こんにちは。エンリケです。
「陸軍小火器史」の四十回目は、
番外編の12回目です。
陸自の前身に関する知られざる歴史が
続きます。
ではさっそくどうぞ。
エンリケ
メルマガバックナンバー
https://heitansen.okigunnji.com/
ご意見・ご感想はコチラから
↓
https://okigunnji.com/url/7/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
陸軍小火器史(40)
番外編(12)
予備隊が発足した
荒木 肇
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□ご挨拶
立秋も過ぎましたが、依然として猛暑は去らず。列島のお盆を
直撃しそうな台風。話題に事欠かない8月です。明日は、わたし
の苦手な「終戦」記念日。いろいろな追悼番組や、真相追究番組
がテレビでも組まれます。どのような主張がされるのか目を光ら
して受け止めたいと思います。
□お詫びと訂正
先週の記事について、畏友のIさんから「ルーズベルトは死ん
でいる。ドッジを派遣したのはトルーマンの間違いだろう」との
ご指摘。恐縮です。まことに申し訳ありません。ここに謹んでお
詫びし訂正します。
▼マッカーサー書簡出される
韓国への北朝鮮軍の奇襲から13日後、7月8日に定時連絡の
ためにGHQを訪れた外務省連絡局長に民生局次長から手渡され
た1通の書簡。あわてて出向いた岡崎勝男官房長官、大橋武夫法
務総裁にホイットニー民政局長は、この書簡の内容による新組織
(国家警察予備隊)は議会立法によらず、ポツダム政令によって
設置されると伝えた。
法務総裁とは、いまでは耳慣れない職名である。新憲法施行後
も司法省は存続していた。それが1947(昭和22)年末にG
HQの命令で、翌年、法制局と合体して法務庁になった。
アメリカにはAttorney General(司法長官)という制度があっ
た。司法長官は大統領以下、政府の全長官の法律顧問の地位にあ
り、政府の法の立案・執行・訴訟の遂行を行なっている。それに
ならって占領下日本政府においての法務を統括して、法律問題に
ついての政府の最高顧問の地位をしめる法務総裁を置いたのであ
る。総裁の補助機関が法務庁だった。
当時、日本本土には4個師団を基幹に約8万3000人の地上
兵力がいた。それが7月上旬までには次々と朝鮮半島に出動して
いった。GHQはただちに内乱が起きることを恐れ、警察力の増
強を図り、同時に National Police Reserve(国家警察予備隊)
を設置する計画を立てた。この具体的な計画はマッカーサーの承
認をうけ、ただちに民事局長シェパード少将を長とした「顧問・
管理グループ(CASA)」が東京の江東区越中島に置かれた。そこ
は接収された東京高等商船学校の校舎群があったところだった。
▼CASA(民事局別館)
GHQ内部での対立があった。どこの部局が警察予備隊の組織・
訓練・統制のリードをとるかである。これまでアメリカは他国に
軍隊をつくらせるためには、軍事顧問団を送り込んできた。しか
し、自ら作り、強制した日本国憲法によって軍隊はもてない。そ
こで、情報担当のG2(2部)、あるいは作戦担当のG3(3部)
もしくは民事局のどこが担当するかが問題となった。
熱烈な反共主義者だったG2部長のウィロビー少将は、その部
下の公安課を通じて、全国の警察を統制していた。そこで当然、
予備隊は自分のG2が任されると思っていた。ところがG3の部
長ライト准将、マッカーサーのお気に入りの民生局長ホイットニ
ー准将は当然、これに反対した。そうして結局、軍事的要素を表
面にできないことなどから、政治面を重視する部局がふさわしい
と考えられて、民事局(CAS)のシェパード少将が担当するこ
とになった。
シェパードの幕僚長として働いたのは「顧問・管理グループ」
長のコワルスキー大佐だった。コワルスキーはわずか2か月前に
着任したばかりのシェパード少将の副官である。彼はシェパード
から「(予備隊は)日本防衛隊であり、将来の日本陸軍の基礎と
なるものだ」と言われたという。偽装のために、彼の組織はCA
SAといわれ、「民事局別館」と称された。
シェパード少将はすべての権限を行使し、予備隊の編制・装備・
訓練・統制について、日本政府を援助ないし指導するための「軍
事顧問団」をCASAのもとに置くようにされた。
ここでこれからしばしば登場する「編制」などの軍隊用語を説
明しておこう。よく間違えられるのが同じ音の「編成」である。
編制のほうは「へんだて」といい、編成は「へんなり」といって
区別することが多い。
まず、軍隊の組織は、編制表で定められている。最大の戦略単
位である師団から中隊の組織(部隊によっては小隊まで)まで、
長の階級は何か、定員はどの階級に何人かと詳しく書かれている。
これで規制されるものを「へんだて(編制)」という。
次に、編成は人を集めて新しい部隊をつくるときなどに使う。
たとえば、演習などの状況中に「斥候隊」や「偵察隊」を臨時に
つくるときなどは「へんなり(編成)」するという。だから、あ
の連隊の編成は?と聞くのはおかしい。あの連隊の編制は何個中
隊か?などと使うのは正しい。
装備はわかりやすい。武器と装具である。武器とは銃や銃剣、
拳銃、迫撃砲、対戦車砲などの敵を殺傷・破壊するための道具を
いう。また弾薬も含む。装具は被服やガスマスク、ベルト、弾帯、
背嚢、スコップ、テント、飯盒、銃の手入れ用具、オイル・・・
およそ兵隊の持ち物のすべてをいう。
訓練とは、まず個人の姿勢や行進、回れ右、走るなどの徒手運
動、続いて武器を手にしての行動、さらに団体行動、戦闘訓練、
武器の使用法、手入れの仕方、応用動作訓練、野外での行動など
のことをいう。もちろん、この他に制度のこと、礼式のこと、武
器の構造や精神教育までも含めた座学もある。
統制とは、軍隊風にいえば「軍紀・風紀」に関することをいう。
指揮官の命令への服し方、命令の実行とは・・・などなど、昔の
軍隊では「内務令」によって、詳しく決められていた。
▼大忙しの準備と応募者の数
7月21日、国家警察本部が予備隊創設の準備担当機関と決ま
った。新しい政令も8月10日(警察予備隊令)に施行され、こ
れに先立つ4日には募集条件を決めて、5日にはポスターなどの
各種印刷物を発注し、12日までに末端まで配布を完了した。こ
の間には都道府県ごとの警察署長を集め、13日には早くも募集
を始めた。
受付は全国の警察署の窓口である。15日が締め切りだったが、
38万2003人もの応募があった。募集定員は7万5000人
である。倍率は約5倍。採用試験は17日から全国の警察施設な
ど183か所で行なわれた。身体検査、学科・面接試験、指紋採
取、写真撮影などを実施した。身元確実な者はそのまま合格を言
い渡され、合格者は7万4768人だった。以後、多くを葛原和
三元1佐(元陸自幹部学校戦史教官)のご教示による。
この入隊者には、旧陸海軍の現役将校は認められなかった。公
職追放があったからである。したがって応募者の内訳は年齢18
歳から35歳までだったが、軍隊経験者が過半数の52.6%
(4万2510人)で、旧陸海軍に所属したことのない者が47.
4%(3万8328人)を占めた。前者の軍歴がある者たちの階
級別内訳は、予備将校が合格者全員のうち6.5%の5251人、
同じく下士官20.1%の1万6673人、同じく兵が25.5
%の2万586人である。
このうち7万4158人が10月12日までに各管区警察学校
に入校した。階級は、全員が警察の巡査にあたる「2等警査(け
いさ)」だった。ここで大きな騒動がまず起きた。米軍の顧問団
や警察幹部によって、英会話能力や学歴、学力によって「仮の階
級」である小隊長や中隊長という「仮幹部」が任命された。訓練
や教育、生活の中で階級をなしにすることはできなかったからだ。
仮幹部たちはそれを示す腕章を左腕に巻いた。
▼指揮系統と混乱
幹部をどこから連れてくるのか。旧軍隊の現役将校は全員、公
職追放になっている。だから、予備役からの召集で軍歴があった、
およそ少尉から大尉までの人材しかいなかった。ほとんどが学生
出身の速成教育を受けた下級将校ばかりだったのだ。軍隊には大
尉から少佐の中級、中佐・大佐といった高級将校が必要だった。
大隊長は少佐であり、中佐・大佐は連隊長も務め、高等司令部の
幕僚にも佐官クラスがいなくてはならなかった。
ここで「幹部(かんぶ)」という自衛隊独特の用語を説明して
おこう。旧軍経験者がひどく少なくなった今日この頃。幹部とい
うと企業などではときに「彼は幹部候補生だから」などと序列の
高い人をいうことが多い。あとは、これも存在感が薄くなった反
社会集団、暴力団などで「組の幹部だ」などという言葉が聞かれ
るようになった。
いまの自衛隊では、列国や米国軍隊でいう Commissioned officer 、
士官(将校)のことだけを幹部という。これはおそらく、巡査-
巡査部長が軍隊では下士官・兵にあたり、警部補より上の者を幹
部という警察用語からきている。旧陸軍では、「幹部とは判任官
以上」をいうことになっていたから、下士官も幹部といわれた。
ちなみに下士官を米軍では Non-commissioned officer という。
略してNCOである。Commission とは国家元首からの信任状をいう。
旧軍隊では士官以上、高等武官のことをいった。
ところが、警察予備隊ではひたすら「軍隊用語」を使わないよ
うにした。GHQのいう「カバー・プラン」(偽装計画)である。
階級名もそうであり、装備品の名称にも気を遣いつづけた。
高級幹部約200人は、官公庁の文官、一般公募で集めること
にした。文官は内務省官吏、警察官中心、そして一般公募はなか
なかに幅の広いものだった。
次回は幹部教育と、訓練等の実態などについて語ろう。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
☆バックナンバー
⇒
https://heitansen.okigunnji.com/
荒木さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。
↓
https://okigunnji.com/url/7/
●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚
気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個人情報を伏
せたうえで、メルマガ誌上及びメールマガジン「軍事情報」が
主催運営するインターネット上のサービス(携帯サイトを含
む)で紹介させて頂くことがございます。あらかじめご了承く
ださい。
最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝しています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、心から感謝
しています。ありがとうございました。
--------------------------------------------------------
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会(代表・エンリケ航海王子)
メインサイト:
https://okigunnji.com/
問い合わせはこちら:
https://okigunnji.com/url/7/
メールアドレス:okirakumagmag■■gmail.com
(■■を@に置き換えてください)
--------------------------------------------------------
配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。
Copyright(c) 2000-2019 Gunjijouhou.All rights reserved.