こんにちは。エンリケです。
「陸軍小火器史」の四十六回目は、
番外編の18回目です。
ではさっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍小火器史(46)
番外編(18)
警察予備隊の戦車「M4シャーマン」
荒木 肇
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□はじめに
千葉県の災害はたいへんお気の毒です。屋根が飛ばされ、雨漏
りがする。なんとかビニールシートがかけられないか。じゃあ、
自衛隊の派遣を頼もう。自衛隊は断れない。しかし、自衛隊の活
動は、民間への支援では「公平・平等」を原則とする。ある集落
のいちばん危険な家にだけ補修の手伝いをして、順位をつけて急
がない家はしない・・・とは言えないのだ。
しかも、隊員には高所作業の専門家はほとんどいない。トビの
経験者や、その管理者であった人などいないのが当たり前である。
それが危険な崩壊しそうな家に立ち向かい、安全管理の専門員
(青いカバーをヘルメットに着けている)がそばについて作業を
している。
先日の映像を見たら、隊員は半長靴を脱いで、私物のようなス
ニーカーを履いていた。それは当り前で、戦闘用の長靴では危な
くて仕方がないからだ。靴底が違う。スニーカーは結構だが、あ
れはどこから支給されたのか。派遣を要請した県市町村が買って
きたのか?まさか、私物ではあるまいなと、防衛予算の少なさを
よく目の当たりにするわたしは、ちょっと疑うのだ。
困ったら自衛隊、大変だったら自衛隊、危なかったら自衛隊。
そのくせ、防衛予算の増加には文句をいう。あるテレビ番組は、
地域の被災者が非難がましく「ここには自衛隊は来ていない」と
いう映像を流した。もちろん、リポーターは「困りましたね。自
衛隊にもよく考えてもらわなければ」としたり顔でまとめるので
ある。あ~あ、全国どこでもくまなく出かけ、便利屋よろしくわ
ずかな手当てで、文句をいわれながら活動する自衛官。
このうえ、作業の道具や衣料も自分負担ではないでしょうね。
もし誤解だったら申し訳ないですが。
小火器史のはずが戦車の話になってしまった。番外編なのでご
勘弁くださればありがたい。用兵思想がそのまま装備や戦術につ
ながってくる。ところが予備隊は、装備や戦闘の方法が、そのま
まアメリカ軍を真似したものになってしまう。
今回は、数的な主力になったのがM24。それより少数しか供
与されなかったが堂々たる姿を見せたM4ジェネラル・シャーマ
ンの話をしよう。わが国に渡されたのは大戦中期から米軍戦車の
中心となったこの中戦車の中でも、改良が続けられた後期型のM
4A3E8である。このE8、これをイージー・エイトと呼んで
愛称とした。
搭載砲は52口径の76ミリ砲である。初速は1036メート
ル/秒にも達する。装甲の貫徹力は457~1829メートルの
射程で157~98ミリである。戦車の照準は直接に敵をねらっ
て、つまり見える敵を撃つ。おおよそ600メートルから100
0メートルくらいで撃てば、たとえ敵戦車の前面の装甲厚が12
0ミリあっても撃ち抜くことができる。
前世代のドイツ軍戦車、5号G型(パンター・1944年)で
も最大装甲厚が110ミリだからカタログ・スペックでは十分な
攻撃力があった。ただし、有名なキングタイガーといわれる6号
B型になると185ミリもの前面装甲があったから撃破は難しか
っただろう。
M4E8の最大装甲厚は108ミリである。T34/85の搭
載砲は54.6口径85ミリであり、徹甲弾で1200メートル/秒、
貫徹力は500~1000メートルの射程で138~100ミリ
になった。つまり砲の打撃力も、車体の防御力も1000メート
ルの距離ではほぼ対等になり、事実、韓国の釜山橋頭保を航空優
勢のおかげもあり、守りきったのは、このイージー・エイトだっ
たのだ。
▼まさにマンモスの風格だった
元自衛官の三味氏の証言によると、スマートな流線型のM24
と比べると、まさにマンモスの風格があったという。比べるため
に( )内にM24の数字を入れる。戦闘重量、砲弾・機銃弾・
燃料等を満載したとき33.6トン(18.4)、全長7.73
メートル(5.49)、全幅2.99メートル(2.99)、全
高2.98メートル(2.56)、エンジン形式水冷V8気筒ガ
ソリンエンジン(V8気筒ガソリンエンジン×2)、出力450
馬力(220馬力)、最大速度41.8キロメートル/時、行動
距離161キロメートル(161)と確かに中戦車と軽戦車の差
は歴然としている。
また車載機関銃としてはM2キャリバー50(12.7ミリ)
を砲塔上に1挺、車体前方にM1919A4キャリバー30
(7.62ミリ)、砲塔に砲と並んで連装銃として同じ空冷機関
銃を1挺装備した。この砲と並んで砲塔内に装備された機関銃を
「連装機銃」と言ったり、「同軸機銃」と書いたりする人もある
が、「機銃」とは海軍用語であり、陸上自衛隊戦車部隊では連装
銃あるいは連装機関銃という。このことは、元戦車兵で筆者の畏
友、神博行氏が教えてくれた。
「砲種連装 前の台敵散兵 連装行進射 撃て!」という号令
からも分かるように車載機関銃は「連装」もしくは「連装銃」と
いう。よくマニアの方々が口にされる「同軸機銃」という言葉も
使わない。おそらく英語からの直訳ではないか、またそれが広ま
ったのは戦車のプラモデルの解説書からではないかと神氏は語る。
元陸上自衛隊武器学校長の市川氏の新著『不思議で面白い陸戦
兵器』には、「戦車砲の基部に砲身と同じ向きに搭載されている
ことから『同軸』と呼びます」とあるので、これは興味深い話題
でもある。整備や後方支援にあたる武器科の隊員の用語と、実際
に使う戦車兵の言葉との間で違いがあるのだ。職種(兵科)の文
化の違いともいえる。
いずれであれ、通信手が操作する前方を掃射するキャリバー3
0(7.62ミリ)と砲塔に砲と並んでついた連装銃(同じくキ
ャリバー30)は主に近距離の対人用である。これは砲の照準器
を使って砲手と車長が撃つことができる。乗員は前方左に操縦手、
右に前方銃手、砲塔内には砲をはさんで左に装?手、右に砲手と車
長が乗る。映画『フューリー』をご覧になった方には理解しやすい。
砲弾は86発、対空機関銃M2の弾は630発、前方・連装機
関銃弾は6875発だった。最大登坂能力は60%、約31度で
あり、旋回半径は9.45メートル、渡渉水深0.914メート
ル、超壕幅2.29メートル、垂直登壁高0.61メートル。そ
うしていわゆる燃費は1リッターあたり271メートルという。
携行燃料は636リットルだから、行動距離は約172キロメー
トルあたりになる。ただし、これもカタログ値であり、平坦な道
路、草原などを走る場合と、起伏があり、溝などもある不整地を
走る場合では燃料消費量が異なることは理解できる。だからカタ
ログでは161キロメートルとなっている。
▼装甲のこと-司馬氏の話は技術者を泣かせる
ふつうの鉄でできた鉄板(てっぱん)では敵弾を完璧には防げ
ない。戦車は全身を鋼鉄の鎧でおおう。軟鉄(ふつうの鉄)にマ
ンガンやニッケル、コバルト、モリブデンなどの元素を加えると、
より堅い合金になる。これが鋼鉄、スチールであり、わが国でも
幕末以来、反射炉などで製造に苦労してきた。
鉄鉱石からできあがる「銑鉄(せんてつ)」はそのままでは中
の炭素の量が多すぎ、不純物も多く含まれるから、硬くて、その
かわり脆(もろ)い。鋳鉄(ちゅうてつ)といわれる「鋳物(い
もの)」の原料になる。これを鋼(はがね)にするには不純物を
除き、炭素量を1%から2%くらいにする。これは硬く、しかも
粘りがあるので、いわゆる装甲鈑(そうこうばん)に使えるよう
になった。
技術の進歩は手探りである。しかも軍事技術は相手があること
だから、互いの手の内を読みながら、より強力な防禦力をもつ装
甲鈑を開発する。また、相手の装甲鈑を撃ち抜く弾を研究、実験
を重ねて生産しなければならない。ノモンハン事件(1939年)
では、わが戦車の砲弾はソ連軍戦車の装甲に弾き返されたようだ。
もちろん、当時の最新装備の九四式37粍速射砲は、距離によっ
て十分に有効だったという。
装甲鈑には硬さと軟らかさが大切である。硬くなくてはガツン
と相手の弾を弾き返せないし、同時に軟らかくなくては弾の命中
した衝撃で割れてしまったり、ひびが入ったりしてしまう。高名
な歴史小説家の司馬遼太郎氏は戦車兵だった。専門学校から戦車
兵として入営、幹部候補生として予備役少尉に任官、即日召集さ
れ戦車聯隊に赴任する。
その司馬氏の体験談(『歴史と視点-私の雑記帳、戦車-この
憂鬱な乗り物』1980年、文春文庫)を読んで、わたしは驚い
た。戦車を「やすり」でこすった経験を書かれている。初年兵の
頃の古い戦車は「やすり」をあてるとカラリと滑って歯が立たな
かった。ところが密かに新型戦車の砲塔をこすってみた、「ザラ
リとやすりを受け止めた」。だから、「普通の鉄」を装甲に使う
ほど、日本陸軍は落ちぶれていたというのだ。
戦時中の当時、それを聞いたら冶金の技術者やメーカーの担当
者は、文系学徒あがりの予備少尉の誤解と無知とを笑い飛ばした
だろう。ところが、戦後20数年経って、それを書かれ、聞かさ
れた技術者たちは泣くしかなかった。いくら抗弁しても世間は国
民的大作家の書かれたことである。しかも司馬氏は帝国陸軍戦車
隊の元将校だった。
日本人の多くは、「自分の実感や体験を疑うことから始まるのが
科学である」という意識が低い。やった人が言うのだから、ある
いはやられた人が言うのだから正しいということが常識になって
いる。司馬氏は自分の体験から日本軍戦車を悪く言う。事実が多
いのはその通りだが、科学的根拠のない非難が多い。
詳しいことは製鉄や製鋼、装甲鈑の専門家の本を読めばいいが、
1929(昭和4)年の制式戦車である89式軽(のちに中)戦
車と、1943(昭和18)年の3式中戦車では装甲の性質も、
能力も、その組成そのものが違っているのだ。当然、後者が進歩
しているわけで、そのために技術者たちは懸命の努力をしていた。
それをヤスリの目が立つ、立たないで「ただの鉄」と酷評された
ら泣くに泣けない悔しさにかられたことだろう。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚
気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。
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