配信日時 2019/07/18 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(46)】「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は、今回で46回目です。

人種差別撤廃の先頭に立った歴史を持つわが国の
歴史をわきまえない日本人はあまりに多すぎる気がします。

もっと健康な魂を持つ日本にしたいですね。
頭ばかり発達したところで、
進歩も進化も発展も安らぎも幸せも
何もありません。

エンリケ


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我が国の歴史を振り返る
 ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(46)

 「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」

宗像久男(元陸将)

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□はじめに(参議議員選挙について)
 
 参議院選挙たけなわです。選挙の焦点は、消費税と年金のよう
ですが、正直申し上げ、私は、各党首の議論やそれに迎合したマ
スコミの報道などを観ると腹が立ちます(「メルマガ軍事情報」
の読者はどのような考えをお持ちか、ぜひ本音を聞いてみたいも
のです)。

言うまでもなく、我が国は民主主義国家であり、主権は国民にあ
ります。他方で、国民が等しく“国を統治する能力”を持ってい
るわけではありませんので、十分な統治能力と覚悟を有している
“我らが代表”を選び、委託しなければなりません。

アメリカの大統領選挙のように、1年間以上もかけて選挙活動を
すれば、幅広いテーマについて議論してその“良し悪し”を判断
できるでしょうが、わずかに2週間ほどだとどうしても国民の関
心事に焦点が行くのはやむを得ないとしても、本来、国家として
将来のために手を打っておくべき政策について、「国民の関心が
ない」との理由で淡々と否定的意見を言う某党党首などに、政治
家としての未熟さ、自覚の無さ、無責任さを感じてしまうのです。

「国民のレベル以上の政治家は生まれない」という言葉あります。
国民の関心がある政策のみを、その実行の可能性を無視して“バ
ラ色に粉飾”して国民に呼びかけ、票を得ようとする政党や候補
者、それに賛同して投票する国民のレベルを端的に表現した言葉
とも言えるでしょうが、当面の政策に埋没して肝心な政策を軽視
すると、やがて損をするのは自分たちであることを自覚して投票
するぐらいの“賢さ”を選ぶ側も保持しなければならないと思う
のです。

「選挙こそ国民の最大の武器だ!」を訴えている書籍を本屋で見
つけましたが、最大の武器を“賢く”活用していただくことを願
って止みません。思慮が浅く、情にほだされたような国民の行動
が為政者の決断を狂わせ、結果として失敗に至った事例は歴史上
数限りありません。歴史の教訓として改めて学び、国民一人一人
がレベルアップする必要があると考えます。

▼戦争終焉への道程

これまでと少し重複する部分がありますが、今回は、「第1次世
界大戦」の終焉を振り返ってみようと思います。ロシアが革命に
よって東部戦線から離脱したことはすでに取り上げましたが、西
部戦線では、フランスとドイツが互いに想像以上に強く抵抗して
戦線が膠着します。こんな中、1916(大正5)年12月、ド
イツは講和の意志を連合国側に提案、アメリカのウィルソン大統
領が仲介に乗り出します。

しかし、英・仏はこれを拒否して、講和の道を絶たれたドイツは
無制限の潜水艦作戦を展開し、アメリカの船舶まで犠牲になった
ことからアメリカの参戦に拡大します。ドイツは、ロシア離脱後、
東部戦線の兵力を西部戦線に投入して全力で戦いますが、アメリ
カの圧倒的な物量の前に押しまくられる一方でした。その上、世
界中に“スペイン風邪”が猛威を振るい、両軍の兵士たちの厭戦
(えんせん)気分を高める結果となります。

このような状況下で、1918(大正7)年9月にブルガリア、
10月にオスマントルコ、11月にはオーストリアがそれぞれ連
合国側と単独休戦を行ないます。なおも戦争を継続しようとする
ドイツの軍部に対して、水兵の反乱が起こり、反乱は革命となっ
て全国に拡大、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに逃亡して共和
国が成立します(「ドイツ革命」)。

こうして、11月11日、ドイツの新共和国と連合国との間に休
戦協定が成立しますが、ドイツ国民にとっては“確かに犠牲は多
かったが、「敗戦」という意識は低かった”とも言われます。

▼「ヴェルサイユ条約」締結とその影響

1919(大正8)年1月18日からパリで戦勝国の講和会議が
開かれましたが、さかのぼること1年前の1月、アメリカ議会で
ウィルソン大統領は有名な「14カ条平和原則」を提唱しました。
その内容は、「海洋の自由」「民族自決」「関税障壁の撤廃」
「軍備縮小」「植民地の公正な処置」「国際平和機構の設立」な
どに及び、大統領は、この理想主義的な平和原則を講和会議の基
調として議事運営を取り仕切るつもりだったといわれます。

しかし、フランスはドイツを徹底的に痛めつけ、二度と立ち上が
らせないこと、イギリスは戦前の大英帝国の地位を復元すること
を優先してこれに待ったをかけます。こうして、講和会議は、英
仏の“既得権擁護”が主目的となり、戦争責任をドイツに押しつ
ける形で進行し、同年6月に「ヴェルサイユ条約」としてまとめ
られ、ドイツに調印を強要します。

特に、大幅な軍事制限と植民地の剥奪に加え、1320億金マル
ク(国民1人あたり約1千万円に相当)という巨額の賠償金を課
したのです。その賠償金の約半分はフランスの取り分だったとい
われています。

 第1次世界大戦では、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー
帝国、オスマン帝国、さらにロシア帝国が消滅しました。ハンガ
リー、ポーランドなど各帝国内の各民族の独立は認められました
が、ドイツ民族の独立や併合は認められず、「民族自決」は否定
されたままでした。

 他方、パリ会議が開催されていた1919年1月、ドイツ労働
党が結成され、9月にはアドルフ・ヒトラーが入党します。翌2
0年、「国家社会主義労働党」(略称「ナチス」)と改称し、講
和条約の破棄と国粋主義的要求などを盛り込んだ「25ケ条綱領」
を発表します。早くも第2次世界大戦の伏線が張られたのでした。

なお、「民族自決」といってもアジアやアフリカ諸国の独立につ
いては全く取り上げられず、これを不満とする中国は調印を拒否
しました。

▼パリ講和会議と我が国

パリ講和会議に戦勝国の一員として出席した我が国についてもま
とめておきましょう。我が国は西園寺公望、牧野伸顕らが全権と
して、また随行者として“その後の日本の舵取りや外交を担う”
ことになる近衛文麿、吉田茂、松岡洋右ら総勢60人が出席しま
した。

我が国が提案し、そして否決されることになる、有名な「人種的
差別撤廃提案」については、政府内でいつ誰が最初に言い出した
のかは明らかでないのですが、背景に米国やカナダなどの日系移
民排斥問題があり、その解決のきっかけにしようと“人種的偏見
の除去が国際連盟参加の条件”が日本全権の正式な方針となって
いました。

全権団はパリに到着するや、各国と交渉を開始しました。当初は
米国ウィルソン大統領も了解したといわれますが、白豪主義体制
を国是としていたオーストラリア、そしてカナダなどが猛反発、
それを受けてイギリスも否定的な反応を示しました。

講和会議において日本代表は、自国の利害が絡む山東問題や南洋
諸島問題以外、ほとんど発言せず「サイレント・パートナー」と
揶揄されたようです。その山東州のドイツの権益については、
(事前の密約もあって)英・仏の賛成により日本が引き継ぐこと
になりますが、アメリカは反対し、結果として中国全土の“排日
運動”につながっていきます。また、朝鮮半島でも1919年3
月、「万歳事件」(3・1独立運動)が発生し、これを契機とし
て、朝鮮民族の独立運動が年を追って活発化することになります。

日本代表は、国際連盟設立の問題についても消極的な態度に終始
し、各国の失望を買いました。このような状況を打開するため、
つまり、成否はともかくも「人種的差別撤廃の主張を鮮明にする
ことは将来のために極めて緊要」との判断から、いわば“捨て身”
の提案をすることになります。

そして、国際連盟委員会において、牧野は連盟規約21条の「宗
教に関する規定」について、「人種・宗教の怨恨が戦争の原因に
なっている」として「人種あるいは国籍如何により法律上あるい
は事実上何ら差別を受けないことを約す」旨の条文を追加するよ
う提案します。本提案により会議が紛糾し、結局「宗教に関する
規定」そのものが削除されてしまいますが、本提案は海外でも大
きく報道され、さまざまな反響を呼ぶことになります。

米国においても「人種的差別撤廃法案は内政干渉であり、本法案
が採決された場合は、米国は国際連盟に参加しない」との上院決
議が行なわれ、一時帰国したウィルソン大統領を窮地に追い込み
ます。

これらを受けて、牧野は、国際連盟規約前文に「国家平等の原則
と国民の公平な処遇を約す」との文言を盛り込むという修正案を
提案します。ウィルソンは提案そのものを取り下げるよう要求し
ますが、牧野は採決を要求し、議長ウィルソンを除く出席者16
名中、フランス、イタリア、ギリシャ、中華民国など11名が賛
成、イギリス、アメリカ、ポーランド、ブラジルなど5名が反対
しました。

しかし、ウィルソンは「全会一致でないために提案は不成立であ
る」と宣言します。牧野は“多数決の有効性”を主張しますが、
「本件のような重大な問題は全会一致が原則」としてこれを否定
します。牧野は最後に「議事録に記載すること」を要求して了解
しました。

この結果に、米国の黒人が自国政府の措置に怒り、全米で数万の
負傷者を出すほどの暴動に発展しました。我が国においても、反
米感情が高まり、世論は国際連盟不参加でしたが、原首相は、世
論を押さえて参加の調印に踏み切ります。国際連盟の提唱者であ
ったウィルソン大統領は米国の不参加を恐れ、人種的差別撤廃を
強引に否決しますが、結局、議会の反対があって国際連盟への参
加を断念することになります。

人種差別については、第2次世界大戦後の1948(昭和23)
年、「世界人権宣言」として採択され撤廃されます。“我が国の
主張が正しかった”と認められるまで、さらに約30年もの歳月
と多大な犠牲を要しました。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。


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