配信日時 2019/07/23 20:00

【わが国の情報史(37)】昭和のインテリジェンス(その13)─日中戦争から太平洋戦争までの情報活動(3)─ 上田篤盛

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官で
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エンリケ


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わが国の情報史(37)

 昭和のインテリジェンス(その13)
  ─日中戦争から太平洋戦争までの情報活動(3)─

     インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)
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□はじめに

 日韓対立が深刻化しつつあり、着地点がみえません。韓国の言
い分は、アンヌ・モレリ著『戦争のプロパガンダ10の法則』さな
がらです。この「10の法則」に基づき、ざっとみてみましょう。
「→」以下は、各種報道から韓国が発言しているようなことを筆
者が作文したものです。

(1)我々は戦争したくない
→我々は日本と対立したくないのだ。先の火器官制レーダー照射
事件は“根も葉もない”日本側の捏造であった。徴用工問題は韓
国の大多数の人々の情緒に絡む問題であり、司法の判断だ。韓国
政府の問題ではないのだ。我々政府は、これまで築きあげた日韓
関係を重視して、「より前向きの関係を作ろう」と言っているの
だ。

(2)しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ
→今回、日本が徴用工問題の復讐という卑劣な目的で、一方的に
半導体関連の輸出規制を行なってきた。これは韓国に対する銃声
なき経済戦争であり、安定した日韓関係を希求するわが国への重
大な挑戦だ。

(3)敵の指導者は悪魔のような人間だ
→金正恩委員長とトランプ大統領との歴史的な会談をお膳立てし
たわが国への嫉妬心から「禁輸措置」に出た安倍はなんと偏狭な
指導者であろうか。帝国主義者の安倍は、外交問題を国内政治に
理由している。極右勢力結集のためのきっかけが欲しかったのだ。
憲法改正して、再びアジア侵略の歴史を繰り返し、アジアの人々
を苦しめるであろう。

(4)われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために
戦う
→我々が守ろうとしているのは自国の利益といった狭小なもので
はない。自由貿易体制の秩序破壊という日本の挑戦に対して、わ
が国は世界の代表として断固として戦うというものである。

(5)われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと
残虐行為を行なっている。
→戦略物資の不正輸出はたしかにある。ただし、わが国は不正輸
出を適切に摘発し、管理しているではないか。日本から輸入した
フッ化水素が北朝鮮に流失した証拠はないし、ましてや意図的に
流失するなどでっちあげも甚だしい。日本こそ意図的に「韓国が、
国連の対北朝鮮制裁に違反した」とのでっちあげにより、わが国
の国際的立場を貶めようとしている。なんなら、事実関係を確認
するために、国際機関による調査をしようではないか。

(6)敵は卑劣に兵器や戦略を用いている。
→政治、外交の案件に対して、経済的に優位な立場を利用して制
裁しようとしている。誠に卑劣な手段であって経済大国のとるべ
き対外政策ではない。多くの経済発展途上国は日本の今回の軽率
な行動に失望している。

(7)我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
→輸出規制による韓国の被害はむしろ小さいことが分かった。日
本の輸出関連企業の被害の方が大きいようだ。韓国は輸入先の多
角化と国産化の道を進める。結局は、日本経済に大きな被害を及
ぶことを警告する。日本の輸出規制によって世界経済は大損害を
被り、日本は経済的、政治的にも世界中に敵を廻すことになろう。

(8)芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。
→我々の毅然とした対応を国民全員が支持している。わが国民は
日本の不埒な行動に怒りを覚え、すでに「韓国も日本製の輸入を
規制すべき」とか、「日本車などを買うのは辞めるべきだ」との
反日世論が沸騰している。我々は、日韓両国の国民が互いに憎し
み合うことは欲していないが、その原因を意図的に作ろうとして
いるのは日本である。

(9)われわれの大義は神聖なものである。
→自由貿易体制を守る活動は全世界共通のものであり、わが国の
主張は尊いものだ。しかるに今回の日本側の挑戦の不当性を国際
政治の場で明らかにする。米国やWTOも韓国の正当性を支持す
るであろう。

(10)この正義に疑問を投げかける者は裏切者である。
→わが国の一部保守勢力による軽率な反政府の発言や行動はただ
ちに止めるべきだ。わが国政府の立場を不利にして、日本側を利
することになることを理解せよ。わが国民は分裂している時では
ない。分裂を画策する者は、国民から「親日派」「土着倭寇」と
呼ばれて断罪されても仕方がない。

 さて、前回は第一次世界大戦後において非武力戦あるいは総力
戦の思想が登場したことなどにより、防諜という言葉が登場・普
及した、ことについてお話ししました。

 今回は、諜報、防諜、謀略とともに秘密戦の一要素である宣伝
の焦点をあてて解説します。まさに「プロパガンダ恐るべし」と
いうことです。


▼宣伝という用語の軍事的使用

 宣伝という軍事用語はいつから使用されるようになったのだろ
うか? 

 1889年に制定され、日露戦争の戦訓を踏まえて1907年
(明治40年)に改訂された『野外要務令』では、「情報」およ
び「諜報」はわずかに確認できるが、「宣伝」という用語は登場
しない。

 しかし、『野外要務令』の後継として大正期に制定された『陣
中要務令』では、以下の記述がある。

第3篇「捜索」第73
「捜索の目的は敵情を明らかにするにあり。これがため、直接敵
の位置、兵力、行動及び施設を探知するとともに、諜報の結果を
利用してこれを補綴確定し、また諜報の結果によりて、捜索の端
緒を得るにつとめざるべからず。捜索の実施にありては、敵の欺
騙的動作並びに宣伝等に惑わされるに注意を要する。」

第4編「諜報」第125
「諜報勤務は作戦地の情況及び作戦経過の時期等に適応するごと
く、適当にこれを企画し、また敵の宣伝に関する真相を解明する
こと緊要なり。しかして住民の感情は諜報勤務の実施に影響及ぼ
すこと大なるをもって上下を問わない。とくに住民に対する使節、
態度等ほして諜報勤務実施に便ならしむるごとく留意すること緊
要なり。」

 ここでの宣伝は、我の諜報、捜索活動の阻害する要因であって、
敵によって行なわれる宣伝(プロパガンダ)を意味しているとみ
られる。これは、後述のとおり、第一次世界大戦における総力戦
の中で行なわれたプロパガンダが原因になったのであろう。

 「宣伝」がわが国の軍事用語としてより定着するようになったの
は、昭和期に入って、『諜報宣伝勤務指針』および『統帥綱領』
が制定された1920年代だとみられる。
 
 1925年から28年にかけての作成と推定される『諜報宣伝
勤務指針』の第二編「宣伝及び謀略勤務」では、謀略の定義と共
に宣伝について、用語の定義、実施機関、実施要領、宣伝および
謀略に対する防衛などが記述されている。ここでは宣伝と謀略が
一体的に定義されている。
 
 同指針から宣伝関連の記述を抜粋する。

 「平時・戦時をとわず、内外各方面に対して、我に有利な形成、
雰囲気を醸成する目的をもって、とくに対手を感動させる方法、
手段により適切な時期を選んで、ある事実を所要の範囲に宣明伝
布するを宣伝と称し、これに関する諸準備、計画及び実施に関す
る勤務を宣伝勤務という。」

 一方の『統帥綱領』では以下のように記述されている。

第1「統帥の要義」の6
「巧妙適切なる宣伝謀略は作戦指導に貢献すること少なからず。
宣伝謀略は主として最高統帥の任ずるところなるも、作戦軍もま
た一貫せる方針に基づき、敵軍もしくは作戦地域住民を対象とし
てこれを行い、もって敵軍戦力の壊敗等に努むること緊要なり。
殊に現代戦においては、軍隊と国民とは物心両面において密接な
る関係を有し、互いに交感すること大なるに着意するを要す。敵
の行う宣伝謀略に対しては、軍隊の志気を振作し、団結を強固に
して、乗ずべき間隙をなからしむるとともに、適時対応の手段を
講ずるを要す。」

 1932年の『統帥参考』では以下のように記述されている。

第4章「統帥の要綱」34
「作戦の指導と相まち、敵軍もしくは作戦地の住民に対し、一貫
せる方針にもとずき、巧妙適切なる宣伝謀略を行い、敵軍戦力の
崩壊を企図すること必要なり。」

 以上のように、「捜索」あるいは「諜報」のように敵に対する
情報を入手するだけでなく、敵戦力の崩壊を企図する、敵の作戦
指導などを妨害する、あるいは我に有利な形成を醸成する機能を
持つ「宣伝」が「謀略」ともに軍事用語として一般化されたので
ある。

▼第一次世界大戦における宣伝戦

 心理戦の発祥は古来に遡るが、心理戦の重要性が認識され、組
織的かつ計画的に行なわれるようになったのは第一次世界大戦か
らである。

 1948年に『Psychological Warfare』(邦訳名『心理戦争』)
を出版したラインバーガーは、次のように述べる。

 「第一次世界大戦によって心理戦争は付随的な兵器から主要な兵
器へと変容し、後には戦争を贏(か)ち得た武器とさえ呼ばれる
ようになった」

 心理戦の最大の武器となるのが宣伝戦である。よって心理戦は
しばしば宣伝戦と呼び変えられることが多い。

 第一次世界大戦における宣伝戦の主役は間違いなくイギリスで
あった。第一次世界大戦が開戦すると、イギリスは1914年8
月、ドイツとアメリカ間の海底電線を切断した。当時、無線は使
われ始めていたがまだ不十分であり、しかもイギリスが盗聴して
いた。つまり、イギリスは通信を独占し、アメリカにはイギリス
が与える情報しか入らなくなった。

 イギリスは独占した通信をもって、ドイツの誹謗中傷報道を流
し、ブラック・プロパガンダにより、米国を欧州の大戦に参加さ
せるよう画策した。イギリスの自由党議員チャールズ・マスター
マンは1914年9月、戦争宣伝局(War Propaganda Bureau)、
通称「ウェリントン・ハウス」を設置する。これは、外務省付属
の秘密組織であった。

 ここから、イギリス国内向けの戦意高揚施策や、敵国への謀略
報道戦が展開された。イギリス外務省は学者、著名芸術家、文筆
家を協力者として、ドイツの“絶対悪”をブラック・プロパガン
ダして、アメリカ人の人道感情を揺さぶり、アメリカを参戦へと
いざなったのである。

 その後、戦争宣伝局は情報局を経て1918年には情報省へと
発展する。新聞大手「デイリー・エクスプレス」紙の社主ビーヴ
ァ―ブルック卿が情報大臣に任じられる。この時、ウェリントン・
ハウスは解消されたが、主要なメンバーは残った。

 また「タイムズ」紙と「デイリー・メール」紙の社主ノースク
リフ卿が、彼の屋敷におかれた宣伝機関である「クルー・ハウス」
からドイツに対するブラック・プロパガンダを展開した。

 クルー・ハウスは、ドイツの厭戦気運を盛り上げ、ドイツ兵の
投稿を促すビラやリーフレットを大量に作成した。これらは気球
などによってドイツ、敵陣営、中立国に投下された。

 とくに、ドイツが中立国に侵略して残虐行為を働いたとの虚偽
のブラック・プロパガンダが展開された。また、ロイター通信が
中立国に対し虚偽記事を配信し、国際世論の反ドイツ感情を煽っ
た。

 アメリカは参戦後、新聞編集者ジョージ・クリールを委員長と
する「広報委員会」、通称クリール委員会を発足させた。同委員
会はイギリスと同様に新聞、パンフレットなどにより、反ドイツ
感情を煽った。また、アメリカでは反ドイツ映画が作成された。
かのチャップリンも反独映画の作成に協力した。

▼第一次世界大戦後のドイツ

 第一次世界大戦後、宣伝戦争においては英国がドイツに圧倒的
に有利であったことが明らかとなった。英国の宣伝を最も評価し
たのがヒトラーである。彼は『わが闘争』において、ドイツが英
国の宣伝戦から学ぶべきである、とした。

 ドイツでは1933年1月にナチスが政権を握ると、ただちに
国民啓蒙・宣伝省を創設した(1933年3月)。ナチスで宣伝
全国指導者を務めていたヨーゼフ・ゲッペルスが初代大臣に任命
された。ゲッペルスは3月25日に次のような演説を行なっている。

 「宣伝省にはドイツで精神的な動員を行なう仕事がある。つま
り、精神面での国防省と同じ仕事である。(中略)今、まさに民
族は精神面で動員と、武装化を必要としている」
 
 まさに宣伝戦が国際社会を席巻する火蓋となった。

▼わが国が対外文化交流を推進

 第一次世界大戦終了後の5月4日、わが国は北京において五四
運動に直面することになる。これは、パリ講和会議(1919年1月)
で、「日本がドイツから奪った山東省の権益を返還せよ」という
中国の巧みな宣伝によって国際承認されたことに端を発している。

 こうした国際宣伝の重要性に対する認識から、わが国は192
0年4月、内外情報の収集・整理や宣伝活動を行なう情報部を設
置(1921年8月)した。このほか、国際通信社や東方通信社とい
った対外通信社の強化を図った。また中国における対日感情を好
転すべく、文化事業に力を入れた。

 1930年代、ドイツが「ゲーテ・インスティトゥート」(19
32年)、イギリスが「ブリティシュ・カウンセル」(1934年)を
創設するなど、主要国が対外文化組織を設立するなか、わが国も
1934年に財団法人・国際文化振興会を設立した。

 同振興会は、メディア研究やプロパガンダ研究により、諸外国
との文化交流を通じた親睦を深めて、対日国際理解を推進するこ
とが目的であった。文化人などの講師を海外に派遣・招聘し、日
本文化の理解の普及につとめた。ニューヨークにはその出先機関
として日本文化会館が置かれた。また1935年には日本放送協
会による海外向けラジオ放送が開始された。

 しかし、日中戦争以後の国際情勢が緊迫化すると、穏やかな
「国際交流」という様相は脇に追いやられ、国内外に対するプロ
パガンダが重視されるようになる。

▼情報局の設立

 第一次世界大戦当時、プロパガンダという言葉にまったくなじ
みのなかった日本は宣伝戦に大きく後れをとった。日本の新聞や
雑誌にプロパガンダという言葉が現れるのは、1917(大正6)
年以降である。(小野厚夫『情報ということば』)

 上述のように中国の抗日宣伝に翻弄されたことや、第一次世界
大戦における総力戦思想の跋扈に触発され、強力な情報宣伝の国
家機関を設立しようとする動きが軍部などに生じ、陸・海軍や外
務省では宣伝活動を展開する機関が設置されるようになる。

 外務省は1921年8月に情報部を設置した(事務開始は19
20年3月から)。他方、陸軍省は1920年1月に陸軍新聞班
(1937年に大本営陸軍報道部、38年に陸軍省情報部、40
年に陸軍報道部へと発展)、海軍省は1923年5月に軍事普及
委員会(1932年に軍事普及部と改称)が設置された。

 満洲事変以後、日本を非難する国際世論の高まりに対して、外
務省は内田康哉外務大臣の下で対外情報戦略を練り直すことにな
った。1932年9月、陸・海・外務による情報宣伝に関する非
公式の連絡機関「情報委員会」が設置された。これ以後、「情報
宣伝」という複合語が盛んに用いられるようになった。

 満洲事変による国際対日批判を払拭するため、日本は自らの立
場を世界に訴え、国際理解を増進させる方針を選んだ。そこで武
器となるのが世論を形成する新聞、その新聞にニュースを提供す
る通信社であった。

 しかし、当時は電通(1907年設立)と聯合(1926年誕生)
が激しく競争していた。1931年の満洲事変の発生では、陸軍
をバックにつけた電通の一報は、事変発生後わずか4時間で入電
し大スクープとなった。

 両通信社による激烈な取材競争により、両社ともに経費が膨れ
上がり、報道内容にも食い違いが生じた。このため政府部内や新
聞界で両社を統合しようという機運が高まり、1936年(昭和
11年)1月、同盟通信社が発足した。

 1936年7月1日、非公式の連絡機関「情報委員会」を基に
各省の広報宣伝部局の連絡調整や、同盟通信社などを監督する目
的で「内閣情報委員会」が設立された。

 1937年9月25日、連絡調整のみならず各省所管外の情報
収集や広報宣伝を行なうために、内閣情報委員会は「内閣情報部」
に改められ、情報収集や宣伝活動が職務に加えられた。

 1939年、「国民精神動員に関する一般事項」が加わり、国
民に対する宣伝を活発化させ、それを担うマスコミ・芸能・芸術
への統制を進めた。

 1940年12月6日、戦争に向けた世論形成、プロパガンダ
と思想取締の強化を目的に、内閣情報部と外務省情報部、陸軍省
情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局検閲課、逓信省電務局
電務課、以上の各省・各部課に分属されていた情報事務を統一化
することを目指して、内閣直属機関である「情報局(内閣情報局)」
が設置された。

 情報局には総裁、次官の下に一官房、五部17課が置かれた。
第一部は企画調査、第二部は新聞、出版、報道の取り締まり、第
三部は対外宣伝、第四部は出版物の取り締まり、第五部は映画、
芸術などの文化宣伝をそれぞれ担当した。職員は情報官以上55
名、属官89名の合計144名からなった。

 しかし、陸軍と海軍は、大本営陸軍部・海軍部に報道部を設置
したほか、陸軍報道部、海軍省軍事普及部の権限を委譲しようと
はせず、情報局は内務省警保局検閲課の職員が大半を占めて、検
閲の業務を遂行していたのである。


(次回に続く)



(うえだあつもり)

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【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係
論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査
学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年に
かけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務
し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官
をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛省
情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定
年退官。現在、軍事アナリストとしてメルマガ「軍事情報」に連
載中。著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社、2006年11
月)、『中国の軍事力 2020年の将来予測(共著)』(蒼蒼社、
2008年9月)、『戦略的インテリジェンス入門―分析手法の手引
き』(並木書房、2016年1月)、『中国が仕掛けるインテリジェ
ンス戦争―国家戦略に基づく分析』(並木書房、2016年4月)、
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
(並木書房、2016年10月)、『情報戦と女性スパイ─インテリジ
ェンス秘史』(並木書房、2018年4月)など。

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