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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は、今回で53回目です。
満洲をめぐるおはなしは、
スッと自然に入ってくるものでした。
冒頭文も必読ですね。
さっそくどうぞ
エンリケ
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(53)
「満州事変」の背景と影響(1)―日本と満州の関係―
宗像久男(元陸将)
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□はじめに(GSOMIA破棄について)
ついにと言うべきか、やはりと言うべきか、韓国が「日韓秘密
軍事情報保護協定(GSOMIA)」を破棄しました。これに対
する日韓両国や米国の反応がおおむね出尽くしたと考えますが、
私も元自衛官の立場から本協定破棄が我が国、朝鮮半島そして東
アジアの安全保障にいかなる影響を及ぼすか、について関心を持
たないわけに参りません。
なかでも、注目していたのは、米国や韓国国防部などが反対し
たにもかかわらず、文大統領が一部の国内世論に迎合して破棄を
決断したことに対して、韓国内の“新たな動き”があるかどうか
でした。
時を追って整理してみますと、韓国内の評価は2分され、保守派
グループによる反文大統領のデモが発生したことなどもニュース
になりましたが、“当初の想定”の範囲だったと考えます。
破棄後、その決断をあざ笑うかのような北朝鮮のミサイル発射も
ありましたが、短射程にとどまったことから、“出来レース”の
範疇だったのかとも考えてしまいます。
しかし、米国の批判は、文大統領の“想定をはるかに超える”も
のだったのではないでしょうか。G7サミット時の日米首脳会談時
においてトランプ大統領が「韓国はひどい。賢くない。文大統領
は金正恩になめられている。金正恩は文大統領を信用できないと
言っている」と、米国にとって“北朝鮮と韓国、どちらが同盟国
かわからない”ともとれるような発言をしたのに続き、国務長官
や国防長官らが相次いで「韓国に失望した」と発言し、「事前通
告もなかった」ことも暴露しました。
以来、韓国側から米国への“自粛お願い”や反論、そして対日批
判も増大していますが、あろうことか、大統領側近の疑惑捜査の
ため検察の一斉捜査が入り、「そのスキャンダル隠しが背景にあ
った」との報道もありました。はたまた「韓国無用論」までささ
やかれている今、文大統領の内心は穏やかではないのではないか、
と推測してしまいます。
一般的な意味で言えば、情緒的な国民の“受け”を気にして決断
する傾向にある政治家に対して、軍人の中には「大義」や「正義
感」や「使命感」にあふれ、冷静な人たちが必ずいるものです。
我が国でも戦前、旧軍の将校たちがこれらを過度に持ちすぎて
“暴走”したといわれますが、軍人たちはこれら3つの視点から
“許容範囲を超えた”と判断する時、しばしば行動を起こすと歴
史は教えます。
しかし、今までのところの知りうる限りでは、韓国軍には反政府
活動のような動きもなく、軍人たちが“静か”なことは幸いです。
国家の他の機能同様、文大統領の“息のかかった”将軍たちが多
数占めていることがその主要因なのでしょうが、それ以外にも理
由もあるような気がします。
このたびの日韓関係の悪化の出発点は、慰安婦や徴用工など歴史
的事実や国と国との約束の問題のほかに、「レーダー照射事件」
(昨年12月20日)にありました。軍人たちも加担していたの
です。一度、嘘をつくと途中で是正することができません。韓国
軍は、今なお、その“うしろめたさ”を隠すように、日本海域や
上空で“対日行動”を続けていると側聞します。
文大統領のGSOMIA破棄を決断の陰に、韓国軍のそのような
事情があったとすると、“GSOMIAの破棄は安全保障上重大
だ”との「大義」は弱くなります。しかし、同時にそれは、韓国
の将来に大きな禍根を残すのではないか、と心配してしまいます。
側近のスキャンダルが、韓国が“元に戻る”きっかけになるかも
知れませんが、これをうまく乗り越え、大統領在任間はこのまま、
という可能性の方が高いのではないでしょうか。よって、我が国
はもうしばらく我慢が必要なのでしょう。
しかし、この問題の本質は、忍耐強い我が国の“出方”ではあり
ません。中国の“そそのかし”も含めて北の将軍様がこの情勢を
今後、どのように利用するか。そして、“韓国に愛想を尽かしつ
つある”トランプ大統領がどのような決断をして韓国に注文をつ
けるか、の2点にあると思うのです。
今すぐに、「米韓同盟」破棄のようなことは考えられませんが、
米朝会談の今後の行方、そして米中経済戦争の激化などの不確定
要素を含み、東アジア情勢がますます“一寸先は闇”の世界に突
入したことを覚悟する必要があると思います。
そして、このたびの決断の延長で、文大統領がさらなる「親北・
反日米政策」を打ち出すようなことがあれば、国内の反動を含め
て、その時こそが“韓国の終わりの始まり”と考える必要がある
のではないでしょうか。我が国はそれを“胸のすく思い”と喜ぶ
わけには参りません。有史以来、朝鮮半島の平穏には“我が国の
存亡”がかかっていました。それは将来も変わらないからです。
最近、ある月刊誌で、日韓歴史教科書をめぐる韓国側の意見と
して次のような発言を見つけました。「教科書問題を解決するに
は、“日本が事実にこだわる”かたくなな態度を棄てるべき」だ
というのです。その著者は「韓国においては、歴史は事実でも科
学でもなく、信仰なのだ。だから、慰安婦や徴用工の問題でいく
ら“証拠”を積み上げて反論しても、彼らの“信仰心”を動かす
ことはできない」と鋭い指摘をしていました。
読者の皆様は、下記のようなジョークがあるのをご存知でしょう
か。
神「日本という国をつくろう。そこで世界一素晴らしい文化に、
世界一素晴らしい気候を、世界一勤勉な人間に与えよう」
大天使「父よ、それでは日本だけが恵まれ過ぎています」
神「我が子よ、案ずるな。隣に韓国をつくっておいた」
神様を恨むわけには参りませんが、このような“隣人”がいるか
らとて引っ越すこともできません。「韓国は、我が国が“恵まれ
過ぎている”と他から妬まれないための免罪符」だと考え、いか
なることにも“腹を立てず”、覚悟を決めて、是々非々で付き合
って行くしか方法がないのです。
長くなりました。今回から「満州事変」に入ります。「満州事変
が大東亜戦争を引き起こした」との見方があります。また、「大
義」や「正義感」や「使命感」にあふれる軍人たちは「満州事変」
から“暴走”したともいわれます。数回に分かれますが、「満州
事変」の背景やその実態、そして影響を振り返ることにしたいと思います。
▼「満州事変」とは
1931(昭和6)年9月18日、関東軍は奉天北部の柳条湖で
南満州鉄道の線路を爆破した(「柳条湖事件」)。関東軍はこれ
を中国軍の仕業であると称して、直ちに満州における全面戦争に
突入した。これが「満州事変」である。政府は不拡大方針をとっ
たが、関東軍は進撃を続け、朝鮮駐留の陸軍も越境して、翌32年
1月までに満州を占領した。
「満州事変」について、ほとんどの教科書は上記のように記述し、
その背景とか、なぜ軍がこのような行動したかについてはまった
く言及しないまま、一方的に日本が侵略したかのように記述して
いるのが一般的です。しかし、これだけの内容では何とも腑に落
ちない所が多々あり、“史実”はどうだったのだろうか、と疑問
を持つに至りました。
▼当時の日本にとっての満州
しばらくの間、「満州事変」の背景を振り返ってみましょう。そ
の背景はまさに複雑です。まさに「立つ位置」によって“見方”
が分かれる所でもあります。まず、できる限り“史実”に沿って
その背景をレビューしておこうと思います。
「満州」という地名は、狩猟民の「ジュシェン(女真)人」が万
里の長城以北に清朝を建国した時、種族名を「マンジュ(満洲)」
と改めたことから、“マンジュ人が出た土地”との意味で「満洲」
と日本人が最初に呼称しました(よって、正確には「満洲」が正
しいが、本メルマガでは一般的な「満州」を使用します)。また、
「満蒙」という言葉もよく使われますが、満州とモンゴルは国境
がハッキリは分かれている訳はなく、密接につながっていたので
した。
「日露戦争」ではこの満州が戦場になり、「ポーツマス条約」そ
してロシア帝国との「協約」によって、我が国が南満州の「大陸
経営」を行なうことになったことはすでに述べましたが、当時、
陸軍が希望した、軍政による満州支配を元老・伊藤博文が拒否し
たことに加え、日露戦争で予算を使い果たし、巨額な借金の返済
を強いられた我が国は半民半官による鉄道経営を思い立ち、南満
州鉄道(以下「満鉄」)株を募集したところ、倍率が1千倍にな
ってあっという間に売れたといわれます。
こうして昭和初期頃には約20万人の日本人が住み、その保護と
満鉄の警備のため、1万人の陸軍部隊(関東軍の前身)が駐屯し
ていました。そして、中国国内の内乱(細部は後述します)の影
響もあって大量の民族移動も発生し、満州の人口は、1930
(昭和5)年頃までの25年間に70%増加し、約2900万人
にまで膨れあがりました。
その結果、満州の生産は大幅に向上、たとえば、特産大豆の生産
は5倍、出炭は14倍、貿易は6倍となりました。また、満州の
輸出入の40%、対満投資の72%は日本が占め、満州経済にお
ける日本の地位は断然優位になっていきました。
これを日本側から見ますと、日本の全輸出の24%が対支輸出、
そのうちの35%が対満輸出、全輸入の18%が対支輸入、その
うち58%が対満輸入でした。また、対満投資約15億円は、当
時の日本対外投資の54%を占めました。このように、日本経済
における満州の地位は極めて大になり、原料資源や生活必需品の
需要を中心に、“不可分の相互依存関係”に成長していたのです。
そこに、前回取り上げた「世界恐慌」の影響で各国がブロック経
済の方向に傾きつつあるなか、我が国は土地が狭く、資源が乏し
く、人口が多く、かつアメリカへの移民も締め出された結果、当
時の満州は「我が国の国家存立上不可欠の要件と考えられていた」
(瀬島隆三氏)の地位にまで成長していたのでした。
当時の日本陸軍は、依然としてロシアを想定敵国としていました
が、革命後のソ連は、一時の混乱の後、やがて共産主義思想の普
及と伝統的な南下政策の両面から再び極東地域に復原することが
予想されました。その侵略を阻止すべき“戦略上の要域”もまさ
に満州だったのです。
こうした情勢を踏まえ、1919年、関東庁が発足して関東軍も
独立しました。その関東軍が戦略的には南満州のみならず、出来
得れば北満州も支配して「縦深を確保したい」と考えるようにな
るのは、その良し悪しは別にして、軍事的には当然のなりゆきだ
ったと考えます。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
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【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。
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おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)
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