こんにちは、エンリケです。
きょうから、元陸幕長・火箱さんの半生を
振り返る連載がはじまります。
いつも思いますが、大いに出世された方や
大きな仕事をした人って、意外なほど大した
理由なく進学先や就職先を選んで、生涯の
仕事もなんとなくはじめているものです。
人生のクオリティを考えたとき、
とっかかりに力を入れすぎるのは
あまり良くないのかもしれません。
さっそくどうぞ
エンリケ
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『ライター・渡邉陽子のコラム (241)
― 神は賽子を振らない
第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(1)―
渡邉陽子
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こんばんは。渡邉陽子です。
現在発売中のPANZER9月号(*)に連載中の元陸上幕僚長火箱芳文
氏の半生を振り返る「神は賽子を振らない」、第5回の今回は第一
空挺団の中隊長時代です。「ついに空挺!」と喜び勇むどころか
「フツーの中隊長がいいです」と乗り気でなかったこと、着任して
みれば「こいつら降下することしか考えてない。第一空挺団どころ
か第一空っぽ団だ!」と嘆いたこと…若き日の火箱氏の空挺に対す
る愛あるディスりっぷりと奮闘ぶり、ご堪能いただければ幸いです。
単純に読み物としてもお楽しみいただける内容だと思います。
(*)
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■神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(1)
冒頭のあいさつで触れた、パンツァーで連載中の「神は賽子を振ら
ない -第32代陸上幕僚長 火箱芳文の半生」ですが、今週から4
回にわたり、その連載第1回をご紹介したいと思います。
火箱芳文は1951(昭和26)年5月15日、福岡県築上郡新吉富村(現
在の上毛町)で4人兄弟の末っ子として生まれた。田園風景が広が
る県境の村でのびのびと育ち、学校が終われば近くの山や川で遊び
回る小学校時代を送った。
中学に入ると兄の影響で柔道を始め頭角を現す一方、相撲や陸上短
距離走・砲丸投げなども行ない県大会にも出場、冬には駅伝にも駆
り出されるという運動神経のいい子どもだった。しかも勉強もでき、
高校は越境して大分県立中津南高校に進学した。
進学校だったので「高校は勉強1本でいこう」と思っていたものの
やはり運動もしたくなり、最初は「週に一度くらいの練習なら勉強
と両立できる」と軽い気持ちで柔道部に入部した。ところが顧問の
指導は厳しく、毎日早朝練習に始まり放課後も夜遅くまで続いた。
県大会レベルの個人戦ではそれなりの成果もあったが、勉強の成績
はおのずと下がる。進学の担任からは「国立大学を目指すなら柔道
部を辞めろ」と再三言われたが、結局高校でも柔道にのめり込んで
いった。
卒業後の進路や将来どんな仕事に就きたいかは特に考えていなかっ
たが、サラリーマンか学校の先生にでもなるのだろうと漠然と思っ
ていた。ただ、防衛大学校に入った中学の先輩が夏休みに白い制服
で帰省する姿を見て「防大いいなあ」と憧れる気持ちはあった。そ
もそも火箱は規律正しい生活が嫌いではなかった。だから規律正し
い上に勉強も運動もしっかりやる防大が次第に進学先として具体的
な対象となっていったのは、むしろ自然な流れといえるだろう。
自衛官になりたいというよりは、防大という環境で心身を鍛えたい
という思いが強かった。しかも防大は学費がかからないから、さほ
ど裕福でもない家庭の三男坊の進学先としては親に負担をかけるこ
ともない。こうして火箱は防大を受験、無事合格する。
火箱の父は職業海軍軍人で、戦艦陸奥に乗っていた話などを時折し
たが、防大への進学をすすめたことはない。むしろ両親ともども防
大とは別に合格していたもうひとつの国立大学への進学をすすめた。
「息子が自衛官になったら国に取られて二度と郷里へは戻って来な
い」と思っていたようだ。
しかし火箱の意志は変わらず、1970(昭和45)年4月、憧れの防大
へ第18期生として入校した。
防大での生活は、予想通り火箱の性に合っていた。
分刻みのスケジュールも、朝から夕方までぎっしり詰まった授業も、
放課後に行われる校友会という名の部活動も(当然ながら柔道部に
入った)、8人部屋での寝起きも、苦にならなかった。
各学年2名ずつの8人部屋は、1年はお互い協力しつつ傷口を舐め
あい、2年は1年の面倒を見つつ直接指導し、3年は2年の指導の
仕方を指導し、4年は全体を見つつ1年をかわいがるといった具合
に、学年に応じた役割分担があり、フォロワーシップ、リーダーシ
ップを学べる場でもあった。
校友会は、火箱が防大の4年間でもっとも力を入れた活動だった。
1958(昭和33)年から関東学生柔道優勝大会では8連覇を遂げるほ
どの強さを誇っていた柔道部だが、火箱が入部した頃は関東大会で
の優勝からは遠ざかっていた。
1年秋からレギュラーとなった火箱は、高校時代にインターハイに
も出場した実績のある3人の同期たちとともに部を盛り上げ、3年
時、ついに7年ぶりに関東大会団体戦で優勝する。翌年も連覇し、
日本武道館での全日本学生柔道優勝大会への出場を果たした。しか
も4年では秋の関東学生体重別選手権軽量級の部でも優勝、中量級、
重量級も同期の川端、飯島選手が優勝し全階級制覇、全日本学生体
重別選手権大会へ出場と有終の美を飾った。
いつも柔道の試合と重なっていたから、開校記念祭の棒倒しに参加
できたのも引退後の4年の一度きりだ。棒倒しはボクシング部と空
手部などは参加不可だが(おそらく負傷者の負傷レベルがしゃれに
ならなくなるからだろう)、柔道部は参加できるので「戦力になる」
と喜ばれ、5大隊のキャプテンとしてチームをまとめ、みごと優勝
して大いに盛り上がった。
(わたなべ・ようこ)
※現在連載中
「PANZER」9月号
「神は賽子を振らない」第5回
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□著者略歴
渡邉陽子(わたなべ・ようこ)
神奈川県出身。大学卒業後、IT企業、編集プロダクション勤
務を経て2001年よりフリーランス。2003年から月刊
『セキュリタリアン』『MAMOR』などに寄稿。
現在は自衛隊関連の情報誌などで記事を発表。メルマガ「軍事
情報」で自衛隊関連の記事を配信中。
2016年6月、デビュー作
『オリンピックと自衛隊 1964-2020』を刊行。
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