配信日時 2019/01/14 08:00

【桜林美佐の美佐日記(10)】日出生台(ひじゅうだい)演習場と横田少佐

こんにちは、エンリケです。

日出生台演習場をめぐる感動のものがたりです。

さっそくどうぞ

エンリケ


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桜林美佐の「美佐日記」(10)

 日出生台(ひじゅうだい)演習場と横田少佐

桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記といふものを、
女もしてみむとてするなり」の『土佐日記』ならぬ『美佐日記』
は今回で10回目です。

今年のお正月は、何もかも初めてのことばかりでした。まず、
餅つき初体験!おせち料理を実際に作っている現場を初めて見た!
(旦那さんの実家でお義母さんたちが作業。私はちょっとだけ見
学、あとは原稿書き!)さらに親類の方々が集まっての会食!・・・と、
もしかしたら普通の日本人としては当たり前のことなのかもしれ
ませんが、これらの習わしとはほとんど縁のない家庭環境だった
ため、すべてが興味深く楽しく過ごしました。

ただ、これまで「家族の団欒」とかそういうことは孤独な境遇に
いる人にとっては辛いこと、だから私もそんな寂しい人たちに寄
り添える場所にいないといけない、という妙な固定観念があり、
いわゆる日本家庭の伝統的な時間を自分が過ごしていることにま
だ罪悪感すら感じてしまうんですよね・・。でも、ほんとにあり
がたいことでした。

そんな思いを胸に、あちこちを車で走った冬休み、前回もお話し
した九州の高速道路は大分県の方に走ると演習場が次々に現れま
す。さすがに年末年始の数日間は訓練などはしていないとみえて
(もしどなたか演習場でお仕事されていたようでしたらごめんな
さい!)、静かなようですが、普段はひっきりなしに各地の部隊
が活動していると聞きます。

そこで今回は、昨年の秋に日出生台(ひじゅうだい)演習場を訪
れた時に興味深いエピソードを知りましたので、ご紹介したいと
思います。

それは横田穣少佐のことです。横田少佐は日露戦争の旅順攻撃で
も戦功があった人物で、その後、日出生台演習場の初代主管とな
り、少佐の銅像は今も演習場のそばに鎮座ましましています。

横田少佐の経歴はちょっとユニークで、1865年に徳島県に生まれ、
中学校を卒業後は教員として地元で過ごしますが、その後、日本
画家を志して上京。しばらく著名な画家の門下生として修業を続
けるも、ある時、思う所があったようで、陸軍に入隊します。

日露戦争では旅順要塞を落とすための28サンチ砲の据え付け工
事を命じられ、1か月以上かかるといわれた作業を、わずか9日
間で完了させた功績を残したそうです。

戦後は予備役となるのですが、旅順での功績を惜しんだ元上司ら
が、少佐を日出生台演習場の主管=管理責任者に指名。かくして
横田少佐(当時大尉)は明治43年に大分県(くす)町にある日
出生台演習場に着任するのです。

日出生台演習場の説明を簡単にいたしますと、広さは福岡ヤフオ
クドーム約700個分!ということですが、あまりピンときませ
んよね。とにかく広いということです。明治32年、旧陸軍が日
露戦争を前にして満洲と似ている地形のこのあたりを取得しまし
た。

横田少佐が驚いたのは、演習場を取り囲む山々にはわずかな雑木
が点在するだけで、ほとんどハゲ山だったことです。川もほんの
小さなもので、飲料水などは遠くから馬車で運んでいる状況だっ
たのです。

ここに大部隊が入り、演習を行なえば水不足は避けられず、また、
将来的に使用するにあたり、周辺地域の人々の生活に多大な影響
を及ぼすことになってしまいます。

そこで、横田少佐は周囲の山々に植林をする一大緑化事業を決意
します。この植林には「産業を興す」というもう一つの目的もあ
りました。

演習場内の住居の移転を進めなくてはなりませんが、移転先での
生活不安や先祖伝来の土地を守るとして応じない地区も少なから
ずあり、横田少佐は植林という産業を興すことによりこの人々に
希望を持ってもらおうと考えたのです。連日で戸別訪問して説得
を続けたといいます。

最終的には演習場内の集団移転が可能となったわけですが、そも
そも植林事業は演習場の管理外のことであり、予算がつくはずも
なく、横田少佐は自身の月給や恩給を費用につぎ込み、それだけ
でなく、休みの日に達磨(だるま)の絵を描いて売るなどして苗
木代に充てたのだといいます。

大正の頃になると、散在していた地区の結束を図るために「日出
生台奨励会」を設立し、 山火事に対する訓練などを実施、消防
組合も組織しました。

奨励会と同時に婦人会も結成され、こちらは横田夫人が代表者。
娯楽に乏しい地区の人々に素人演芸を披露する 「ニコニコ会」 
を催したり、料理講習会などを催したそうです。

横田少佐は住民が病気になれば薬を持って行き、地域を代表して
軍との交渉に臨む際には辞表をしたためて奮闘したといいます。

そんな人柄で、最初は植林に不満を持っていた人々からも慕われ
るようになり、70歳になって引退を許されるまで、何度も退官
を申し出るも、そのたびに地元の農民が「慰留会」を作って慰留
したのだそうです。

晩年、退官した横田少佐は別府に移り住みますが、少佐を懐かし
んで日出生台から訪ね来る人が絶えない余生だったといいます。

 見慣れた演習場も、実は多くの人々の苦労の賜物なんですよね。
それにしても、当日記では「役に立たない」ことを書きますと明
言しておきながら、けっこう良い話でないですか?(自画自賛!)

 お役立ち?ついでに、もうひとつ。

玖珠インターを降りてすぐの所にある「道の駅」では美味しい椎
茸(しいたけ)を売っています。店頭では焼きたての椎茸を試食
することができ、出店のご婦人は自衛隊だと分かると「あら、ど
ちらの部隊? こないだは習志野の人たちが毎日、食べに来たわ
よ」などと気さくに話しかけてくれます。・・・っていうか「食
べにきた」?「買いに」じゃないのか!とツッコむのも忘れて私
はモグモグと舌鼓を打ちました。

 今年、もし日出生台を訪れる予定がありましたら、横田少佐の
銅像と、玖珠のお喋り好きな椎茸売り場に立ち寄られてみてはい
かがでしょうか。ただし、椎茸の試食を実施しているかどうかは
分かりませんが。その際は悪しからずご了承下さい!

<おしらせ>
YouTubeチャンネルくらら『国防ニュース最前線』は毎週土曜の夜
にアップデートされています。1月4日分は伊藤俊幸・元海将の解
説、1月11日分は元フランス外人部隊の野田力さんが登場。戦
場救命について教えて頂きます。

http://www.chclara.com


 
(つづく)



(さくらばやし・みさ)



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【著者紹介】
桜林美佐(さくらばやし・みさ)
昭和45年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、
ディレクターとしてテレビ番組を制作。その後、国防問題などを
中心に取材・執筆。著書に『奇跡の船「宗谷」─昭和を走り続け
た海の守り神』『海をひらく─知られざる掃海部隊』『誰も語ら
なかった防衛産業[改訂版]』『武器輸出だけでは防衛産業は守
れない』『防衛産業と自衛隊』(いずれも並木書房)、『終わら
ないラブレター─祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」』
(PHP研究所)、『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出
版)、『ありがとう、金剛丸─星になった小さな自衛隊員』(ワ
ニブックス)。月刊「テーミス」に『自衛隊密着ルポ』を連載。


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