配信日時 2019/07/03 09:00

【陸軍小火器史(34)番外編】陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(6)─その他の展示物いろいろ─ 荒木肇

こんにちは。エンリケです。

「陸軍小火器史」の三十四回目は、
番外編の6回目です。

細かい話と思われがちな軍事ばなしですが、
「細かいから誰もが看過しがち」
という点がポイントです。

興味を持つ人が少ないから、
<「典範令とは何か?」>
などの正確な知識を持つだけで、

ウソやデマ、ねつ造を、
クッキリした論拠を通じて
見抜けるようになれるわけです。

それだけじゃなく、
帝国陸海軍の香りを嗅ぐことのできる
軍事ファンになれるはずです。

それも、このメルマガ記事を読むだけでです。

まもなく目にする
「典範令とは?」「前盒・後盒とは?」
をはじめとする解説読みものを読む悦びを
思い浮かべてください。


ではさっそくどうぞ。


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 陸軍小火器史・番外編(34)

 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(6)
 ─その他の展示物いろいろ─


 荒木 肇
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▼「前盒(ぜんごう)」と「後盒(こうごう)」

 ある駐屯地資料館に、陸軍の小銃弾を入れる容器があった。そ
こには「弾のう」という表示がされていた。「のう」とは雑嚢
(ざつのう)などの「嚢」のことだろう。陸上自衛隊では実包は
「弾のう」に入れるのでその誤解からだ。

 「嚢」は袋状の容器であり、「盒」は硬い入れもので蓋(ふた)
のある容器のことだ。たとえば炊飯や調理に使う飯盒(はんごう)
は硬い。陸軍では硬い革製の「弾入れ」をそのように名づけた。
ついでに言えば幕末などでは「胴乱(どうらん)」といった。年
配の読者なら、少年時代、昆虫や植物採集で肩からぶらさげた方
もおられるだろう。幕末では腰に巻くなかなか強い革製のベルト
がなかったので、肩から斜めにさげたに違いない。

 弾薬盒(だんやくごう)が正式な名称だが、身体の前に帯革
(たいかく・ベルト)に通して2つ付けるのを前盒、腰の後ろに
1つ付けたものを後盒といった。前盒は左右につけるので同型で
ある。上が広くて、下が狭い長方形の箱で厚い革でできている。
内部には仕切りがあって、そこに5発ずつクリップ(装弾子とい
う)でまとめられた実包が3個ずつ入った。だから、半分で15
発、合わせて30発が入った。

 細かく説明すると、前盒の長さは150ミリ、高さが90ミリ、
幅は上が60ミリで、下は30ミリになっている。横から見ると、
上が広くて、下が狭い。逆台形になる。革の厚さは4ミリほどで、
さすがに重量物を入れる容器のことだけはある。頑丈である。実
包の重さは1発ごとではさすがに軽いようだが、15発だとおよ
そ360グラムになった。30発では、その倍、720グラムで
ある。

 これが7.7ミリに増口径化した九九式小銃用の7.7ミリ実
包だと15発で約450グラムにもなった。つまり2つの前盒だ
けで60発、約2キログラムにもなった。盒の大きさはゆとりが
あるので、大型化した7.7ミリ弾でも入ったようだ。もっとも、
紙で包まれているだけきつくもなったかもしれない。

 蓋は手前から外側に開く。実包は15発が紙箱入りで渡される
ので、前盒はしっかりした構造だが、実際にやってみると弾が引
き抜きにくい。だいたい第一次世界大戦以後、列国は使いやすい
ソフトなキャンバスケースに変更したが、装備に関しては日本陸
軍はなかなかに保守的だった。

 ひとつの理由は、兵士の腰の周りにはさまざまな物がぶら下が
る。アメリカ軍のM1ガーランド小銃は、その8発をまとめたエ
ンクリップ実包を布製ポーチで腰に付けたが、けっこうな幅にな
ったように見える。その点、ボックス型の陸軍タイプは大きさを
集約することができたからではないだろうか。

 後盒は腰の後ろにつけた。長さは174ミリ、高さは90ミリ、
幅が73ミリ。前盒より明らかに大きい。やはり内部は2つに仕
切れられていて、それぞれ15発入りの紙箱を上下に合わせて2
個ずつ、4個で60発を入れた。6.5ミリ弾を入れると、重量
は約1.4キログラム。前盒と合わせて120発、弾薬盒とあわ
せておよそ3.4キログラムにもなった。

▼射撃についての余談

 銃弾は薬莢の先についている。薬莢は薬室におさめるために底
部が太くなっている。15発をまとめると、上下に差ができる。
後盒は先にも書いたが、紙包みの上下をひっくり返して2つ合わ
せれば四角になる。また、後盒の底部には30ミリ×20ミリの
穴が2つ開いている。そこに指を突っ込めるようになっていて、
下から押し出すことができた。

 槓桿(こうかん・ボルト)を引いて薬室を開ける。装弾子に5
発がまとめられた弾を弾倉の上に立てて、親指でグッと押し込む
と弾倉の中に右に3発、左に2発、きれいに納まってゆく。槓桿
を押して遊底が閉じると、装弾子は落ちて第1発目が薬室に入る。
それから安全装置をかけて、射撃準備完了である。

 小銃は(歩兵銃・騎兵銃の総称)兵隊とは切っても切れない縁
のものだ。末期の幕府には兵が近代小銃を装備した陸軍があった。
そこで洋式訓練を受けたが、訓練生がナニに戸惑ったかというと、
銃をいつも身につけていることだった。

 重さ約4キログラムもの、長い鉄棒をいつも持って歩く。走る。
伏せる。障害物を飛び越える。それがいつも小銃を携帯してのこ
とになる。そのことだけでも慣れるのに時間がかかった。

 では、昭和の平時に、実弾を撃つ経験はどうだったかというと、
3か月の1期の教育中には5発のみ。2年間の兵役期間中すべて
を通して35発だったという。「99%は操作方法、射撃姿勢の
訓練と手入れだった」という回想がある。ちょっと昔の陸上自衛
隊にも川柳「たまに撃つ 弾がないのが 玉にキズ」と平時の実
弾不足を嘆いたものがあるが、戦前陸軍だって同じである。

▼変形棒を発見

 北海道のある駐屯地にうかがったとき、樫の木で作った棒があ
った。先端の細い方には鋸目(のこめ)が入っていて長さは約5
0センチもあったか。たぶん、何かの手入れに使ったモノでしょ
う・・・と説明されたが、あとで調べたら、正式な名称は「薬室
手入れ棒」である。ただし、個人装備品ではなく、内務班(平時
の教育中心の編制)に数本が中隊兵器掛(ちゅうたいへいきがか
り)から貸し出されていたのだろう。戦記などにはまず出てこな
い。『陸軍用語よもやま物語』(光人社・比留間弘・1985年)
には解説されている。

 歩兵銃、騎兵銃が兵卒には自分の銃が渡された。中隊の兵器掛
の下士官のもとに銃の履歴簿があった。実包射撃を何回行なった
かをはじめとして、銃床のどこにどんなキズがあるかなども記録
されていた。銃身の中を銃腔というが、その中に錆など出したら
大事(おおごと)である。いつも兵卒たちは自分の小銃(歩兵銃・
騎兵銃の総称)を分解し、汚れをとり、油をさし、ぴかぴかに磨
き上げていた。

 薬室(やくしつ)といわれる部分がある。火薬が入る部屋だか
ら薬室といった。火縄銃の時代は、銃身は1本の中が空いた鉄棒
で、その末端をネジで閉じた。完全弾薬筒(かんぜんだんやくと
う)といわれる、弾頭と発射薬(装薬という)を一体化して金属
製薬莢が開発されると、というより銃腔の底の部分が開閉できる
ようになった。カンヌキ型のボルト・アクションなどという。

 薬莢が入る腔は銃身のそれより太くし、薬莢から出たガスが弾
を押し出し、後ろに戻らないように、撃ち殻薬莢(うちがらやっ
きょう)を抜き出しやすいように、前は細く、後ろは太くなるよ
うにテーパーをつけた。薬室は爆圧にも耐えるように肉厚に造っ
てある。銃腔と違って肉厚で、しかも段差がついているので、手
入れがしにくく、こびりついた火薬ガスの残滓(ざんし・残りか
す)も取りにくい。

 そこで手入れ用の4センチ×6センチくらいの片布(へんぷ・
手入れ用の木綿製)を手入れ棒の先端にはさんで、薬室の中をぐ
りぐりと磨いた。よく聞く「サク杖(キヘンに朔)」という銃身
下部の木製銃床に入っている長い金属製の棒は銃腔内部を掃除した。

 「けんさ、検査で苦労する」とも兵隊歌謡に歌われたように、
軍隊ではいつも検査が行なわれた。兵器検査等はたいへんなもの
で、兵器掛下士官が「銃歴簿」をもって検査官がチェックする。
その正式検査の前には「予備検査」があって、不具合や不都合が
あると大騒ぎになった。そんなとき、この50センチほどの樫の
棒は手ごろな制裁用具になったらしい。細い先端をもち、太いほ
うでコツンと叩く。コブができて「頭が変形する」、そこから変
形棒という俗称ができたのではないかと比留間氏は書いている。

 比留間氏は海軍の「精神注入棒」のことも書かれた。これはバ
ッターといわれたように、海軍兵員の尻を思い切り叩いたものら
しい。陸上自衛隊久里浜駐屯地は、現在は陸上自衛隊通信学校に
なっているが、元は旧海軍の海兵団などの部隊がいた。通信学校
が改築のために古い建物を壊したところ、その床下から「海軍精
神注入棒」と墨で書かれたバッターが出てきた。ガラスケースの
中に展示してある。

▼文書資料など

 典範令(てんぱんれい)というか令典範とも言う。陸軍の公式
教科書のようなものである。展示物の中に混じっていることが多
い。よく小学校などで、「昔の教科書」と表示されて、校長室の
廊下の前にガラスケースに入ってることがある。

 「令」というのは陸軍の基本にあたり、共通のものである。作戦
用務令、軍隊内務令、陸軍教育令、陸軍礼式令、陣中要務令などが
あった。「典」というのは、各兵科ごとの「操典」である。「範」
は教範のことで、各兵科の中の技術的な内容がのっている。工兵
隊では築城教範、渡河作業教範、交通教範、爆破教範などがあっ
た。各科の共通のものもあり、わざわざ「諸兵射撃教範」などと
いう。

 内務令などを見ると、いかに全軍画一化を目指した近代組織だ
なと思わされる。たとえば昭和18年8月11日の軍令陸第16
号は『朕(ちん・天皇陛下の自称)軍隊内務令ヲ制定シ之ガ施行
ヲ命ズ」で始まる。

 「各官ノ職務」という項目を見ると、仕事の内容や分担がよく分
かる。前々回だったか、副官のことを説明したが、聯隊副官の項
(第四節)を紹介しよう。
1 命令、諸達、報告、通報その他の文書の起案、発送、受領及
伝達
2 聯隊歴史を起草する
3 聯隊本部図書文書の保管
4 図書類の受領、分配並びに印刷に関する業務
5 公務運賃割引証、下士官兵旅客運賃割引証及乗船証の発行
6 印章を保管し、公用証、外出証、衛外居住証、門鑑、郵便切
手及葉書の保管出納

 もちろん、こうした広範囲な職務は「聯隊書記」といわれた下
士官たちが分担し、副官の指導、監督を受けることになる。

 もしも典範令をすべてそろえて持ったら、それだけで一廉(ひ
とかど)の軍事史研究者になれると言ってもよいかもしれない。


(以下次号)


(あらき・はじめ)

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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚
気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。
 
 
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