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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は、今回で45回目です。
冒頭文のイラク戦争時の米軍人との対話、に圧倒されました。
現場にいた宗像さんにしか書けないことです。
大正期のわが国の姿が回を追うにつれて
色々見えるようになってますが、
ふと感じたのは、大正特需の成金時代が産んだ感覚と
平成バブルの成金時代が生んだ感覚がダブって見えることです。
山縣有朋の悲痛なことばを知る人が少ないことに、
悲痛な思いがするのは私だけでしょうか。
エンリケ
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(45)
第1次世界大戦と日本
-相次ぐ派兵要請-
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
先日、トランプ大統領による「日米安全保障条約」をめぐる発言
が話題になりました。トランプ大統領は、本条約締結の歴史的経
緯や“非対称性”、そして“思いやり予算”や平和安全法制の整
備などの我が国の努力を十分知った上で、それでも「米国は日本
を助けるが、米国が攻撃された場合、日本は我々を助ける必要が
ない。不公平だ」との不満を述べていると考えます。我が国の
“言い分”があるとは言え、独立国どうしの国と国の関係からす
れば、その不満は真っ当であることを認めなければなりません。
現役時代ですが、イラク戦争時に、米国から「ブーツ・オン・ザ・
グラウンド」といって日本の地上部隊の派遣要請があり、米国の
官僚や米軍将校らと率直に意見交換した経験があります。日本側
の難しい事情を説明し、最後に「米国は、日本がこのような国に
なることを望んだのではないか」と発言すると、彼らが黙ってし
まいました。しかし、しばらく間を置いたあと、「まさか60年
以上も国の体制や制度をそのまま保持するとは思わなかった」と
“もうそろそろ”と言わんばかりに彼らが“本音”をつぶやくと、
今度はこちらが“返す言葉がなく”黙ってしまったことを覚えて
います。
個人的には、将来予想される厳しい安全保障環境に備え、未来
永劫に盤石な「日米同盟」を保持するために「対等化」は必須と
考えますが、そのためには憲法改正をはじめ、その障壁は大きい
のも事実でしょう。この問題は、本メルマガ連載の最後の方で再
び取り上げたいと考えておりますが、トランプ大統領の発言が
“国民が我が国の安全保障について真剣に考える”きっかけにな
ることを願って止みません。
なお、自衛隊が身の危険を顧みず、約5年間にわたり実施した
「イラク復興支援」については、その後何年にもわたって、米国
政府そして米軍将校から異口同音に最大限の感謝の言葉が述べら
れたことを付け加えておきます。その前の湾岸戦争時に、我が国
が全戦争費用の2割に相当する130億ドル(1兆5500億円)
を資金提供したにもかかわらず、感謝されるどころかほとんど無
視されたことと比較すると、“同盟維持のためには何が大事か”
がよくわかります。それこそが大統領の“真意”であると考えま
す。
▼相次ぐ派兵要請と地中海へ海軍派遣
前回、「ロシア革命」と「シベリア出兵」を取り上げましたが、
「シベリア出兵」の顛末を取り上げる前に、トランプ発言に関連
して、海軍の地中海派遣など、当時は対等・公平な同盟であった
「日英同盟」に絡む問題をもう少し詳しく振り返っておきましょ
う。
西部戦線が塹壕戦になり、長期化の様相を見せ始め、苦境に陥っ
たフランスとロシアから、陸軍の派遣を繰り返して要請してきま
した(その規模も3個軍団と大規模なものだったようです)。拠
り所は「日英同盟」に加え、「日仏協約」と「日露協約」締結に
伴い、日本側が「三国協商」の一員となっていたことにあります。
これに対して、山東半島出兵には積極的だった加藤高明外相は
「帝国軍隊の唯一の目的は国防なるがゆえに、国防の本質を完備
しない目的のために帝国軍隊を遠く外征させることは、その組織
の根本主義と相容れない」とすげなく拒否しました。
一度は「参戦地域の限定」と日本の全面的参戦に反対だったイギ
リスからも派遣の懇願がありましたが、日本は同じセリフで断り
ます。一方、日本の軍隊は中国へはどんどん侵入していきますの
で、英国人の不信感を増大させ、対日感情を悪化させてしまいま
す。
他方、海軍に対しても1914年9月の段階から「物資のすべて
をイギリスが負担する」との条件で巡洋戦艦部隊の地中海や他の
海域に派遣するよう要請がありましたが、我が国はこれも拒否し
ていました。
1917年になり、ドイツ海軍の通商破壊が活発になると、護衛
作戦に参加するよう再三の要請がありました。我が国は、大隈内
閣から寺内内閣に代わり、内外の批判の高い対中政策を刷新しま
すが、対英軍事協力についても方針転換し、英国の依頼を受け入
れます。その交換条件として、戦後の講和会議で日本が提出する
予定の「山東半島及び赤道以北のドイツ領南洋諸島の権益を引き
継ぐ」との密約を英国から取り付けたのでした。
こうして、インド洋に第1特務艦隊、地中海に第2特務艦隊、オ
ーストラリア近海に第3特務艦隊を派遣しました。第2特務艦隊
は、連合国軍の兵員70万人を輸送するとともに、ドイツの攻撃
を受けた連合国の艦船から兵員7000人以上を救い出すなど西
部戦線の劣勢を覆す貢献をしたほか、連合国側の商船787隻、
計350回の護衛・救助活動などによって高い評価を受けました。
なお本派遣間、78人が戦死し、戦後、マルタ島のイギリス海軍
基地に墓碑が建立されます。この墓碑は、2017年5月、安倍
総理が慰霊されたことで話題になりました。
日本の特務艦隊は、確かに連合国の勝利に貢献はしましたが、国
の存亡を懸けて戦った英国からはほんの御愛想としか受け取られ
なかったのも事実でした。相次ぐ陸軍派兵の要請を拒否し、火事
場泥棒的に自分たちの利益につながる山東半島にだけ出兵した日
本は、のちの「シベリア出兵」の顛末もあって、結果として英国
はじめ列国の信用を落とし、戦後の「4カ国条約」締結に伴う
「日英同盟」の廃止へとつながっていきます。その細部について
は、のちほど触れることにしましょう。
明治・大正の日本外交の基軸といわれた「日英同盟」の廃止は、
英国の衰退と米国の台頭という国際社会の大変革があったとはい
え、日本側の“責任”もあったと考えるべきなのです。
▼「シベリア出兵」の顛末
さて、前回の続きです。また少し時間を進めますが、「米騒動」
の責任をとって総辞職した寺内内閣の後継の原敬は、「ロシア革
命」で戦略が挫折した山県有朋とは逆に、対米・英協調を唱えて
いました。1918(大正7)年9月、組閣をすると、「シベリ
ア出兵」の兵力1万4千人の減兵、さらにアメリカから抗議を受
けると残留派遣兵力を2万6千人にまで減らす約束をします(実
際にそれを実行したかは不明です)。
同年11月、「ロシア革命」の刺激を受けたといわれる「ドイツ
革命」が起こり、ドイツと連合国の間で「休戦協定」が締結され
ました。この休戦によって、連合国は「シベリア出兵」の目的を
失って相次いで撤兵しますが、日本は単独で駐留を続行します。
一方、欧州戦線の終焉にともない、欧州戦線の戦力を転用できた
レーニン派赤軍の反撃は逆に強まっていきます。
また日本は、ウラジオストクより先に進軍しないとの規約を無視
し、北樺太、そして沿海州や満洲を鉄道沿いに進み、最終的には
バイカル湖西部のイルクーツクまで占領地を拡大します。この間、
占領地に傀儡国家の建設も画策したとの記録もあります。
成立間もないソビエト政権は、国内行政機構の混乱などから、日
本と直接対決を避ける必要があって、1920(大正9)年、
「極東共和国」(チタ共和国とも呼称)を成立させますが、レー
ニン派赤軍の影響力も強く、日本と対決を続けることになります。
日本から派遣された兵士は、戦争目的が曖昧な上、赤軍パルチザ
ンの間との悲惨な戦いの連続などもあって士気も低調で軍紀も頽
廃していたといわれます。
ワシントン会議の前年の1920年、アメリカから完全撤兵を要
求されるや、原内閣は完全撤兵を内定しますが、参謀本部の抵抗
もあって撤兵に手間取っている間に、「尼港(にこう)事件」
(アムール川河口にあるニコラエフスクで、赤軍パルチザンが日
本守備兵や居留民約730人、資産家階級ロシア人約6000人
を虐殺した事件)も発生して撤兵は遅れ、完全撤兵は1922
(大正11)年10月となってしまいます。
こうして、「シベリア出兵」は、総兵力は7万3千人を投入し、
犠牲者約4千人、当時の国家予算のほぼ1年分に相当する約9億
円を投入しましたが、結果としては、“ソビエトの反感”と“ア
メリカの不信”を増大させるだけに終わり、内外から批判される
ことになります。
なお、原敬は、1921年(大正10)年11月、東京駅構内で
右翼の青年によって暗殺されてしまいます(東京駅の丸の内南口
には今も暗殺現場のプレートが残っています)。在任期間は3年
あまりでした。宿敵・原の死を聞いた山県有朋は、衝撃のあまり
発熱し、夢で原暗殺の現場を見たりしながら、「原という男は実
に偉い男であった。ああいう人間がむざむざ殺されては、日本は
たまったものではない」と語ったという逸話が残っています。
“強気”を貫き通した山県でしたが、すでに限界を感じていたの
かも知れないのです。
第1次世界大戦への参戦や「シベリア出兵」は、欧米列国と対等
になった我が国が(国内的には「大正デモクラシー」が吹き荒れ
る混乱の中にあって)外交や国防上、その真価が問われる“初陣”
ともいうべきものだったと考えます。
やがて戦後処理において、我が国は戦勝国として巨大な利権を得
ることになりますが、「ワシントン会議」においては、欧米列国
との“あつれき”が表面化するとともに、中国大陸ではさらに厳
しい現実が待っています。
大正時代については、大正の最後に総括しようと考えていますが、
大正時代の為政者たちの決断の数々は、その後の歴史を追跡する
と、是正される部分と前例として悪用されてしまう部分がありま
す。そこにこそ我が国の“不幸”があったと考えざるを得ないの
です。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
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【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。
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