配信日時 2019/04/05 20:00

(新)【二つの愛国心─アメリカで母国を取り戻した日本人大尉(1)】加藤喬

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。
お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは。エンリケです。

加藤さんが翻訳した武器本シリーズ最新刊が出ました。
今回はMP5です。

「MP5サブマシンガン」
L.トンプソン (著), 床井 雅美 (監訳), 加藤 喬 (翻訳)
発売日: 2019/2/5
http://okigunnji.com/url/14/
※大好評発売中

さてきょうから、
「軍隊式英会話」を少しお休みして、
加藤さんの手になる書き下ろしンフィクション
『二つの愛国心─アメリカで母国を取り戻した日本人大尉─』
をお届けします。

加藤さんはなぜ米国陸軍大尉になったのか?
祖国とは何か?
愛国心とは何か?

あなたの奥底にあるはずの
一番大切なもの
を見つめ直すきっかけにしてください。

さっそくどうぞ。


エンリケ


追伸
ご意見ご質問はこちらから
https://okigunnji.com/url/7/


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新シリーズスタート!

『二つの愛国心─アメリカで母国を取り戻した日本人大尉』(1)
 
プロローグ

Takashi Kato

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□読者の皆さんへ、

 いつも「加藤大尉の軍隊式英会話」と「トランプ・ツイッター」
をご愛読いただきありがとうございます。

 突然ですが、今回からしばらくのあいだ軍隊式英会話はお休み
をいただき、新連載を始めることになりました。新企画は書下ろ
しノンフィクション。題名は『二つの愛国心─アメリカで母国を
取り戻した日本人大尉─』です。アメリカに移民してからの半生
を主な題材に、「国とは?」「祖国とは?」「愛国心とは?」な
ど日本人の帰属感を問うています。

 学生時代、わたしは心を燃え立たせるゴールを見つけることが
できず、日本人としてのアイデンティティも誇りも身につけるこ
とがありませんでした。そんな「しらけ世代の若者」に進むべき
道を示し、勢いを与えたのはアメリカで出逢った恩師、友人、そ
して US ARMY。なにより、戦後日本の残滓である空想的平和主義
のまどろみから叩き起こしてくれたのは、日常のいたるところに
ある銃と、アメリカ人に成りきろうとする過程で芽生えた日本へ
の祖国愛だったのです。

 毎回、本メルマガ読者が興味を持つと思われる箇所を取り上げ
ていきます。最終的に「紙の本」として出版することを目指して
いますので、ご意見、ご感想をお聞かせいただければ大いに助か
ります。また、この連載を本にしてくださる出版社も募集してい
ます。なお「トランプ・ツイッター」はこれまで通り続けますの
で、こちらも引き続きよろしくお願いいたします。

加藤 喬
アリゾナ州ハーフォードにて


□今週の「トランプ・ツイッター」

 隣人の元米海軍大佐に誘われ、ブレックファースト・クラブな
る地元退役軍人の集いに出てきました。隣町にあるどこといって
特徴のないレストランに入ると、70?80歳代とおぼしき白人男
性が10人ばかり、コーヒー片手に歓談しています。朝鮮戦争/
ベトナム戦争復員兵とかNRA(全米ライフル協会)などと刺繍が入
った野球帽や、GOP(共和党のニックネーム)とプリントされた
Tシャツから、概して保守的なグループだと察しがつきます。

 世代も社会層も大きく異なる人たちを前に「話題が合うだろう
か?」危惧していると知人が「タカシは元陸軍大尉。砂漠の嵐作
戦では武器科の中隊長代理だった。モントレーの国防総省外国語
学校(DLI)を退官し、しばらく前にわたしの近所に越してきた」
と紹介してくれました。「ボクも武器科だった」「DLIでタイ語を
習ったよ」「モントレーにあった陸軍基地に駐屯していたことが
ある」「タチカワ基地に住んでいた」などの声が上がるや、みる
みる同胞感が湧いてきました。

 目玉焼きやオムレツにカリカリベーコンをあしらった朝食を旺
盛な食欲で平らげつつ、老兵たちは「移民問題」から「銃規制」
そして「ロシア疑惑」に絡み、古き良きアメリカを熱っぽく語り
合っています。聞き手に回っていると、陸軍の元ヘリコプター・
クルーチーフが「見ての通り、われわれが所謂『嘆かわしい人々』
だよ」と笑いかけてきました。「嘆かわしい人々」とは2016
年、民主党大統領候補だったヒラリー・クリントン氏がトランプ
候補の支持者を侮辱した言葉で「頑迷な人種差別主義者で、すで
に存在しない過去のアメリカを回顧する連中」との意味合いが込
められています。この一言がクリントン氏敗退の一因になったと
の見方もあります。

 わたしはこれまで、自分のことを保守派だと思ったことはあり
ませんでした。しかし、目の前の老兵らが交わす言葉を聞いてい
て考えが変わりました。文字通り銃を取り命懸けで守った祖国を
誇り、義務と名誉そして愛国心を重んじる古き良き時代のアメリ
カ人・・・わたしも彼らの側に立つ人間だ、と実感したからです。

 「お若いキャプテン・・・」

 その日、89歳の誕生日を迎えたメンバーが話しかけてきまし
た。彼は1954年、フランス軍が大敗しベトナムから撤退する
きっかけとなったディエン・ビエン・フーの戦いを米軍事アドバ
イザーとして体験しています。

「ロシア疑惑でのトランプ大統領潔白は証明されたが、左派に牛
耳られた民主党は納得しないでしょう。今後も国の分断は深まり、
愛するアメリカが社会主義に染まっていくのを見るのは辛いもの
です・・・これ以上長生きしようとは思わなくなりましたよ」

 歴戦の老兵が発した呟きに、わたしは返す言葉が見つかりませ
んでした。

 本日のトランプ・ツイッター、大統領選挙ロシア介入疑惑に関
するモラー特別検察官の最終報告書がトピックです。2年間にわ
たる膨大な調査の結果「トランプ陣営がロシアの選挙介入に協力
した証拠は発見できなかった」と結論付けています。キイワード
は no matter。「?を問わず」という意味です。

“No matter your ideologies or your loyalties, this is a 
good day for America. No American conspired to cooperate 
with Russia in its efforts to interfere with the 2016 
election, according to Robert Mueller, and that is good.”

「政治思想や、誰に忠誠心を持つかにかかわらず、今日という日
はアメリカにとって素晴らしい日だ。ロバート・モラー特別検察
官によると、2016年大統領選挙介入疑惑に関し、ロシアと共
謀したアメリカ人はいなかった。良いことだ」


■「二つの愛国心─アメリカで母国を取り戻した日本人大尉」(1)

プロローグ

「これは何だと思う」

 父が書斎にわたしを呼び入れて聞いた。差し出されたものは、
一見なんの変哲もない缶詰。持ってみると軽くなかは空らしい。
当惑する息子を、父は珍しくイタズラっぽい目で見ていた。EX
PO70を間近に控えた1967年。SF雑誌の編集長だった父
は、ある企業グループが出展するパビリオンの基本的アイデア作
りのため、SF作家ら数人からなるプロジェクト・チームを起ち
あげていた。『ゴジラ』や『海底軍艦』など東宝SFシリーズを
手がけたプロデューサーが父を起用したという。

 その一環として、カナダのモントリオール万博を視察しアラス
カ経由で帰国した折のことだ。3年後、このパビリオンは100
0万人以上が来館する大ヒットとなるのだが、宇宙ステーション
や海底都市からの眺めを体験する未来ゾーンが目玉で、円谷プロ
の特撮を駆使した全室映像はバーチャル・リアリティの走りとな
った。

 その父が初めて外国から持ち帰った奇妙な土産。中身が空の
「空気の缶詰」とは人を食っているが、メイド・イン・アメリカ
が珍重された時代。10歳のわたしには宝物に思えた。英語でな
にか書いてあった。「アラスカ:最後の開拓地」だと父が教えて
くれた。ラベルに描かれたオーロラやエスキモーの氷の家と「最
後の開拓地」という語感が私の好奇心をかき立てた。描かれた地
図を見たとき、なぜアメリカの州がカナダを隔てた北の果てにあ
るのかも不思議だった。遠い異国からやって来た空気の缶詰を手
に、淡い旅情が頭をもたげた。テレビや雑誌で目にするイメージ
に過ぎなかったアメリカが、実在する土地に思えた。

▼見果てぬ夢

 幼稚園の初日、私はどうしたわけか途中で教室をそっと抜け出
し家に帰ろうとした。1キロほどの道のりを半分ぐらい戻ったと
き、坂の上に母の姿が見えた。初めての集団生活にもしや、と心
配し見に来てくれたのだった。

 付き添われて幼稚園に戻る道すがら、しょげて投げ捨てた黄色
い傘を拾った。雨に濡れたアジサイの青や赤が、泥道の両端に映
えていたのを覚えている。4歳だったとすれば、時は昭和36年。
高度成長経済が軌道に乗り始め、池田勇人内閣の所得倍増計画は
達成されようとしていた。が、庶民はまだたいへん貧乏で、持ち
家など夢のまた夢だったらしい。

 そう言えば、団地の冷蔵庫は文字通りのアイスボックス。氷屋
さんが氷塊を毎週運んできては玄関先で切っていた。それに当時、
団地以外はくみ取り式だった。どこかのトイレで用を足していた
とき足下の浄化槽にバキュームカーのホースが現れ、それがのた
うち回る大蛇のように見え肝をつぶしたことがあった。

 ひもじさこそ知らなかったが、日々の生活の中に先進文明国の
風景はまだ見えなかった。それでも3年後の1964年には、デ
ビュー当時「夢の超特急」と呼ばれた新幹線や立体交差の首都高
が開通した。オリンピック特需の浸透効果だったのか、近隣の泥
道も舗装が進んだ。

 ある時、ロードローラーに給油するためドラム缶からポリ瓶に
燃料を移す労働者を見ていたら、彼はやおらホースを口にくわえ
て吸い出し始めた。激しく咳き込んでガソリンを吐き出したが、
瓶が一杯になるまで止めなかった。若い土方の無鉄砲、いや、命
知らずの非常識に驚愕した。アジア初の五輪大会が行なわれた頃、
東京ではまだこんな光景に出逢った。

 小学校6年生までは団地暮らし。1958年築の鉄筋コンクリ
ート製公団住宅で、当時としてはモダンなダストシュートやひと
きわ高い給水塔を備えていた。私が1歳のころ抽選に当たり入居
できたらしい。周辺にはザリガニが釣れる小川や川底が泥のドブ
が流れ、子供らの格好の探検場所になっていた。ネギやキャベツ
の畑もまだかなり残されていた。しかし広い空き地や運動場はな
かったので、野球は団地と団地の谷間と相場が決まっていた。し
ばしば隣人の窓ガラスを割った。

 この頃、日本の茶の間をアメリカ製テレビ番組が席巻していた。
わたしの場合、テレビ欄の米国番組を赤鉛筆で囲み一本も見逃す
まいとしていたから、望んで「アメリカ漬け」になっていたと言
う方が正しい。探偵物の名作『サンセット77』で、3人の主人
公が椰子の海岸通りをオープンカーで疾走する場面が出てきた。
いつも快晴でカラリとした風景に「カリフォルニアというところ
には雨が降らないのだろうか?冬は来ないのだろうか?」とまじ
めに考えた。

 流線形のフォード・サンダーバードは垢抜けていて、アメリカ
の力強さ、豊かを見せつけられた。『ララミー牧場』『ローンレ
ンジャー』『ライフルマン』などの西部劇は、広大無辺の米南西
部を舞台に、開拓者精神と自治主義、ガンマンの正義などを余す
ところなく描いた。わたしの目は、主人公らが白昼公然と携帯す
るリボルバーやウィンチェスター・ライフル、そして周囲が絶壁
で頂上が平坦なメサ台地や、ヒト型サボテンに彩られた荒野に吸
い付けられた。同時に、男たちの留守中、自らライフル銃を取っ
て外敵に立ち向う金髪碧眼の「戦う女たち」にもそこはかとない
慕情を覚えた。

 一方、アニメの傑作『バッグズバニー』『ロードランナーとワ
イリー・コヨーテ』は子供向け番組だったが、敵役をやっつける
際にはいつも導火線付き時限爆弾が登場し相手を黒焦げにした。
子供心にアメリカの力の信奉を垣間見た気がした。

 1964年の東京オリンピックからしばらくたって、マラソン
で銅メダルに輝いた陸上自衛隊の円谷幸吉選手が私の小学校を訪
れた。爽やかな笑顔に誘われ、重そうなメダルに怖々と触れてみ
た。しかし、日の丸を揚げた英雄の快挙はわたしの心をするりと
通り抜けてしまった。後年「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしま
って走れません」と記して自死した男の、その悲痛なまでの責任
感と努力であがなったメダルに感激しなかったのは、日の丸にア
イデンディティを感じなかったからだ。つまり、日本を「祖国」
として意識していなかった。

 アメリカも海の向こうの「場所」だった。自分が住んでいる界
隈とは全く異質の、物珍しい、冒険心を掻き立てる土地だった。
その位置づけは、ディズニーランドと五十歩百歩。国家という枠
組みにとらわれない分、素直にアメリカが好きになれた。

 ことによるとあのころ、バッグズバニーやロードランナーは、
十数年後に芽生えるアメリカ移住願望という時限爆弾を、わたし
の頭の中に仕掛けたのかも知れない。

 高学年になるにつれ、わたしは父親の仕事部屋を好むようにな
った。前述したが、父は日本初の本格的なSFの商業雑誌を創刊
し、その編集だけでなく、作家兼翻訳家でもあった。この書斎、
というよりは書庫には、長年集めた海外ペーパーバックや『アメ
ージング・ストーリーズ』などのSF雑誌類が天井近くまで積ま
れていた。帰宅してのぞき込むと、机の上には開かれた原書と半
分埋められた原稿用紙、それにペリカンの万年筆が置かれたまま。
父が日本語と英語を自由に行き来している証だった。時たま寝付
かれぬ夜など、ドアの隙間から一心不乱に升目をうめる後ろ姿を
見ては、寸暇を惜しむとはこのことだと思った。

 書庫の隅にはフェンシングの剣とともに、ボルトアクション式
散弾銃と空気銃が置いてあった。武器をこよなく愛好した父は冗
談めかして護身用だと言っていた。もっとも、SF愛好家と称す
る人たちのなかには、父が書面で見せる直截な物言いに反発し、
脅迫まがいの手紙や電話をよこす輩もいたらしい。脅しに屈せぬ
性格を考えると、父はいざとなれば実際にショットガンを使うつ
もりだったろう。他を頼まぬ孤高の父に、頼もしさと畏怖を同時
に覚えた。

 書庫で発見した大型雑誌『LIFE』に、芝生の庭で金髪碧眼
の美男美女がグラスを持って興じる見開き写真が載っていた。い
ま思えばコカコーラの広告だったかも知れない。背景にある家は
巨大で、石造りの暖炉はサンタクロースが入ってくるにも充分な
大きさだと思われた。車庫の前には見るからにパワフルなスポー
ツカーと大型セダンがあった。柵も塀もない広々とした敷地の一
角にはプールも見えた。団地の密室に、アメリカの明るさ、豊か
さがなだれ込んできた。父の書庫は秘密の場所に繋がるトンネル
だった。向こう側では、立入り禁止の立て札を無視したときのス
リルと愉快が待っていた。

 ちゃぶ台を出すと足の踏み場もなくなるこの団地に、父はよく
翻訳者仲間を招いた。中にはやがて日本ミステリー界の重鎮とな
り、のちに作家に転身する面々もいた。夜な夜な紫煙とウイスキ
ーの香り漂う居間で、SFとミステリーの本場アメリカの風景を
語り合っていた。当時は原書に出てくる「ハンバーガー」「クリ
ネックス」「ピザ」がまだ日本にはなく、どう翻訳したものかと
試行錯誤した頃の話だ。

 ちなみに、父はアメリカと戦後の日米関係に屈折した思いを持
っていたと思う。恐らくは敗戦の屈辱から、米国人を「ヤンキー」
と呼んで距離を置き、敵視こそしないが同盟国とは見ていなかっ
たのではないか。しかし、戦後の極貧生活のなか、翻訳を通じて
垣間見たアメリカの豊かさと自由を希求した。その頃は、アメリ
カに対する知識も限られていた可能性がある。米国建国の歴史と
は先住民排除と表裏一体であること、また、1964年に公民権
法が制定されるまでは、黒人に対するリンチや法律上の差別がア
メリカの根っこに頑として存在した史実を知らなかったかも知れ
ない。その結果、わたしは父というスクリーンに投影された、裕
福で洗練されたアメリカ人と、先進文明国家アメリカにぞっこん
惚れ込んだ。特等席にいたわたしは翻訳界の先兵たちの話に聴き
惚れ、一緒になって夢の土地に心を馳せた。

 小学校高学年に達すると、わたしが図画工作の授業で描いたり
作ったりするものに、かなりの頻度で星条旗が現れ始めた。素朴
な憧憬のシンボルだったのだが、古参教師らには「アメリカかぶ
れだ」と胡散臭く思われていたようだ。なぜ日の丸でもユニオン
ジャックでもなく星条旗だったのか? 理由は宇宙。1960年
代は米ソのスペース・レースが華々しく展開された時代だったか
らだ。新聞や雑誌でもスペース特集が幅をきかせ、父らSF作家
の描く空想科学小説がわたしの宇宙熱に拍車をかけた。

「宇宙開発競争は冷戦の表の顔に過ぎなかった」。今ならそうし
た醒めた見方もできる。しかし、ただでさえ飛行機やパイロット
に憧れる年頃のわたしは、炎と轟音をのこし虚空に駆け登ってい
くロケットに痺(しび)れた。星々の世界に旅立っていくヒーロ
ー、アスロノートの肩に映える星条旗は、先進文明のシンボルと
して網膜に焼き付いた。

 1969年7月21日、アポロ11号が月着陸に成功。日本で
は深夜だったが、わたしは月面を行くニール・アームストロング
船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士の姿に食い入っていた。
ブラウン管のアストロノートたちは、後ろが透けて見える白っぽ
い幽霊のよう。歴史が作られる瞬間に立会っている興奮は、父が
特別番組に出演していたことで頂点に達した。SF作家として、
月着陸の意義と宇宙開発の未来を解説していたように思う。わた
しは完成したばかりの新居の書斎に陣取り、三脚に固定したカメ
ラで画面上の父を写真に収めていた。電波に乗った父を通じ、3
8万キロ彼方の月と、ヒューストン有人宇宙飛行センターの緊張
と歓喜を感じとっていた。

 アポロの興奮冷めやらぬ頃、父は1冊の児童書を上梓した。書
名は『きみも宇宙飛行士になれる』。貪るように読み終えた。少
年時代のアームストロングが、自動車運転免許をとる前に飛行ラ
イセンスを取得していたことに衝撃を受けた。後年、朝鮮戦争に
海軍少尉として参戦。F9Fパンサー艦載ジェット戦闘機で80
回近く出撃し多くの勲章を授与された。テスト・パイロットに転
じてからは、50を超える種類の航空機を操縦。これには世界最
速の有人ロケット機X15も含まれている、とあった。熱を帯び
た筆致に、著者自身、アームストロングに心酔しているのが感じ
取れた。

「高校生になったら自家用パイロットの免許に挑戦してみろ」父
はそう持ちかけた。わたしはそれを、自分の将来に向けられた示
唆と読んだ。自分とアームストロングを重ね「戦闘機パイロット
になる」と密かに決意した。

 軍と言えば、いちばん古い記憶は両親に連れられどこかの遊園
地に行ったときのものだ。ネット検索してみると、1962年の
春から初夏にかけ小田急向ヶ丘遊園で防衛大博覧会が催されたと
いう記録がある。向ヶ丘なら自宅から近い。しかも父は自衛隊と
その装備に強い関心をもっていた。恐らくこの催し物だったに違
いない。

 国防色の装甲車や大型トラック、ジープが展示されていて、自
由に触ったり乗ったりできた。乗用車にはない無骨さに目を奪わ
れ、わたしは母の手を振りほどいて駆け出し、幌付きトラックの
運転席によじ登ったまま長いあいだ降りようとしなかった。飛行
機やヘリコプターを見学したあとは戦車の体験搭乗。自衛官に抱
えられて狭いハッチに入り、桜並木の下を走る。短い距離だった
が、タイヤとは違う乗り心地とキャタピラの金属音に、なにやら
勇ましいものを感じた。戦車や装甲車を武器として認識していた
かどうかは定かでない。しかし、非日常的で無骨なメカに強く惹
かれたのは事実だ。

 テント村に詰める案内役の自衛官と話したおぼろげな記憶もあ
る。「坊や、どこから来た?」鉄かぶとに緑の制服という見慣れ
ないいでたちに気圧され「経堂」とおずおず答えたような気がす
る。自衛隊という言葉は未だ知らず、警察官のような仕事をする
人と言う程度の理解だった。

 なぜか帰り際、兵士はバヤリース・オレンジを振る舞ってくれ
た。わたしは礼が言いたかった。警官なら「お巡りさん」だが自
衛官をなんと呼んで良いものか分からず、ただはにかんでお辞儀
をした。あの日、自衛官や武器にいだいた強い興味と憧れは、父
譲りのものだったのかもしれない。


加藤喬(たかし)


●著者略歴
 
加藤喬(かとう・たかし)
元米陸軍大尉。都立新宿高校卒業後、1979年に渡米。アラスカ
州立大学フェアバンクス校他で学ぶ。88年空挺学校を卒業。
91年湾岸戦争「砂漠の嵐」作戦に参加。米国防総省外国語学校
日本語学部准教授(2014年7月退官)。
著訳書に第3回開高健賞奨励賞受賞作の『LT―ある“日本
製”米軍将校の青春』(TBSブリタニカ)、『名誉除隊』
『加藤大尉の英語ブートキャンプ』『レックス 戦場をかける
犬』『チューズデーに逢うまで』『ガントリビア99─知られざ
る銃器と弾薬』『M16ライフル』『AK―47ライフル』
『MP5サブマシンガン』(いずれも並木書房)がある。 
 
 
追記
「MP5サブマシンガン」
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『アメリカンポリス400の真実!』発売中
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『チューズデーに逢うまで』発売中
http://www.amazon.co.jp/dp/489063326X
 
『チューズデーに逢うまで』関係の夕刊フジ
電子版記事(桜林美佐氏):
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150617/plt1506170830002-n1.htm
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150624/plt1506240830003-n1.htm
 
『レックス 戦場をかける犬』発売中
http://www.amazon.co.jp/dp/489063309X 
 
『レックス 戦場をかける犬』の書評です
http://honz.jp/33320

オランダの「介護犬」を扱ったテレビコマーシャル。
チューズデー同様、戦場で心の傷を負った兵士を助ける様子が
見事に描かれています。
ナレーションは「介護犬は目が見えない人々だけではなく、
見すぎてしまった兵士たちも助けているのです」
http://www.youtube.com/watch?v=cziqmGdN4n8&feature=share
 
 
 
きょうの記事への感想はこちらから
 ⇒ https://okigunnji.com/url/7/
 
 
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日本語でも英語でも、日常使う言葉の他に様々な専門用語があ
ります。
軍事用語もそのひとつ。例えば、軍事知識のない日本人が自衛
隊のブリーフィングに出たとしましょう。「我が部隊は1300時
に米軍と超越交代 (passage of lines) を行う」とか「我が
ほう戦車部隊は射撃後、超信地旋回 (pivot turn) を行って離
脱する」と言われても意味が判然としないでしょう。
 
 同様に軍隊英語では「もう一度言ってください」は
 "Repeat" ではなく "Say again" です。なぜなら前者は
砲兵隊に「再砲撃」を要請するときに使う言葉だからです。
 
 兵科によっても言葉が変ってきます。陸軍や空軍では建物の
「階」は日常会話と同じく "floor"ですが、海軍では船にちな
んで "deck"と呼びます。 また軍隊で 「食堂」は "mess 
hall"、「トイレ」は "latrine"、「野営・キャンプする」は 
"to bivouac" と表現します。
 
 『軍隊式英会話』ではこのような単語や表現を取りあげ、
軍事用語理解の一助になることを目指しています。
 
加藤 喬
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せたうえで、メルマガ誌上及びメールマガジン「軍事情報」が
主催運営するインターネット上のサービス(携帯サイトを含む)
で紹介させて頂くことがございます。あらかじめご了承くださ
い。


最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝しています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、心から感謝
しています。ありがとうございました。

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メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)

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