配信日時 2019/09/18 09:00

【陸軍小火器史(45)番外編(17)】警察予備隊の戦車 荒木肇

こんにちは。エンリケです。

「陸軍小火器史」の四十五回目は、
番外編の17回目です。

ではさっそくどうぞ。


エンリケ



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 陸軍小火器史(45)
  番外編(17)
   警察予備隊の戦車

 荒木 肇
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□ご挨拶

 台風15号による被害の復旧がとんでもないことになっていま
す。主に千葉県ですが、深刻な被害がありました。首都圏への直
撃が少ないなか、これほどの災禍をもたらすとは多くの人も予想
していませんでした。電気が停まり、水も出なくなる、鉄道も道
路も不通となる、しかもそれが1日のことではなく、1週間にも
及ぶようになった・・・こんなことになるとは誰も思わなかった
ことでしょう。

 電気こそがわたしたちのライフラインだと思わされます。便利
であり、当たり前のものが自然の大きな力で一気にくつがえされ
てしまう。
「たかだか電気のようなものに自分たちの命を預けていいのでし
ょうか」と国際的な文化人、音楽家でもある原発反対論者はおっ
しゃいました。そうだ、その通りだ、危険な原発はやめろ・・・
と賛同する方もおられるでしょうが、目の前の大被害には何にも
なりません。

社会の仕組みを変えろとおっしゃるのでしょうが、そのためには
何から手を着けたらよいのか、具体的な提言をお願いしたいもの
です。

自衛隊が災害派遣で出動しています。人手不足の中で、隊員たち
はけんめいに活動しています。水がない、倒れた木を伐れ、道路
を直してくれ・・・いつでもすぐに飛んできてくれ、注文ばかり
です。それでいて、防衛予算を増やそうとすれば反対。自衛隊さ
ん、御苦労さんの声ばかりで、自衛隊員が置かれている状況には
無関心。

もちろん、感謝してくださる、応援もしてくださる、たいへん有
り難く思いますが、具体的な支援をいただいた方がもっと嬉しく
思います。ヒト、モノ、カネです。そのことを理解している議員
の方々を選んでください。自衛官の家族として、実態、実情の一
部を知る者にとっては歯がゆく思うことばかりです。

 さて、今回は発足当時の機甲科部隊のお話をします。参考文献
は、昨年、防衛ホーム新聞社から発行された『日本の機甲100
年』です。陸上自衛隊機甲科が執筆された貴重な本。豊富な写真
資料やその時代の隊員の肉声が入っています。


▼普通科連隊第14中隊

 管区隊が師団であることは明らかだった。しかし、軍隊ではな
い。だから陸軍のイメージが高い師団や旅団という言葉は使えな
かった。同じように「歩兵科」が使えないから「普通科」である。
管区隊が師団である証拠の1つは、その設立ごとに付けられた番
号でも分かる。


 当時、わが国を占領していた兵力の中心は、アメリカ陸軍第8
軍である。その隷下には4個師団があり、東京都練馬区には第1
騎兵師団、北海道札幌市には第7歩兵師団、兵庫県伊丹市には第
25師団、福岡県福岡市には第24師団が駐屯していた。これが
朝鮮半島への出征順に、それらの跡地に管区隊が順に置かれたこ
とは前にも書いた。

 東京都は第1管区隊(のちに第1師団)、北海道は第2管区隊
(のち部隊増設で旭川に移転、のち第2師団)、兵庫県には第3
管区隊(のち千僧駐屯地に第3師団)、福岡県には第4管区隊
(同第4師団)が置かれたのである。

 戦前の陸軍の師団ナンバーの付け方は初期の6鎮台が起こりに
なった。1が東京、2は宮城県仙台市、3は愛知県名古屋市、
4は大阪府大阪市、5が広島県広島市、6が熊本県熊本市であっ
た。いずれも江戸時代の大きな領地をもつ雄藩の大きな城がある
のが特徴でもある。

 予備隊の編制は、管区隊の下には連隊、大隊、中隊、小隊、分
隊とつづく。これは警察の機動隊なども同じような言い方をする
ので、問題がなく通ったのだろう。前にも書いたように、管区隊
には普通科連隊が3個あった。連隊は3個大隊、各大隊は4個中
隊で通し番号をもち、第1大隊は1~4中隊、同2大隊は5~8
中隊、同3大隊は9~12中隊である。さらに第13中隊は重迫
撃砲をもつ、第14中隊は特車中隊だった。

 この14中隊こそ、のちの戦車連隊、戦車群、戦車大隊の礎に
なった。1951(昭和26)年5月のことである。各普通科連
隊に12個中隊が新編された。しかし、当時は朝鮮戦争の真った
だ中であり、実際に戦車が配備されたのは翌年8月ごろという記
録がある。乗員教育も1952(昭和27)年3月25日に群馬
県榛東村の相馬ケ原の旧陸軍前橋予備士官学校跡に開設された
「総隊特別教育隊」で始められた。ここで乗員は全員が15週間
の教育を受けた。

 14中隊の編制は次の通り。中隊本部にM45(中戦車)×2、
5個小隊はM24軽戦車×25だった。中隊本部には本部班と整
備班、管理・炊事・補給班があった。このM45というのは10
5ミリ榴弾砲を装備するものだったが、実際はM24によって代
替されていたそうだ。

▼当時の普通科連隊第14中隊の所在地

 なお、連隊番号の呼び方は今と異なり、旧軍の科名・番号順を
とっていた。つまり、第1管区隊(本部・東京都越中島駐屯地)
普通科第1連隊第14中隊となる。現在は、第1普通科連隊とい
う。第1管区隊の普通科3個連隊は第1、同2、同3である。

 第1連隊第14中隊は神奈川県久里浜、第2連隊同は長野県松
本、第3連隊同は新潟県高田、各駐屯地にあった。第2管区隊
(本部・札幌市真駒内・まこまない・駐屯地)には、第4連隊第
14中隊(北海道網走支庁遠軽・えんがる)、第5連隊同(石川
県金沢)、第6連隊同(栃木県宇都宮)、第3管区隊(本部・京
都府宇治駐屯地)には第7連隊第14中隊(京都府舞鶴)、第8
連隊同(広島県海田市・かいたいち)、第9連隊同(香川県善通
寺・ぜんつうじ)、第4管区隊(本部・福岡県福岡市)には第1
0同(福岡)、第11連隊同(山口県小月・おづき)、第12同
(鹿児島県鹿屋・かのや)の各中隊があった。

 一見して分かるのが、現在の陸上自衛隊の部隊名と駐屯地の異
同である。たとえば、第4管区隊は九州にいたが、隷下の第11
連隊第14中隊は山口県下関市の小月にいた。京都府舞鶴は現在
は海上自衛隊基地だが、当時は予備隊駐屯地だったのだ。

▼偵察中隊の新編

 偵察隊といえば、旧軍では騎兵聯隊が改編された捜索(そうさ
く)聯隊の血統を引くだろう。管区隊には偵察中隊の編制があっ
た。編成完結は1951(昭和26)年4月末だった。現在の陸
上自衛隊には師団・旅団に偵察隊がある。


 4個の管区偵察中隊の所在地は次の通り。第1偵察中隊は長野
県松本駐屯地、第2同は北海道網走支庁美幌(びほろ)駐屯地、
第3同は京都府舞鶴駐屯地、第4同は福岡県小倉市曽根駐屯地
(現在は小倉駐屯地曽根訓練場)だった。


 中隊本部と3個偵察小隊に分かれた。前回に紹介した連隊戦闘
団では3個の普通科連隊に1個小隊ずつ配属するためである。各
小隊は本部、特車班、斥候班、小銃分隊、迫撃砲分隊に分かれ、
M24軽戦車を7輌、装甲車を5輌もっていた。偵察中隊といっ
ても、機動力、火力も大きく、威力偵察を十分に行なえる規模、
装備だった。

▼M24軽戦車

 初期の第14中隊、管区偵察隊の主要装備になったM24チャ
―フィー軽戦車について詳しく調べてみよう。

 まず、隊員にはひどく好評だった。アメリカ人の大柄な体格に
合わせたM4中戦車に比べて軽量で小さかった。その操縦のしや
すさにも定評があった。主砲は第2次大戦中に、航空機に搭載す
るための小型軽量砲だった。75ミリという口径だったが、砲弾
を片手でもらくらくと掴めたという。37.5口径である。

 アメリカ陸軍で制式化されたのは1944(昭和19)年7月
だった。戦闘重量は18.4トン、装甲厚は25.4ミリから3
8ミリだった。大事な対戦車戦闘力だが、対戦徹甲弾を用いて、
初速は619メートル/秒、貫徹力は457メートル~1829
メートルで30度の着弾角で66~50ミリを発揮した。連装機
銃も砲塔にM1919A4型7.62ミリ機関銃、車体前方右側
に同機関銃1門、さらに砲塔上部に対空銃架に載った12.7ミ
リM2重機関銃が装備された。

 携行弾数は主砲弾48発、12.7ミリ機銃弾420発、
7.62ミリ機銃弾は4125発。最大速度は時速56.3キロ
メートル、416.4リットルの携行燃料で行動距離は161キ
ロメートルにもなった。旋回半径は7.01メートルで小回りも
きいた。

 実戦場にはノルマンディー上陸からドイツ本土を目指すアメリ
カ陸軍ヨーロッパ派遣軍の機甲師団機甲偵察大隊軽戦車中隊、機
甲群独立軽戦車大隊、騎兵群独立騎兵偵察大隊軽戦車中隊の一部
に装備された。戦後の映画でも『レマゲン鉄橋』のトップには快
走する姿を見せた。また有名な『バルジ大作戦』ではM4中戦車
に扮して、M47が扮するキングタイガーに抵抗する姿を見せた。

 貴重な教えをいつもいただく葛原元1佐の証言(平成23年
「丸」別冊1月号・陸上自衛隊の戦車)によれば、「キャディラ
ックのエンジンが2つあり、トルクコンバーター式の変速機だっ
たので誰もが操縦しやすい戦車だった。(筆者は機甲生徒時代、
本車で免許を取った)。初めてトーションバーが使われ、M4と
比べれば、雲に乗ったような乗り心地であった。戦車砲はもとも
と爆撃機搭載用だったので軽量で、威力は限定されたが偵察用軽
戦車としての静粛性、実用性に優れ、訓練用としても最適の戦車
だった」という。

 次回は主力中戦車となった「イージーエイト」といわれたM4
について調べよう。



(以下次号)


(あらき・はじめ)

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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚
気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。
 
 
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