配信日時 2019/08/12 08:00

【桜林美佐の美佐日記(39)】「こりゃ十三塚の崇りぢゃろ・・・」

こんにちは、エンリケです。

紹介されている「昔話」が
実に面白いです。

それにしても九州には、
武の記憶が際立って残っている印象を持ちますね。

九州の武の歴史

を通史で読みたいと思いました。


さっそくご覧ください。

エンリケ


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桜林美佐の「美佐日記」(39)

「こりゃ十三塚の崇りぢゃろ・・・」

桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記といふものを、
女もしてみむとてするなり」の『土佐日記』ならぬ『美佐日記』
は今回で39回目です。

 実は、私が今住んでいる場所は古戦場です。1359年の九州南北
朝最大の合戦「大原合戦(大保原の戦)」の舞台でした。これは
「関ヶ原」や「川中島」と並ぶ日本三大合戦の一つにかぞえられ
「筑後川の戦い」とも呼ばれます。

九州の拠点「大宰府」への進出を狙う後醍醐天皇の南朝方と、大
宰府を守る足利尊氏勢の北朝方の戦いで、『太平記』にも記され
ているのです。

戦いは8月6日の深夜2時に始まり、午前10時頃には南朝方の優勢で
終わったとのこと。『太平記』では5400人以上が討ち死にしたと
しています。

かつては陸軍の飛行場だった「大刀洗(たちあらい)」の地名は、
大原合戦で南朝方の菊池武光が血刀を川で洗ったという故事に由
来し、このほかにも「宮の陣」など合戦を思い起こさせる地名が
各所にあります。

その660周年の慰霊祭が先日、行なわれました。しかし、この
暑い頃に甲冑や兜を身に付けて戦ったのだろうかという声が行事
の会場のあちらこちらから出ていたようで、太陽が高くなったら
もう戦えないような状態になっていたのではないかと想像してし
まいます。

ところでこの慰霊祭が行なわれた場所は昨年の西日本新聞による
と次のようにあります。

「合戦の戦没者を供養する小郡市大保の『高卒塔婆』の前では慰
霊祭が開かれた。1972年、隣接地に陸上自衛隊小郡駐屯地の
自動車訓練場が開設されて間もなく、金縛りに遭う隊員が相次い
だのを機に始まったとされる。地元の保存会が主催し毎年開いて
いる。」

ひえっ!と、昨年は引っ越してきたばかりでこの記事を読み、恐
れおののきましたが、今はすっかり慣れました。

今でも自衛隊では夜中に毎晩起きてしまうとか、うなされるなど
という現象がたまにあるようで、こうした慰霊祭などを行なうこ
とは重要な位置づけになっているようです(今の時期は熱帯夜が
原因かもしれませんが)。

この合戦に因んだものは久留米駐屯地にもあります。

駐屯地の中に「十三塚」というものがあり、これはこの辺りに数々
ある当時の兵士を祀る塚の代表的なものだったそうで、徳川時代
には参勤交代でこの塚の前を通る諸大名は乗り物から降り、行列
は容儀を正して通ったといいます。

明治29年に、帝国陸軍歩兵48連隊がこの地に創設され、その
隊舎を作る際に土の中から鎧の破片や刀剣などの遺品が発掘され
ました。しかし、それらは顧みられることなく放置されていたそ
うです。

すると、それから色々な奇怪な現象が続出して部隊は度重なる災
厄に遭うことになります。そこで、明治41年7月17日に十三
塚の石碑を建立し、出土した刀剣などの遺品を安置して迷える霊
を慰めたと、十三塚にはこの経緯が記されています。

このように言うと無味乾燥ですが、残されている地元の昔話では
次のように表現されています。

「十三塚んあったとこに建てよった兵舎は、風も吹かんとに一人
でこき倒れ、又建てよったら大工どんが 大怪我するち、妙なこつ
の建ち上る前から起りょった。いよいよ建ち上って兵隊が寝泊り
するごつなったら、わけんわからん悪か病気の流行(ハヤ)ッて、
毎年毎年(メートシメートシ)大ごつ。ちょいと 佐賀さん兵隊ば
移さにゃんごつもなった。坊さんとか神主さん呼うで来てお祓い
したばって良うならん、そっでこりゃ十三塚の崇りぢゃろち言う
こつになって、姐元ん者が明治四十年に集って、十三塚ば崩すと
き出て来とった剣てんなんてんば持寄って、日吉神社ん境内に埋
め、そん上に十三塚神社ち石碑ば建てて祭ったりゃ、そりから営
所にゃ何も悪かこつぁ起らんごつなった」

とのことです。

 それから駐屯地や地元が協力し、毎年この日に祭典を行なって
きたようです。その後、自衛隊が誕生し、久留米駐屯地の旧軍隊
舎が取り壊されることになりましたが、この地に残された先人の
霊を慰めると同時に、部隊の加護を祈念しようということで、当
時の福田亘弘3佐の指導のもと、同地に新たに十三塚跡記念碑を
建立し、昭和38年11月の自衛隊記念日に除幕式を挙行したと
いうことです。

 そんなわけで、十三塚というのは久留米市内の神社にもありま
すが、陸上自衛隊の駐屯地内にもあるのです。小さな石碑ですが、
前を通る時に敬礼する人も見られ、存在感は非常に大きいもので
す。

 お祓いやらお清めやらというのは気にし始めたらきりがありま
せんが、いたずらに恐れるのではなく、武人に敬意を払い、きち
んと顕彰する姿勢が何より大事なのかもしれませんね!


<おしらせ>
YouTubeチャンネルくららで毎週土曜にアップしている「国防ニュ
ース最前線」、今週も伊藤俊幸・元海将に解説して頂きます。

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(つづく)



(さくらばやし・みさ)



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【著者紹介】
桜林美佐(さくらばやし・みさ)
昭和45年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、
ディレクターとしてテレビ番組を制作。その後、国防問題などを
中心に取材・執筆。著書に『奇跡の船「宗谷」─昭和を走り続け
た海の守り神』『海をひらく─知られざる掃海部隊』『誰も語ら
なかった防衛産業[改訂版]』『武器輸出だけでは防衛産業は守
れない』『防衛産業と自衛隊』(いずれも並木書房)、『終わら
ないラブレター─祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」』
(PHP研究所)、『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出
版)、『ありがとう、金剛丸─星になった小さな自衛隊員』(ワ
ニブックス)。月刊「テーミス」に『自衛隊密着ルポ』を連載。


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