配信日時 2019/03/04 08:03

【桜林美佐の美佐日記(17)】パラリンピックの発祥は負傷兵たちの競技の場

こんにちは、エンリケです。

パラリンピックの発祥が、
傷痍軍人たちの競技の場であった
ことは知りませんでした。

伊藤元海将の知られざる話にも驚きました。

今回も面白いです。
さっそくどうぞ。


エンリケ




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桜林美佐の「美佐日記」(17)

 パラリンピックの発祥は負傷兵たちの競技の場

桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記といふものを、
女もしてみむとてするなり」の『土佐日記』ならぬ『美佐日記』
は今回で17回目です。

毎度おなじみの土佐日記の冒頭ですが、そういえば私はよく「桜
林美佐って男かと思ってました~」などと言われます。どうやら、
私の書いたものは「男っぽい」のだそうです。

一方で、2月22日に文庫化された『日本に自衛隊がいてよかっ
た』などを読んでくれた人が「女性らしい視点ですね」と、褒め
てくれたりします。一体どっちなんだ私は!と思いますが、いず
れにしても、これって日本人らしい評価の仕方なのかもしれない
ですね。

3月最初の週末は、経済評論家の上念司さんが福岡の天神で年に
数回開催している「上念塾・経済セミナー」に「サプライズゲス
ト」として飛び入り参加。サプライズと言いながら、福岡に来て
すでに3回目の登場となりましたので、もう誰も驚いてくれませ
んが・・・。

この日記はライブの前に書いていますので、どうなるか分かりま
せんが、録画・録音は禁止、完全オフレコの当ライブでは、何が
オフレコって、ある意味トークよりも準備が容易ではないオープ
ニングの「ミニミニショー」?(と、勝手に私がネーミング)で
す。1回目→DA PUMPの「USA」、2回目→QUEENの「We Are the 
Champions」、そして3回目はなんとキャンディーズです(ほん
とは内緒ですが)!

ほんの1~2フレーズにすぎませんが(それ以上、見せられても
困ると思いますが)、やはり踊りは難しいですね。ミュージカル
をやりたいなどと軽口をたたいたことを今とても反省してます。

さて、今週6日(水)には夕刊フジの「ぴいぷる」という全面を
使ったページに、ある元自衛官の方について書いた記事が掲載さ
れる予定です。

その人は、山本行文さん。現在64歳の車いすアスリートです。
山本さんは昭和48年に陸上自衛隊に入隊し、熊本の第8特科連
隊所属の陸曹候補生だった頃、作業中に背後の崖が崩れ大けがを
負ったのです。

 「もう歩くことはできない」と医師に宣告されるも、0.1で
も、0.01%の確率でも「元に戻れる」希望を持ちリハビリに
人一倍励みますが、事故から1年半後、とうとう山本さんはそれ
から先の車いすでの生活を決心します。

そこに至る経緯や、車いすマラソンの選手になっていくまでのプ
ロセスについては、ぜひ「夕刊フジ」や、掲載翌日以降のネット
記事(たぶん、ZAKZAKというサイトに掲載されると思われます)
をご覧頂きたいと思います。

山本さんのことを知ったきっかけも意外なところでした。元・海
上自衛隊呉総監である伊藤俊幸さんのインタビュー記事を書くこ
とになり、いつもはYouTubeの番組で解説してもらっているものの、
初めて防大時代の話などを伺った際、思いもよらない話を聞いた
のです。

アメフトで活躍していた絶好調の時に大けがをしてしまい卒業も
延期、任官していく同期生を横目に、大分県別府市にある自衛隊
唯一のリハビリ病院に入院していた時に、そこにいたのが山本さ
んら負傷した陸上自衛官たちだったといいます。

とにかく一生懸命にリハビリに取り組むその人たちに大いに励ま
されたそうです。山本さんはのちに車いすマラソンの第一人者に
なったと聞き、ぜひお会いしたいと思ったのですが、山本さんは
熊本在住であることが分かり、東京にいた私は「それは残念」と
諦めたのです。

しかし!その話を聞いてから1年も経たないうちに、私は福岡に
来ました。しばらくはこの話も忘れていましたが、昨年末にテレ
ビで偶然に映し出された「大分国際車いすマラソン」の光景が
「ああ~~っ!これだ!」と思い出させてくれたのです。実は、
山本さんも別府病院でリハビリをしていた時に、たまたまテレビ
で「大分国際車いすマラソン」を観たことが、競技生活の第一歩
となったといいますから、不思議な縁を感じます。

その後、山本さんは日本の頂点に立ち、何度もパラリンピックに
も出場します。パラリンピックの発祥は負傷した兵士たちの競技
の場ですから、出場国はどうしても戦争や紛争に関係していると
ころが多くなります。

日本はそうした環境にないことや、また近年は自動車のエアバッ
クなど日常生活における安全性が高まっていて車いすで生活しな
ければならない人は減っていることから、選手層は海外の方が厚
いという面があるようです。

パラリンピックで強い国は負傷兵も多い、という皮肉な現実があ
るのです。2016年のリオデジャネイロパラリンピック競泳選
手の元米海軍のブラッドリー・スナイダーさんはアフガンで両眼
を失いました。当時のNHKのインタビューで同氏は答えています。

「親友はイラクで戦死した。彼は二度と日差しを浴びたり、家族
に会うことはかなわなかった。私には残された手足がある、家族
がいる。幸運にも生きています。彼らのためにも精いっぱい生き
なければならない」と。

山本さんも、以前テレビで特集されたことがあり、そこで周囲の
人が語っていた言葉が印象的でした。「彼は下半身が使えないな
ら、上半身を2倍鍛えればいいという考えで取り組んでいます。
そうすれば(普通の人と)同じになると」。ガツンと響く言葉で
す。

最後に山本さんに伺った、私たちが日常の中で気をつけるべきこ
と、知っているようで分からないことを書いておきます。それは、
車いす用駐車スペースの必要性はとても高いということでした。
あそこが空いていないと、車いすでの乗り降りはできないのです。
けっこう、車いすじゃないのに停めてしまっている人、いますよ
ね。要注意です!

<おしらせ>
YouTubeチャンネルくらら『国防ニュース最前線』は毎週土曜の夜
にアップデートされています。3月2日(土)もお楽しみに!

http://www.chclara.com



(つづく)



(さくらばやし・みさ)



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【著者紹介】
桜林美佐(さくらばやし・みさ)
昭和45年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、
ディレクターとしてテレビ番組を制作。その後、国防問題などを
中心に取材・執筆。著書に『奇跡の船「宗谷」─昭和を走り続け
た海の守り神』『海をひらく─知られざる掃海部隊』『誰も語ら
なかった防衛産業[改訂版]』『武器輸出だけでは防衛産業は守
れない』『防衛産業と自衛隊』(いずれも並木書房)、『終わら
ないラブレター─祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」』
(PHP研究所)、『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出
版)、『ありがとう、金剛丸─星になった小さな自衛隊員』(ワ
ニブックス)。月刊「テーミス」に『自衛隊密着ルポ』を連載。


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