配信日時 2019/07/09 20:00

【わが国の情報史(36)】昭和のインテリジェンス(その12)─日中戦争から太平洋戦争までの情報活動(2)─ 上田篤盛

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官で
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こんにちは、エンリケです。

きょうは「防諜」をめぐるおはなしです。

知っているようで知られていない
「わが防諜」について、
新鮮な知見を得ることができます。

わたし自身、淵源や背景など、
目からうろこが落ちっぱなしでした。

さっそくどうぞ。

エンリケ


ご意見・ご感想はコチラから
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わが国の情報史(36)

 昭和のインテリジェンス(その12)
  ─日中戦争から太平洋戦争までの情報活動(2)─

     インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)
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□はじめに

 この原稿を書いている現在、『武器になる情報分析力』が、瞬
間的ではありますが、アマゾン軍事ランキングの第3位につけて
います(7月3日1500)。

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と戦争論』(清水多吉監修)とともに10位以内を出たり入った
りしています。

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 軍事ランキングで10位以内というのはかなり良好です。そし
て、より重要なことはなるべく長期にわたって100位以内をキ
ープし続けることです。多くの新刊は3か月もすると100位以
内から姿を消します(100位以外は表示されない)。

 拙著のご愛読とともに、石原さんの書かれたクラウゼヴィッツ
書の方も推薦します。筆者も石原著を読みましたが、大変に価値
ある魅力ある作品に仕上がっており、感服いたしました。

 さて、ランキングが上位を維持することは本自体の魅力もさる
ことながら、その急上昇には原因があります。著名な方が著書紹
介ブログを書いてくださる、出版社などからの新聞広告が掲載さ
れるなどです。つまり、そこに原因と結果の関係があります。

 G20明けの株価が上昇しました。これは簡単ですね。米中両
首脳が貿易協議の再開をさせることで合意したことが原因となり、
結果として株価が上昇しました。

 でも、世の中には原因と結果が容易にわからないものがありま
す。皆さんは、「バタフライ効果」をご存じですか?

 これは、「ブラジルで蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを
引き起こすか?」というもので、非常に些細な小さなことが、さ
まざまな要因を引き起こし、だんだんと大きな現象へと変化する
ことを指す言葉です。日本の「風吹けば桶屋屋が儲かる」という
諺のようなものです。

 実際には、蝶の羽ばたきとトルネードとの因果関係はありませ
んが、ちょっとしたことが、のちに大きなことを引き起こすこと
は多々あります。

 そのちょっとしたことを重大事項の兆候として感知できるかど
うか、つまり、その兆候が単なる一過性の事象ではなく、大きな
トレンドの上に成り立つ事象であって、他に影響を及ぼす「ドラ
イビングフォース」となり得るかどうかを見極めることが重要で
す。

 1972年にチリの沖合でエルニーニョ現象が発生しました。
さてわが国では何が起こったでしょうか? 

 実は豆腐が値上がりしたのです。つまり、エルニーニョという
海流の変化でカタクチイワシが捕れなくなった。それまでカタク
チイワシは鳥や家畜の餌になっていた。それがなくなったので大
豆を買う。それで日本への大豆の輸入が減って、豆腐が値上がり
をしたのです。

 仮に、この因果関係にいち早く気づいたとすれば、株で大儲け
ができたかもしれません。物事を広く知っている、一片の兆候が
何に影響しているか、何を引き起こすのかなど想像的に考える習
慣を身につけると、困難といわれる未来予測の精度がほんの少し
上がる。このほんの少しが、他の人をリードするのではないでし
ょうか。

 『武器になる情報分析力』では、1990年代初頭の米国におい
て「なぜ犯罪率は減ったのか?」という問題を扱っています。こ
れに対して、「割れ窓理論」にもとづく警察力の増加や厳罰化、
銃規制、好景気による犯罪の減少などの仮説が立てられました。

 しかし、そのような対策をしていない地域でも犯罪は減ったの
です。そこで調査したところ、予想もしなかった因果関係が明ら
かになりました。興味ある方は本書でご確認ください。

 常日頃から問題意識をもって観察力を磨く、本質を見抜く洞察
力を鍛えることで、真の原因を探り、そして近未来予測が少しば
かり可能になるということではないでしょうか。

 さて、前回は、わが国は日中戦争直後の連戦連勝に浮かれて、
独ソ不可侵条約が締結されるという欧州情勢の大きな潮流を見失
ったのではないか、という話をしました。今日は、共産主義に対
する防衛、すなわち防諜ということに焦点をあてます。

▼防諜という言葉の淵源と来歴

 1938年8月に「後方勤務要員養成所」として産声をあげた
陸軍中野学校では、創立後しばらくたった頃から、従来いわゆる
情報活動や情報勤務といわれていた各種業務を総括して、「秘密
戦」と呼称するようになった。

 その秘密戦は諜報、宣伝、謀略、防諜と定義された(※ただし、
秘密戦の呼称は各地域により、また各軍により、必ずしも統一的
に使用されていなかった)

 しかしながら、1925年から28年にかけて作成されたと推
定される、情報専門の教範『諜報宣伝勤務指針』では、諜報、謀
略、宣伝という用語についての定義付けがなされているが、ここ
には「防諜」という言葉は登場しない。

 そもそも、「孫子」の例を持ち出すまでもなく、歴史的には情
報を収集する活動が開始されたと同時に、それと表裏一体である
情報を守る活動は開始された。情報を守る、すなわち情報保全あ
るいは情報秘匿が戦勝の鍵となったのである。

 『諜報宣伝勤務指針』においても、「対諜報防衛」という用語で、
その活動について規定している。

 ここには、諜報勤務者を防衛することや対諜報防衛の要領を知
悉することの重要性、対諜報防衛組織の全国的統一運用、相手国
(対手国)の諜報組織とその諜報勤務上の企図を諜知することの
重要性、相手国の諜報勤務の取り締まりための暗号解読、写真術
の応用、特殊「インキ」や封印等の対策、無線電信の窃諜の必要
性などが記述されている。

 このほか、要注意人物の発見や行動の把握、国境出入り者の検
査の厳正なる実施、公然諜報員の獲得などのことが記述されてい
る。

 しかしながら、上述の繰り返しなるが、『諜報宣伝勤務指針』
には「防諜」という言葉はない。

 では「防諜」という用語はいつ登場したのであろうか?

 これは、1936年7月24日勅令第211号陸軍省官制の改
正により、兵務局が新設されたことに端を発する。兵務局は、
2.26事件(1936年2月)の影響や、日独防共共協の締結
(1936年11月)に象徴される共産主義イデオロギーの浸透
に対する警戒などを背景に設けられた。

 そして兵務局兵務課は、歩兵以下の各兵科(航空科を除く)の
本務事項を統括、軍紀風紀懲罰の総元締めとして軍事警察、防諜
などを担当した。同「陸軍省官制改正」第15條には兵務課の任
務が示され、6項で「軍事警察、軍機の保護及防諜に関する事項」
が規定された。おそらく、これが防諜の最初の正式の用例だとみ
られる。


▼防諜とはどのような情報活動か?

 1938年9月9日に陸軍省から関係部隊に通知された資料で
ある「防諜ノ参考」、及び陸軍省兵務局が各省の防諜業務担当者
に配布した資料である「防諜第一號」から、当時の防諜に関する
認識を整理すれば以下のとおりである。

◇陸軍は、防諜を「外国の我に向ってする諜報、謀略(宣伝を含
む)に対し、我が国防力の安全を確保する」ことであると定義し、
積極的防諜と消極的防諜に区分した。

◇積極的防諜とは、「外国の諜報、もしくは謀略の企図、組織ま
たは、その行為もしくは措置を探知、防止、破摧」することであ
り、主として憲兵や警察などが行なった。その具体的な活動内容
は、不法無線の監視や電話の盗聴、物件の奪取、談話の盗聴、郵
便物の秘密開緘(かいかん)などであった。

◇消極的防諜とは、「個人もしくは団体が自己に関する秘密の漏
洩を防止する行為もしくは措置」のことであり、軍隊、官衙(か
んが、※役所のこと)、学校、軍工場等が自ら行なうものであっ
た。主要施策としては、(1)防諜観念の養成、(2)秘の事項ま
たは物件を暴露しようとする各種行為もしく措置に対する行政的
指導または法律による禁止もしくは制限、(3)ラジオ、刊行物、
輸出物件および通信の検閲、(4)建物、建築物等に関する秘匿措
置、(5)秘密保持のための法令および規程の立案及びその施行な
どがあった。

(『防衛研究所紀要』第14巻「研究ノート 陸海軍の防諜 ――そ
の組織と教育―」を参考、※インターネット上で公開)


▼防諜体制の強化

 以上のように、2.26の影響や共産主義の浸透防止を目的に
兵務局が新設され、日中戦争勃発(1937年7月)以降に防諜
の概念が整理されるようになり、陸軍省から関係部署に防諜体制
の構築が徹底された。

 つまり、従前の「対諜報防衛」は、相手側の諜報を防衛し、軍
機の漏洩を回避するといった狭義の軍事的意味で用いられた。し
かし、総力戦のなかで広範囲に諜報、宣伝、謀略が展開されるよ
うになったため、国民を広く啓蒙し、官民一体となった相手国お
よび中立国の秘密戦に対処する必要性が生じた。そのことが「防
諜」という言葉に結集したといえるのではないだろうか。

 1937年8月に軍機保護法が全面改訂され、10月に新しい
軍機保護法が施行された。1938年には、国防科学研究会著
『スパイを防止せよ!! : 防諜の心得』(亜細亜出版社、インタ
ーネット公開)といった著書が出版され、国民に対して防諜意識
の啓蒙が図られた。

 同著では、1防諜とはどんなことか、2防諜は国民全体の手で、
3軍機の保護と防諜とは、4国民は防諜上どうしたらよいか、
5スパイの魔手は如何に働くか、6外国の人は皆スパイか、
7国民よ防諜上の覚悟は良いか、の見出しで、防諜の概念や国民
がスパイから秘密を守るための留意事項が述べられている。

 同著は、「近頃新聞紙やパンフレット等に防諜という言葉が
るる(尸に縷の右側 の繰り返し)見受けられるようになってき
たが・・・、又一般流行語の様に一時的に人気のある言葉で過ぎ
去るべきものであるか、・・・」と記述しており、防諜が一般用
語として急速に普及したようである。

 その後、防諜に関する著作、記事、パンフレットが定期的に頒
布された。主なものには、『週報』240号「特集 秘密戦と防
諜」(1941年5月14日)、『機械化』21号「君等は銃後
の防諜戦士」(1942年8月)、引間功『戦時防諜と秘密戦の
全貌』 (1943(康徳9)年、大同印書館出版)が挙げられる。

 その後、防諜は終戦までずっと、その重要性が認識され、国民
への啓蒙活動が行なわれた。

▼防諜という用語が登場・普及した背景

 防諜という言葉が登場・普及した背景には、第一次世界大戦に
おいて非武力戦あるいは総力戦の概念が登場したこと、共産主義
国家ソ連が誕生して国際コミンテルンが各国に共産主義イデオロ
ギーを輸出したこと、満洲事変(1931年9月)以後のわが国
の大陸進出に対する欧米、ソ連、蒋介石政権の対日牽制が本格化
したことなど挙げられる。

 第一次世界大戦において、わが国はドイツが敗北した大きな要
因が総力戦対応の失敗だと認識したようであり、これは当時の軍
事雑誌では以下のように記述されている。

 「・・・これは前大戦の例を見てもわかります。前大戦の時、ド
 イツは武力戦では連合軍をよく撃破したのでしたが、非武力戦
 で銃後を攪乱され、折角の前線の勝利も銃後から崩壊してあの
 無惨な敗北を喫したのであります。
 戦争とスパイは付き物ですが、前欧州大戦の時にも、両軍のス
 パイはお互いに盛んに活躍したのです。スパイの活躍がどんな
 に戦争に響くかということは、今更申し上げるまでもなく皆さ
 んのよくご存知の通りです。
 例えば軍の作戦が漏れた為に敵に乗ぜられるとか兵団の移動が
 探知された結果、意外な逆襲にあって大損害を蒙るとか、その
 影響は頗(すこぶ)る大きく、一スパイの活躍よく大兵団を葬
 ると云うが如き例はいくらもあるのであります。
 前大戦に於いて両軍の軍事スパイは幾多の目覚ましい手柄をた
 てています。然し結果的に考えてみますと、ドイツ軍のスパイ
 は軍事的にのみ片寄り過ぎて、その他に方面には及ばなかった
 ようです。同時に防諜という点でも、軍関係の秘密は守られま
 したが、他の方面の秘密は敵側に漏れていたようです。
 近代の戦争が武力戦のみでなく、非武力戦も戦争であると前に
 述べましたが、戦争に勝つことは、武力戦に勝つと同時に非武
 力戦にも勝たねばならないのであります。
 前大戦に於ける連合国側の様子を見ると、武力だけではドイツ
 を降参させることは難しいと考え、非武力戦線にも力を入れよ
 うと計画したのです。その結果ドイツの経済、社会思想、政治
 等をよく調べ、銃後攪乱をやったり、謀略、宣伝に力を入れ、
 とうとう武力戦では勝利を得ているドイツを降参させてしまっ
 たのであります。謀略宣伝がどんなに威力のあるものか、非武
 力戦の勝利が如何に功を奏するかがこの例ではっきり解ります。・・・・・・・」
(「機械化」21号(昭和17年8月)「君等は銃後の防諜戦士」)

 また、当時の国際共産主義の輸出、拡大の情況を整理すると次
のとおりである。

 ロシア革命(1917年)後の1919年にレーニンによって
つくられたコミンテルンは共産主義の思想を各国に輸出した。日
本もその例外ではなく、1922年に日本共産党がコミンテルン
日本支部として設立した。これを取り締まるために1925年に
治安維持法が制定された。

 1931年6月、コミンテルンの国際組織であるプロファイン
テル極東支部のイレール・ヌーランが上海で逮捕された。この事
件によって、上海を中心にアジア各地にコミンテルンのネットワ
ークが張り巡らされていたことが暴かれ、わが国も事の重大性を
認識した。

 1930年代のファシズムの台頭に対しては、欧州各国で19
34年から人民戦線の動きが強まった。これを受けてコミンテル
ンは、1935年のコミンテルン第7回大会で「反ファッショ
統一戦線(人民戦線)」路線を採択した。

 中国では、これを受けて共産党が1935年、「8.18宣言」
をだし、抗日民族統一戦線を国民党に呼びかけた。この延長線に
締結されたのが日独防共協定であり、また日中戦争ということに
なる。

 日本国内においては、満洲事変以後にわが国が国連脱退したこ
となどにより、日本への外国人渡来者数や軍事関連施設の視察者
が増加した。この中には、正体不明の多くのスパイが混入してい
た。

 このため、わが国は特別高等警察(特高)と憲兵隊を強化した
ほか、陸軍省は軍内の機密保護観念の希薄さを改めて問題視した。
そして各省庁が連携して国家の防諜態勢を確立すること目指した
のである。

 すなわち、官民が一体となった防諜体制の確立が目指されたの
である。

▼二大スパイ事件が防諜の重要性を高める

 また、わが国におけるスパイ事件が防諜の重要性を高めた。そ
の代表事例がコックス事件とゾルゲ事件である。

 1940年7月27日に、日本各地において在留英国人11人
が憲兵隊に軍機保護法違反容疑で一斉に検挙された。これがコッ
クス事件である。同月29日にそのうちの1人でロイター通信東
京支局長のM.J.コックスが東京憲兵隊の取り調べ中に憲兵司
令部の建物から飛び降り自殺する。

 当時、この事件は「東京憲兵隊が英国の諜報網を弾圧した」と
して新聞で大きく取り上げられ、国民の防諜思想を喚起し、陸軍
が推進していた反英・防諜思想の普及に助力する結果となった。

一方のゾルゲ事件は、ソ連スパイのリヒャルト・ゾルゲが組織す
るスパイ網の構成員が 1941年9月から1942年4月にかけ
て逮捕された事件である。

 この事件についてはあまりにも有名なので、ここで詳細は述べ
ないが、ゾルゲが近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した
元朝日新聞記者の尾崎秀実などを協力者として運用し、わが国が
南進するなどの重要な情報を入手し、ソ連に報告していた。


(次回に続く)



(うえだあつもり)

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【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係
論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査
学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年に
かけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務
し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官
をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛省
情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定
年退官。現在、軍事アナリストとしてメルマガ「軍事情報」に連
載中。著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社、2006年11
月)、『中国の軍事力 2020年の将来予測(共著)』(蒼蒼社、
2008年9月)、『戦略的インテリジェンス入門―分析手法の手引
き』(並木書房、2016年1月)、『中国が仕掛けるインテリジェ
ンス戦争―国家戦略に基づく分析』(並木書房、2016年4月)、
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
(並木書房、2016年10月)、『情報戦と女性スパイ─インテリジ
ェンス秘史』(並木書房、2018年4月)など。

ブログ:「インテリジェンスの匠」
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