配信日時 2019/05/31 15:00

【短期連載・米大統領とインテリジェンス(最終回)】「歴代の米大統領とインテリジェンス機関の関係と情報マンの宿命」 山中祥三(インテリジェンス研究家)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

インテリジェンス研究家・山中祥三さんの
短期連載『米大統領とインテリジェンス』の最終回です。

最後のパラグラフにショックを受ける人は多いのでは?
とくに、「どうせ日本は」が口癖の自虐的な人には致命的
かもしれません。

素晴らしい内容の連載をご提供いただいた
山中さんに心よりの感謝を申し上げます。

では最終回を
さっそくどうぞ。


エンリケ

追伸
今のわが国で「インテリジェンス」の名に値する教養コンテンツを
提供できているのは、弊メルマガだけと思っています。



山中さんへの感想や疑問・質問やご意見は、
こちらから⇒ https://okigunnji.com/url/7/

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短期連載・米大統領とインテリジェンス(4)

「歴代の米大統領とインテリジェンス機関の関係と情報マンの宿命」

山中祥三(インテリジェンス研究家)
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□はじめに

 ロシアゲート疑惑については、その後大きな進展が見られませ
ん。民主党のペロシ下院議長も5月23日の時点では、大統領の
弾劾手続きの開始を否定しています。

 問題となっている論点の一つであるロシア政府が大統領選に組
織的に介入した点については、恐らくどのサイドもこれ以上の詳
しい捜査および公表を望まないと思われます。

 まず、何とかロシアゲートを逃げ切り、幕引きを図ろうとして
いるトランプ政権は、ロシアのサイバー戦のお蔭でクリントン氏
に勝利して大統領になった可能性などについて、さらに詳しく調
べる動機も理由もありません。

 また、民主党にすれば大統領選挙運動期間中、議会選挙対策委
員会などがサイバー攻撃を受けた結果、クリントン氏が大統領の
座を逃したなどとの調査結果は聞きたくもないでしょう。

 ただし、米国のサイバー部隊だけは、ロシアのサイバー攻撃の
手口についての解析は継続してやっているでしょう。しかし、ど
こまで解明できたかをロシア側には知られたくないため、敢えて
内容を公表することはしたくないでしょう。

 このように、ロシアによる介入の影響力を詳しく調べた上で公
表したいという勢力はどこにもない訳です。

 もっとも、この問題はいずれにしても来年の大統領選挙のネガ
ティブキャンペーンの材料としては、繰り返し使われることと思
います。

 それでは、今回はジョージ・H・Wブッシュの時代から、始め
たいと思います。



7) ジョージ・H・W・ブッシュ大統領時代(1989-93)

 ジョージ・H・W・ブッシュ大統領に仕えたのはウィリアム・ウ
ェブスター(87-91)、ロバート・M・ゲーツ長官(91-93)だった。

 前回も書いたようにブッシュ大統領は、CIA長官を経験した
ことがある唯一の大統領であり、わずか1年の勤務だったがCI
A長官時代には局員にも人気があった。

 そのため、1989年1月20日ブッシュ氏が大統領に就任す
るとCIA職員はお祝い気分に浸った。ブッシュは自分たちの仲
間であり、ブッシュも局員を気に入っていたし、CIAがどのよ
うに機能しているかを理解していた。

 まさにブッシュ大統領は、自分自身がCIA長官だったのであ
る。実のCIA長官であるウィリアム・ウェブスター氏が、配下
の者から尊敬されていないことを知って、長官を側近グループか
ら締め出した。ブッシュ大統領は専門家たちによる毎日のブリー
フィングを望み、説明に満足しない時は現場からの生の報告を求
めた。

▼CIAによるパナマのノリエガ将軍の排除失敗

 ブッシュ大統領就任後まもなく、パナマのマヌエル・ノリエガ
将軍が、コカイン取引の中心人物としてマイアミの裁判所に起訴
された。アメリカは裏面でノリエガの引退によって訴追を免除す
るという司法取引を持ちかけたが、ノリエガは受けず権力の座に
とどまった。

 ノリエガ将軍は1983年から独裁者としてパナマで君臨して
いたが、冷戦下でCIAのためにも働いていたことが明らかにな
っている。その一方で、キューバのカストロ政権やニカラグアの
サンディニスタ民族解放戦線政権など、中南米やカリブ海の左派
政権にも協力していた。

 ブッシュ大統領はCIAにパナマの独裁者ノリエガ将軍を打倒
するように指示した。

 長年ノリエガとの関係を築き活用していたCIAは、ノリエガ
の追放に消極的だったものの、89年5月のパナマにおける選挙
で反対派を支援するなどの工作によりノリエガを追い落とそうと
した。しかし、これに失敗した。

 激怒したブッシュ大統領は、パナマの出来事についてはCIA
よりもCNNから知ることのほうが多いことを公表させた。かく
してウェブスターCIA長官に対する大統領や国防長官の信頼は
終わりを告げた。

 その時以来、ブッシュ大統領はディック・チェイニー国防長官
と協力してノリエガ政権打倒計画を練った。CIAがかつての盟
友を秘密裏に失脚させられなかったため、アメリカはベトナム戦
争以来の最大の軍事作戦に踏み切ることを余儀なくされたのであ
る。

 大統領は、89年12月20日未明、パナマ在住アメリカ人の
保護、パナマ運河条約の保全、ノリエガの拘束を主目的とする
「ジャスト・コーズ作戦」(Operation Just Cause)の開始を命
じ、米軍をパナマに侵攻させた。ノリエガの率いるパナマ国家防
衛軍との間で激しい戦闘が行なわれたが、圧倒的な軍事力を持っ
た米軍がまもなく首都のパナマ市を占領した。

 ノリエガは米軍による拘束を逃れてバチカン大使館に逃れたも
のの、アメリカはバチカンと交渉しノリエガを大使館より退去さ
せ、1990年1月3日に米軍が拘束した。

▼イラクのクウェート侵攻も予測できなCIA

 CIAは1990年のイラクによるクウェート侵攻も予測でき
なかった。イラン・イラク戦争でアメリカはイラク側を支援し、
CIAはサダム・フセインに衛星画像情報を含む軍事情報を提供
していた。さらに、先端技術の輸出許可を与えた。イラクは大量
破壊兵器を作るためにこれを利用したのである。サダム・フセイ
ンを協力者として楽観的に見ていた。

 さらに、イラクにおけるイラン人諜報員に対するCIA職員の
初歩的な連絡手段ミスによりイラン人ネットワークは、壊滅的な
打撃を受けた。CIA分析官の能力も低下していた。1990年
イラクのクウェート侵攻の8日前(7月25日)の国家情報日報
では、クウェート国境付近に集結している数万人のイラク軍は、
「こけおどし」と評価していた。7月31日、CIAはイラクの
クウェート侵攻はありそうもないと断じた。

 1990年8月、イラク軍のクウェートに侵攻し、これに反発
した国によって米軍を主力とする多国籍軍が組織され、クウェー
トからのイラク軍の撤退を求めた。しかし、イラク政府が応じな
かったため、国連安全保障理事会の武力行使容認決議を後ろ楯に、
多国籍軍は91年1月17日にイラクへの空爆を開始し湾岸戦争
が始まった。2月26日、イラク軍はクウェートから敗走し、
2月28日に戦闘を停止、4月6日停戦に合意した。

 CIAの能力は着実に低下していた。この失敗に懲りて次のC
IAの見積もりは反対に振れた。つまり1990年8月5日、C
IAはフセインがサウジアラビアを攻撃するだろうと報告したが、
サダムがサウジを攻撃することはなかった。

▼ベルリンの壁崩壊をCNNで知ったCIA

 また、ブッシュ氏の大統領就任直前の1988年12月、CI
Aはソ連がまさに消滅し始めている時に、ソ連は安定しており揺
らぐことはないと断言していた。

 1989年の11月9日、CIAのソビエトと東ドイツの政治
の専門家は、ブッシュ大統領に対し、なぜベルリンの壁はすぐに
崩壊しそうにないかについてブリーフィングしていた。そこへ国
家安全保障会議のスタッフメンバーが大統領執務室に入り、テレ
ビのスイッチをつけるよう強く促した。そこに映し出された光景
は、東西ドイツの壁が取り払われているという有様だった。

 1991年12月のソ連崩壊を受けてさらにCIAは気力を削
がれた。相手にする敵なくしてどうやって生きていくのか。「昔
は、苦労しなくてもCIAはユニークで神秘的な存在だった」。
秘密工作本部の数百人の古参の職員が勝利を宣言して辞めていっ
た。

 1991年11月、CIA長官に就任したボブ・ゲーツ氏の課
題は「新世界がそこまで迫っている。CIAがそれに適応するか、
死ぬかだ」だった。しかし、ソ連に代わる脅威は見つからなかっ
た。核・化学・生物兵器、麻薬、テロ、世界貿易とテクノロジー
などが考え出されたが、これら全部を合わせてもソ連の脅威の強
大さには及ばなかった。

 ブッシュ大統領はCIAの規模を縮小し、活動範囲の重点を変
えることを決めた。ゲーツ長官は同意した。CIAの権限は意図
的に削減され予算も下降していった。


8)ビル・クリントン大統領時代(1993-2001)

 ビル・クリントン大統領には、3人のCIA長官が仕えた。最
初のジェームズ・ウルジー(93-95)とはまともな関係を築くこと
なく、政権一期目の途中で、ジョン・M・ドイッチュに交代(95-96)
した。その後、大統領に指名された長官候補が議会で承認されず、
当時CIA副長官だったジョージ・テネット(97-04)が、長官に
任命された。

 クリントン大統領は、アメリカの経済を再生すると約束して大
統領に選ばれた。外交政策はどの分野もクリントン大統領が掲げ
た政策課題の上位5項目には含まれていなかった。冷戦後のアメ
リカの戦略的利益についての深い考えは全くなかった。

 クリントン政権5日目の1993年1月25日、CIA職員が
CIA本部正門前でパキスタン人のテロリストが銃を乱射し殺害
された。しかし、クリントン大統領が死者に弔意を表すために、
CIAに赴くことはなく代わりに妻のヒラリー・クリントンを派
遣した。このことはCIA本部に大きな怒りを巻き起こした。

 クリントン大統領は、事前にCIAについて敢えて知ろうとは
せず予備知識のないまま就任したが、海外で抱える問題を解決す
るため、すぐに秘密工作本部を頼るようになった。就任後の最初
の2年間で数十件の秘密工作提案を裁可した。

 しかし、その提案が手っ取り早い解決策を生み出さないとなる
と、次は軍司令官たちに頼らざるを得なかった。軍の人間のほと
んどが、クリントンを徴兵逃れと評して軽蔑していたにもかかわ
らず。

▼大統領と会談できないCIA長官

 ソマリアでの軍事作戦も現地情報のない中での作戦であり、惨
憺たる結果に終わった。何とソマリアのアメリカ大使館とCIA
支局は2年前に閉鎖していたのである。

 1992年12月、国連の国連安保理はPKO国連ソマリア活
動のため、米軍を中心とする多国籍軍を派遣。続いて翌年5月、
平和強制と国家建設を任務とする第2次国連ソマリア活動が展開
した。93年10月3日アイディード将軍派幹部の逮捕を目指し
た米軍の作戦が実施された。のちに「モガディシュの戦闘」とし
て知られるこの戦いにおいて、米軍とソマリア市民の双方に大き
な犠牲が出た。

 特に、「ブラックホーク(MH-60)」ヘリコプフターが撃墜
され、また米軍兵士の死体が市中を引き回されるなど衝撃的な映
像が公開された影響などもあり、米軍は1994年3月にソマリ
アから撤退した。

 ソマリアにおける作戦の失敗は、ホワイトハウスとCIAとの
間の不信感をさらに深めた。クリントン大統領は、外交よりもア
メリカ国内(経済)を優先し、それ以外のことは考えようとしな
かった。ウルジー長官が、在任中大統領と会談したのはわずか2
回だとされ、それはCIAの歴史上最低の記録だった。ウルジー
氏は「大統領との関係が悪かったわけではない」「ただ関係が全
くなかったということだ」とのちに述べているほどである。

 ウルジーがCIAのカネと権力とを取り戻せないことが明らか
になると、冷戦世代の中でまだ生き残っていたCIAのスター
(工作員や分析官)のほとんどがいなくなった。まず、ベテラン
の職員、ついで働き盛りの30代、40代の職員が新たな人生を
歩むため辞めていった。経験豊富なCIA工作員と分析官の数が
減るにつれ、CIA長官の権威はさらに失われていった。

 1994年末ジム・ウルジーは、CIAの部下たちに対する告
別の言葉を録音で残し、辞表を宅配便でホワイトハウスに送りワ
シントン.D.Cを離れたという。

 当時の国防副長官のジョン・ドイッチュに白刃の矢が立った。
しかし、ドイッチュは最初からこの仕事に乗り気がしなかったよ
うで、秘密文書を私有のパソコンに保持していたというスキャン
ダルもあって1年で辞任し、マサチューセッツ工科大学(MIT)
の教授になった。

 ドイッチュ辞任後、国家安全保障補佐官だったアンソニー・レ
イクがCIA長官に指名されるが、議会の承認が得られなかった。
結局、CIA副長官のジョージ・テネット(97-04)が、199
7年7月CIA長官に任命された。

 テネットは情報活動の実務経験は皆無であったが、議会スタッ
フ時アメリカのインテリジェンス機関における調整役としての経
験があったため、CIA長官時代もその行政手腕を発揮した。ク
リントン政権のあとのブッシュ政権でも引き続き長官を務めるこ
ととなった。


9)ジョージ・W・ブッシュ時代(2001-09)

 2001年ジョージ・W・ブッシュ政権時代に対米同時多発テロ
が起き、その後に機構改革が行なわれるまで、米国のインテリジ
ェンス・コミュニティー全体を統括する中央情報長官(DCI)
というポジションは、CIA長官が兼任することになっていた。
そのため、05年までは大統領とCIA長官との関係が、05年
以降は大統領と国家情報長官(NDI)との関係が、大統領とイ
ンテリジェンス・コミュニティー全体との関係を意味していたと
見做せるだろう。

 ブッシュ大統領には、CIA長官として、ジョージ・テネット(97-04)、
ポーター・ゴス(04-06)、マイケル・ヘイデン(06-09)が仕えた。
2005年4月に国家情報長官が新設されてからは、CIA長官
は中央情報長官との兼務を解かれ、国家情報長官が中央情報長官
としての任務を果たすようになった。

 ジョージ・テネット氏はクリントン政権時から引き続きブッシ
ュ政権でもCIA長官を務めることになった。民主党から共和党
への政権交代にもかかわらず留任したことは、ブッシュ大統領が
インテリジェンスを軽視しているのではないかとも疑われた。

 しかし、大統領就任から8か月後の2001年9月11日、米
同時多発テロにより、ブッシュ大統領はインテリジェンス活動を
重視せざるを得なくなった。テロ後は大統領のそばに、テネット
CIA長官が張り付くようになった。

 2003年のイラク戦争開戦直前、開戦の根拠となるイラクの
WMD保有についてテネット長官は、今ある証拠だけで「スラム
ダンク」だと答え、大統領の開戦判断を後押しすることになった。


 しかし、開戦直後になんとイラクにはWMDがないことが判明
し、2004年7月テネットは辞任、副長官のジョン・マクラフ
リンが長官代行となった。テネットは個人的な理由で辞任するが、
実質的には責任を取らされたものと見られた。

 ところが、その年の暮れ、ブッシュ大統領はテネットに大統領
自由勲章を授与し、その労に報いた。ビル・クリントンのスタッ
フだったテネットは、ブッシュ大統領の絶大な信頼を得ていたと
いうことだろう。

 テネットのCIA長官としての7年の任期は、アメリカ史上2
番目に長い。テネット辞任の後、CIA長官はポーター・ゴス下
院議員、マイケル・ヘイデン空軍大将に受け継がれた。

 しかし、彼らはそれほど目立つことはなかった。なぜなら20
05年4月に新設された国家情報長官(NDI)に就任した者が
全体を統括することになったからである。

 初代のNDIは、外交官のジョン・ネグロポンテ(05-07)だ
ったが、2年足らずで国務副長官に転出してしまう。残りのブッ
シュ政権末期まで務めたのが海軍退役中将のマイク・マッコーネ
ル(07-09)だった。


10)バラク・オバマ大統領時代(2009-17)

 オバマ政権における国家情報長官は、マッコーネルの跡を継い
だ、デニス・ブレア(09-10)、ジェームズ・クラッパー(10-17)
だった。

 報道によれば、オバマ政権では大統領や国家安全保障政策に携
わる主要当局者は、週に5日から6日の割合で、国際情勢に関す
る大統領日報(PDB)を受けていた。

 ブッシュ政権で2年足らず国家情報長官を務めたマッコーネル
はそのポジションが気に入っており、引き続きオバマ政権でも留
任できることを期待していた。だが、2009年1月に民主党の
バラク・オバマ政権最初の国家情報長官となったのは、海軍退役
大将で太平洋軍司令官も務めたデニス・ブレアだった。

 しかし、ブレア自身が望んだような仕事ができなかったことに
失望し、1年4か月で辞任する。その後、オバマ政権の終了まで
6年以上にわたって務めたのがジェームズ・クラッパーだった。
 
 初代国家情報長官のジョン・ネグロポンテの頃は、ホワイトハ
ウスからほど近い場所の小さなオフィスに11人のスタッフしか
いなかった。5年後にクラッパーが就任するころには、ヴァージ
ニア州マクレーンに20万平メートルもの複合施設をもつように
なっていた。

 同施設には、国家情報長官オフィスと国家テロ対策センターの
職員1700人が勤務するようになった。国家テロ対策センター
はやはり9.11後に設置された機関である。それら施設全体が
町を形成しており、警察が常駐し、中にはダンキンドーナツやス
ターバックスもある。

 クラッパーの在任中に、エドワード・スノーデンの事件が起き
情報機関も大打撃を被った。

 スノーデンがリークした文書によれば、米インテリジェンス・
コミュニティーは、10万7000人の職員を抱え予算は合わせ
て520億ドルを超える。うちNSAが100億ドル、CIAが
140億ドル、ドローン攻撃やイランの核計画妨害などの秘密工
作費が26億ドルを占めている。

 オバマ大統領は在任中、CIAによるドローンを使った中東の
テロ攻撃やNSAが開発したとされるスタックスネットによるイ
ランの核施設に対するサイバー攻撃などに関心を示した。作戦名
はオリンピック・ゲームズ作戦として知られているが、ブッシュ
政権時代から準備が進められていたが、オバマ政権になって実行
に移された。
 

□最後に

 インテリジェンスは、意思決定者の判断や決心に資するための
知識であり、インテリジェンス機関はそれを提供するための組織
です。

 当初は、歴代の大統領の中でもトランプ大統領だけが国際情勢
にはあまり興味がなく、インテリジェンス・コミュニティーの提
供する情勢報告を見ないのではないかと思っていました。
 
 しかし、実は歴代の政権も、国内政治ほどには、国際情勢に関
心がないこと、インテリジェンス・コミュニティーの長との個人
的関係が極めて重要なことがわかってきました。

 インテリジェンスは、客観的で感情を排したものでなければな
らないものだと思います。しかし、現実には大統領へのインテリ
ジェンスの提供の部分において、大統領とインテリジェンス機関
のトップとの間の極めて人間的な関係が反映されています。

つまり、大統領とインテリジェンス機関の長との信頼関係が悪く
なれば、インテリジェンスが伝わりにくくなるのです。

 そのため、大統領の気分を害しないように(いわゆる忖度し)
インテリジェンス機関も大統領に都合の悪い情報の報告を控える
動きが出てきます。

 それが進むとイラク戦争前のイラクのWMD見積もりのように、
政策に阿(おもね)る情報の提供などにより、いわゆる「情報の
政治化」という現象を呼び起こすこともあります。

 ブッシュ大統領のように、あまりにも情報機関の内情を知り過
ぎた場合やケネディ大統領やニクソン大統領(特別補佐官のキッ
シンジャーを含み)のように情報機関に不信感を抱いた場合も、
自分の側近などで都合のいいように情報を分析しようとするとい
う現象も起こります。

 ジョンソン大統領のように、役立たずの「オールド・ベッシー」
と憎まれること、ニクソン大統領のように「無用の人」たちと疎
まれること、トランプ大統領のように「学校でやり直せ」とけな
されることもあります。

 そして、多くの場合自分の政策に都合の悪いインテリジェンス
は、無視するという傾向があることも分かりました。

 仮に、最高指揮官に憎まれようとも、無視されようとも、疎ま
れようと、けなされようとも国家の安全保障のためには、正確な
インテリジェンスだけでなく、上司に耳障りなインテリジェンス
も提供し続けなければならない。これが、健全なあるべきインテ
リジェンス機関のそしてインテリジェンスに携わる人の宿命なの
でしょう。

 最後までお読みいただきありがとうございました。
 
 「米大統領とインテリジェンス」に関する短期連載はこれで終わります。

 また、面白いテーマを見つけたら、投稿させていただきます。
その節は、よろしくお願いします。


(やまなか・しょうぞう)


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