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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官で
もあります。
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上田さんの最新刊
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
http://okigunnji.com/url/312/
は、女性という切り口からインテリジェンスの歴史
(情報戦史)を描き出した作品です。
本編はもちろん、充実したインテリジェンスをめぐる
資料集がすごく面白いです
こんにちは、エンリケです。
冒頭部の読み応えが増しています。
本編は、きょうから大正時代に入ります。
エンリケ
ご意見・ご感想はコチラから
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わが国の情報史(23)
大正期のインテリジェンス
インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)
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□はじめに
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いしま
す。昨年暮れに、ある出版社の社長さんと、銃器の世界的な権威
であるT氏と会食する機会がありました。
その時にT氏がお話しされたことがとても有益だったので、皆
様に紹介します。
T氏はドイツと日本で計50年生活されている国際人です。そ
の方から見る、現在の日本人や日本の在り方論には大いに感銘を
受けました。
私は現在、深刻化しつつある少子高齢化の問題について考えて
います。よく未来予測は「すでに起きている現実に着目せよ」と
いわれますが、ドイツは少子高齢化の先進国です。
現在、日本も同様に、労働力不足解消のために外国人労働者の
受け入れが検討されていますが、これがどのような未来を引き起
こすかについて、ドイツですでに起きている現象を知ることが重
要なのです。
ドイツはその労働力不足の解消や、グローバル化の世界的な影
響を受けて、どんどん移民を受け入れています。
T氏によれば、ドイツではイスラム系トルコ人が移民として移
り住んでおり、とくに問題となるのが、ドイツ国籍を取得したト
ルコ系二世のドイツ人なのだそうです。
最初に父親たちがトルコからドイツに移住します。彼らはドイ
ツ人女性とは結婚せずに、トルコ人女性との結婚が主流のようで
す。父親は仕事に就くために、努力して語学を修得します。でも、
遅れてドイツにやって来る母親(恋人)は生活に必要なドイツ語
しか修得しようとしません。
だから、その両親によって育てられる二世は、言語でドイツ人
と障壁を持つことになります。また、風貌もドイツ人とは異なっ
ていますし、宗教はイスラム教です。つまり、ドイツ社会では法
や規則ではわからない、知らず知らずの差別化が生まれているの
だそうです。
こうした若者は自分のアイデンティティーに疑問やジレンマを
抱くことになります。そして集団に属さない、行き場のない若者
が生まれるのだそうです。
おそらく、そこにテロ組織が目をつけて、彼らの所属先を提供
し、これがテロ組織の勢力拡大や、ローンウルフ型のテロを生む
原因となっているのだと思います。
また、イスラムでは4人まで妻を持つことができるようです。
成功したトルコ人は複数の妻を養おうとして、それがドイツ政府
との間で問題となっているようです。また、心のよりどころが欲
しくなり、成功したトルコ人はモスクを立てようとします。しか
し、ドイツとしては、どこでもかしこでも許可はできません。だ
から、それを拒否するという問題が起きているようです。
つまり、宗教、文化といった障壁が、トルコ人とドイツ人の拭
い切れない内部対立を生んでいるようです。
さらには、一部のドイツ人がトルコ人になりすまし、「いかに
差別された労働環境で働かされたか」といったドキュメンタリー
記事を書いて、大注目されるといったことも生起したようです。
どの世界でも、反政府派が存在します。彼らは現政権を打倒す
るために、差別や“ブラック”を意図的に用いて大衆の不満に訴
えるというのが常套なのです。
そのほかにも、T氏からは、さまざまな有益なお話を賜りまし
たが、わが国の政策についての懸念を紹介します。
○歴史的に民族の往来があるドイツでもこういう状況です。島国
である日本に、インドネシアのようにイスラム系の人たちがたく
さん入国したらどうなりますか? 多神教のわが国が、どの程度
イスラム教を容認できますか?
○徴用工の問題がありますよね。彼らは自主的に日本での仕事に
志願したにせよ、目に見えない仲間内の差別は当然あったでしょ
う。これと同じようなことが、あらたな外語人労働者との問題と
して起こる可能性はあります。徴用工のような問題が起こる、そ
れを政府は理解しているのでしょうか?
○外国人労働者を5年間も日本で働かせて、「ハイ、さよなら」
とはいきません。彼らが自国に帰っても、すでに生活基盤はあり
ません。結局は、日本に住むことになります。そうしたことを考
えていますか?
○外国人による刑事事件が生じれば、警察には特殊言語の専門家
が必要です。また行政の窓口にも特殊言語の専門家がいります。
それも規模が拡大すれば市町村レベルまで専門家が必要です。こ
ういう点を考えると、労働力不足の解消にはつながりません。A
Iの導入などをしっかりとやるべきでしょう。
まさに、ドイツの現状を知る人ならではの貴重なお話でした。
さて、前回は日露戦争の勝利の要因を総括しましたが、時代は
大正へと移っていきます。ではどうぞ。
▼光と影の大正期
1912年(明治45年/大正)7月30日、明治天皇崩御の
報が日本列島を駆けめぐった。ここに、「明治」の御代は終わり
大正が始まる。実際は、明治天皇は前日の29日の午後10時4
3分に崩御されたが、公式には2時間遅らせて30日の0時43
分とされた。
その大正天皇は1926年(大正15年/昭和元年)12月2
5日に崩御された。この時、元号は「光文」と報じられたが、誤
報として「昭和」に訂正された。おおらかな時代ではあった。
大正はわずか14年半と短かかったこともあり、明治と昭和の
激動期に挟まれ、ともすれば注目が薄い。しかし、インテリジェ
ンスの歴史において、シーメンス事件、シベリア出兵、ワシント
ン海軍軍縮会議など、決して無視してはならない事件・事案があ
る。
大正は明治末の重苦しい時代から解き放たれて、「大正デモク
ラシー」に象徴されるように、社会全体は解放的で軽快なイメー
ジがある。たしかに、そこにはサラリーマンを中心とした中間層
の文化的な生活欲求によって生み出された明るい生活があった。
しかし、社会のさまざまな局面で矛盾や問題が露呈していった。
中間層の生活の豊かさと、その影で深刻化する矛盾や問題の進行
という、“光と影”に彩られた大正期を駆け足で眺めてみよう。
▼国際的に激動の時代
世界的にはまさに激動期といえるだろう。20世紀初頭の欧州
は、英・仏・露などからなる三国協商と、独・墺・伊からなる三
国同盟との両陣営の対立を軸として、複数の地域的対立を抱える
複雑な国際関係を形成していった。
そこに、1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝
国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻がサ
ラエボで銃撃された。これが第一次世界大戦の幕開けとなった。
各国は英・仏・露からなる連合国と、独・墺・伊およびオスマ
ン帝国からなる同盟国との両陣営に分かれ総力戦を展開した。中
立を宣言していたアメリカまでもが1917年にドイツに宣戦布
告する。この戦争は1918年まで続き、おびただしい惨劇を出
して、やがて連合国の勝利で終わることになる。
わが国は日英同盟に基づき、連合国側に参戦し、中国大陸と太
平洋地域のドイツ支配地(膠州湾の青島、マーシャル、マリアナ、
パラオ、カロリンのドイツ領北太平洋諸島)を攻撃したほか、ま
た一部艦隊を地中海に派遣した。
ドイツ権益を奪ったかたちの日本は、「対華21カ条の要求」
を出し、袁世凱政府にほぼその要求を呑ませた。これにより、日
本は山東半島などに中国大陸侵出の足場を築いた。また太平洋方
面でもドイツ領を委託統治領として獲得した。
しかし、このような大陸進出の本格的な動きを、アメリカ・イ
ギリスが警戒して、日本の大陸政策をめぐる英米との対立の出発
点となったのである。
▼第一次世界大戦で戦訓を学ばなかった日本
この大戦では、戦車戦や砲兵戦の重視、歩兵における機関銃の
役割、炊事車の導入、隊員の休養、家族とのつながり、精神的ケ
アなど、多くの学ぶべき戦訓があった。
海上作戦においては、潜水艦戦と対潜作戦が重視されたが、こ
れに対してもわが国はそれを理解しようとしなかった。
空中作戦では新兵器として航空機が登場した。開戦時にはよう
やく飛ぶのが精いっぱいであった戦闘機は、わずか4年の大戦中
に大きく進歩した。これにより、偵察飛行、水上機による基地攻
撃、爆撃機による都市爆撃が可能となった。このため、イギリス、
フランス、ドイツでは陸軍航空隊が組織として誕生した。
航空機のもたらす偵察情報はしばしば戦闘に大きな役割を果た
し、砲兵観測は既存の直接射撃主体の砲兵の戦術を一新するなど、
航空機は陸戦の勝敗を決する上で非常に重要な兵科となった。し
かしながら、日本はこの分野においても遅れをとった。
このように、軍事力整備を行なううえで、第一次世界大戦は多
数の戦訓を世に示したが、日本軍は一向に学ぼうとしなかった。
すでに、明治維新の功労者は一人、また一人と第一線を退き、こ
の世を去ろうとしていた。
▼第一次世界大戦で繰り広げられたスパイ戦
第一次世界大戦を経験し、世界は軍事のみならず政治、経済、
思想などを総合的に駆使する総力戦の重要性を認識するに至った。
戦争が総力戦になるにともない、スパイ戦も熾烈化していった。
この大戦では、ドイツと英・仏との間でも熾烈なスパイ戦争が繰
り広げられた。ドイツは英・仏に対してスパイを潜入させる工作
を活発化させた。有名なところで、女性スパイのマタハリが世界
的に注目された。
ドイツは中立国スペインなどを拠点に英・仏に対するスパイ活
動を展開した。
他方、英国は優れたシギント(信号情報)機能を駆使するとと
もにロシアの協力を得てドイツの暗号解読に成功し、大戦のほぼ
全期間にわたってドイツの艦隊に関する情報を把握していた。
中東方面では、イギリスから派遣された「アラビアのローレン
ス」こと、トーマス・エドワード・ローレンスは、オスマントル
コに対するアラブ人の反乱工作を展開して、有名になった。
しかし、わが国は専門の国家レベルの情報機関を設置するでも
なし、日露戦争後、日本は諜報・謀略を組織的に管理するという
方向も示さなかった。
昭和初期まで諜報、謀略を担当する部署はまったくの小所帯で
あった。参謀本部第5課第4班でやっと謀略を扱うようになった
のは1926年(大正14年)末のことである。
▼シベリア出兵と日ソ基本条約
第一次世界大戦の末期、1917年に十一月革命(旧:10月革
命)が勃発した。革命政府がドイツとの停戦に乗り出すことにな
ると、アメリカ・イギリスなど連合国はロシア革命に干渉して革
命政府を倒し、対ドイツ戦争を継続する勢力を支援しようとした。
日本も同調し、1918年には日本軍もシベリア出兵を行ない、
シベリアで革命政府のパルチザンと戦い、途中、ニコライエフス
ク事件で日本軍守備隊が全滅するなど、成果を上げられないまま、
22年までシベリアに留まった。
1917年のロシア革命によって、日ソ両国は国交を断絶した。
しかし、ソビエト連邦の安定化とともに、冷却した日ソ関係が日
本経済に大きな不利益を発生させていた。
基本条約の内容は、外交・領事関係の確立、内政の相互不干渉、
日露講和条約の有効性再確認、漁業資源に関する条約の維持確認
および改訂、ソ連側天然資源の日本への利権供与を定めたもので
あった。日本は、軍を北樺太から撤退させる一方、北樺太の漁業
権と石油・石炭開発権を獲得した。
当時、日本は共産主義への敵視が強かったため、シベリアから
の撤兵後も国交正常化の動きには国内の右翼や外務省は反対した。
外務大臣の幣原喜重郎は、共産主義の宣伝の禁止を明文化して、
国交回復を実現した。
また1924年から、イギリスやイタリアがソ連と国交を回復
した。こうしたことから、1925年1月20日、日本はソ連と
日ソ基本条約が締結して、国交を正常化させた。
他方、1921年のワシントン海軍軍縮会議の結果調印された
四カ国条約成立に伴って、日英同盟が1923年8月17日に失
効した。このことも、第二次世界大戦での敗戦の原因となった。
▼特務機関の設立
わが国は米英の要請でシベリアに出兵した(1918?22年)。19
19年に関東都督府が関東庁に改組されると同時に、関東都督府
の陸軍部が、台湾軍、朝鮮軍、駐屯軍と同じく、関東軍として独
立した。
じ来、満洲地方が日本の大陸進出の拠点として本格的に活用さ
れるようになった。また、満洲は経済資源の宝庫であり、満洲事
変にはじまる日中戦争の発火源ともなった。
陸軍史上初めて特務機関なる名称が登場したのはシベリア出兵
時に設立されたハルビン特務機関である。
初期の特務機関はシベリア派遣軍の指揮下で活動し、特務機関
員の辞令はシベリア派遣軍司令部付として発令された。当初はウ
ラジオストク、ハバロフスクなどに設置され、改廃・移動を繰り
返しながらシベリア出兵を支援した。
黒沢準(くろさわひとし)少将が率いるハルビン特務機関はイ
ルクーツク、ウラジオストク、ノボアレクセーエフカ、満洲里、
チチハルなどに駐在していた情報将校グループを統轄し、シベリ
ア撤退後も現地に残って終戦まで情報収集にあたった。
ハルビン特務機関の設置以降、わが国は中国大陸において諜報・
謀略などの特殊任務(秘密戦)を担当する機関を次々と設置し、
これを特務機関と呼称した。なお、特務機関の名称の発案者は、
当時のオムスク機関長であった高柳保太郎(たかやなぎやすたろ
う)陸軍少将で、ロシア語の「ウォエンナヤ・ミシシャ」の意訳
とされる。
こうした特務機関を中心にした諜報・謀略活動は、昭和期の土
肥原賢二(どいはらけんじ)大佐などの特務活動へとつながるこ
とになる。
(次回に続く)
(うえだあつもり)
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【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係
論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査
学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年に
かけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務
し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官
をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛省
情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定
年退官。現在、軍事アナリストとしてメルマガ「軍事情報」に連
載中。著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社、2006年11
月)、『中国の軍事力 2020年の将来予測(共著)』(蒼蒼社、
2008年9月)、『戦略的インテリジェンス入門―分析手法の手引
き』(並木書房、2016年1月)、『中国が仕掛けるインテリジェ
ンス戦争―国家戦略に基づく分析』(並木書房、2016年4月)、
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
(並木書房、2016年10月)、『情報戦と女性スパイ─インテリジ
ェンス秘史』(並木書房、2018年4月)など。
ブログ:「インテリジェンスの匠」
http://Atsumori.shop
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
http://okigunnji.com/url/334/
※女性という斬り口から描き出す世界情報史
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
http://okigunnji.com/url/161/
※兵法をインテリジェンスに活かす
『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』
http://okigunnji.com/url/93/
※インテリジェンス戦争に負けない心構えを築く
『戦略的インテリジェンス入門』
http://okigunnji.com/url/38/
※キーワードは「成果を出す、一般国民、教科書」
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