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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官で
もあります。
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上田さんの最新刊
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
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は、女性という切り口からインテリジェンスの歴史
(情報戦史)を描き出した作品です。
本編はもちろん、充実したインテリジェンスをめぐる
資料集がすごく面白いです
こんにちは、エンリケです。
前回の内容よりも衝撃です。
わが国が敵に深く蚕食されていることに
多数の日本国民が気付けていない現況に震えが
止まりません。
あなたのご意見も、ぜひ伺いたいです。
エンリケ
ご意見・ご感想はコチラから
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年末特別・短期3回連載
中国の統一戦線工作(2)
インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)
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□はじめに
前回は古森義久氏の記事を抜粋して、統一戦線とは何かについ
て理解するとともに、日本共産党が統一戦線を堅持していること
について述べました。
今回は中国による統一戦線工作に基づく対日工作の歴史を語り
ます。
なお、中国の対外工作の全体像を理解するためには、拙著『中
国が仕掛けるインテリジェンス戦争』および『中国兵法“悪”の
教科書』をお読みいただければと思います。
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
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『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』
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▼統一戦線はソ連共産党の基本理念
1917年11月、ボルシェビキは武力蜂起によって、権力を
奪取しました(十月革命、この11月7日が、ロシア革命記念日)。
同日には最初のソビエト大会が開催され、政府である人民委員
会議が成立、その議長(首相)にはウラジーミル・レーニン、外
務人民委員にはレフ・トロツキー、民族問題人民委員にヨシフ・
スターリンが就任します。
ソビエト政権はモスクワ近郊を制圧し、11月10日には左派
社会革命党を政権に取り込みます。ここに統一戦線戦術の萌芽が
みられます。そして、ボルシェビキは1919年に「共産党」に
改称します。
1919年3月には、国際的な共産主義運動を指導する共産主
義インターナショナル。コミンテルンが結成されます。これが、
世界革命を指導する機関として動くことになります。
1921年のコミンテルン第3回大会において統一戦線が論議
され、1922年の第4回で統一戦線が方針化します。
しかし、その後の革命輸出における進展は思わしくなく、「世
界革命近し」という情勢認識から、やがて革命情勢の成熟には長
い時間が必要だとの認識に変化します。そして1935年7月か
ら8月にかけての第7回大会で、コミンテルンは「反ファシズム
人民統一戦線を結成すべきである」という方針を打ち出しました。
つまり、ドイツにおけるナチスなどのファシズム(全体主義)
の台頭とアジアにおける日本軍国主義による中国侵略に対し、共
産党が単独で対決するのではなく、社会党や社会民主党、自由主
義者、知識人、宗教家などあらゆる勢力と協力せよ、命じたので
す。
この方針にもとづいて、フランスやスペインに人民戦線が結成
されます。またアジアでは、中国共産党がこの路線に基づき、
1935年8月の長征途中「抗日救国のため全国同胞に告げる書」
という『八一宣言』を発表しました。これは、抗日民族統一戦線
の結成を国民党などに呼びかけたものです。
このコミンテルンの動きを警戒した日本とドイツは1936年
11月に日独防共協定を締結します。すなわち戦前のわが国は、
統一戦線を明確な脅威と認識したのです。
▼中国共産党の統一戦線の歴史
1921年に産声を上げた中国共産党は、吹けば飛ぶような、
ちっぽけな存在でした。だから、中国共産党は国民党に対して浸
透工作をはかり、その内部を分裂させ、同調する者をシンパとし
て取り込むことで生存を維持するしかありません。
上述のように、コミンテルンの方針にもとづいて中国共産党
1935年8月に『八一宣言』を出し、抗日民族統一戦線の結成
を国民党などに呼びかけます。
この方針が具体化されたのが1936年12月の西安事件です。
中国共産党はこの事件を契機に、内戦停止と一致抗日で国民党と
合意(第二次国共合作)しました。つまり、当面の主敵である日
本軍を崩壊させるために国民党を友として結集したのです。
この一致抗日によって統一戦線に基づく対日工作が本格化しま
す。1938年11月、毛沢東は「中国人、日本人、朝鮮、台湾
人の統一戦線を設立し、日本軍国主義に対する共通の闘争を行な
う」との方針を決議します。
この方針が八路軍総政治部隷下の敵軍工作部に伝えられ、同工
作部は日本兵捕虜を友人として扱い、自ら反戦陣営に転向させる
よう画策しました。
日本軍捕虜扱いの基本方針は「日本兵は虐げられた大衆の子弟
であり、日本の軍閥や財閥に騙され、強制されて我々に銃を向け
ているのである。したがって、いかなる殺傷ないし侮辱を行なっ
てはならず、人道的に扱う」というものでした。
こうして人道的に扱われた捕虜の中から自発的に反日組織が各
地に続々誕生しました。これは、「少数の軍国主義と大多数の日
本人民を区別せよ」とする「二分法」という戦術であり、「統一
戦線」理論にもとづくものでありました。
以上をまとめますと、共産党が生存・発展していくなかで周恩
来らがソ連共産党の対外機関であるコミンテルンから学んだ統一
戦線の実践がありました。それは政権を奪取する過程において巨
大敵を駆逐・崩壊させるため、我が方の味方を固める、自己にと
っての主敵をまず孤立・分立させて主敵から分離した者を友とし
て広範囲に結集しようとするものです。
コミンテルンの戦術が、中国の実情を踏まえ、毛沢東がより洗
練化したのが中国共産党の統一戦線工作だといえます。
▼統一戦線を支えた宣伝工作と「田中上奏文」
「統一戦線」を進めるための戦術となったのが宣伝工作です。
中国共産党が国民党や地方軍閥に勝利するためには、あらゆる地
位、階級、党派の区別なく「統一戦線」を結成する必要がありま
した。
そのため全民族の結集力を高めるための宣伝工作が重視されま
した。毛沢東は「全て政権を覆す者は、世論をつくり、イデオロ
ギー面での工作を行なわなければならない」と、その重要性を強
調しています。
中国共産党による宣伝工作で無視できないのが、田中上奏文
(たなかじょうそうぶん)です。これは昭和初期に米国で発表さ
れ、中国を中心として流布した怪文書です。
これは、第26代内閣総理大臣・田中義一が1927(昭和2
年)に昭和天皇へ極秘に行なった上奏文であるとされ、そこには
中国侵略・世界征服の手がかりとして満蒙を征服する手順が説明
されています。
日本では偽書とされ、当時中国で流布していることに対して中
国政府に抗議したところ、中国政府は機関紙で真実の文書ではな
いと報じました。しかし、その後の日中関係悪化にともない19
30年代に、中国は「田中上奏文」なるものを利用して「日本は
満洲侵略を企図し、世界征服を計画している」との反日宣伝工作
を展開しました。
この反日宣伝を展開したのが国民党中央宣伝部です。しかし、
実はこれを背後で利用・画策していたのが中国共産党であるとの
説が強いのです。
前述の1938年の『八一宣言』のなかで「田中上奏文によっ
て予定された、完全に我が国を滅亡しようという悪辣な計画は、
まさに着々と実行されつつある」との国際宣伝に打って出ました。
この対日宣伝工作では郭沫若(かくまつじゃく)が重要な役割
を演じました。郭は日本に留学していましたが、1937年に日
中戦争が始まると中国に緊急帰国し、南京大虐殺を世に知らしめ
たティンパリー著『戦争とは何か』の中国版の序文を書きました。
文化人で著名な郭が序文を書いたことで、同著は北米における反
日世論の形成に大いに貢献しました。
郭の緊急帰国に際しては駐日中国大使館参事官の王梵生が協力
しました。王は国民党系列に属する「国際問題研究所」の所長と
して対日工作を仕切っていたのですが、なんと、彼は隠れ共産党
員であったとされています。これが、背後で中国共産党が国際反
日宣伝を展開していた、との説を裏付けているようです。
▼日本に対する統一戦線工作
中国共産党による対日工作は、コミンテルンの弟弟子である日
本共産党と連携して行なわれました。その中心人物が日本共産党
の野坂参三です。
野坂は1940年3月にモスクワから延安に移転し、そこで毛
沢東と合流しました。同年7月、野坂は中国共産党の支援を受け
て「日本人民反戦同盟」の延安支部を結成し、これを起点に19
44年4月には日本人による初の反戦組織である「日本人民解放
連盟」を結成しました。同連盟は兵士向けの反戦宣伝ビラの作成・
配布、心理戦の研究・教育などを行ないました。
中国共産党による反日宣伝工作は敵軍工作部によって行なわれ
ました。敵軍工作部は、日本軍の切り崩しのための宣伝工作が執
拗に行ないました。敵軍工作部は、活字が読めない一般大衆や、
中国共産党報道機関の活動を厳しく弾圧する日本軍占領地域に対
してラジオ放送を重視しました。そのため、1941年12月3
0日、中国共産党は延安新華広播電台を設立しました。これが、
反日宣伝のための重要な拠点となりました。
ここでは野坂らの指導を受けた日本人女性などが雇用され、日
本語で反戦を促す抗日反戦宣伝放送が行なわれたのです。
▼戦後における国際統一戦線の展開
日本軍降伏後は再び国民党を敵にし、広範囲に反蒋介石の「統
一戦線」を結成し、国民党に勝利しました。いわば主敵を潰すた
めならば、協力できるものならば誰とでも共闘するという戦略・
戦術なのです。
このような発想が建国後の中国の外交政策に活用されました。
これが「統一戦線」の国際版である「国際統一戦線」です。中国
はまず「向ソ一辺倒」政策を打ち出し、ソ連を「友」とし、米国
を最大の「敵」としました。
毛沢東はアジア、アフリカ、南米を米帝国主義と社会主義陣営
の中間に位置する「中間地帯」に分類し、これに対する「統一戦
線」を展開しました。つまり「中間地帯」に対して共産主義革命
を輸出し、同地帯において「中国の友」を作ることで、米ソによ
る中国侵攻を阻止する緩衝地帯にしようとしたのです。
▼日本に対する革命輸出
日本も「中間地帯」に位置づけられました。1950~60年
代、中国共産党は日本共産党、日本社会党などの親中政党を「友」
とし、日本における共産主義革命を推進するための工作活動を展
開したのです。
その革命輸出のための当初の担い手となったのが野坂です。野
坂は1946年に帰国しますが、「統一戦線」理論を日本に持ち
帰りました。そして、日本社会党などと党派を超えた民主戦線の
樹立を画策しました。つまり、これが、現在の日本共産党が行な
っている民主連合政府の樹立に向けた、統一戦線戦術の淵源なの
です。
野坂による統一戦線の効果が現われ、1949年2月の総選挙
では日本共産党は35名の議席を獲得しました。野坂が延安で学
んだ「統一戦線」の教訓が活かされたのです。これに自信を深め
た野坂は、平和革命路線を強調しました。
しかし、当時、各国共産党を指導していたコミンフォルム(1
943年に解体されたコミンテルンの後継)は1950年1月、
『恒久平和と人民民主主義のために』という機関誌で、野坂の平
和革命路線を痛烈に批判します。
これに対して日本共産党は「コミンフォルムの批判は、日本の
実情を考慮していない」として反発したが、中国共産党も『人民
日報』の社説「日本人民解放の道」においてコミンフォルムを支
持しました。
結局、日本はコミンフォルムの批判を全面的に受け入れ、野坂
は自己批判します。かくして日本共産党はコミンフォルムの指示
に基づき、米国の占領政策に対する全面的な非合法武装革命闘争
を行なうことになったのです。
▼現在も継続される対日統一戦線工作
現在、中国共産党の直属機構として中央統一戦線工作部があり
ます。これは中国共産党と党外各民主党派との連携を担当する機
構であると謳われています。
その任務は、人民政治協商会議の運営、民主諸党派に対する指
導など、国内や海外の民衆党派と連携して、宗教対策や華僑対策
を行なうものとされます。これだけ読むと、実にソフトイメージ
です。
しかしながら、民主諸党派とは、実際には中国共産党に協力す
る傀儡政党であり、一党独裁との批判を回避するための存在にし
か過ぎません。
また、統一戦線工作部には諜報・工作部門としての役割があり
ます。これまで香港の返還や新疆ウィグルの中国化、さらには台
湾統一などの工作を行なってきたことが判明しています。つまり
「戦わずして勝つ」式の中国領土の拡張や、少数民族地域におけ
る中国化を推し進めてきたのです。
まだ、皆様の記憶に新しいと思いますが、2015年7月、わ
が国の国会では安保関連法が可決されました。
これに対して、中国は国営『新華社通信』で、同法案が憲法違
反などと指摘しました。さらに「多くの日本人と良識ある知識人
は苦い過去と同じ轍を踏みたくなく、日本政府の軍事政策の動向
に強い警戒化を持っている」「日本軍国主義の侵略戦争は中国や
他のアジアの国々に深刻な災難をもたらした。軍国主義化のなか
で、多くの日本人が騙され戦争の犠牲者となった」などとコメン
トしました。(拙著『中国戦略“悪”の教科書』より抜粋)
これは、毛沢東時代の二分法を現在も適用していることの証左
です。統一戦線が中国共産党の歴史的かつ伝統的に重みのある戦
術であることがよくわかります。
さて、次回では、戦後の日本において中国共産党による統一戦
線工作がどのよう手口で行われのかをもう少し詳しく見ていきた
いと思います。
(次回に続く)
(うえだあつもり)
上田さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
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【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係
論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査
学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年に
かけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務
し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官
をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛省
情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定
年退官。現在、軍事アナリストとしてメルマガ「軍事情報」に連
載中。著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社、2006年11
月)、『中国の軍事力 2020年の将来予測(共著)』(蒼蒼社、
2008年9月)、『戦略的インテリジェンス入門―分析手法の手引
き』(並木書房、2016年1月)、『中国が仕掛けるインテリジェ
ンス戦争―国家戦略に基づく分析』(並木書房、2016年4月)、
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
(並木書房、2016年10月)、『情報戦と女性スパイ─インテリジ
ェンス秘史』(並木書房、2018年4月)など。
ブログ:「インテリジェンスの匠」
http://Atsumori.shop
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
http://okigunnji.com/url/334/
※女性という斬り口から描き出す世界情報史
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
http://okigunnji.com/url/161/
※兵法をインテリジェンスに活かす
『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』
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※インテリジェンス戦争に負けない心構えを築く
『戦略的インテリジェンス入門』
http://okigunnji.com/url/38/
※キーワードは「成果を出す、一般国民、教科書」
PS
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運営するインターネット上のサービス(携帯サイトを含む)で紹
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