配信日時 2019/04/25 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(34)】日露の「戦力」と「作戦計画」比較 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
も今回で34回目です。

冒頭文の「異常性」への着眼は、
絶対忘れてはいけないところです。

ここを見失い、ふらふらする日本人が増えた気がします。

本文は軍事分析。
軍人・宗像さんが得意とする所です。
やはり、非常に面白いです。

さっそくご覧ください。


エンリケ


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我が国の歴史を振り返る
 ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(34)

 日露の「戦力」と「作戦計画」比較

 宗像久男(元陸将)

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□はじめに

 最近の“流行り言葉”で言えば、「平成」最後のメルマガです。
のちのちの記念になるかと思うと何か感慨深いものがあります。

さて、「戦争(争い)の勝敗」は、一般的には「優勝劣敗」つま
り「力(戦力)」が勝っている側が勝利します。この「力」には
「有形」と「無形」の要素があります。「有形」の要素には兵員
数、兵器や艦船などの質・量、そして、現代戦では国の経済力や
生産能力なども含みます。
「無形」の要素の代表が戦略や戦術、それらを具体化した「作戦
計画」、そして指揮官の指揮能力や兵士の士気(強さ、戦う意欲)、
さらに為政者の資質や国民精神などもこれに入るでしょう。

しかし、この「優勝劣敗」の原則は「核兵器」の出現によって様
変わりしてしまいました。核兵器の破壊力があまりに強大でかつ
後世まで影響を及ぼすことから、「争い」とか「勝敗」の持つ意
味そのものまで全く変わってしまったのです。

余談ですが、昨今の米朝首脳会議の焦点はまさにこの核兵器です。
アメリカ対北朝鮮のGDP比はおよそ1000対1、核戦力を含
む戦力比も“雲泥の差”があります。北朝鮮にはミサイル防衛の
ような防御手段も全くないので、米朝はけっして“対等”ではあ
りません。

これまでの常識なら「優勝劣敗」どころか「争い」そのものが生
起しません。それが(対等のように)首脳会談まで行なわれるの
は、「国家のために国民(人民)がある」として国民の犠牲を厭
わない独裁国家・北朝鮮と、「国民のために国家がある」として
国民の生命財産を守ることが最優先の民主主義国家・米国の差違
が背景にあります。

つまり、一発の核兵器の持つ意味が全く違います。北朝鮮には国
土の荒廃を顧みず、さも“対等”であるかのように傍若無人に振
る舞う“異常さ”があることを認識しなければなりません。

歴史を振り返れば、キューバ危機(1962年)時のソ連は、北
朝鮮のような、自国の損害無視という非情な戦略を採用できず、
戦わずして「降参」しました。“新冷戦”と言われる「米中経済
戦争」も経済戦争の範囲で留まるか武力戦争にまで発展するか、
現時点ではだれも予測できません。その訳は、習近平率いる共産
主義・独裁国家の中国が北朝鮮のような非情な戦略を採用するか、
ソ連のような戦略にとどまるか、予測できないからだと考えます。

冷戦が終わり、ソ連が消滅してまもなく30年になりますが、依
然、我が国と全く違った文化や価値観を持つ“異常な国”が隣国
に2カ国も存在している事実をしっかり認識する必要があるので
はないでしょうか。

話が逸れ、前置きが長くなりました。今回から、上記のような
“未来の戦争”につながる第一歩となり、「第0次世界大戦」と
もいわれる「日露戦争」の経過や結果を振り返ります。特に戦力
的に劣勢だった日本がなぜ勝利できたのか、が焦点です(前にも
言いましたが、元自衛官の私の得意とする所です)。

▼「戦力」比較

まず日露両軍の「戦力」の比較ですが、我が国は、「日清戦争」
後、特に「三国干渉」に憤怒した国民感情の後押しもあって将来
の日露衝突に備えて軍備拡張を強行したことは前にも触れました。
その結果、開戦前年の1903(明治36)年には、陸軍は野戦
13コ師団、2コ騎兵旅団、2コ砲兵旅団など(総計歩兵156
コ大隊、騎兵54コ中隊、野戦砲兵106コ大隊、工兵38コ中
隊)が完成しました。

当時の師団は、歩兵2コ旅団(12コ大隊からなる4コ連隊)、
騎兵1コ大隊、砲兵1コ連隊、工兵1コ大隊などで編成され、兵
員約18,500人、軍馬5000頭からなる立派なものでした。
兵役も現役、予備役、後備役に加え、各種の特設部隊も編成され
ていました。

兵器は、歩兵銃、騎銃、野砲(最大射程6000メートル〔戦争
中に7750メートルに改造〕)や山砲(射程4300メートル)
などに加え、未知の新兵器といわれた機関銃を導入、臨時に機関
銃隊を編成していました。なお、戦争末期には14コ野戦師団、
2コ後備師団、10コ後備歩兵旅団などまで増強され、戦争参加
者は、戦地と後方勤務の軍人と軍属合わせて108万人を超えま
した。

海軍は、戦艦6隻、巡洋艦6隻を含む軍艦152隻約26万トン
を保有しており、戦争中に購入・建造・捕獲したものなど約13
万トンを加え、総計約40万トンの艦艇で戦いました。

これに対してロシア軍は、平時31コ軍団を主に総勢力として歩
兵1740コ大隊、騎兵1085コ中隊、砲兵700コ大隊、工
兵220コ大隊など約208万人からなり、既訓練兵は500万
人以上を数えていました。しかし実際に戦争に参加したのは、極
東総督管下の4コ軍団の満洲軍、2コ師団基幹の沿海州方面守備
軍、東部シベリアに所在した関東軍1コ師団基幹の所在部隊に加
え、シベリア鉄道で戦場に輸送された者は129万人の規模に達
しました。

ロシアは、単線のシベリア鉄道で極東に到着した列車車両を焼却
して復行させることなく、一方運行によって輸送力を強化してこ
の大兵力の輸送を成し遂げたのでした。兵器の質は日本とおおむ
ね同等でしたが、ロシアも採用していた新型の機関銃は日本軍を
苦しめました。

ロシア海軍は、バルチック、太平洋、黒海、カスピ海の4艦隊に
区分され、総計は80万トンでしたが、実際に戦争に参加したの
は、太平洋艦隊とバルチック艦隊を合わせて約28万トンでした。

日本側は、ロシア軍総陸軍兵力は約7倍に上がるが、シベリア鉄
道の輸送力から極東で使用できる兵力は約25万人程度と見積も
り、ほぼ互角と判断していたようです。実際には、その約5倍の
125万人超が増員され、日本側の投入兵力も増大することにな
りました。海軍は、極東艦隊だけなら日本の約7割でしたが、バ
ルチック艦隊が合流すれば約1.8倍になり、著しく不利になる
と判断していました。この判断がのちの「日本海海戦」につなが
ります。

▼「作戦計画」比較

次に「作戦計画」です。日本側の陸軍作戦の概要は次の通りです。

(1)3コ師団をもって敵に先立って朝鮮半島を占領する。
(2)満洲を主作戦地として陸軍主力を使用し、敵の野戦軍を撃滅す
るため、まず遼陽に向かって作戦する。
(3)ウスリーを支作戦地とし、1コ師団をもって敵を牽制する。

これに基づき、第1期を「鴨緑江以南の作戦」、第2期を「満洲
作戦」としました。とは言え、第2期については開戦までほとん
ど具体的計画はありませんでした。これをもってしても、当時の
日本が朝鮮半島を確保するため、追い詰められたまま開戦に踏み
切った事実を覗い知ることができると考えます。

海軍の作戦は、「敵の艦隊が旅順、ウラジオステックに2分され、
その戦備の未完に乗じて急襲撃破し、極東の制海権を獲得する」
としていました。バルチック艦隊の出航は、開戦から8か月後の
1904年10月15日でしたので、当初の作戦計画には、「日
本海海戦」はありませんでした。

これに対して、当時のロシアの関心はあくまで欧州方面が主であ
り、極東正面には具体的な計画が何もなかったようですが、よう
やく1901年、「対日作戦」の概要が作られました。これによ
ると、日本の上陸兵力は約10コ師団であり、ロシア艦隊が存在
する限り、上陸地は韓国沿岸と判断していたようです。

ロシア陸軍の作戦は「欧州、シベリア等から増援し、主兵力を遼
陽・海城等に集中、鴨緑江から分水嶺付近を利用して日本軍を遅
滞し、旅順に向かう側背から脅威を与えつつこれを北方に誘致す
る。日本軍の圧迫が急な場合は、決戦を避けて退却して、この間、
増援しつつハルピン付近で決戦を行なう」というものでした。

「日露戦争」における陸戦は、事実上「奉天会戦」(1905
〔明治38〕年3月1~10日)終結しましたが、ロシアはさら
に500キロ以上も北に位置するハルピン決戦までも視野に入れ
ていました。のちの「ポーツマス講和条約」締結交渉において、
ロシアが強気な姿勢をくずさなかったのは、まだ戦い続ける「計
画」と「意志」があったからでした(次回から戦争の経緯を振り
返ります)。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。


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