配信日時 2018/12/17 20:00

【戦う組織のリーダーシップ ─今に生きる海軍先輩の教え─(18)】「海軍仕事術(その4) 「合理主義と柔軟性:フレキシブルワイヤーたれ!」 ─「連合艦隊解散の辞」がもたらした精神至上主義─ 堂下哲郎(元海将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
した即応予備自衛官でもあります。
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堂下さんのデビュー作
『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
への読者反響の一部です。

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「難しい内容をかみ砕き、例示も豊富、コンパクトにまとまって
いる」

「早速、大学の授業で活用、図書館にも入れさせてもらいました。
経営戦略、組織コミュニケーションにも有益な内容です。」

「作戦を組立てる側から理解でき目から鱗でした。防衛、外交関係
者、さらには一般の読者にとっても有益な内容を、詳細かつ分かり
やすくまとめられている。」

「政府機関の政策決定や企業経営者の意思決定にも、広く応用で
きるヒントが含まれている。」


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『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/



こんにちは、エンリケです。

「海軍仕事術」の四回目です。

帝国海軍の精神主義への傾斜について
種々の論を見かけますが、
きょう記されている内容が一番しっくりきます。

グローバリズムとエスニシズムが同居する海軍
という組織を、健康に維持発展させる困難さへの理解は、
わが国ではまだまだ進んでないなあ、との思いも持ち
ます。

トイレの話は、思わず笑ってしまいました。

あなたはどう感じます?


エンリケ

追伸
年末大掃除で私の担当は窓ふきですw



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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(18)】

「海軍仕事術(その4)
「合理主義と柔軟性:フレキシブルワイヤーたれ!」
 ─「連合艦隊解散の辞」がもたらした精神至上主義─

 堂下哲郎(元海将)
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□はじめに
 
いよいよ大掃除の季節。私は長年、換気扇を担当していますが、
水回り、特にトイレなども厄介な場所ですね。このトイレのこと
を船では「heads」と呼ぶことがあります。損にも得にもならない
語源の話です。
 
これは帆船時代、当時の垂れ流し式のトイレの設置場所が船の前
部(head)であったことに由来するといわれています。つまり、
きれいに海面に落とすためには船首部分のシアー(外舷の反り)
の大きい所が適していて、これは帆船が追い風で帆走している時
の相対風の上からも合理的であったものと考えられます。「heads」
と複数形になっているのは風上側と風下側に常にセットで複数設
置されていたからであり、追い風のときは良いとして、横風のと
きはもちろん風下側を使わないと大変なことになったと思われま
す。
 
便器は適当な大きさの穴の開いた板で、樽や箱の覆いがついたり
しました。その後、船の形が次第に丸みを帯び、船首に華やかな
装飾が取り付けられるようになるとトランク(排出路)が取りつ
けられたりし、場所も船体の前部または後部、その後は次第に中
央寄りになって来て今日に至っています。
 
 
▼海軍の合理主義
 
 さて、今回は海軍の合理主義と柔軟性についてです。拙著『作
戦司令部の意思決定』では、戦いに勝つための論理的思考(ロジ
カル・シンキング)や批判的思考(クリティカル・シンキング)
の手法を解説しました。最も大事なことは、これら意思決定の手
法を使いこなすリーダー自身が、決裁者として合理性や柔軟性を
備えていなければならないということです。
 
海軍では総じてこのような合理性や柔軟性を持っていたといわれ
ています。物事を広い視野から捉え、バランスのとれた柔軟かつ
科学的な考え方に基づいて、理にかなった方法で対処したという
ことです。多くの先輩が海軍の伝統の美点として挙げています。

なぜそうなったか? その理由や背景が、昭和19年に書かれた
「陸海軍人の気質の相違」と題する論文に明らかにされています。
これは、陸軍に対抗して海軍の政治力を強化しようと矢部貞治東
大教授らが執筆したものですが、この中で海軍の「気質」につい
て次のように述べられています。
 
--海軍は艦船を中心とし、精神力、術力ともに機力を重視する。
考え方は科学的、合理主義的であって、近代技術を尊重し、物心
双方を重視する。客観的厳密性を要求する傾向はここから生まれ
た。
--海軍は人力人為の限界に直面し、自然に順応随順する体験を
有することが多く、無我の境に立つこともしばしばである。従っ
て、主義主張に拘泥せず、言挙げせず、沈黙的となる。
--遠洋航海において世界各地を見学し、世界の情勢を聞知する
風習は、海軍軍人の視野を広くし、ものを考察するのに世界の全
体からする性格を培養した。
 
これらのことは、現在でも基本的には変わっていないといえます
し、諸外国の海軍についてもほぼ同様で「海軍はインターナショ
ナル」と言われる所以のひとつだと思います。

▼フレキシブルワイヤーたれ
 
 さて、意思決定にあたっては論理性や合理性を追求するのです
が、道理さえ通っていれば良いというわけにはゆかないこともあ
り、時には合理主義を離れた判断や行動も必要になります。

「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される」というのは夏目
漱石の『草枕』ですが、このような場合には「情」に流されない
程度に「理」を抑える柔軟性が求められます。また、海という大
自然や敵との戦いにおいては融通無碍な対応が求められるのは当
然というべきでしょう。
 
 この柔軟性について、海軍では「アングルバーで何ができるか、
フレキシブルワイヤーでなければならない」と言われていました。
アングルバーとは山形鋼ともいい、建設現場などで広く用いられ
ている構造用鋼材のことで、丈夫ではあるが限られた用途にしか
使えない。一方、フレキシブルワイヤーは、クレーンなどで用い
られているワイヤーロープのことで、丈夫でありながらも形を変
え重量物を自在に動かせる融通性があるということです。つまり
「千変万化する海を活動の舞台とする海軍軍人は、固定観念にと
らわれることなく柔軟性を持たなくてはならない」という教えで
す。
 
 リーダーシップの観点からは、部隊の規律を保つために規則を
厳守させたり、組織としての意思決定に個人を従わせることは大
事であるが、時と場合によっては融通を利かせなければ部下はつ
いてこないということを意味します。

連載第3回でリーダーの個性として「理」と「情」の配合が基本で
あるとしました。はじめから「柔軟性」を発揮して、「情」を十
分に加味しつつ合理的な意思決定ができれば申し分ありませんが、
そうでない場合、組織にとっての「理」にもとづく決定が個人に
とっては厳しいものとなる可能性があります。そのような場合に
は平素から培った「情」に基づくリーダーと部下との人間関係が
ものをいいます。このような意味において、「情」と「理」はど
ちらか一方が重要というようなものではなく、場面によって必要
とされる度合いが異なるいわば補完的なものと言えると思います。

また、作戦で部隊を動かす場合、当初の命令どおりでは変化する
海の状況や敵の動きに対応できない場合があり得ます。このよう
な場合、臨機応変に行動しなければ最終的に任務は達成できない
ことになります。 海軍では、情勢に応じて部下の責任において命
令外のことをやり、あるいは命令と違った事をやることを「独断
専行」といい、その条件を示していました。条件に合致したら独
断専行は必ずやらなければならないこととされ、上官はやれる余
地を部下に与えることが必要とされていたのです。

▼連合艦隊解散の辞

 このように合理主義と柔軟性を重視していたはずの海軍ですが、
太平洋戦争の末期ともなると合理性、柔軟性とは相容れない判断
をし、精神至上主義への傾斜が見られました。この原因には多く
の要因が関係しているのですが、ここでは、そのうちのひとつと
して実松譲氏(海兵51期)が『海軍を斬る』において指摘してい
る「連合艦隊解散の辞」の及ぼした影響をみてみます。
 
連合艦隊解散の辞とは、日露戦争終結後の凱旋観艦式において戦
時編成の連合艦隊を解散するにあたっての東郷平八郎司令長官の
訓示であり、参謀秋山真之中佐が起案したものです。「古人曰く
勝って兜の緒を締めよと」の結びで有名です。この訓示のなかに
「百発百中の一砲、よく百発一中の敵砲百門に対抗しうるを覚ら
ば、我ら軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず」とい
う一節があります。
 
実松氏によれば、福沢諭吉から「あたまがマセマティカル(数理
的)だ」と評せられた山本権兵衛海軍大臣(海兵2期)は、この
「美文」を喜ばなかったそうです。「戦争というものは、第一に
精密な数字上の作戦にもとづかなければならない。天佑と精神の
みで勝てるという印象をあたえては、将来の国防をあやまるかも
しれない」、こういましめたといいます。 
 
 実際、早くも2年後の明治40年には、海軍教育本部から海軍の諸
学校に対し、海軍記念日(5月27日)における精神教育において、
明治天皇の勅語の奉読に加えて東郷司令長官の「連合艦隊解散の
辞」を朗読するよう通達が出されました。このころから東郷元帥
は、「生き神様」のように海軍一般では考えられるようになり、
その訓示は神聖にして侵すべからざる聖典であるかのように崇め
られたようです。このような精神教育との関連で、次のような海
軍兵学校でのエピソードが紹介されています。
 
昭和4年のこと、教官が国語の教材として「連合艦隊解散の辞」
を取り上げた。すると、ある生徒が「百発百中の一砲、よく百発
一中の敵砲百門に対抗しうる」というが、彼我の命中比が1対1/100、
その砲数比が1対100のとき、彼我の全砲が同時に敵砲を目標とし
て射撃した場合、双方とも1門ずつ破壊され味方に砲がなくなっ
た時、敵にはまだ99門残っている計算となるのではないかとの疑
問を呈した。
 
生徒は、教官に対してこの非合理をどう理解すればよいかと質問
したところ「そんなことは、どうでもいいのだ」と、苦い顔です
げない返事をされた。後日、別の教官から呼び出しをうけた生徒
は「お前は軍人らしくないと教官たちの間で評判になっているか
ら気をつけろよ」という注意まで受けてしまった。
 
こういう話ですが、この生徒が教官の間で不評だったのは、昭和
に入り、海軍兵学校の教官たちまでも「解散の辞」を侵すべから
ざるものと考えていたからではないかと思います。この例に見る
ように、「連合艦隊解散の辞」は、後々まで日本海軍の軍人思想
に影響したところが大きかったといわれています。実松氏は、
「大胆な推測を許されるならば、明治末期から徐々に、そして大
正時代となるや、ようやく精神至上主義が兆しだし、さらに昭和
になって定着するにいたった、といえないだろうか」と述べてい
ます。

 
▼惜しまれる「良識派」

最後に、海軍の合理主義や柔軟性が高いレベルで発揮された例と
して、海軍軍縮条約や対米戦争回避の努力などが挙げられます。
国力に見合った海軍を整え、より大所高所から国防を考えて外交
手段も尽くして戦争を避けるというのが「海軍の良識」といわれ
たものでした。
 
加藤友三郎(海兵7期、大将、海相、首相)は、「国防は軍人の
占有物にあらず」「日米戦争は不可能」という言葉のとおり、ワ
シントン軍縮会議(1921年)の首席全権として軍縮条約を受諾し、
自らが苦心惨憺して実現させた八八艦隊を破棄しました。このよ
うな考え方に連なる米内光政、山本五十六、井上成美らも「良識
派」と呼ばれましたが、日米開戦への大きな流れを止めることが
できなかったのは残念としか言いようがありません。

海軍では合理主義、柔軟性が重視されていたのになぜ対米開戦に
至ったか。「良識派」が少数派になった、陸軍に対抗できる政治
力がなかった、戦術や作戦レベルの研究ばかりで総力戦に関する
研究がなされなかったなど、さまざまな原因が指摘されています
が、これは「太平洋戦争への道」という大きなテーマに属するこ
となので、その議論は他に譲ります。

終戦時に海軍大尉だった作家の阿川弘之氏の回想です。
「私は予備学生出身で、いわば臨時雇いの士官にすぎませんでし
たが、戦時中の短い期間とはいえ、私どもが垣間見させてもらっ
た海軍の良さは、ほとんどこの一語に尽きる感じがします」
この一語とは「アングルバーで何ができるか、フレキシブルワイ
ヤーでなければならない」のことです。リーダーの立場は高低さ
まざまですが、この言葉を胸に刻んでそれぞれの「分(ぶん)」
を尽くし、現代版「海軍の良識」を体現したいものだと思います。

本年の連載は今回で終わりにして、新年は1月7日から再開の予
定です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。皆様良い
お年をお迎えください。


(来年へつづく)



(どうした・てつろう)


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【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。

 
 

 
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(代表・エンリケ航海王子)
 
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