機及び方
法等を考察し正確の度を判定し、次いでこれと関係諸情報とを比
較総合し判決を求めるものとす。また、たとえ判決を得た情報い
えども更に審査を継続する着意あるを要す。(以下略)」(72
条)

 「情報の審査にあたりて先入主となり、或は的確なる憑拠なき想
像に陥ることなきを要す。また、一見瑣末の情報といえど全般よ
り観察するか、もしくは他の情報と比較研究するときは重要なる
資料を得ることあり。なお局部的判断にとらわれ、あるいは 敵の
欺騙、宣伝等により、おうおう大なる誤謬を招来することあるに
注意するを要す。」(74条)

 ここでの査覈と審査とほぼ同じ意味であると解釈され、これら
は生情報(インフォメーション)の情報源の信頼性、生情報その
もの正確性などを調べて評価すると意味になるだろう。つまり、
旧軍の教範でも、生情報を直接に使用してはならないことが戒め
られている。

 以上から、今日の情報理論の中核ともいうべき、「インフォメ
ーションを処理してインテリジェンスに転換する」ということの
必要性とその要領については、明確性や具体性に欠けるとはいう
ものの、旧軍教範ですでに提示していたといえるだろう。

▼旧軍における情報理論の普及

 しかし、実戦では生情報の垂れ流し状態であったようだ。これ
にはいくつかの理由はあったとみられるが、小谷賢『日本軍のイ
ンテリジェンス』は次のように述べている。

 「さらに問題は、生の情報や、加工された情報の流れが理路整然
としておらず、いきなり生情報が報告されることもあった。これ
は情報部が生情報や、加工された情報の流れをコントロールでき
ていなかったことに起因する。(中略)
 終戦近くになると、参謀本部は南方情報を北のハルピンから報
告される『哈特諜(ハルピン情報)』に頼るようになるが、これ
も生情報がそのまま報告されており、きわめて危険な状態であっ
た。なぜならば既述したように、ハルピン情報はソ連の偽情報の
可能性が高かったためである。(以下略)」

 要するに、小谷氏の研究によれば、偽情報である生情報を他の
人的情報(ヒューミント)や文書情報(ドキュメント)と照合し
てインテリジェンスを生成するという情報原則は現場では遵守さ
れなかったようだ。

 さらに小谷氏は次のように述べている。

 「恐らく当時、『情報』を『インテリジェンス』の意味で捉え
ていたのは、陸海軍の情報部だけであった。情報部にとっての
『情報』とは分析、加工された後の情報のことである。
 しかし作戦部などから見た場合、『情報』とは『インフォメー
ション』であり、生情報のことであった。彼らに言わせれば、情
報部はデータの類を集めて持ってくれば良いのである。そして作
戦部が作戦立案のためにそれらのデータを取捨選択すれば良かっ
た。
 すなわち作戦部と情報部の対立の根源は、『情報」という概念
をどのように解釈するかであり、双方が対立した場合、力関係か
ら作戦部の意見が通るのは当然であった。」(前掲『日本軍のイ
ンテリジェンス』)

 つまり、情報部では情報の処理の必要性は理解されていたが、
作戦部における情報理論の無知と、そこから生じる情報部の軽視
が蔓延(はびこ)っていた、ということか?

▼中野学校における「情報理論」教育

 中野学校では「情報理論」についてどのような教育が行なわれ
ていたのだろうか?

 乙I長期(2期生)の平館勝治氏の言によれば、2期生の教育
では参謀本部第8課から中野学校に派遣された教官が「諜報宣伝
勤務指針」を携行して教育を行なっていたようである(1期生の
教育において「諜報宣伝勤務指針」という極秘の情報教範が活用
されたかどうかは不明)

 しかし、同指針は秘匿度が「機密書」に次いで高い「極秘書」
であったので、学生が自由に閲覧する、ましてや書き写して自習
用に活用するなどはできなかった。したがって、教官がその中に
書かれている内容の一部を掻い摘んで学生に教えるというのが
“関の山”である。「諜報宣伝勤務指針」の内容が学生に十分に
定着したとは到底言えない。

 平館氏は、戦後になって以下のような発言をしている。

 「私が1952年7月に警察予備隊(のちの自衛隊)に入って、
米軍将校から彼等の情報マニュアル(入隊1か月位の新兵に情報
教育をする一般教科書)で情報教育を受けました。その時、彼等
の情報処理の要領が、私が中野学校で習った情報の査覈(さかく)
と非常によく似ていました。
 ただ、彼等のやり方は五段階法を導入し論理的に情報を分析し
評価判定し利用する方法をとっていました。それを聞いて、不思
議な思いをしながらも情報の原則などというものは万国共通のも
のなんだな、とひとり合点していましたが、第四報で報告した河
辺正三大将のお話を知り、はじめて謎がとけると共に愕然としま
した。
 ドイツは河辺少佐に種本(筆者注:「諜報宣伝勤務指針」を作
成した元資料)をくれると同時に、米国にも同じ物をくれていた
と想像されたからです。しかも、米国はこの種本に改良工夫を加
え、広く一般兵にまで情報教育をしていたのに反し、日本はその
種本に何等改良を加えることもなく、秘密だ、秘密だといって後
生大事にしまいこみ、なるべく見せないようにしていました。
この種本を基にして、われわれは中野学校で情報教育を受けたの
ですが、敵はすでに我々の教育と同等以上の教育をしていたもの
と察せられ、戦は開戦前から勝敗がついていたようなものであっ
たと感じました(「諜報宣伝勤務指針」の解説、2012年12
月22日)。

 要するに平館氏は、秘密、秘密といった秘密主義がせっかくの
教範を“宝の持ち腐れ”にしてしまった。こうした形式主義によ
って情報理論の理解と普及が妨げられたとの所見や無念さを吐露
しているのである。

▼保全に対する形式主義が教育成果を妨げた?

 時代はさらに遡るが、日露戦争における日本海海戦の大勝利の
立役者・秋山真之が米国に留学した。米国海軍においては末端ク
ラスまでに作戦理解の徹底が図られていることに感嘆した。

 しかし、秋山は帰国して1902年に海軍大学校の教官に就任
し、教鞭したところ、基本的な戦術を艦長クラスが理解していな
いことに驚いたという。なぜならば、秘密保持の観点から、戦術
は一部の指揮官、幕僚にしか知らされなかったからである。
 
 そこで秋山は「有益なる技術上の智識が敵に遺漏するを恐るる
よりは、むしろその智識が味方全般に普及・応用されざることを
憂うる次第に御座候(ござそうろう)」との悲痛の手紙を上官に
したためた。

 どうやら、平館氏によれば、なんでもかんでも秘密、秘密にす
る風潮は昭和の軍隊においては改められなかったようだ。

 米国は種本とみられるドイツ本に改良工夫を加え、広く一般兵
にまで普及できる情報理論を確立していった。一方のわが国では、
秘密戦士を要請する中野学校においてでさえ、形式的な秘密主義
が妨げとなり、教えるべき事項の出し惜しみがあった。

 自由な雰囲気で、自主的学習が重んじられた中野学校ではあっ
たが、当時の陸軍上層部の形式主義によって「諜報宣伝勤務指針」
が改良と工夫をされて、中野学校における情報教育に反映されな
かったとすれば非常に残念なことであったといえるだろう。

▼教範の秘密保全について

 米軍はインターネットで情報マニュアルなどを公開しているが、
わが国においても教範類は公開すべきだ、というのが筆者の論で
ある。ちなみに日本が不透明、不透明といっている中国軍におい
ては、軍関係機関が多数の軍事書籍を出版し、それが国民全体の
軍事知識を押し上げ、愛国心向上に一役買っているという。

 正直言って、自衛隊の相当数の教範は内容的に公開されても何
ら問題はないと思うし、そもそも教範は原則事項を記述するもの
であって、不要なことや混乱を招くようなことを記述すべきでは
ない。その取捨選択が行なわれていないとすれば、そのことの方
が問題である。

 公開して差し支えないものまで秘密にしようとするから、無用
な詮索や勝手解釈が起こるのであるし、世間がことさら注目する
ことにもなる。教範漏洩事件が起きたり、インターネットオーク
ションで教範が売られたりすることにもなるのである。

 繰り返すが、教範は原則事項の記述であって、そのままでは実
践ではまったく役に立たないといっても過言ではない。今日の
「孫子」にさまざまな領域での解釈が付けられているように、教
範にさまざまな解釈が加えられ、さらに可視化、形式知化が進み、
国家全体として安全保障などの知識やノウハウの向上が望ましい
と考える。

 教育の現場においては、教官が学生に対し、自らの経験や自学
研鑽をもって教範に独自解釈を加え、具体例をもって学生の理解
を促進しなければならない。そうでなければ学生は、教範に書か
れていることの本質を理解できないであろう。教官独自の副読本
なども必要になるし、そこに教範の一般価値を超えた教官の力量
がものをいうことになるのである。

 他方、学生は教範に日常的に親しんで、想像力と創造力をもっ
て繰り返し読むことが重要である。教範の厳重管理などとよく言
われるが、教範は鍵がかかるような引き出しに入れておくような
ものではないと、筆者は考える。時にはベッドに寝転んで読む、
そして自ら課題を設定し、思索しつつ読む。そうした自由な環境
と、積極的な精神活動を欠いてしまえば、教範は結局のところ
“宝の持ち腐れ”になるのではないか。



(次回に続く)



(うえだあつもり)

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【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係
論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査
学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年に
かけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務
し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官
をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛省
情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定
年退官。現在、軍事アナリストとしてメルマガ「軍事情報」に連
載中。著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社、2006年11
月)、『中国の軍事力 2020年の将来予測(共著)』(蒼蒼社、
2008年9月)、『戦略的インテリジェンス入門―分析手法の手引
き』(並木書房、2016年1月)、『中国が仕掛けるインテリジェ
ンス戦争―国家戦略に基づく分析』(並木書房、2016年4月)、
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
(並木書房、2016年10月)、『情報戦と女性スパイ─インテリジ
ェンス秘史』(並木書房、2018年4月)、『武器になる情報分析
力─インテリジェンス実践マニュアル』(並木書房、2019年6月)
など。

ブログ:「インテリジェンスの匠」
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