配信日時 2019/04/18 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(33)】「日露戦争」開戦までの情勢(後段) 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
も今回で33回目です。

まさに横串を通してはじめて見える、わかる
「日露戦争時の日露状況」
が第一項に記されてます。

さっそくご覧ください。


エンリケ


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我が国の歴史を振り返る
 ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(33)

 「日露戦争」開戦までの情勢(後段)

 宗像久男(元陸将)

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□はじめに
 皆さんはロシア、あるいはソ連というと何を思い浮かべるでし
ょうか? 良くも悪くも我が国とロシアは長く、そして切っても
切れない深い関係にあります。何かの本かネットで「最近の若者
は日本とロシアが戦ったこと、そして日本が勝利したことを知ら
ない」との記事を読んだことがありますが、多くの日本人に定着
している“ロシア観”は「日露戦争」前後から始まるのではない
でしょうか。今回はその辺を紐解いてみたいと思います。さっそ
く本題に入ります。

▼ロシアの「南下政策」

戦後、「日露戦争は日本の侵略戦争だった」との説が――特に最
近のネットではそれが史実であったかのように――流布されてい
るようです。「侵略戦争」の定義は難しいですが、それならば、
ロシアにとって「日露戦争は自衛戦争だったのか?」とか「ロシ
アがなぜ我が国との戦争に踏み切ったのか?」など、ロシア側の
事情(史実)に興味を持ちました。

幕末、日本に進出し始めた頃のロシアは、他国に比し、我が国を
対等に扱っていたといわれます。確かに、1855年に結ばれた
「日露通好条約」は、領事裁判権(本国の領事による裁判を受け
る権利)が“双方”に認められ、関税自主権も3年後には改定さ
れました。

それが豹変したのは「三国干渉」からでした。その原因はどこに
あったでしょうか。本メルマガの第30話でも、ロシア国内にも
「三国干渉」反対の意見もあったと紹介しましたが、当時のロシ
アの国内事情を振り返ってみましょう。

9世紀以降、領土拡大を続けたロシアは、広大な領土は保有して
いたものの、外洋への進出は、その出口が他国に支配されている
か、冬には凍って使用できない港のみで、どちらも大きな障壁と
なっていました。よって、外洋への出口や不凍港を求めての
「南下政策」は、ロシアにとって“至上命題”となりました。

16世紀以降、ロシアはバルカン半島にその活路を求め、オスマ
ントルコ帝国と、時には西欧諸国を巻き込みながら幾度となく戦
争を繰り返してきました。

19世紀になってからは、クリミア戦争(1853~56年)で
は英仏の支援を得たオスマントルコに敗北しましたが、露土戦争
(1877~78年)ではロシアが勝利し、バルカン諸国の独立
を回復しました。しかし、ロシアの影響力増大を警戒するドイツ
帝国宰相ビスマルクの策略によって、ロシアのバルカン駐留短縮
などを定めた「ベルリン条約」を締結させられ、ロシアはバルカ
ン半島の「南下政策」を断念しました。そして、進出の矛先を中
央アジアの覇権をめぐってイギリスと争いつつ(「グレート・ゲ
ーム」といわれます)、極東地域に向けることになったのです。

ロシアの満洲から遼東半島、そして朝鮮半島への進出にはこのよ
うな背景があります。ついでながら、ロシアは「日露戦争」敗北
後、再び因縁の地・バルカン半島に目を向けて汎スラヴ主義を唱
え、汎ゲルマン主義を唱えるドイツなどと対立して第1次世界大
戦の引き金となります。

いずれにしても、国力比で日本の10倍といわれた当時の超大
国・ロシアが、力に物を言わせて極東地域を支配しようとしたこ
とに対して、「そうはさせじ」と抵抗したのが「日露戦争」であ
ったことは間違いなく、このような史実を無視し、「侵略戦争」
などと唱える人には歴史を語る資格がないと考えます。

▼戦争に至る道程

これまで取り上げたように、「義和団の乱」に乗じて満洲を勢力
下に置いたロシアは、朝鮮半島に持っていた“利権”を手がかり
にその拡大を企図していました。朝鮮王国は、旧体制では独自改
革が難しいと判断した改革派(進歩会)は日本への協力を惜しみ
ませんでしたが、朝鮮王・高宗や両班(りょうはん)などは親露
路線を維持したのです。日本は外交努力で衝突を避けようとしま
すが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本に対しても圧力を増大
させて来ました。

開戦前年の1903(明治36)年6月、ロシア満洲軍総司令官
を務めるクロパトキンが来日しました。来日の目的は不明でした
が、自分の目で極東や日本を査察しておこうと考えたようです。
クロパトキンは、驚くほど日本を過小評価して、交渉による解決
も期待していたようです。事実、帰国後直ちに旅順で会議を開き、
日露和解を目指して動き出したのです。軍人である彼は「当時の
ロシアの兵力では満洲と遼東半島双方のロシアの権益を守ること
は困難」と考えていたといわれます。

1903年8月からの日露交渉において、日本は、「朝鮮半島は
日本、満洲はロシアの支配に置く」との妥協案を提案しましたが、
ロシアは、「朝鮮半島に増えつつある“利権”を妨害される」と
の主戦論者が多数を占め、これを拒否しました。

その後も交渉が続けられましたが、同年10月、ロシアは、「朝
鮮半島の北緯39度(現在の平壌あたりを横切る緯度)以北を中
立地帯として軍事目的での利用を禁ずる」と日本へ逆提案しまし
た。日本は、この提案では日本海に突き出た朝鮮半島は事実上ロ
シアの支配下となって日本の独立が危機的状態になりかねないと
判断し、「シベリア鉄道全面開通前に対露開戦やむなし」との国
論へ傾いていきました。

こうして、1904(明治37)年2月6日、日本はロシアに対
して国交断絶を言い渡し、同2月8日、旅順港に停泊していたロ
シア旅順艦隊に対する日本海軍駆逐艦の奇襲攻撃によって戦闘の
火ぶたが切って落とされたのです。

▼歳入2年分の外貨を調達

後先が逆になりますが、「戦費」についても触れておこうと思い
ます。「日露戦争」に費やした総戦費は、当時の一般会計歳入2
億6千万円の約7倍に相当する18億2千6百万円に及び、2億
円余りの「日清戦争」と比べてまさに桁違いでした。

そのため、戦争開始前から外貨を獲得する必要がありましたが、
外貨調達の厳しい任務は当時の日本銀行副総裁・高橋是清に付与
され、高橋は東奔西走することになったのです。

開戦と同時に日本の外貨国債は暴落しました。当時の投資家たち
が、日本が敗北して資金を回収できないと判断したためといわれ
ています。事実、露仏同盟にあるフランスの投資家は当初から冷
淡、ドイツも慎重だったようです。高橋は、ようやくイギリスで
500万ポンド(約5千万円)の外債引き受けに成功しました。
そして、ロンドン滞在中にドイツ系のアメリカユダヤ人ジェイコ
ブ・シフの知遇を得て、ニューヨーク金融街として残高500万
ポンドの外債引き受けと追加融資を獲得しました。

なぜシフが融資を引き受けたのでしょうか。当時ロシアで起きて
いたポブロム(ユダヤ人迫害)に怒り、日本に味方したという説
やユダヤ人のネットワークで日本が勝利するという情報をつかん
で大博打を打ったとの説があります。後日談ですが、「ポーツマ
ス条約」の結果、日本はロシアから賠償金を取れなかったため、
シフには金利を支払い続けることになりました。(日露戦争で最
も儲けた)シフは、レーニンやトロッキーに資金援助し、「ロシ
ア革命」を陰で支えました。歴史は思わぬところでつながってい
るのです。

こうして、3年の間に日本は合計6次にわたり外債を発行し、戦
費調達資金として歳入2年分を超える約8千2百ポンド(約8億
円)を調達して「日露戦争」を支えることができたのです。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。


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