こんにちは。エンリケです。
「陸軍小火器史」の四十一回目は、
番外編の13回目です。
朝鮮戦争期の国内の空気が良く伝わる内容です。
戦前からつづくマスメディアが持つ
事大主義
世論操作嗜好
という顕著な特徴は、彼らの核心なのでしょう。
ではさっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍小火器史(41)
番外編(13)
混乱の中での組織作り
荒木 肇
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□ご挨拶
お盆の休暇も終わって、台風も過ぎました。九州、四国、中国
地方の皆さんはいかがだったでしょうか。当地、横浜もいくらか
風雨が強くなりましたが、全体では大きな被害というものはなか
ったようです。
さて、「あおり運転・暴行傷害男と女」が逮捕されました。話
題としては、わたしが長い間お世話になっている自動車販売会社
の支店が、修理の代用車を乗り逃げされるという身近なものでも
ありました。売らねばならぬという強制力が働いたのでしょう。
初めての一見(いちげん)の客のようです。悲しい気分になりま
すね。
経歴や本人にどういう背景があったのか、いずれマスコミが取
材して詳しく知ることもできるでしょうが、ある意味、イライラ
した人が増えているとも感じています。先日も電車の車内でリュ
ックを背負ったまま、ぶつぶつつぶやきながらぶつかってきた男
がいました。「ぶっ殺すぞ!」とすごんでいました。
いま書いているのが、ちょうど似た雰囲気の社会だった・・・
というような気もしています。
▼イライラした社会
その当時の警察庁巡査の初任給が3991円、予備隊員になれ
ば日給150円、30日分だと月額4500円、衣食住付き。し
かも2年間の1任期を終えれば、6万円の退職金が支給される。
当時の就職難と厳しい生活状況の中で、そうした物質的条件の良
さから国家警察予備隊(NPR)募集に応じた人が多かったのは事実
である。
白米は10キログラムで445円(『値段の風俗史』朝日文庫)
であり、戦前なみに大人が一日5合(約750グラム)も食べよ
うものなら、1カ月で約22キロ、米だけで1000円ほどもか
かってしまう。だから、ごく一部の豊かな家庭を除いては、白米
だけを食べていた人は少なかったことだろう。
この時代をきちんと描いた記録や小説は少ない。1つの理由は
イデオロギーの対立があり過ぎた。近頃でこそようやく毛沢東
(中国の指導者)とスターリン(ソ連の独裁者)に後押しされた
金日成(キム・イルスン、北朝鮮の首領)が先制攻撃をかけた・・・
つまり侵略者だったことが通説になったが、当時は「南韓侵攻説」、
「米国謀略説」も大きな声で叫ばれていた。
よく考えれば、北朝鮮軍が開戦からわずか4日間で韓国領に大
規模な上陸作戦を行っている。これが北朝鮮の自衛戦闘などでな
いことはそれだけで明らかなのだが、ソ連ひいき、中国大好きな
共産主義者(それと同調するインテリ、もしくはインテリに憧れ
る人)たちは、アメリカの謀略、韓国からの侵攻などと主張して
いた。もっとも、謀略という観点からいえば、南朝鮮に侵攻して
もアメリカは介入しないだろうという観測を金、毛、スターリン
に伝えた工作員はいただろう。まさに冷戦構造とはそういうもの
だ。つい10年ほど前まで、どちらを主張しても、相手陣営から
強烈な攻撃を受けたものだ。
ただし、もう1つ理由があったという人もいる。1935(昭
和10)年生まれのテレビ演出家であった鴨下信一氏は『誰も
「戦後」を覚えていない[昭和20年代後半篇]・文春新書』の
中で、多くの日本人にとって朝鮮戦争は対岸の火事だったという。
しかもこの火事にみな無関心だったというのだ。他人事、巻き込
まれたくない、国連軍(占領軍)任せ、そういった気分が世の中
にはあふれていた。
まず、空腹を満たす。それが最大の目標だった社会。栄養は偏り、
体力ももたない、安定すると結局、格差が目立つ社会になった。
暴力沙汰は多かったし、密告や嫌がらせ、イライラとした人の存
在がとにかく目立った。落ち着かない社会でもあった。
▼情報の操作があった
国民の多くが無関心だったのは情報統制が厳しかったせいもあ
る。報道は今からはとても想像できないほど不自由なものだった。
新聞もラジオも、占領軍による検閲や報道制限を受けていた。戦
前・戦中の「軍部」に協力したA新聞も、その頃はすっかり反省
して、平和を謳い、もっぱらアメリカ寄りのプロパガンダを流し
ている。それがわが国の大手新聞の体質と言えばそれまでだが、
いつでも世論操作を企んでいるのだ。
有名な空襲警報事件も忘れられている。1950(昭和25)
年6月29日の午後10時45分。福岡県板付飛行場を中心に福
岡、門司、小倉、戸畑、八幡の5市と長崎県佐世保市の電力が一
斉に停まった。戦時中の「灯火管制」である。福岡上空に国籍不
明機が飛来したというのだ。翌日の読売新聞の見出しは、「突如、
北九州黒一色」だった。
不思議な事だ。長崎県対馬ではおよそ30キロ先の釜山(プサ
ン)付近にとどろく砲声も聞こえていたのだ。米軍を中心にした
国連軍は追いつめられ、韓国政府は一衣帯水の釜山まで後退して
いたのである。
また同年の7月には、小倉で大事件が起きていた。小倉のジョ
ウノ(城野)キャンプから、前線への出動待機の態勢だった部隊
の黒人兵が250人も集団脱走したのである。しかも彼らは武装
し、実包まで携行していたのだ。後に1958(昭和33)年に
なって松本清張の小説『黒地の絵』で描かれたこの事件は、当時、
他の地域ではほとんど知らされなかった。もちろん、兵士たちは
一般の家に押し入り、女性に暴行し、抵抗した人は殺傷された。
この他にも、酔った米兵が民家に押し入り、家族4人を銃剣で
刺殺する。茨城では海水浴場でアメリカ機からの機銃掃射で小学
生の少女が殺された。イタズラ半分の事件も多くあった。道を歩
いていて、トラックに乗った若い米兵から重いヘルメットで殴ら
れ失明した人、トラクターに轢き殺された老婆など・・・。これ
らすべては報道されなかった。
また実際に、朝鮮戦争に加わり、戦死した日本人は掃海艇隊員
だったといわれるが、それだけであったとは思われない。輸送な
どの後方兵站に携わった人、それに実際に韓国名で地上戦闘に参
加した人など、すべて歴史の闇の中である。
▼入隊者の話
「8月28日、広島管区警察学校に入校しました」こう語って
くれたのは、元陸軍曹長だったYさんである。みんな2等警査
(2等兵)で、下士官も将校もいなかった。キャンプの管理は警
察官があたり、アメリカ軍から派遣されたアドバイザー(顧問)
によって訓練が始まった。
「2日後にわたしは江田島学校に派遣されました。コースがあ
ったのです。たしか、幹部要員、火器修理、火器射撃、通信技術
の各課程だったかな」
Yさんは旧陸軍の兵技曹長、兵器技術のプロだった。陸軍工科
学校の生徒課程をおえて、技術部下士官になった。戦時中は中国
大陸の野戦兵器廠などに勤務し、機関銃から迫撃砲、擲弾筒など
の修理や改造などに従事していた。武装解除されたのは上海で、
比較的楽に本土に帰り、復員できた。戦後は闇屋や工場に勤めて
きたが、予備隊が生まれるということを聞いて、家族の了解を得
て「やっぱり軍人に戻りたい」という意思で入隊した。
「ところがですね。入隊してみると、自分のような現役下士官出
身はそれなりに軍隊にノスタルジア(郷愁)を覚えているし、ま
あ、予備の将校さん、あ、カンコウ(幹部候補生)出身者もそれ
なりに自覚はあるんだけど、とにかく全体に規律というものがな
い」
顧問団や警察幹部によって、入隊者は学歴や軍歴、旧軍時代の
階級などが調べられ、仮の幹部に任命された人たちがいた。そう
しないと組織は成り立たないからである。しかし、本来の階級は、
みな最低の「2等兵」という、まさに混乱期は続いた。この頃、
顧問団は、とにかく基幹要員を育てるべく、東京都越中島(人事・
補給)、広島県江田島(初級幹部、武器、施設、通信)、東京指
揮学校(幹部教育)の3校で教育を始めた。
Yさんは旧軍の経歴から火器修理コースに選ばれた。江田島の
4週間の課程を終えて、選抜した40名を、東京指揮学校に送り、
10月から「指揮幕僚課程(6週間)」を学んだ人を「1等警察
士(イッシ、大尉相当)」と「警察士長(シチョウ、少佐相当)」
に任命して、正規の大隊長や幕僚に任命した。
なお、この頃の階級制度は、下から2等警査、1等警査、警査
長、3等警察士補、2等警察士補、1等警察士補、2等警察士、
1等警察士、警察士長、2等警察正、1等警察正、警察監補、警
察監である。警査長までが兵、3等警察士補(サンポ)、2等警
察士補(ニホ)、1等警察士補(イッポ)が下士官、警察士は尉
官、警察士長から1等警察正(イッセイ)が佐官、監補と監が将
官にあたる。なお、現在の3等陸尉(少尉にあたる)である3等
警察士が入るのは翌々年の1952(昭和27)年3月からであ
る。
警察官の階級と対照すると、仕組みがよく分かる。巡査、巡査
部長が下士官・兵、警部補、警部が尉官、警視、警視正、警視長
は佐官、警視監、警視総監が将官になるだろう。なお、巡査長と
いうのは巡査と巡査部長の間に位置するが、正規の階級ではない。
▼「アイズ・ライト!(まなこ・みぎ)」
もっとも困ったのが米軍教範の翻訳だった。各地で「通訳」は
雇われた。英語に堪能な人は当時の日本人には多かったし、待遇・
条件もよかったから通訳はすぐに集めることができた。ところが、
である。軍事英語と一般日常会話英語はまったく異なる。現在で
も、陸上自衛官は特別に「軍事英語」を教育される。
たとえば、Attention!気を付け!、At Ease ! 休め!はいいと
して、Eyes Right!はどう訳したものだろう。軍隊を知っていれ
ば、これは「かしら~右!」である。指揮官に対して服従を示す
礼式の言葉である。直訳して「マナコ、みぎ!」と通訳はやった
らしい。初期の予備隊訓練伝説の1つである。なお、まだ落ちは
続いて、「なおれ!」で指揮官に注目して頭を向けていたものを
また、元の不動の姿勢に戻る号令である。「なおれ!」はまたま
た、「Eyes Front!」という。これを「まなこ、前へ」とやった
ものだから、隊員は目をあっちにしたり、こっちにしたりという
ものだったという。
アメリカ軍の用語を、日本軍の用語訳とともにいくつかあげよう。
右向け、右!(Right Turn)、前へ、進め!(Forward March)、
まわれ、右!(About Face)、小隊 止まれ!(Platoon Halt)、
まわれ右、前へ進め!(To the Rear March)、集まれ!(Fall
In)、別れ!(Dismissed)、番号!(Count off)、右にならえ!
(Dress Right)
こうしてみると、草創期の通訳たちの困惑もよく分かる。次回
も入隊者の声の紹介から始めよう。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚
気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。
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