配信日時 2019/04/04 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(31)】世界を驚かせた「日英同盟」 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
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こんにちは、エンリケです。

他に例を見ない歴史インテリジェンス連載
「我が国の歴史を振り返る―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
も今回で31回目です。

昨今の英国をめぐる状況。
確かに不可解なところがあります。
日英同盟のころの英国とは
違う国になってしまったんでしょうかね。


どうぞお読みください。


エンリケ


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我が国の歴史を振り返る
 ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(31)

 世界を驚かせた「日英同盟」

 宗像久男(元陸将)

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□はじめに
 
 4月1日、新元号が発表されました。本メルマガにおいても、
機会を見つけて「平成時代の総括」を試みたいと考えております
が、最近、個人的に最も気になっているのは、EU離脱をめぐっ
て二転三転、迷走しているように見える“イギリスの動向”です。

この背景には、藤原正彦氏が『国家と教養』の中で指摘している
ような、「原理」や「原則」よりも「現実」を重視するイギリス
流の「バランス感覚」、あるいは中西輝政氏が『世界史の教訓』
の中で指摘しているような、“早く見つけ、遅く行動し、粘り強
く主張し、潔く譲歩する”「イギリスの知恵」があるのかも知れ
ませんが、今度ばかりは、伝統ある「イギリスの国家戦略」に何
か大きな“狂い”が生じているような気がしています。

国家を2分する“迷走”の背景にある本質的要因の分析について
は私個人の力量を超えますので、今後の成り行きを含め、引き続
き注目していこうと思っています。藤原氏の言葉をそのまま引用
しますと、イギリス人は、論理的なドイツ人について「ドイツ人
はどんな小さな過ちも犯さない。犯すのは最大級の過ちだけだ」
(思わず納得です!)と評しているとのことですが、大きな歴史
的選択の中で、イギリス自身が「最大級の過ち」を犯さないよう
祈るばかりです。

▼清国が“深刻な状態 ”に

前回も触れましたが、我が国が欧州列国と“抜き差しならぬ関係”
になるきっかけを作ったのは「日清戦争」でした。それゆえに、
後世「日清戦争は外交では失敗した戦争だった」と評する向きも
ありますが、長い歴史の中での評価は、常に視点によって相反す
るのも事実であろうと考えます。

「日清戦争」後の清国についてもう少し触れてみましょう。前回、
列国による中国分割を「租借(そしゃく)」として紹介しました
が、この「租借」とは、英語では「解決」とか「和解」を意味す
る「Settlement」と訳され、当時は、半永久的な「割譲」を意味
していました。つまり、欧州列国による清国の「割譲」は、アヘ
ン戦争以来の“イギリス一国による清の半植民地化状態が崩壊し
た”ことを意味していました。

まず、北からは、1896(明治29)年、ロシアが鉄道の敷設
権獲得とともに満洲や北中国へ進出し、翌年、南からは、フラン
スがフランス領ベトナムから北上し、雲南省や四川州など南中国
4州へ勢力圏を拡大しました。ロシアとフランスは、1894年、
主にヨーロッパにおける勢力均衡を得る目的で「露仏同盟」を締
結していたのです。

ロシアとフランスが挟撃してくることを恐れたイギリスは、ドイ
ツと連携して両国に先んじて清朝に対日賠償金支払いのための借
款を与え、清国内の権益を認めさせました。この結果、ドイツも
96年、清に出兵して膠州湾を占領しました。当初は、“ドイツ
がロシア南下の防波堤になる”と歓迎したイギリスでしたが、
「山東半島全体を勢力圏」と主張し始めたドイツへの警戒感を強
め始めます。

1898年、ロシアが旅順・大連を租借した対抗策として山東半
島先端の威海衛を租借したイギリスでしたが、今度は、ドイツが
露仏と協調してイギリスの租借反対と主張することを回避するた
め、山東半島をドイツの勢力圏と認めざるを得ませんでした。こ
れは、イギリスにとって最も重要な揚子江流域(清国の3分の2
の人口が集中)にドイツが進出することを容認するものであり、
大きな“痛手”だったのです。

一方、1900(明治33)年、欧州列国に国土の大半を植民地
化された清国内で、“キリスト教に代表される西欧文明の広がり
こそが庶民の生活を苦しめる災厄の根源だ”として広がった宗教
勢力の反乱が発生しました(「義和団の乱」、あるいは「義和団
事件」「北清事変」などと呼ばれます)。当初は清朝に対しても
強い反発を示した義和団でしたが、やがて「扶清滅洋(ふしんめ
つよう)」をスローガンに掲げて清朝に接近し、清朝内部にも彼
らを「匪賊」とみなすより「義賊」とみなす意見が優勢になりま
した。

この結果、義和団を取り締まらない清朝と諸外国の対立が深まり、
同年5月末には、イギリス、フランス、アメリカ、イタリア、そ
して日本が“居留民保護”のため、天津に少数の部隊を派遣しま
した。日本は、当初は出兵には慎重でしたが、欧州列国を代表す
る形でイギリスから正式な要請を受けて出兵を承諾したのです。
その後、事態はまたたく間に清国全体に広がり、清朝政府が諸外
国に対して宣戦布告するとの危機的事態に陥りましたが、列国は
連合軍となってこれを鎮圧しました。

当時の軍隊は、略奪や強姦が常識となっていたようです(最も悪
質だったのがロシア軍でした)が、日本軍のみは規律正しく、略
奪行為は一切ありませんでした。これらから、欧州列国、中でも
イギリスは、日本の軍事力のみならす、外交力、国際法の理解、
信義を守る誠実さを高く評価したのでした。

▼「日英同盟」の締結

イギリスは、中国内の勢力圏をめぐって欧州列国と熾烈な争いを
展開していた同時期の1889年から1902年まで、南アフリ
カを舞台にして、移住オランダ人を祖先に持つボーア(ブーア)
人と間の戦争にも巻き込まれていました(南アフリカ戦争、ある
いはボーア戦争ともいわれます)。遠いアフリカの戦争ゆえ細部
は省略しますが、イギリスの正規軍と志願兵を合わせ44万人の
兵力がこの戦争にかかわり、戦死・病死者2万2千人、負傷者約
10万人に達したといわれます。

さて、「義和団の乱」に乗じて、ロシアは満洲を軍事占領しまし
た。撤兵を約束したものの、撤兵するどころか朝鮮半島にも触手
を伸ばすようになったのです。これに対して、イギリスと日本は
警戒感を強め、両国の間に「対ロシア」という共通の“紐帯(ち
ゅうたい)”ができたのでした。

“光栄ある孤立”を誇りに欧州においては他国と同盟を結ばなか
った大英帝国が、有色人種の小国・日本と同盟を結び、当時の国
際社会を仰天させた「日英同盟」締結にはこのようなさまざまな
背景があったのです。つまり、ユーラシア大陸の地政学や清国に
おける列国の“競合”などに加え、大英帝国のパートナーとして
の日本の「強さ」プラス「信義」のようなものまで含まれていた
と考えられます。

日本政界には、ロシアとの対立は避けられないと判断し、イギリ
スとの同盟を推進した山県有朋、桂太郎、西郷従道らに対して、
伊藤博文や井上馨らがロシアとの妥協の道を探っていましたが、
ロシアとの交渉が失敗したこともあって、1902(明治35)
年1月、ロンドンにおいて「日英同盟」(第1次日英同盟)が締
結されました。

「日英同盟」は、“他国の侵略的行動に対応して交戦に陥った場
合は、同盟国は中立を守ることで他国の参戦を防止し、2国以上
と交戦となった場合は、締結国を助けて参戦を義務づけた”まさ
に「軍事同盟」でした。本同盟により、我が国が大英帝国の“非
公式な一員”となったとの見方もありますが、当時の情勢から我
が国としても最適な選択であったことは間違いないでしょう。事
実、のちの「日露戦争」の際、イギリスは表面的には中立を保ち
つつ、諜報活動やロシア海軍へのサポタージュなどで日本を大い
に助け、勝利に貢献することになります。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。


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