配信日時 2019/06/06 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(40)】20世紀を迎え、様変わりした国際社会 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は、今回で記念となる40回目をむかえました。

この連載をまとめて、
高校・大学の国史授業の副読本にしたいですね。

それほど視野が広く、偏りがなく、正鵠を射た
読んで面白い、知性が血沸き肉躍る内容です。

きょうも深いレベルで知性を養ってくれる内容です。

・声の大きな国粋主義外交の害悪
・真に意義ある元老制度とは?
・日露戦争前後で見られる、世代交代のもたらした
悪影響

など、20世紀の我が国を誤った課題宿題が
登場してきます。

勇ましいことや、いけいけどんどん的風潮を良しとする
新時代を謳う薄っぺらい人たちが、維新の風雲を切り
抜け、西南戦争で地獄を見た人たちの現実感覚を弱腰
と罵る風潮こそ、その典型のように感じます。

今のわが国でも、「左右両翼+α」の口だけ達者な薄っ
ぺらい人たちが同じことをやっています。歴史は繰り
返さないと聞きますが、愚かな振る舞いだけは、反省
しない限り永遠に無限に繰り返すということでしょう。


宗像さんの言葉にもありますが、
本連載は、これからいよいよ本番・クライマックスに
入ってゆきます。


エンリケ


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我が国の歴史を振り返る
 ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(40)

 20世紀を迎え、様変わりした国際社会

 宗像久男(元陸将)

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本メルマガも記念すべき40回目も迎え、ようやく「明治時代」
を終えようとする所まで来ました。

5月25日から28日まで、令和時代の最初の国賓として米国の
トランプ大統領をお迎えし、国中が沸騰しました。天皇陛下のお
言葉にもありましたように、日米関係は、ぺリ―が来航して「日
米和親条約」を締結して以来、165年の歳月が流れています。
しかし、実質的に両国が“互いに国の命運を左右する相手”と意
識し始めたのは日露戦争で日本が勝利した後からでした。今回は、
この後の歴史をより的確に振り返るために、明治時代の終盤、そ
して20世紀を迎えた国際社会がどのように様変わりしたかにつ
いて総括しておこうと思います。

もう少し補足しましょう。元外交官の岡崎久彦氏は「日清・日露
というのは日本民族の興隆期だった。国が伸びている時は人間の
意欲が溢れる。そういう人がその国を担うようになった時に国の
最盛期になる。日露戦争の時、20歳ぐらいの人がその後の日本
の文化、科学、政治など全部担っている。日本の歴史にとって一
種の夢のような時代があった」旨の発言をしています。

日清・日露戦争は明治維新や西南戦争の経験者が国の舵取りをし
ましたが、その後は逐次、世代が交代します。そして実際の歴史
は、その“夢”が実現されることなく、「明治」から「大正」そ
して「激動の昭和」へと、振り返りたくもない“厳しい現実”に
変容して行きます。

しかし、本シリーズの目的である「我が国の歴史から何を学ぶか」
は、長い助走を終えてこれからがクライマックスであると考えます。
“厳しい現実”を選択した(せざるを得なかった)背景や要因に
こそ、“未来に活かす”さまざまな「教訓」や「課題」があると
考えるからです。 

特に、20世紀に入り、我が国が欧米1等国と同列の文明国とな
った以降こそ、流動化する「日本の動き」と「世界の動き」を連
動して考察しないと「歴史を変えた大事な要因」を見落としてし
まい、その結果として、「歴史の見方」が大きく変わってしまい
ます。このような認識のもとに、これまで以上に日本と世界の歴
史を織り交ぜて慎重に言葉を選び、時には大胆に振り返ってみよ
うと思います。

▼「日本人の精神的支柱」を諸外国に紹介した新渡戸稲造

さて、本メルマガの25回目に「明治時代の『国民精神』を育て
たもの」を取り上げましたが、その続編です。明治維新以降、よ
うやく諸外国と交流して相互理解に努めましたが、外国人に「日
本の精神」を理解してもらうことは困難を極めました。その中で、
「武士道」という「日本人の精神的支柱」を詳しく紹介し、明治
時代の「国民精神」を国外に普及した書籍の筆頭に、新渡戸稲造
の『武士道』(1900〔明治33〕年初版発刊)が挙げられま
す。

新渡戸は、ベルギーの法学者に「日本の学校に宗教教育がない。
どうして道徳教育を授けるのか」との指摘に愕然としながらも、
「日本の道徳の教えは学校で習ったものではなく、日本人の善悪
や正義の観念を形成している要素は『武士道』である。『武士道』
は武士階級から発生したが、日本人全体の道徳律の基準となり、
その精神を表す『大和魂』は、日本人の民族精神を象徴する言葉
となった」として『武士道』をまとめました。『武士道』は、文
明開化の中で、ややもすると埋没しがちな日本人の伝統的精神を
体系的かつ総括的にまとめた唯一の思想書だったといわれていま
す。

実は、25回目のメルマガ(*)で紹介しました福沢諭吉の『学問の
すすめ』もまた、武士道精神を国民全体の道徳律に具現化し、近代
社会で国民が持つべき価値観として明示した思想書であったと評
価されています。表現こそ違いますが、「武士道」という共通の思
想をベースにしていることを付け加えておきます。 
(*)http://munakatahistory.okigunnji.com/category1/entry250.html

新渡戸稲造の『武士道』は「日英同盟」成立の原動力となったと
いわれますし、セオドア・ルーズベルト大統領も『武士道』の愛読
者でした。数十冊買い求め、子弟に配り、兵学校や士官学校にも
推薦したようです。

▼そして「和魂洋才」へ

こうして、「洋才」として西洋から学問や知識を学びながらも、
「大和魂」「武士道」「独立自尊の精神」など日本古来の精神を
大切にするとの考えが、やがては、有名な「和魂洋才」として明
治時代の「国民精神」を形成して行きます。

この「和魂洋才」を強く提唱したのは、和洋の学芸に精通してい
た森鴎外だったといわれます。同じ頃、ドイツから発祥して欧米
諸国に拡大していく「黄禍論」(黄色人種の興隆は欧州文明の運
命に関わる大問題なので、欧州が一致して対抗すべきとする思想)
に対抗するような格好で、「和魂洋才」は“日本独自の精神”と
して昭和時代まで盛んに用いられるようになります。  
 
▼異質で強大な“米国”の登場

岡崎久彦氏はまた「20世紀とは、米国という、旧世界とは異質
でかつ強大な国家が突然、国際政治に登場し、やがては米国の独
り勝ちに終わる百年だった」と指摘していますが、20世紀に入
ると世界史の主役が欧州列国から米国に変わります。
 
 その米国は、自らの文明観として「マニフェスト・デスティニ
ー」(明白なる使命)を保持し、「文明の西漸説」(文明は古代
ギリシア・ローマからイギリスに移り、アメリカ大陸を経て西に
向かい、アジア大陸へと地球を一周する)を信奉して「西への衝
動」にかられます。この文明観が米国の膨張主義・帝国主義を正
当化する根拠となって、1890(明治23)年に北米大陸を制
覇した後、欧州列国と呼応するように1898(明治31)年に
ハワイを併合、1902(明治35)年にはフィリピンを植民地
化し、アジア大陸に迫ってきました。

そして、日露戦争までは親日だった米国世論が、「ポーツマス条
約」の交渉過程で反日に転じました。さまざまな原因があります
が、最大の原因として、極東の「力」の実態がロシアから日本に
移ったことにあったのは明白です。「米国は、日本の勢力が大陸
にどんどん拡張するのを支持しない」は当然の流れだったのです。

そのような時、鉄道王ハリマンが南満洲鉄道の共同経営を提案し
ます(1905〔明治38〕年)。ハリマンは世界一周交通路を
一手に握る壮大な夢を持っていましたが、提案は日本にとって有
利な条件だったため、伊藤博文や井上馨らの元老、桂首相や山県
も同意し、協定の署名寸前まで話は進みました。

これを「ポーツマス条約」締結交渉から帰国した小村寿太郎が
「満洲を日本の勢力範囲におくことが我が国の国策であるべき」
と一歩も譲らず、ハリマン案を「南満洲鉄道を横取りする策だ」
と破棄させました。このため、小村は、“南満洲鉄道の譲渡がま
だ清国の了承を得ていない”ことを逆用し、病を押して自ら北京
に赴き、「満洲前後条約」(同年12月)に「満洲鉄道について
は、日清以外の関与すべからず」の一項を挿入させ、米国の参加
を封じたのでした。

ペリー以来の弱小日本の苦難の経験を知っている世代と日露戦争
を経て帝国主義的な情熱に燃えている世代の違いか、この決断は
“歴史の岐路”となりました。「歴史にifはない」ですが、
「共同経営がのちの日米衝突を回避できたのでは」と何とも悔や
まれます。

やがて、欧州で発生した「黄禍論」の一つの姿として、北アメリ
カ本土、特にカリフォルニアで移民問題が発生しました。移住し
た日本人農民が勤勉有能で土地所有者となるにつれ、「排日土地
法」が次々に決定されました。親日派のルーズベルト大統領は日
本に同情的でしたが、合衆国憲法により、大統領が州議会の動き
を阻止できないという米国の“異質”な一面が現れたのでした。


▼我が国の「元老制度」について

ハリマン提案の顛末ももう少し振り返ります。大多数の元老たち
が一外相の“暴走”を止めることができなかったのは不思議なの
ですが、翌1906年5月、伊藤博文が反撃に出ます。山県有朋、
大山巌、松方正義などの各元老、準元老格の桂太郎、山本権兵衛、
それに主要閣僚、児玉源太郎参謀総長らを集めて「満洲問題に関
する協議会」という歴史的な会議を主催します。

その席で伊藤は、「満洲における軍政が続けば、米英の対日不信
感が増大するばかりか、ロシアも極東の軍事力を強化し、日本は
清国の怨恨の的となるだろう」と陸軍による軍政統治の願望に反
対しました。矢面になった児玉の抗弁に対して「一番心配なのは、
米国の世論が強大なことだ。米国は世論が動けば、世論に合った
政策をとる」とまさに米国の“異質さ”を見抜き、ついには軍政
実現を退けたのです。

“元老”は憲法や法律に規定がある身分でなく官職でもありませ
ん。天皇から名指しの勅を賜って天皇を補佐する役でした。伊藤
は元老としてみごとに日本の“舵取りの役”を果たしたのですが、
やがて、伊藤のように、軍部や国民世論に抵抗してそれをねじ伏
せるだけの行動力と破壊力を持つ人がいなくなります。再び「if」
ですが、「我が国自体も“異質さ”が増した昭和時代に伊藤博文
のような“強い元老”がいたなら、違った歴史になったかも知れ
ない」と考えてしまい、こちらもとても残念です。

見方を変えれば、大日本帝国憲法の起草者・伊藤博文だからこそ、
立憲君主制の本質や憲法の限界を熟知しており、それ故、強力な
舵取りができたとも言えるのはないでしょうか(長くなりました。
今回はここまでで留めおき、大日本帝国憲法をはじめとする戦前
の我が国の諸制度についてはいつかまた振り返りましょう)。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。


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