こんにちは。エンリケです。
「陸軍小火器史」の三十三回目は、
番外編の5回目です。
細かい話と思われがちな軍事ばなしですが、
「細かいから誰もが看過しがち」
という点がポイントです。
興味を持つ人が少ないから、
<「乗馬本分とは法律用語」>
などの正確な知識を持つだけで、
ウソやデマ、ねつ造を、
クッキリした論拠を通じて
見抜けるようになれるわけです。
それも、このメルマガ記事を読むだけでです。
まもなく目にする
「補充学校とは?」「実施学校とは?」
をはじめとする解説読みものを読む悦びを
思い浮かべてください。
ではさっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍小火器史・番外編(33)
陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(5)
─靴につけた拍車─
荒木 肇
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□ご挨拶
大きな地震がありました。山形県、新潟県、周辺の建の皆様に
は被害に遭われませんでしたでしょうか。たいへん驚き、心配も
しております。マグニチュードも7近い数値でした。今後も警戒
を緩めることはできません。同時に、他の地方、地域でも油断が
できないと思います。
YHさま、いつも興味深いお便りをありがとうございます。
ソ連軍のことや遊牧民族の靴のことなど、いろいろ考えさせられ
ました。陸上自衛隊の、昔は茶色の堅い編上靴のこと、軟らかく
するには煮た話などを思い出しました。
足が冷えれば、人は容易に腹をこわします。下痢をすれば激し
く体力を奪われてしまう、山行きの中で、そうした経験ももって
おります。現在の陸自も、詳しくは聞いておりませんが、装備品
は多くが需品科の職掌で、優れた人材が研究し、企業とタイアッ
プして改良を重ねているようです。黒い、ベルクロを使った新し
い靴を使っています。今度、詳しく聞いてみようと思いました。
▼乗馬の配当(はいとう)
資料館には、銀色にメッキされた拍車(はくしゃ)が残されて
いることがある。靴のかかとに合う半楕円形の形で、後部の突起
には丸い「車」とはよくいったもので、クルクル回る輪がついて
いる。外側はトゲトゲのようになっている。だから歯車のように
見える。馬の専門家から聞くと、馬の胴体は痛みに鈍感だそうだ。
「それっ!」などと声をかけて両かかとで馬腹を蹴るなどという
が、馬にしてみればよい刺激で、「ハイヨ!」と答えるという感
じだろうか。
これを長靴のかかとに付けたのは「乗馬本分」者と、「乗馬本
分ではないけれど臨時に馬に乗ることができた者」だった。より
正確にいえば、乗馬本分者は馬に乗らないときでも付けることが
でき、臨時の者は乗馬時のみ付けることができた。先日も、ある
軍事研究家が「憲兵は乗馬本分だったから長靴に拍車をつけてい
た」と書いているものを見たが、それは間違い。この本分という
言葉はれっきとした法律用語で、将校と各部将校だけに関わる言
葉である。憲兵の准士官以下は、仕事内容に応じて乗馬する者で
あり、乗馬本分ではなかった。
拍車の規定は、『陸軍服装令』にあった。
「第12条 本令に於て乗馬本分と称するは編制上乗馬を有する
者及乗馬を有せざる左に掲ぐる者を謂ふ」
「編制上乗馬を有する者」というのが、一般人にとってはむずか
しい。陸軍の軍隊(ここでいうのは武装組織で戦力を有する部隊)、
学校、機関、官衙には、それぞれ編制表というものがあった。ど
ういう役職があって、その定員は何名、それに就く階級は何かと
細かく規定してある。ここには乗馬の数と、誰に配当されるかも
書いてある。
▼工兵聯隊の編制表に見る乗馬
手元にある昭和16(1941)年度の工兵聯隊の編制表を紹
介しよう。表の左側についた「備考」によれば、工兵聯隊は中隊
3箇(こ)、器材小隊1箇で構成される。人員253名からなる
中隊は4箇小隊と1箇器材分隊に区分された。小隊は4箇分隊に
区分し、器材分隊は器材と化学戦資材駄馬16頭及び予備馬等よ
りなっている。
その聯隊本部(人員94名、馬27頭)は大佐、もしくは中佐
の聯隊長1名、乗馬1頭とあり、少佐もしくは大尉の副官1名、
それに乗馬1頭。大尉もしくは中尉の「兵器掛(へいきがかり)」
1名に、これにも乗馬1頭、同じく「瓦斯掛(がすかかり)」の
中尉もしくは少尉が1名、これにも乗馬1頭とある。瓦斯掛とは
当時の化学戦教育を行なった陸軍習志野学校の課程出身者で、毒
ガスを散布されたら除染を担当する将校である。
他には曹長3名の書記、軍曹もしくは伍長の兵器掛、瓦斯掛、
通信掛兼無線通信掛、暗号掛の4名の下士官、上等兵以下の兵3
3名。合計人員44名に乗馬4頭、これに駄馬3頭がついた。こ
れに各部の将校下士官兵がつくが、乗馬の配当があるのは軍医大
尉1名、獣医尉官1名(大、中少尉のいずれか)、それに輜重兵
下士官1名。輜重上等兵以下25名に乗馬2頭、輓馬19頭とい
うことになる。輜重兵は乗馬の戦闘職だから、本来、馬に乗る立
場だった。そうして「馬取扱兵(うまとりあつかいへい)」が6
名いた。このように工兵聯隊本部には合計で9頭の乗馬があった。
工兵隊は重い資材をもち、陣地構築など広い地域を行動するの
で、大尉もしくは中尉の中隊長にはもちろん乗馬がある。4人の
中・少尉の小隊長も乗馬本分だった。馬取扱兵も5名がいた。将
校たちが自ら馬の世話はできないから、専門の兵がいたわけだ。
器材小隊も小隊長は乗馬をもつ。中尉、少尉でも馬に乗れた。
聯隊の総人員は898名だったが乗馬は25頭もいた。他に駄
馬や輓馬もいたから全部で119頭の馬といっしょに行動した。
▼将官と佐官はみな乗馬本分
将官と佐官は兵科を問わず、みな乗馬本分だった。ただし、戦
車、気球、飛行機、船艇、もしくは自動車を装備する部隊や、こ
れらの学校に勤務する者は除くとある。だから戦車聯隊長は大佐
であっても乗馬本分ではない。乗用車を配当されていた。中佐の
飛行戦隊長も同じ。そうして除外規定はまだつづく。兵技・航技
(昭和18年には技術部に統一された)、建技(経理部の建築技
術関係将校)、薬剤、歯科医、衛生、法務、軍楽将校である。こ
れらの各部将校たちは佐官であっても乗馬本分ではない。
気球隊もめずらしい部隊である。砲兵の弾着観測などに協力す
る大型繋留気球を装備した。こうした機械化部隊には乗用車があ
ったから、佐官はドライバーつきの車に乗っていた。
次に、陸軍大学校学生と同じく専科学生である兵科の佐官と尉
官。原則、尉官は乗馬本分ではないが、学生は将来の参謀候補者
であり、連絡などで乗馬することが多かったからだろう。陸大学
生の教育課程には「乗馬」という授業があり、その成績も全体の
評価に大きく関係したから、騎兵科の学生は有利だったともいう
(ただし、他兵科の人の思い出話)。
憲兵隊、工兵隊、鉄道隊、電信隊の兵科尉官も乗馬本分。工兵
隊の編制表をみても分かったとおり、尉官であっても乗馬した。
陸軍では歩兵隊以外を「特科部隊(とっかぶたい)」というが、
砲兵隊、騎兵隊、輜重兵隊は編制上、兵科将校にはみな乗馬がつ
いているので、わざわざ取り上げていない。
憲兵将校はみな乗馬本分、憲兵の准尉や下士官、兵長・上等兵
は「任務上、臨時に乗馬する」のだから長靴は履いていても、本
分ではなかったのだ。ついでに有名な憲兵腕章は将校は着けない
のがふつうだった。両襟に光る旭日の憲兵徽章と右胸の黒い山形
でそれと分かった。憲兵は1940(昭和15)年に、歩兵・騎
兵・砲兵・工兵・輜重・航空の兵科区分がなくなり、みな一様に
「兵科将校」になったが、憲兵だけは残った。
▼参謀、副官も乗馬本分
参謀の必須技能は乗馬技術。陸軍大学校の学生は、毎日授業で
乗馬があった。長靴に拍車を付けて出かけていたそうだ。電車の
中で、乗り合わせた職人風の男から「ニワトリの蹴爪(けづめ)
みたいの付けやがって、あぶねえじゃねえか」などと怒鳴られた
こともある・・・という伝説もある。大正時代の反軍意識、風潮
の高まりの中のエピソードとして有名な話だが、どこまでほんと
うか分からない。
副官も乗馬本分だった。聯隊副官、大隊副官、師団長副官、旅
団長副官、学校長副官などなど、高級指揮官にはみな「副官」が
つく。近頃のマスコミなどの解説では、「副指揮官」という誤っ
た解説もあるが、民間でいう「秘書」にあたる。旅団長閣下は騎
馬でさっそうと疾駆し、後ろを副官(大尉)が徒歩で走るなどと
いうことはない。副官は白、もしくは銀色の飾緒をつけていた。
現在の陸自では、アメリカ陸軍の制度をまねて、師団には副師団
長、旅団にも、団にも同じで、連隊にも副連隊長がいるから、そ
こからくる誤解だろう。
師団司令部の平時の編制では、副官部、参謀部、軍医部、経理
部、法務部とわかれ、副官部と参謀部を合わせて幕僚(ばくりょ
う)といった。将軍の帷幕(いばく・むかしは幔幕を張り、のぼ
りを立てた)にいて勤務するから幕僚である。だから司令部は拍
車を付けた人が多かった。ただし、規定を見直してほしい。幕僚
の兵科の佐官・尉官は乗馬本分、軍医や主計将校、法務将校は乗
馬ではない。
▼陸軍諸学校の中隊長たちも乗馬本分
陸軍、海軍を問わず、軍隊は教育機関だからやたら学校が多か
った。諸学校というが、軍人でない人に教育を施して軍人にする
「補充学校」、士官学校、経理学校などがそれにあたる。これに
対して、各兵科の教育や研究にあたる「実施学校」、すなわち歩
兵学校、騎兵学校、重砲兵学校(いずれも正式には陸軍が冠称に
つく)などがこれである。もっとも所在地名を冠する学校、習志
野学校などもあった。いまの陸上自衛隊も、高射学校、需品学校、
武器学校などと同じに、富士学校や小平学校といった地名つきの
学校もある。
これらの学校には学生隊、生徒隊、教導隊、幹部候補生隊、下
士官候補者隊、練習隊または教習隊などが設けられた。学生や生
徒というのは専門教育のための修行をするために入校を命じられ
た軍人たちである。教導隊は入校した学生、生徒たちの教育支援
をする部隊をいう。
陸上自衛隊にも静岡県小山町に富士教導団という部隊がある。
富士学校は普通科(歩兵)、特科(砲兵)、機甲科(戦車・偵察)
の職種学校であり、普通科教導連隊、機甲教導連隊、特科教導隊
などが編制に含まれている。
学校に所属する各隊には中隊長がいる。これらの中隊長もまた
乗馬本分である。ここでも中隊長たる兵科尉官とされていて、少
佐の中隊長はすでに佐官だから乗馬本分である。大尉が務めるこ
ともあるので、尉官が明示されたのだろう。ただし、戦車、気球、
飛行機、船艇もしくは自動車を装備する部隊や学校に所属する中
隊長は省くとある。
▼そりゃもっともだ、獣医部将校の乗馬
第5項はわざわざ「獣医部尉官及乗馬部隊に属する各部尉官」
は乗馬本分だという。獣医部将校には2通りの区別があった。獣
医師免許をもつ獣医将校と下士官からたたきあげて獣医師ではな
い将校である。これは獣医務(じゅういむ)将校といった。馬の
靴にあたる蹄鉄の管理をしたり、実技指導に長けたりした存在だ
った。衛生部にも、医師免許のある軍医将校と、衛生下士官から
たたきあげた衛生将校がいるのと変わらない。
馬を扱うのが本業の獣医部将校が馬に乗らないわけがない。だ
いたい獣医さんがどれほど陸軍にいたか、これが有名ではない。
昭和20年9月、敗戦直後の調査では、現役将校が少尉181人、
中尉305人、大尉183人、少佐155人、中佐95人、大佐
37人、少将8人、中将4人の合計968人という勢力だった。
これは人間相手の軍医の5721人にはとても及ばないが、人
と馬との比率を考えれば、ずいぶん手厚いものだったともいえる。
もちろん、実数は召集将校がもっと多くを占めるので、馬に乗っ
た獣医さんは珍しくもない風景だっただろう。
乗馬部隊、騎兵や輜重兵部隊の各部将校も全員が乗馬本分。歩
いていたら仕事にならない。騎兵隊の主計将校の手記を読んだこ
とがあるが、水の手配、馬糧の集積、支給などの調整では馬を飛
ばして任務を果たしていた。
▼グルメット(金属製の刀帯)
ついでによく見かける鉤鎖(こうさ・かぎくさり)について説
明しておこう。『陸軍服装令』の第21条に、次のような規定が
あった。
「将校及び准士官は軍装又は略装を為すときに限り刀帯(とうた
い)の釣革(つりかわ)に代へ鉤鎖を用いることを得」
この鉤鎖のことをフランス風にグルメットといった。刀帯は前
にも記したように、表は黒革で裏が階級によって異なっていた。
将官と佐官は紅革もしくは緋色の絨、尉官と准士官は藍色の革も
しくは藍色絨。ただし、釣革に代えて鉤鎖を使うときは階級で差
がつかずに銀色金属だった。もともとは騎兵将校だけが使ってい
たが、その耐久性と何より格好良かったからだろう。多くの将校
が騎兵でもないのにグルメットで軍刀や指揮刀を吊った。
グルメットの長さは30.3センチ、ちょうど1尺である。釣
革は36.4センチで約1尺2寸だった。ジャラジャラいう音が
よかったらしい。
この記事については、若い頃、むさぼるように読んだ『偕行』
の「軍制よもやま話」によりました。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚
気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。
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